85.実力行使を決める
「ああ、キャシー。この間の話だけどね」
朝食の席で、父が切り出す。エリーゼがタマロ王国の男性と繋がって王妃になることを企て、ヘランを騎士にもばらまいているという信じがたい話を、父はきちんと受け止めてくれた。
「騎士の中には、差し入れの菓子ーーヘランに夢中になってしまった者が、何人もいたそうだ」
「やっぱり……」
予想通りの父の言葉。そのまま見過ごされていたら、危なかった。
「時間があればヘランへの依存度も下がるかもしれないが、結婚式も間近だ。彼らは警備から外すことになったよ」
「そうなのね」
私はほっとして胸を撫で下ろす。
「その人たちを外せば、パレードは安全になるのね」
「まあ、そうとも言えないけれど」
「そうなの?」
「その分、手薄になるからね。ドリス……騎士団長が、随分と難しい顔をしていたよ」
父はさらりと言うが、それでは困る。
「万全じゃないと、困るんじゃないの」
「そうだけど……もう、式も間近だ。なんとかするしかないだろう」
もやもやしたものが胸中に広がる。不安要素を抱えたまま、ミア達の結婚式を迎えることになるの? 万全の対策をせずに当日に臨むなんて、父らしくない。
「危ないなら、無理しないほうがいいのに……」
「そうもいかないさ。伝統があるからね」
「だけど、もし何かあったら」
言いかけた私の口元に、父の人差し指がぬっと差し出される。驚いて、言葉を飲み込んだ。
「何かあると思うかい? 確かにタマロ王国の動きは怪しいけど、計画に含まれていたはずの騎士達は警備から抜けた。そもそも祝いの席で、仕掛けてくることもないよ」
どうしてそんなに、楽観的なのか。あのとき、エリーゼと男性の会話を聞いて、事態を知った私とエリックは、あまりの衝撃にぴりぴりとした緊張感を共有していた。それに対して、父の、あまりの緊張感のなさ。
肩の力がへなへなと抜け、小さく溜息が漏れた。これほど楽観的なのが、普通なのだろうか。私たちが気にしすぎたの? 続編のことを知らないと、現実は、こうも楽観的に眺められる状況なのか。
「ミア達は、今回のことを知っているのかしら」
「いや、お伝えしていないよ」
「えっ!」
他の人の意見も聞いてみたい。そう思って出た呟きに対する父の返事に、また驚く。
警護するはずの騎士までもがヘランに侵食されていたという、事実。タマロ王国が近々オーウェンの命を狙わんとしていることも、薄々想像できる。そんな中で、当の本人に、状況が知らされていないなんて。
「どうして、お伝えしないの?」
「お伝えしてどうする? やるべきことは何も変わらない。不安を駆り立てるのは、無駄なことなんだよ」
「対策を練れるじゃない。例えば、パレードはしないこともできるでしょう?」
危険なのはパレードの場面であることは、これも容易に想像がつく。群衆の中にミアとオーウェンが晒されるのだから。それだけでも辞めれば、安全性はぐんと上がる。私の提案を受けて、父は笑った。
「できないよ。そんなことで、やめられるものではない」
「どうして! 人の命がかかっているのよ」
思わず声を荒らげてしまった。父は両手を上げ、肩を竦める。まるで私が、わけのわからないことを言っているかのようだ。
「エリーゼは?」
「タマロ王国の者と通じていた罪は重いが、彼女は王家の婚約者だ。判断は陛下に委ねるしかない」
「でも、陛下は……」
ヘランに耽溺している国王が、ブランドン侯爵家やタマロ王国に不利になる判断を、下せるのだろうか。
「だとしても、だよ」
そうきっぱりと言い切られた。
いつも父は、私が何を言っても、とりあえず聞いてくれる。その上で、正しいことは認め、間違いは間違いと指摘される。でも今日の父は、聞く耳を持たない。違和感があるほど、頑なだ。
「……私、ミアに会いに行ってくるわ」
なんだか、気持ちがざわざわする。父が後ろから「余計なことを言ってはだめだよ」と投げかけるが、聞こえないふりをして部屋を出た。余計なことを、言わないはずがない。私は当然、騎士団の件を告げに、ミア達の元へ出向くのだ。
式をあげるのは、父ではない。ミアとオーウェンだ。ふたりが事情を知れば、より安全な選択がなされるだろう。
「なあに、相談したいことって」
「突然ごめんね、ミア。結婚式の準備はどうかしら、進んでる?」
「そうね。もういよいよだから、式の練習に追われているわ」
覚えなきゃいけないこともたくさんあるし、と言いながらミアはカップを口に運ぶ。湯気越しに見える顔は、少々疲れているようには見えるが、幸せそうな輝きを放っている。
いよいよ、結婚式なのだ。それも、相手は優しいオーウェン。
「ミアも、王太子様も、準備が大変ね」
「王家の結婚式は、覚えることが多いから。でも、光栄なことだから、有難いことよね」
「そうね……」
さっぱりしたミアの物言いに、私は本題を切り出すのを躊躇う。結婚式に向けて前向きに準備を進めているミアに、こんなことを話すのは、無粋だ。
「やあ。来てたんだね」
「王太子様」
「ミアが居ると聞いて来たんだ。今日、来る予定だったっけ?」
ひょい、と顔を出したのは、当のオーウェンである。
「突然、申し訳ありません。相談したいことがあって、急に押しかけましたの」
「そう。女性同士の相談事なら、僕は邪魔者だね」
茶化して微笑むオーウェン。私がしようとしている話は、オーウェンがいるなら好都合だ。これは、話した方が良いということだろう。私は躊躇いを振り切った。
「いえ。むしろ、王太子様にも聞いていただけるのなら、ありがたいですわ」
「そうなの?」
「そう。結婚式の話だから」
続編の話だけは、口には出せない。しかし私は、先ほどの父の言葉も含めて、知っている話を伝えた。初めはにこやかに頷きながら聞いていたオーウェンは、やがて腕を組んだまま表情を強張らせ、黙って聞き始めた。
「警護の騎士が、相当数抜けるんだね」
「そうなりますわ」
「ヘランを服用している者が混ざっている方が心配だから、ありがたいよ」
「でも、彼らが抜けたら、人手が足りないんでしょう?」
ミアが、寒くもないのに腕で自らを抱き、ふる、と身震いする。オーウェンがミアの肩をそっと撫でた。
「大丈夫。何事も起こらないよ」
「どうして?」
「僕達の婚姻は、天に祝福されたものだ。何も起こるはずがない」
「でも……」
私とミアに、オーウェンは凛とした顔を向けた。
「何か起こるとすれば、それまでだ。王太子の身で、我が身可愛さに伝統行事を取り止めるなんてこと、できやしないさ」
ああ。こうして世界は、続編に向かって進んでいくのね。私は半ば絶望的な気分で、オーウェンの顔を見ていた。
伝統。そして、プライド。そうした、捨てるには捨てられないものたちが邪魔をして、危険とわかっていても、そこへ飛び込んで行く。父をはじめとした貴族たちも、オーウェンとミアも。
「心配してくれて、ありがとう。僕達は、大丈夫だよ。君は安心して、見ていてくれ」
オーウェンはそう言い残して、部屋から出て行く。
おそらく、この先には、ベイルが王に祭り上げられる未来がある。タマロ王国と通じているエリーゼが、ベイルの妻として立つ。ヘランのこともあり、ベイルはエリーゼには逆らわないから、結果的に国はエリーゼのものになる。
続編のシャルロット達は、そんな状況の中で、学園生活を送っているのだ。卒業した先に待っているのは、タマロ王国の言うなりになるしかない、そんな未来だとも知らずに。
「……ミアは、どう思うの?」
「怖いわ。もし、彼の身に何かあったらと思うと……」
ミアの目は、縋るような色をたたえている。
「どうしたらいいのかしら、私……」
「ミアは、パレードを取りやめてもいいと思ってる?」
「……思うわ。彼の命には代えられないもの」
問いへの答えは、ミアらしい、はっきりとした物言い。私は頷いた。ミアは、パレードを止めたい。彼女は私の親友だ。そして私は同時に、続編に至る未来を変えたいと思っている。行動を起こすのに、何の不都合もない。
「わかったわ。私、何とかしてみる」
「でも、オルコット公爵も、王太子様も、お考えは変わらないわ」
「そうね」
父もオーウェンも、驚くほどに頑なだ。それはもう、ゲームの強制力でも働いているのかと思うほどに、伝統的な計画通りの式を行うことに拘っている。
もう、私は知っている。ストーリーを変えられるのは、私しかいない。
オルコット公爵令嬢という地位を持ち、続編の知識を持っている、私しか。
「私に任せて」
それは、父やオーウェン、エリックに、嫌という程言われた言葉。私は胸を張り、ミアに宣言した。
「実力行使するわ」




