83.令嬢の正体
「度々訪れて、ごめんなさいね。鍛錬のお邪魔になっていないかしら」
「いえ。美しい女性に見られると、我々の士気も上がりますから」
鍛錬場の入口には、担当の騎士が時間毎についている。近頃頻繁に顔を出すので、顔見知りといっても良いような騎士もできてきた。
今の時間は、先日コリンと伯爵令嬢について、あれこれと教えてくれた騎士である。口が軽いようなので、余計なことを言ってはいけないと気を引きしめながら、笑顔とともに挨拶をした。
「お上手ね」
「恐縮です!」
「誰にでも、そうやって仰ってるんでしょう? ここを訪れるのは、私だけじゃないようだから」
私はちら、と視線を奥の方へ向ける。鍛錬場の向こうの、先日の令嬢が姿を消していった方向へ。不思議そうに私の視線を追った彼は、その先にあるものを見て、ああ、と得心した表情をする。
「あの方は、こちらには見向きもせずに、コリンの元へ通っておられますから。身元はわかっているので構わないのですが、挨拶もされないと、少し」
「それは寂しいわね」
「オルコット公爵令嬢は、このようなものにも声をかけてくださるので、いらっしゃると鍛錬にも身が入るのですよ」
騎士は鍛錬場の方を手で示し、そう言って笑った。体を動かす騎士達は、こちらに目もくれない。ひとつひとつの動作に集中している様子である。
女性の出入りを確認して、練習に身が入るのは、この騎士の話なのではなかろうか。
「こんな時間に来たら、その伯爵令嬢と出くわしてしまうかしら」
失礼なので口には出さず、私は話を本題に戻した。騎士は「どうでしょうか」と答える。
「今日はまだいらしていないので、いらっしゃるとは思いますが」
「決まった時間に現れるわけではないのね」
「そうですね。……お知り合いですか?」
伯爵令嬢の話をしすぎたらしい。騎士にそう問われ、私は緩く首を振った。
「いえ。私がここにいてお顔を拝見してしまったら、申し訳ないじゃない。密会なのに」
「なるほど……お顔を隠していらっしゃるわけではないので、そこまで神経質にならなくても良いとは思いますが」
「そうなの? 堂々としているのね」
「はい。勝気そうな、美しいお方です」
勝気そうな、美しい顔。想像してみたが、具体的には思い浮かばない。ミアだって勝気そうな顔をしているし、シャルロットだって、勝気そうと言えば勝気そうだ。そうそう、エリーゼだって、そんな印象の顔立ちをしている。
「噂をすれば。いらっしゃいましたよ」
「ああ、あの方がそうなのね」
騎士の示す方には、小走りで駆け寄ってくる、つば広の帽子の女性。この間と同じ、落ち着いた色味のドレスだ。目立たないよう、地味なものを選んでいるのかもしれない。
騎士はああ言ったが、顔を見られるのは避けたいようで、彼女は俯いたまま私の横をすり抜けていく。挨拶もしないなんて失礼だけれど、事情が事情だ。身分を明かすこともはばかられるだろう。
すれ違いざまに、爽やかな風を感じた。艶やかな栗毛の髪がさっとたなびく。その髪に遮られ、横顔を確認することもできなかった。
「行ってしまわれましたわね」
「そうですね」
「あれでは、話しかける隙もないわ」
私は今日、彼女と話して、彼女とブランドン侯爵やタマロ王国とは特別な関係がないことを確かめたかった。しかしあれでは、挨拶すら交わすことができない。
「先程、手にかごを持っていらしたじゃありませんか」
「そうだったかしら」
「あの中には、お手製の菓子が入っているそうです。コリンへの差し入れですが、多めに作っているとのことで。おこぼれをもらった騎士は、口を揃えてやみつきになると言っております」
「お菓子を?」
彼女の持ってきた菓子を、他の騎士にも食べさせているのか。
「はい。一度食べると次も食べずにはいられない、と評判で。俺はコリンとは親しくないので、頂いたことはありませんが」
一度食べると、食べずにはいられない。
騎士の話が、どこかで聞いたヘランの話と重なって、私は背筋にひやっとするものが走るのを感じた。
エリックは、騎士や平民など、貴族以外の者にタマロ王国の手が及んでいた場合が危険だと言っていた。私の父など、貴族ではその動きが把握しにくいからだ。もし万が一、伯爵令嬢とタマロ王国に関係があって、騎士にもヘランが広まっているとしたら、大変なことになる。
「彼女に馴れ馴れしく話しかけるな。失礼だぞ」
「おお、エリック。俺だってわきまえてるさ。お前を差し置いて、話すなんてことしないよ」
わきまえているという割には、随分とお喋りだったけれど。調子の良いことを言う彼に苦笑いで返しつつ、私はエリックを見上げた。
口は軽いが、おかげでわかったこともある。
「さっきね、例の伯爵令嬢と、またすれ違ったわ」
「そうですか」
わきまえている騎士は、私とエリックが会話を始めると、聞こえない距離まで移動する。確かに、わきまえている。
「彼女が出てくるまで、待とうと思うの。お顔も拝見できなくて、気になるから」
「そんなに長い時間お待ち頂かなくても、また明後日いらっしゃればよろしいではありませんか」
「そうなんだけど……その、ね」
私はエリックに顔を寄せ、差し入れとして届けられているお菓子のことを耳打ちする。
「……そのお菓子は、一度食べたらやみつきになるんですって」
「やみつきに」
「ええ。それってちょっと、気になるでしょう?」
エリックは神妙な顔で、顎に指を当て、暫し考え込む。
「どのような菓子なのか、知りたいですね」
「そうなのよ。少し話して、事情を聞きたくて」
出所を確かめるだけでいい。何もないならそれで良いのだ。
「万が一ヘランが入っていて、それをご令嬢がご存知ならば、直接聞いてもはぐらかされるでしょうね」
「ああ……そうね」
「俺も、一緒に行きます。鍛錬に戻りますが、様子は見ておくので」
「ええ。ありがとう」
戻っていくエリックの背を見送る。砂埃の舞う中でも、騎士の服に包まれたその背は、凛として頼もしく見える。
休憩が終わり、解散していた集団がまた集合する。それぞれが己の力を高めあうため、体を動かしている姿は純粋に格好良い。
「なんだか、想像していたのと違うのよね」
その様子をぼんやりと眺めながら、私は思った。いくらエリックの瞳の中を見ても、そこにベイルやセドリックのような、鬼気迫る輝きがない。今だって、鍛錬を優先して、向こうに戻っていった。
きっと、エリックのいう恋というのは、私が知っているものと違うのだろう。それならば、彼はいったい、私のことをどう思っているというのか。
思考は他所へやりつつも、視線はぼんやり、先程の令嬢が去っていった方へ向ける。どのくらい経っただろうか。それほど待った、という感覚もしない間に、先程と同じ、控えめな色味のドレスが現れた。俯きがちで、顔がよく見えない。エリックの方を見ると、彼もそれを認めたようで、それとなくこちらへ近づいてきている。
「あの、」
俯き、帽子のつばで顔を隠した彼女が近寄ってきたので、私は声をかける。すると歩みを止めるどころか、勢いを増して私の肩にぶつかってきた。思わずよろける。
「大丈夫ですか?」
軽やかな足取りで駆けていく彼女。エリックが、声を潜めて聞くのに、私は黙って頷いた。転んではいない。大丈夫だ。それよりも。
「追いかけましょう」
「はい」
近寄る前からお互いのことを認識していて、声を掛けられたのに、走って逃げるなんて。秘めた恋だからばれてはいけないの焦ったのかもしれないが、そうではない可能性もある。せめて、顔を確かめたい。それができないなら、どこの家の方なのか知りたい。
差し出されたエリックの手を自然に取り、私は彼の後をついて小走りで彼女を追い始めた。馬車を停める通りではなく、木立の方へ走っていく。こんなところに、何の用なのだろう。
木の合間を縫う彼女を追ううちに、地面は土くれだってきて、木の根に足を取られるようになった。木々の間にひらめくドレスが、少しずつ見えなくなっていく。
「……失礼します」
ふわっ、と体が浮いた。視界がぐるりと回り、目の前にエリックの顔がある。頬に、ざらついた制服の布地が当たる。
「えっ」
「このままですと、見失ってしまいそうなので」
「でも、危ないわ」
私を抱えたエリックは、そのまま走り始める。先程とは打って変わって、かなりの速さだ。私みたいな重荷を抱えて、こんな速度で走ったら、転んでしまいそうである。
「キャサリン様に走らせた方が、転んでしまいそうです」
「まあ……」
「お静かに。動きが止まりましたよ。近付いたら降ろすので、その場に屈んでください」
エリックは、木の葉の敷き詰められた地面を歩いて進む。物音ひとつ立たない。暫くすると地面に降ろされたので、そのまま屈んだ。
小さな葉が生い茂って、目隠しのようになっている低木の陰だ。葉の間を覗くと、向こうに令嬢のドレスがちらちら見える。
ちりん、と涼やかなベルが鳴る。すると、令嬢の向かいに、色鮮やかな服が現れた。どう見ても、タマロ王国のものである。
ああ、やはり彼女は、タマロ王国とつながっていたのだ。となれば、「差し入れのお菓子」とやらも怪しい。エリックと目が合うと、彼は眉間に深く皺を寄せていた。
「今日も、届けて来ましたわ。確り、周りの騎士の方にも、お菓子を食べさせてくれているそうですわ」
「さすがですね。エリーゼ様のおかげで、僕の願いは、ようやく達成しそうです」
ぼそぼそと聞こえる会話。突然登場したエリーゼの名前に、私は驚きの声を、すんでのところで抑えた。
エリーゼだって?
葉の隙間から見える、令嬢の白い顔。それは確かに、あのエリーゼのものと、よく似ていた。
 




