79.エスコートはエリック
「まさか俺が、ご令嬢の手を引いて舞踏会に行く日が来るなんて、思ってもみませんでした」
「大袈裟だわ。いつかは来たでしょうに」
「いえ。俺はキャサリン様のように、人に好かれるタイプではないので」
私の手を取ったエリックは、そんなことを言いながら、会場へと歩く。歩幅を合わせ、重心を上手くコントロールしながら進む彼のエスコートは、安定感がある。
エリックとは今までいろいろな場所に同行してもらったが、こうした正式な場で隣にいるのは、初めてかもしれない。なんとなく、新鮮な感じを覚える。
鼻筋が通った、端正な顔立ち。好かれるタイプではないなんて、自分を見誤っている。今だって周囲の令嬢の視線は、エリックに釘付けだ。攻略対象だけあって、いつ見ても、彼の容姿は素晴らしい。
その横顔を見上げていると、エリックと目が合った。
「……今日もお美しいですね」
「そこまでなりきらなくていいのよ。いつも通りで」
「本心ですよ」
そういえば以前の舞踏会でも、容姿を褒められたのだった。真面目なエリックは、カミーユと違って、女性が喜ぶようなことをあまり言わない。珍しいこともあるものだ。
会場には既に、たくさんの人が到着し、各々集まって話をしていた。オーウェンが主催ということもあり、若い男女の姿も多い。
「賑やかね」
「人が多いですね」
「この雰囲気って、素敵だけど……ちょっと息が詰まるのよね」
私が零すと、エリックは「変わりませんね」と微笑んだ。ああ、なんだか懐かしい。エリックと出会ったばかりの頃は、パーティで会うたび、「疲れた」の何のと愚痴を聞いてもらっていたのだ。
人々のざわめきがどこからともなく落ち着き始め、それと入れ替わりに音楽が流れ出す。舞踏会の始めに踊るのは、身分の高いオーウェンとミアから。王と王妃は、今日は参加しない。結婚式前に王太子が盛大な舞踏会を開くのは、恒例のこと。これから一人前の人間として、王の助けを借りずとも、人々を集められるようになるための練習だそうだ。だから来客は豪華なのに、国王夫妻がいないという事態は、不自然ではない。
こんな風にして少しずつ、王と王妃として在るための経験を積み、然るべき時に即位する。よくできた仕組みである。
「さあ、行きましょう」
曲が変わり、両親がホールに踊り出るのを見て、私もエリックを促した。ステップを踏んでエリックの様子を見ると、なぜか困惑した顔をしている。
「俺が最初のダンスを踊って、良いのですか?」
「あっ……ごめんなさい、私にとっては自然な流れだったから、つい」
家ではエリックが婚約者同然の扱いを受けていることもあり、つい当たり前のように、最初のダンスを踊ってしまった。謝ると、エリックは「俺は構わないのですが」と歯切れの悪い返事をする。
「キャサリン様が何を考えているのか、俺には時々、わかりません」
「当たり前だわ。私とあなたは違うもの」
「そういうことではなくて、俺が知りたいのは……」
「やあ、楽しんでいるかい」
エリックの言葉は、近くを通った両親が声をかけてきたことで、遮られた。
「いつも娘の我儘に付き合ってもらって、ありがとうね」
言うだけ言って、ふたりは金髪をなびかせて別の方向にステップを切り返す。そうこうしているうちに曲は終わり、エリックと私は、結んでいた手を離す。
「両親と一緒に、挨拶に行ってくるわ」
踊り終えた両親が、オーウェンの元に向かっている。このタイミングで挨拶をしておきたくて、私はエリックにそう断り、そちらへ移動した。
「お越しくださり、ありがとうございます」
「こちらこそ、楽しい催しをありがとうございます」
オーウェンと私たちは、形式的な挨拶を述べ合う。
「いよいよですね」
「オルコット公爵には、警備の面でもご助言を多くいただいて、感謝しております」
「めでたいことに関われて、光栄に感じていますよ」
オーウェンと父は、結婚式に向けての話をし始めた。
「どうぞ、舞踏会を楽しんで」
「ありがとうございます」
オーウェンとそう言葉を交わし、私はホールに戻った。色とりどりのドレスが、音楽のリズムに合わせて翻っている。
エリックの姿を探すと、簡単に見つかった。人々が視線を向けている先にいる、銀髪を探せば良いのである。
エリックが会話をしているのは、見覚えのある癖っ毛。カミーユも、今日の舞踏会に参加しているらしかった。
「御機嫌よう、カミーユ様」
こちらを見たカミーユと、ワイングラスを合わせて挨拶を交わす。
「最初のダンスは、エリックと踊ったのですね」
「そうですわ」
「俺はエリックが、羨ましいですよ。オルコット公爵令嬢のような素敵な方と、最初のダンスを踊れるような、公認の関係になれて」
おどけた口調で茶化すカミーユを、エリックが微妙な表情で見ている。カミーユはこんな風にして、いつもエリックをからかうのだ。
「公認って、どういうこと?」
「公認の、恋人関係ですよ。騎士とご令嬢だなんて、世の中にはこそこそとお忍びで恋を育むふたりも、よくいるというのに」
「そんなこともあるのね」
「そんなことばかりです」
確かに騎士と令嬢との恋愛は、騎士の方が貴族の出など、特別な立場にない限りは褒められたものではない。隠れて愛を育むこともあるのだろう。なんだか小説みたいで、ロマンチックな話だ。
「でも、恋人関係というのは、語弊があるわ」
「そうなんですか?」
「そうよ。騎士の皆様は、自由恋愛なのでしょう? お互い恋しあっていなかったら、恋人にはなれないわ」
私たち貴族の考える婚約者とは、訳が違う。両親に繰り返した説明をすると、カミーユは顎に手をやった。
「エリックとは、お互い恋しあっていないのですか?」
「そうよ」
「俺はあなたに、恋をしていますよ」
エリックの唐突な発言に、一瞬、会話が止まった。エリックを見ると、私を真っ直ぐに、その灰色の瞳で捉えている。
「えっ?」
「俺はあなたに恋をしています、キャサリン様」
カミーユを見ると、口をあんぐりと開けている。もう一度エリックを見る。真摯なその瞳に、ベイルやセドリックが持っていたような、熱烈な光は見えなかった。私にとって、恋をしている人の目とは、彼らの目。エリックの目は、それとは違う。
エリックは、一体何を恋だと言っているの? 私の思う恋と、彼の思う恋は、そもそも違うのだろうか。
「キャサリン、探したわ! 来てくれてありがとう」
「……ミア」
「あら? お邪魔したかしら」
ミアが駆け寄ってきたことで、その場の張り詰めた空気が緩んだ。探してくれていたらしいミアの話を聞くため、私は彼女の方に体を向ける。
「何で今言ったんだよエリック、お前、もう少しやりようがあるだろう」
「何度も言おうとしたのに、タイミングが合わなくて、つい口から出てしまった」
「ついじゃないだろう、あの顔は、意味がわかってなかったぞ」
後ろでエリックとカミーユが、何やら話をしている。ミアは、エリーゼを撒いて、ここまで来たという。その苦労譚を聞いていたので、ふたりの話の内容までは、頭に入っては来なかった。