73.危機感の共有
「だから、やめられない、っていう薬なわけ」
「やめられない、なの? 好きで飲んでるんじゃなくて?」
「わかんないけど……でも、やめられないっていう面もあるやつだと思う」
アレクシア曰く、ヘランは「依存性が高く、やめられない」類のものかもしれない、と。薬効が優れているために手放せないのと、手放せないという薬効であるのとは、訳が違う。現実逃避のために自ら飲むのではなく、依存していて飲まずにはいられないというのは、思考や感情を支配されているのに近い。
ヘランを買うために身を持ち崩した下級貴族もいたという。それだって、現実の辛さからの逃避のためかと思っていたが、単に薬の作用なのだとしたら。
「それって、大変なことじゃないの」
「だから、やばいと思うんだって」
今もパーティなどを通じて、ヘランは貴族の間に広がっているだろう。そして金銭はタマロ王国にどんどん流れ、向こうは軍備を整えていく。かたやこの国は、ヘランが蔓延し、金銭はタマロ王国に流れ、じわじわと国力が削られていく。
事態は深刻だ。
「どうしたらいいのかしら」
「そんなの、聞かれてもわかんないよ」
アレクシアは困惑した顔をする。そうだろう。私にだって、わからない。
「薬を手に入れるためなら何でもするとか……私の考えているのと同じなら、そういうこともあると思うの。気をつけて」
「ありそうね。ありがとう」
アレクシアの警告は、現実的なものだ。
そもそも、国王がベイルとエリーゼの婚約を判断したこと自体、不自然だった。タマロ王国の品物を率先して宣伝することも、タマロ王国の者ばかり身の回りに集めるのも、一国の王がすることとしてはありえない。
不自然なことはたくさんあった。どこまでが薬のせいで、どこまでが王自身の判断なのか、それはわからないものの。
「アレクシアの話を聞いて、これはやはり由々しき事態だと思ったわ」
アレクシアを馬車から降ろし、エリックと向き合う。彼も、「依存性がある薬というのが、あるんですね」と頷いた。
「やっぱり、殿下の結婚式が大丈夫だという、確信は持てないわ。ヘランがどこまで流通しているのかも、よくわからないわけで」
「そういった情報は、お持ちではないのですか?」
「お父様は教えてくれないの。王都の下級貴族の間では、随分広まっているという話を聞いたけど」
オーウェンがそう話していた。エリックは顎を撫で、考え込む。
「……いわゆる下級貴族の方々だけなら、殿下のパレードに対する危険は、さほど変わらないと思います。貴族の方の動きなら、事前に情報を掴めるでしょうし。元々、危険性は高い行事なので、俺たちも厳戒警備を敷きますから。もし何かあっても、騎士団で、制圧できるはず」
エリックの説明を聞いて、だから父やオーウェンは楽観的なのかもしれないと、腑に落ちた。貴族の不穏な動きなら、父やローレンス公爵など、中央に近い貴族の耳に入らないはずはなく。耳に入れば、対策も取りやすい。
「陛下が薬欲しさに、騎士団の警備を緩めるということは」
「……そういう指示が出ても、オルコット公爵辺りが、阻止してくださるのではないかと」
父は騎士団との関係が深い。こんなところでも父の名が出るなんて、もしストーリー通りに、私と共に父が影響力を失っていたら、どうなっていたのだろう。空恐ろしい気持ちになる。
「防げない可能性があるのは、どういう場合なのかしら」
「貴族の方々の手が届かないところで計画がなされていた場合の方がーー例えば、殿下の身の回りの世話をする従者が、寝返っていた場合。平民が示し合わせて、群衆で押し寄せてきた場合。あとは俺たち騎士団の中に、そうした者がいた場合など、でしょうか。でもヘランという薬は、高価なのですよね?」
エリックが言いたいのは、ヘランは高いから、従者や平民や騎士では、手が出ないということ。
そうかもしれないが、もしタマロ王国やブランドン侯爵の目的が、騎士などを薬に依存させる方にあった場合、買わせるという手法を取らない可能性がある。
「……なら、とりあえず、ヘランがそうした貴族でない人々に流れていないことが確認できれば、少し安心できるんだわ」
その手から遠い、平民や騎士の方が危ういという考えには、私も賛成する。
「騎士は除外していただいても、構いません。俺は内部の人間ですから、騎士団に異変があれば、気付けます」
「それも、そうね」
私の相槌を受け、エリックが続ける。
「不測の事態というのは起こり得るので、無論、そういう場合にも備えた警備は致しますよ、キャサリン様」
「……首を突っ込むな、ってこと?」
「いえ。これだけの話を聞いて、キャサリン様が何もしないでいられるとは、俺も思っていません」
エリックは、私の行動原理をよくわかってくれている。ゲームのストーリーに抗うには、自分が考え、行動しなくてはならないのだ。だから私は、自分にできるだけのことをしたい。
セドリックの時のように……気づいたらストーリーに即していて、取り返しがつかないことになり、後悔するなんてこと、もう繰り返さない。
「ですが、危険なことはおやめください」
「大丈夫よ」
「大丈夫ではありません」
エリックと、目が合う。彼の灰色の瞳は、真剣な色を帯びている。
「キャサリン様に何かあったら、俺が大丈夫ではないのです」
「……っ」
言葉と共に、気持ちの圧が、飛んでくるような感じがした。口ごもる私に、エリックが身を乗り出す。いつもの金属的な香りが、ふわっと漂う。
「あなたを守れなかったら、俺は一生後悔します」
「わかっているわ。独断では、動かないから」
手首に付けている、白いアネモネのブレスレット。彼の言葉は、本心だろう。
けれど、自分の安全のためには、続編への道を阻止しなければならない。それも同時に、確かなのだった。