70.「任せて」いいのか
オーウェンは人ごみとは逆側の壁に向かって、すたすたと歩いていく。どこか鬼気迫る様子に、話しかけようとした貴族が、諦めて去るのが見て取れる。
「どうされましたの」
「どうも、こうも、このワインだよ。キャサリン、君はおかしいと思わないかい? このワイン」
「飲んでいる皆さんが、なんだか……異様な雰囲気でしたわ」
訳もわからず笑ったり、飛んでいる気分だと言ったり、おかわりを我先に貰うなんて品のないことをしたり、おかしかった。
「これは確かに、タマロ王国が、妹の入学を祝って献上したものなんだ。最高級の葡萄を使っている。もうひと樽のワインは、父が浴びるように飲んでいるよ」
「そうなのですか……もしかして、今日陛下がいらっしゃらないのは」
オーウェンの頷きで、私は察した。陛下が具合が悪いと言ってパーティに参加しないのは、このワインを飲んでいるから。
「皆にも振る舞うように、と命じたのは、父なんだ。僕が思うに、このワインには、ヘランが入っている。あの様子は、ヘランを飲んだ人の姿だよ」
「そうなのですか?」
「うん。キャサリンは、見たことがない?」
「ええ」
話題のヘランを飲んだ人の姿を、私は直接見たことがない。シャルロットの話をするとき、国王とは少し顔を合わせたが、よく覚えていない。
「飲んではいけないよ。絶対に」
「殿下達は、大丈夫なのですか?」
「僕も母も、ミアも、ヘランとは距離を取っているからね。父の様子を見ていたら、飲みたいとは思わないさ」
力無く笑うオーウェンの睫毛は、憂いを含んでいる。
「僕でなくても、ちょっと賢い人は、飲まずに済ませているよ。ほら、遠巻きに見ている人々も多いだろう」
「そうですね」
彼の言う通り、部屋の片隅の異様な人混みに、怪訝な眼差しを向けている人も多い。誰もがヘランや、タマロ王国のワインに手を出すわけではない。それでも、各地からやってきた貴族に、ヘランが広まってしまったのは確かだ。
「どうして、そんなに広めたがるのかしら」
「ヘランっていうのは、随分高いんだよ。僕たち貴族は、良い金蔓なのさ。儲けたお金で、何を買っているのか、知ってる?」
「ああ……」
避暑に行ったときに、セシリーから聞いた話を思い出す。
「タマロ王国は、この国で軍備を整えるのに必要な物資を買っているとか」
「そう。それなのに、王都の下級貴族の間では、もうだいぶ広まっているらしい。自分たちの払ったお金が、人を殺めるかもしれないというのに、気楽なものだ」
「どうにか、ならないのですか?」
「今は、何とも。オルコット公爵とも相談して、タマロ王国の動向には目を光らせるようにしているだけさ」
確かに父なら、オーウェンと同様の危機感を持っているだろう。
「殿下の結婚式もそろそろなのに、ちょっと心配ですわね」
「それは、心配いらないよ。騎士団の方で、綿密な計画を練ってくれているから」
私の懸念は、オーウェンに一蹴される。父と同じだ。これほど皆が自信満々に「心配いらない」なんて言うと、かえって不安になってくる。
「……という話を、殿下としたのよ」
「ヘラン入りのワインか……僕は気づかなかったけど、そんなものが振る舞われていたんだね」
ほろ酔いで楽しそうに馬車に乗り込んだ父の表情は、私の話を聞くと、きりっと引き締められた。
「私達は、中央の貴族の方々としか話していませんでしたものね」
「そうだね。彼らは警戒心があるから、陛下がああなっているのを知っているのに、ヘランを口にしようとは思わないよ」
父の周囲にいる人は、ヘランを警戒しているらしい。母も頷く。誰もが皆、ヘランを愛用しているわけではないようだ。
「殿下の結婚式は、本当に大丈夫なのかしら」
「ああ、それは心配ないよ。キャシー、君は気にしなくていい。僕に任せてくれ」
また「任せろ」だ。オーウェンと同じで、警戒しているから大丈夫だと思っているらしい。
父は有能だ。オーウェンも有能だ。騎士団だって、力がある。「任せろ」と言うのなら、任せればいい。
それでも私は、やっぱり不安になる。
だって、本当に、そうなの?
この世界は、続編に向かって進んでいるはずだ。父の存在が特例だとは言え、続編の世界にも、オーウェンやその他の貴族はいたはずだ。特に、オーウェンの慎重な性格は、よく知っている。王太子としての自覚をきちんともっている彼が、今と同じようにヘランが広まっていたとして、それを同様に警戒していないはずがない。
警戒していても、ベイルが即位することになったのが、続編の状況なのではないか。彼らの示す方向に任せて、本当に、大丈夫なのだろうか。
ーーアレクシアに聞いてみようかな。
アレクシアは、私の知らないことを知っている。私は、安心させようと微笑む父の顔を見ながら、そう考えていた。




