65.春がやってきた
開けた窓から、花の香りが吹き込んでくる。窓辺で小鳥が軽く鳴き、そして飛んで行った。
「リアン様達も、そろそろ入学ね」
「ええ。ちゃんとやっていけるのか、心配だわ」
「大丈夫よ。ギルも張り切っているわ、皆を案内するんだって」
私はミアに招かれ、公爵家で紅茶を飲んでいた。お茶菓子として出されたスコーンにも、花弁が練りこまれている。
「もう、すっかり春ね」
「そうね。卒業してからもう1年経つなんて、……あっという間だったわ」
ミアの言葉から、この1年を思い返す。約1年前、ベイルからの婚約破棄を受けた瞬間、頭に湧いて出た「この世界はゲームだ」という発想。没落を免れ、リアンやシャルロット達のためにあれこれと画策し……何をしたというわけでもないのに、あっという間に1年が経っていた。
「これを、渡しておこうと思って。キャサリン、ぜひ来てね」
「そっか! ミアの結婚式、もうすぐなのね。楽しみだわ、素敵なんでしょうね」
「ふふ。セシリーも呼んでいるの。来てくれるかしら」
目を細めて笑うミア。兄のアルノーと妻のマリアもそうだったけれど、幸せな人は、柔らかな光を纏って見える。うらやましくもあり、こちらまで幸せな気持ちにもなる。
「王太子様の結婚式ともなれば、盛大なんでしょうね」
「そうでもないけど……普通じゃないこともたくさんあって、驚くわ」
「そうなの?」
「そうよ。式を挙げた後のお披露目は、パレードなんですって。恥ずかしいわ、そんな風にして町中を回るの」
そう言いながらも、幸せそうなミアである。
「次はセシリーの番ね」
「そうね。そのあとはキャサリンよ」
「え? 私は……」
隣国の貴族と婚約しているセシリーからも、そのうち結婚の知らせが届くだろう。ミアの結婚式で会ったとき、近況を聞くのも楽しみである。
ミアから話を振られ、私は視線を窓の外に向けた。
「私は、そんな話ないわよ」
「例の、騎士団の方は?」
「えー……ミアまでそんなことを言うの?」
非難めいた声を上げると、ミアはふふ、と笑う。
「だって、シャルロット様を挟んで話している時のふたりって、夫婦みたいだって話だもの」
「夫婦ね……」
「私にこう言われて、嫌じゃないでしょ? そんな人と結婚できるなら、いいじゃない、キャサリン」
ミアの台詞は、自由恋愛が許されない、貴族の女性ならではの発想だ。私達には、自由な恋など、そもそもない。相手の身分が相応で、一緒にいて安心できる、性格に難のない人なら、それで十分。そうした意味では、エリックには何の問題もない。合格どころか、花丸を与えたい。身分も相応で、優しくて、私を守ってくれる。そんな男性、なかなかいない。
だけどエリックは、騎士なのだ。いくら貴族の血を引いていても、私とは立場が違う。
「正直言って、両親からも言われるし、私も彼はぴったりの相手だと思うわ。でも、騎士の方は、私達とは考え方が違うのよ。彼らは自由恋愛なんだから」
「そうなのね」
「だから、お互いに恋していないのに、先に進むのはエリック様にも失礼だと思うの」
「そうねえ……自由恋愛って憧れるけど、恋ってわからないわね」
「そう、わからないのよ」
恋心なんてなくても、条件によって結婚が決まり、後から愛情が芽生えてくることもある。そんな貴族的な発想からすれば、今の私が相手として選ぶのは、エリック以外ありえない。でもそれでは、騎士という道を敢えて選んだ彼に、失礼な気がする。貴族の論理を持ち込むのは、騎士の彼との関係においては、不適切だ。
もし、互いに相手に恋をすることができたのなら……それが一番理想的だけれど、恋を知らないという点では、私もミアも同じだ。架空の恋愛小説じみた、恋についての話に花を咲かせ、会は御開きとなった。
「せっかく来たんだから、シャルロット様にも会ってあげて」
「この間も会ったわよ、毎週欠かさず我が家に来ているんだから」
「それでも、キャサリンが会いに来たら、喜ぶわよ。忙しいならいいけど」
「そう? ……なら、行くわ」
確かにいつも迎えるばかりで、自分から会いに行ったことはない。ミアのいうことも尤もだと、私はシャルロットの居場所を尋ねた。




