64.幸せな日常
「今日は暖かいので、紅茶は、庭でお召し上がりになってはいかがですか」
「いいわね」
外に出したテーブルで、リサの淹れた、花の香りがする紅茶を飲む。空気はすっかり柔らかくなって、春の気配が漂うようになった。明るい黄緑色の若々しい新芽が、そこかしこに顔を出している。
「おねえさま、ぼく、もう学園の2年生の内容が終わったんだよ」
「すごいわ。よく勉強しているのね」
「ノアが教え上手なんだ! ぼく、勉強って、好きだな」
授業が嫌で逃げ回っていたリアンは、いつしか喜んで勉強に励んでいる。ノアの指導と、同年代の友人の存在によって、意欲が高まったようだ。リアンの学園入学も、間近に迫ってきた。
「それに、あの子には負けたくないし」
「シャルロット様は、何でもできるわよ。強力なライバルね」
シャルロットも、リアンの同級生のひとりだ。彼女は近頃、生まれ持った素質なのか、素晴らしい学習能力を発揮している。彼女を意識しまくっているリアンは、負けじと勉学に実技に、励んでいるわけだ。
楽しそうな雰囲気で授業に向かったリアンを見送ると、厨房に向かう。久しぶりに、スコーンを作ろうと思った。
「お久しぶりです、お嬢様」
ロディに迎えられ、厨房へ入る。ハンナとアンナが、揃いの髪型で、キッチンに立っていた。
「ハンナ達も元気そうで、良かったわ」
「ニックが元気になったので、休まなくて良くなったんです」
「おかげで、技術も向上しました!」
よく似た笑顔を作るふたり。スコーンを作りながら、リサが「最近ではハンナとアンナだけで、一品作ることを認められたのですよ」と教えてくれる。ロディに認められる技術を、いよいよ身につけたそうだ。相変わらずスコーンしか許されない私とは、大違いだ。
元を辿れば、ハーバリウムを作ったことで、ハンナ達は薬代ぶんの給金を得られるようになった。薬によってニックが元気になり、そしてハンナ達が遠慮なく働けるようになった。自分のしたことが、こうして誰かの幸せに繋がったということは、嬉しい。
「水の色を変えてみたんですが、どうですかね」
「うーん……色はいまいちじゃない? きらきらしてて、綺麗だと思うけど」
そのニックは、今日も倉庫で、商品製作と開発に励んでいる。洗濯のりに色や金属を混ぜて、青っぽいものを試作したらしい。ニックはハーバリウム製作のセンスだけでなく、研究熱心でもある。優秀な職人だ。
昼休憩がてら様子を見にきたリアンが、ニックの提案に首を傾げる。暫く新商品について語り合った後、リアンは使い古した参考書を、ニックに差し出した。
「数字の勉強、したいって言ってたよね? これ、ぼくもう使わないから、あげる」
同年代の子どもを徹底的に避けていたあの頃とは、別人のようだ。こうしてニックにも優しくできるリアンなら、学園に入学して、さまざまな身分の人と触れ合っても、差別せずうまくやれるだろう。
「お姉様、こっちにいたんだ!」
「ごめんなさい、シャルロット様。もうそんな時間だったのね」
輝くオーラを纏いながら倉庫に飛び込んでくるのは、シャルロット。王妃を中心にした王女教育が功を奏し、彼女はすっかり、完璧な王族のご令嬢としての振る舞いを身につけていた。今では、意識すれば、令嬢としての口調も態度も取ることができるまでになった。
「ちゃっかりおねえさまのことを、お姉様って呼ぶなよ」
「いいでしょ、別に」
私がシャルロットを受け止めると、リアンが文句を言う。
「お父様やお母様がいちいちにやにやするから、面倒なんだって!」
「いいじゃない、あたしと婚約すれば」
「いやだよ! ぼくはおねえさまと結婚するんだから」
「きょうだいだから無理よ」
「うるさいなあ!」
シャルロットはよく口が立つようになり、こうしてリアンに求婚しては、断られて笑っている。
「リアンは、お姉様がエリック様と結婚するならいいんでしょ? いいじゃない、それで」
「いいけど、お前と僕との結婚は、別の話だろ!」
エリックを私の婚約者扱いする風潮は、家族からシャルロットまで広がった。あの日、セドリックの香水のせいでふらつく私をエリックは捨て置けず、屋敷の中まで連れて帰った。それをきっかけに、夜、頻繁に会っていたことが露見したのである。
「子供の言うことは可愛いわね」
「そうですね」
シャルロットに付いてきたエリックに、そう話しかける。穏やかに微笑みを返すエリックは、まさしく、シャルロットの保護者のようであった。エリックは、良い父親になるだろう。
「子供だけじゃなくて、両親も私のことを冷やかすわ」
「俺も、騎士団の連中に、よくからかわれますよ」
「困った人たちね」
お互い、それを不快には思っていないことは、よくわかっている。別に恋愛感情とかそういうことではなく、そんな風にからかわれて、嫌に思う相手ではないのだ。だからこそ安心して、こんな話もしあえる。
エリックが眩しそうに目を細める。視線が合い、どちらともなく、くすくすと笑う。この自然体な笑いが、穏やかで、好きだ。
だけど、恋とは、そういうものではない。ベイルやセドリックの見せた強烈な熱情を、エリックもいつか、誰かに向けるのだろうか。
春めく陽気の中で、皆に囲まれ、過ごす日常。私が望んでいるのは、こういう時間だ。
いつまでも、この幸せが、続くといい。続編までの間に私が勝ち取ったのは、これ以上ないほど、幸せな時間だった。