7.作業場を手に入れた
「シーツの洗濯をしているときに気付いたのですが、洗濯のりって、どうでしょうか。透明ですし、保存も利きますし」
「洗濯のり?」
昨日に引き続き、休憩室の小さなテーブルを囲む私達。リサの言葉に、アンナが首を傾げる。今日は、弟が少し体調を崩したということで、ハンナが休みを取っていた。その気になって見ると彼女たちはよく交代で休んでいて、弟が頻繁に調子を崩しているのがわかる。
いたわしい。早くなんとかしてあげたい。
「アンナは見たことない? シーツをぱりっとさせるために、洗濯のりを使うの」
「たしかに、洗濯のりはいいかもしれないね。あれにドライフラワーを入れるのだろうか」
ノアが頷き、同意を示す。
洗濯のりって何? リサ達の家事は見えないところで行われているから、私は、見たことがない。リサとノアの会話に置いていかれそうになって、私は咄嗟に、ふたりの会話に首を突っ込んだ。
「なら、洗濯のりを試してみましょう。あと必要なのは、瓶とドライフラワーね」
もちろん、知ったかぶりである。
「ドライフラワーは、花活けの侍女に確認を致しました。冬の装飾用に昨年作って取っておいたものが、まだあるそうです」
「瓶は、ジャムの空き瓶ならあるって、ロディさんが言っていました」
リサとアンナが口々に言う。私の仲間は皆有能だ。
「早速、作ってみたいわね! 今から作れるかしら」
嬉しくなって、声高らかに試作の開始を叫ぶ。私の浮かれた心は、細められた緑の目に気付いたことで、少し落ち着いた。ノアの咎める視線。にっこり笑い、「私はこれからリアン様の授業がありますので」と言う。
「皆さんも、もう休憩は終わりですね? 材料を持ち寄り、試作は明日、ということでいかがでしょうか、キャサリン様」
「そうね……ノアの言う通りだわ。ありがとう皆、明日までに準備をお願いできる?」
「もちろんです」
力強く頷く女性達と、私の盛り上がりをストップさせる役割のある、冷静なノア。心強い仲間の助けを得て、私の新製品試作第1回は、明日決行される運びとなった。
「だからね、明日は楽しみなのよ。うまくいくかわからないけれど、新しいことをするって、楽しいのね」
今日は、久しぶりに両親揃った夕食である。母か父か両方がパーティに招かれて居ないことも多いため、こうした機会はあまりなかった。ふたりが食卓に揃っているのを見られると、安心感があって、嬉しい。
食事を取りながら、それぞれに最近の出来事や気になっていることを話すのが常だ。今日は、私が試作を楽しみにし過ぎて、ずっと新製品の話をしていた。
「……キャシーがそんな風に楽しそうにしているのが見られて、私は嬉しいわ」
母が言葉を詰まらせ、そのハシバミ色の瞳が潤む。
「えっ、お母様、」
「キャシーったら、学園にいる間もすごく勉強していたけれど、なんだかいつも追い詰められている雰囲気だったのだもの。それが、こんなに伸び伸びしているなんて……」
ついに泣き出す母。
学園時代のことなら、よく覚えている。
何しろ、婚約者のベイルは学年上位の秀才。私はベイルと並んで見劣りしないよう、自分も学年上位をキープするため、日々勉強に励んでいた。
「特に、進級してからは、ひどかったわ……」
「ああ……そうね」
進級すると同時に、アレクシアが特例で編入してきた。今までは「学年上位」程度だったベイルは、突然万年1位の秀才に変身した。そして、例のアレクシアは、ベイルに次ぐ2位。いつも必ず、どんなに頑張っても、私は第3位だったのだ。
今となっては、あれはゲームゆえの強制力が働いていたのかもしれないと思うが、そんなことを知らない当時の私は、とにかくそれが信じられなかった。
「あの頃は、余裕がなかったと思うわ。自分でも」
なぜいくら努力しても、ベイルとアレクシアに劣るのか。アレクシアが入学する前は、1位になったこともあったのに。ベイルはともかく、彼の婚約者として、アレクシアに負け続けるのはプライドが許さないのに、なぜ勝てないのか。恋愛にうつつを抜かしているふたりに、どうして勝てないのか。私は劣っているのか。
プライドと、焦燥と、嫉妬と、いろいろな感情が胸に渦巻いていた。アレクシアが入学して以来、ずっとそのことに悩まされて、試験前には睡眠時間を削って勉強していたのは記憶に新しい。
当時は自分のことしか見えていなかったから、こんなに母に心配をかけていたなんて気付かなかった。
「こんなことを言うものではないが、今のキャシーの様子を見ていると、婚約破棄されたことは我が家にとってむしろ良いことだったかとしれない、と思うんだよ」
「それに、ものを売るなんて……と思ったけれど、キャシーがそんなに楽しいのなら、応援するわ」
かくして、両親の応援を背に、迎えた翌日、試作の日。リサに連れて行かれたのは、いつもの休憩室……ではなく、厨房の側にある、かつては食糧庫として使っていたという、空き部屋だった。
入ると壁紙や家具がやや古ぼけてはいるが、既に掃除の手が入ったようで、塵ひとつないほどに清められている。
部屋の中央部に位置する木製の机の上には、空き瓶、大量のドライフラワー、そして洗濯のりが鎮座している。どう見ても、こう見ても、ここは私のための作業場だ。
「リサ、ここは、どうして?」
「ご両親が、休憩室で作業をしたら他の使用人が気を遣うだろうと、ここを使うようにおっしゃったのです」
「まあ……!」
あんまり感動して、言葉が出ない。私の胸は感謝に打ち震えている。ほんとうに、ノアの言葉を借りれば私の「わがまま」を許し、さらにはこうして手助けまでしてくれる両親の、なんと心の広いことか。
こういう両親の惜しみない愛に支えられたからこそ、ゲームの知識を得る前の私は、アレクシアとベイルによる理不尽に晒されても、暗い感情に心が支配されても、人としての道は踏み外さずにやってこられたのだ。そしてこれからも、真っ当な道を、一心に歩んでいく。ふたりの愛に応えるのが、私の恩返しのひとつの形だ。