63.ひとまずのハッピーエンド
冷たい風が、頬を刺す。息を吸うと、喉の奥に流れてくる。身体の中から冷やされ、熱が放出されていく。
「申し訳ありません、キャサリン様。自分の役割を忘れて、他のことに気を取られて」
「ああ、エリック様。良かった、助かったわ。……降ろして」
私は悲愴な顔をしたエリックに、先程セドリックがしたのと同じように抱えられていた。同じ体勢なのに、さっき感じた焦燥も嫌悪感もない。こんなに近くにいて安心するのは、やはり、エリックだからだ。
馬車から強引に降ろすために、私の体を抱き上げたのだろう。あの馬車は危険な香りで満ちていたから、助かった。再度深呼吸して、地面に降ろして貰う。少しふらつくと、エリックがすかさず支えてくれた。新鮮な空気を吸って、はっきりしてきた頭を左右に振り、残り香を霧消させる。
セドリックは、馬車を背に、私の前に立つ。その表情は、どこかさっぱりしていた。
「お許し頂けるとは思っておりませんが……度々のご無礼、誠に失礼致しました」
そして、深々と頭を下げる。
「謝ってどうにかなるものではないわ」
「解っております。どのような罰でも、お受け致します」
目が覚める、とは、こういうことなのだろうか。熱に浮かされて突っ走り、その結果が見えて初めて、自分のしたことの大きさに気づき、戦慄する。セドリックはそれでも、我を無くした自分が為したことの、責任を取ろうとしている。
「なぜ、こんなことをしたの」
「先程馬車で語ったことが、全てです。俺はあなたの、全てを手に入れたかった。それさえあれば、何もいらなかった。今でもそう願っていますが……俺には、過ぎた願いだったのですね」
その声には、変わらぬ熱情がこもっているが、諦めの色もある。これが、ストーリーから解放されたということなのか。
セドリックには、これに人生を賭け、失敗した。そう見えているのだろう。私にとってはゲームのストーリーの一環でも、彼にとっては、人生なのだ。終わったからと言って、すぐに気持ちが変わるものでもなかろう。
少なくともここで、ひとつの物語にけりがついたのは、間違いない。
「我が領とアダムス商会との関係を切ることは難しいし、父とあなたの関係もある。個人的な感情で繋がりを切るのは、正直言って損だわ」
「寛容なお言葉、ありがとうございます」
セドリックがまた頭を下げる。
「でも、私はあなたの顔を、もう見たくはないの。私の担当を変えてちょうだい。それでいいわ」
彼の商売人としての才覚を潰したくないという思い。彼の優秀さを借りて、ハーバリウムの販売をうまく回したい。実際セドリックは、ハーバリウムの売り込みに関しては、大いに貢献してくれた。そういう損得勘定で、私はセドリックをあしらいきれなかった。
ストーリーが進み、互いを苦しめる前に。初めからこうして、個人的な関わりを、一切断ち切ればよかった。
「帰りましょう」
エリックに促し、馬車まで案内してもらう。外を歩いているうちは気づかなかったが、馬車に乗って風が遮られると、全身からあの甘い香りが微かにする。服に染み付いたらしい。
「後味が悪いわ。恋されるって、こんなに嫌な気持ちのするものなのね」
すごく、胃の辺りがもやもやした。要するに私は、ゲームのストーリーに則ってセドリックをもてあそび、そして拒否したのだ。セドリックと対峙し、その思いの大きさをぶつけられたが故に、自分のしたことの重さを痛感した。
本来ならセドリックは、私なんかに想いを寄せる人ではなかった。私はそれを避けられるだけの知識があったはずなのに、セドリックのルートにうっかり入ってしまったから、彼を思い詰めさせてしまったのだ。
これでは、アレクシアと変わらない。彼女がベイルの心を奪ったように、ストーリーを利用して、人の気持ちを動かしたのだ。
「これで、あの男が、キャサリン様に危害を加えようとすることは、もうないのですか?」
「そう願うわ。起こるべきことは全て起きたもの。話はもう終わったのよ」
夜の町を歩き、指輪を貰って、馬車に乗って告白される。イベントはクリアだ。
手を見ると、そこにはまだ、嵌められた指輪が残っていた。エリックに手を取られる。
「こんなものを付けていて、またあの者が変な気を起こしてもいけません。捨てておきます」
「そうね。ありがとう」
そのまま、少し乱暴に、指輪を抜かれる。エリックはそれをポケットにしまった。
「キャサリン様とあの女性は、未来を知っているから、判断をお任せしても大丈夫だと思っていました」
「そうよね。私も大丈夫だと思っていたわ、知っている以上のことは起こらないはずだって」
私もエリックの気持ちに甘えて、頼って、この問題に敢えて巻き込まれた。計画は万全で、エリックがいれば、何があっても大丈夫だと決め込んでいた。細かい展開が、相手によって変えられてしまうことが、あるなんて思わなくて。
もっと注意深く、物事を見なくてはならない。「ゲームではこうだから」という予測は、参考にしかならない。
「今回は、申し訳ありませんでした。今後は油断せず、俺の手で、あなたをお守りいたします」
「ええ……ありがとう」
反応が遅れたのは、エリックが跪いて手の甲に口づけを落とす、正式な礼を取ったから。肌に残る柔らかい唇の感触に戸惑う。
エリックはさっと立ち上がり、私を屋敷まで連れて行ってくれた。
反省すべき点は多々あったが、良かった点もある。セドリックに関わる危機的な状況は、私の周りから、綺麗さっぱりなくなった。
最近では、セドリックのセの字も聞かなくなった。ハーバリウムの担当は女性に変わり、つつがなく対応してくれている。父からは特に話がないので、変わらず彼が御用伺いに来ているのだろうが、私が目にすることは全くない。押し付けられるプレゼントも、しつこい誘いも全くない。
それは素晴らしい解放感だった。いかに私がセドリックにプレッシャーを感じていたか、ということが、よくわかる。
「最近、しつこい虫がキャサリン様の周りに現れなくなって、嬉しいです」
リサが鏡ごしに笑う。髪を櫛でとく彼女の手つきは、いつも通り、優しい。
「でも、勝手な行いは謹んでくださいね。ノアさんが、心配していましたよ」
「そうよね……」
「私達に話せないことがお有りなのでしょう。だとしても、この家の者に相談なしで何かを決めるのは、もうやめて頂きたいです」
笑うリサの目は、しかし何かを見透かしたような色があった。アレクシアとの相談も、エリックとの作戦も、皆には内緒だった。内緒にしている、ということすら、彼女にはお見通しなのだろう。リサの前で、私は隠し事ができない。
「ごめんね、心配かけて。……本当に、相談なしに突っ走るものではないわね。なんだか、疲れちゃったわ」
ここまで、思いついたことをどんどん行動に移して、走ってきた。これで良かったのか。後悔の念が芽生えた途端、その疲れが、どっと押し寄せてきたのだった。




