62.セドリックの告白
「待って! この馬車、うちの馬車じゃないわ!」
「アダムス商会のものですから、構いませんよ」
「私が構うのよ!」
日頃重い商品を運んでいるせいか、私が身動きしても、セドリックは全く揺らがない。抵抗むなしく運ばれたのは、見知らぬ馬車。火事のせいで騒然とした町中では、私が騒ぎながら運ばれていても、大した注目を集めなかった。
セドリックは、アダムス商会の馬車を呼びつけていたらしい。扉の中に連れ込まれ、戸がぱたんと閉まる。直ぐに馬車が動き出した。普段乗っているものより、遥かに揺れが大きい。
「ちょっと、この、匂い……」
馬車の中には、例の甘い香りがむっと立ち込めている。私は咄嗟にハンカチで鼻を覆ったが、それが意味のないほど、濃厚な香りだ。
最悪の展開だ。後悔が頭を渦巻く。安易に危険に飛び込むべきではなかった。ノアの言った通りだ……。
「漸くふたりきりになれましたね。お嬢様があんな、余計な人を連れてくるからいけないのですよ」
「余計な人って……」
「騎士様ですよ。しかし、彼も余所見をするべきではありませんでしたね。お嬢様をずっと見ていなければならないのに、ちょっと騒ぎを起こしただけで、この有様じゃないですか」
薄い布越しに侵入した甘い香りが、頭をぐずぐずに溶かしていく。
「騒ぎを起こしたって、それ……」
「金を握らせて、頼んだのです。こういうこともあるかと思いましたから」
セドリックが私の手を取り、鼻を覆うハンカチを取り除ける。私は息を止めた。この空気を、吸ってはいけない。
「漸く、お嬢様が、俺のものになる」
セドリックの目は、爛々と輝いていた。アレクシアを見るベイルの、熱っぽい目を思い出す。同じだ。セドリックが私に向けるのは、ベイルと同じ、ゲームの強制力によるどうにもならない感情。
「この顔を、もう一度見たかったんです。平民の俺には決して見せない、この顔を。俺をおかしくしたのは、あなたですよ」
「そんな、こと」
ストーリーのせいではなく、私のせいだと言うの?
息が苦しくなり、どうにも続かず、つい大きく吸ってしまった。蔓延する香りが身体中を走り、全身がぼっと熱くなる。セドリックが接近し、体をふわりと包まれた。
「ずっと、勿体無いと思っていました。お嬢様は、貴族に据えておくには惜しい。それでも、お嬢様は、俺には手の届かない存在だと思っていました。けれど」
セドリックは、懐から小さな箱を出す。
「こうして馬車に乗せさえすれば、あなたは俺のものになる。タマロ王国の薬とは、その点において、優秀なものですね。聡明なあなたならお気づきでしょうが、この国は、このままではこの先、長くない。俺とともに行きましょう」
小箱の蓋を開けると、きらりと光る指輪。セドリックに、力の抜けた手を取られる。
「お嬢様の審美眼は、素晴らしい。あなたとふたりでなら、例え見知らぬ土地でも、身を立てることができるでしょう。俺はあなたを、このまま連れて行きたい。全てを捨てます。あなたにはその、価値がある」
彼は初めから、この国での地位を捨てるつもりで、迫ってきていたのだ。私がそんな選択を、するはずがないのに。商人のセドリックが、利益も勝算もないのに、思い詰めるところまで追い詰められる。ゲームのストーリーに巻き込まれるとは、こうも哀れなことなのだ。
ひんやりとした指輪が、指に嵌まる。ああ、これでセドリックのストーリーは、終わりだ。計画では彼の申し出を断り、直ぐにエリックに合図をして、その場を去る予定だった。セドリックは正気を取り戻し、時間とともに、私への執着を忘れていく。ハッピーエンド。
ゲームの型にさえ嵌めれば、それ以上のことは起こらないと高をくくっていたのは、私の落ち度だった。現にセドリックは、ゲームには現れない薬品を用いて、ゲームにはない展開で、私を馬車に押し込んだ。
自分の意思で展開を変えられることは、私もわかっていたのに。考えが甘かった。
「俺のパートナーになってくれませんか、お嬢様。俺ならあなたの良さを、最も良い形で、発揮させられる」
「……ことわる、わ」
セドリックの告白。これで本当に、こなすべきイベントは終わった。
「そんなこと、仰らないでください。俺は初めて、こんなに人を好きになったのです」
切なげに眉をひそめ、セドリックの腕が私をきつく抱きしめる。イベントは終わったはずなのに、セドリックが恋から覚める気配はない。
頭がピンクに染まる。もうこれ、だめだ。周りの音がぼーっとして聞こえる。馬車が急停車する音、馬のいななき、セドリックの落ち着いた声、怒りを含んだ声、そして体がふわっと浮いて、聞こえたのは。
「……やはり、そう上手くは、事が運びませんね」
セドリックの、諦めたような声と。
「申し訳ありません」
絞り出すような、エリックの謝罪だった。




