表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/100

62.セドリックの告白

「待って! この馬車、うちの馬車じゃないわ!」

「アダムス商会のものですから、構いませんよ」

「私が構うのよ!」


 日頃重い商品を運んでいるせいか、私が身動きしても、セドリックは全く揺らがない。抵抗むなしく運ばれたのは、見知らぬ馬車。火事のせいで騒然とした町中では、私が騒ぎながら運ばれていても、大した注目を集めなかった。

 セドリックは、アダムス商会の馬車を呼びつけていたらしい。扉の中に連れ込まれ、戸がぱたんと閉まる。直ぐに馬車が動き出した。普段乗っているものより、遥かに揺れが大きい。


「ちょっと、この、匂い……」


 馬車の中には、例の甘い香りがむっと立ち込めている。私は咄嗟にハンカチで鼻を覆ったが、それが意味のないほど、濃厚な香りだ。

 最悪の展開だ。後悔が頭を渦巻く。安易に危険に飛び込むべきではなかった。ノアの言った通りだ……。


「漸くふたりきりになれましたね。お嬢様があんな、余計な人を連れてくるからいけないのですよ」

「余計な人って……」

「騎士様ですよ。しかし、彼も余所見をするべきではありませんでしたね。お嬢様をずっと見ていなければならないのに、ちょっと騒ぎを起こしただけで、この有様じゃないですか」


 薄い布越しに侵入した甘い香りが、頭をぐずぐずに溶かしていく。


「騒ぎを起こしたって、それ……」

「金を握らせて、頼んだのです。こういうこともあるかと思いましたから」


 セドリックが私の手を取り、鼻を覆うハンカチを取り除ける。私は息を止めた。この空気を、吸ってはいけない。


「漸く、お嬢様が、俺のものになる」


 セドリックの目は、爛々と輝いていた。アレクシアを見るベイルの、熱っぽい目を思い出す。同じだ。セドリックが私に向けるのは、ベイルと同じ、ゲームの強制力によるどうにもならない感情。


「この顔を、もう一度見たかったんです。平民の俺には決して見せない、この顔を。俺をおかしくしたのは、あなたですよ」

「そんな、こと」


 ストーリーのせいではなく、私のせいだと言うの?

 息が苦しくなり、どうにも続かず、つい大きく吸ってしまった。蔓延する香りが身体中を走り、全身がぼっと熱くなる。セドリックが接近し、体をふわりと包まれた。


「ずっと、勿体無いと思っていました。お嬢様は、貴族に据えておくには惜しい。それでも、お嬢様は、俺には手の届かない存在だと思っていました。けれど」


 セドリックは、懐から小さな箱を出す。


「こうして馬車に乗せさえすれば、あなたは俺のものになる。タマロ王国の薬とは、その点において、優秀なものですね。聡明なあなたならお気づきでしょうが、この国は、このままではこの先、長くない。俺とともに行きましょう」


 小箱の蓋を開けると、きらりと光る指輪。セドリックに、力の抜けた手を取られる。


「お嬢様の審美眼は、素晴らしい。あなたとふたりでなら、例え見知らぬ土地でも、身を立てることができるでしょう。俺はあなたを、このまま連れて行きたい。全てを捨てます。あなたにはその、価値がある」


 彼は初めから、この国での地位を捨てるつもりで、迫ってきていたのだ。私がそんな選択を、するはずがないのに。商人のセドリックが、利益も勝算もないのに、思い詰めるところまで追い詰められる。ゲームのストーリーに巻き込まれるとは、こうも哀れなことなのだ。

 ひんやりとした指輪が、指に嵌まる。ああ、これでセドリックのストーリーは、終わりだ。計画では彼の申し出を断り、直ぐにエリックに合図をして、その場を去る予定だった。セドリックは正気を取り戻し、時間とともに、私への執着を忘れていく。ハッピーエンド。

 ゲームの型にさえ嵌めれば、それ以上のことは起こらないと高をくくっていたのは、私の落ち度だった。現にセドリックは、ゲームには現れない薬品を用いて、ゲームにはない展開で、私を馬車に押し込んだ。

 自分の意思で展開を変えられることは、私もわかっていたのに。考えが甘かった。


「俺のパートナーになってくれませんか、お嬢様。俺ならあなたの良さを、最も良い形で、発揮させられる」

「……ことわる、わ」


 セドリックの告白。これで本当に、こなすべきイベントは終わった。


「そんなこと、仰らないでください。俺は初めて、こんなに人を好きになったのです」


 切なげに眉をひそめ、セドリックの腕が私をきつく抱きしめる。イベントは終わったはずなのに、セドリックが恋から覚める気配はない。

 頭がピンクに染まる。もうこれ、だめだ。周りの音がぼーっとして聞こえる。馬車が急停車する音、馬のいななき、セドリックの落ち着いた声、怒りを含んだ声、そして体がふわっと浮いて、聞こえたのは。


「……やはり、そう上手くは、事が運びませんね」


 セドリックの、諦めたような声と。


「申し訳ありません」


 絞り出すような、エリックの謝罪だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ