50.シャルロットの保護者面談
扉を開けた使用人が、開けたままで部屋を出て行く。ミアもオーウェンも気に留める様子がないので、私もそのまま会話を続けた。
「弟だけじゃない。妹も、最近は毎日のように君の家へ押しかけているそうだね。重ね重ね、迷惑をかけて申し訳ない」
「殿下はご存知だったのですね」
「もちろん。知らないと思った?」
私は頷く。ミアが、「そう思うわよね」と相槌を打った。オーウェンは溜息をつく。
「まあ、そう思われても仕方ないよね。事実、僕は兄なのに、シャルロットについて何もしていなかったわけだし。ねえ、君は正直、シャルロットについてどう思う?」
「正直、ですか?」
「そう、正直な考えを聞かせてよ」
正直なところを思うまま話せば、それは間違いなく不敬にあたる。しかしオーウェンのはっきりした言い方には、それでも正直に言えという、圧を感じた。
「正直……シャルロット様は素晴らしい能力を秘めています。運動は抜群にできるし、勉強だって教えたら、リアンなんか目じゃないくらい短時間で習得しています。シャルロット様が王女としてのちゃんとした教育を受けていたら、完璧な王女様であっただろうなと思います」
「でも、実際はそうじゃない、と」
「はい。殿下はご存知ですか、シャルロット様が毎日どこで過ごしているか」
「どうも護衛の騎士に懐いて、鍛錬場へ行っているらしいけれど」
オーウェンはシャルロットの状況を、しっかり把握しているらしい。それでいて何もしないことに、どんな意図があるのだろうか。
「ええ。そこで、騎士に混ざって、朝から晩まで共に活動しているそうです。私も今日拝見しましたが、騎士達の活動にすっかり馴染んでいました。シャルロット様は、立派な騎士になれます。でも、それで良いのでしょうか」
「王女としては失格だろうね」
「一応、我が家に来た時は、淑女にふさわしい態度について教えてはいるのですが、それだってそう長い時間は取れません。それ以外の時間、ずっと騎士達といるのですから、言葉遣いも振る舞いもなかなか直らないのです」
「苦労かけてごめんね。シャルロットをそんな風に気にかけてくれて、嬉しいよ」
オーウェンの視線が、今度はミアを向く。ミアは、飲みかけていた紅茶のカップを戻した。カップと皿が触れる硬質の音が、妙に響いて聞こえる。部屋に漂う緊張感が、明らかに増した。
「ミアは、どうしてシャルロットがこんなことになっているのか、わかる?」
「私は……」
ミアが、間を置く。よく喋る彼女がこんな風に言葉を選ぶのは難しい。以前、ふたりで話した時はこの件についても雄弁だったのに、今日はどうしたのだろうか。
「陛下が、シャルロット様を溺愛しているようで無関心なのが、理由のひとつ。王妃様が、前王妃様への恨みをシャルロット様に重ねて、教育をする気がないのが、もうひとつの理由だと思います。シャルロット様をあのままにしておくなんてありえないし、現状をご存知ないのだとしたら、それだってありえません」
十分に間を置き、震えた声で言い放つそれは、国王夫妻を完全に批判する内容だった。それを、ふたりの息子であるオーウェンの前で言うのは、いくら気が知れているとはいえ、言いにくかったのだろう。
「シャルロットがああなったのは、両親のせいだと言うことだよね。僕もそう思うよ」
オーウェンの同意を得て、ミアはほっとしたように見える。そのまま言葉を続けるオーウェンの目には、何か確固たる意志が見える。
「両親には何度も注意はしたけど、身内の僕の意見は、聞き入れてもらえなかった。もう、諦めたよ。侍女たちは母の管轄で、僕が命令する立場では、まだないし」
「そうなのですか」
少なくともオーウェンは、シャルロットのことを気にかけていてくれたとわかり、私は安心する。
「僕はこれからミアと結婚して、いずれ国王になるだろう。そのとき、シャルロットがどうなっていたって、正直僕には関係ない。国のためになる人間になっていれば助かるけど、国にとって不都合な存在なら、なくしてしまうこともできるから」
その硬い表情で紡ぐのは、国を背負う立場だからこそ言わなくてはならない、残酷な発言。
「だから両親には、シャルロットを国に利益をもたらす人物にする義務があると思うんだ。娘が可愛いならね。僕も妹は可愛いけれど、両親が意見を聞く耳を持たないから、できることがない」
滔々と語るオーウェン。彼は本当は、優しい人だ。そんな彼にここまで言わせなくてはならない事態は、国王夫妻の頼りなさが招いたのである。本当に、逃げてばかりで……という憤りが、私の中で再燃した。
「でも今回、シャルロットはオルコット公爵家に明らかに迷惑をかけている。常識も知らずに押しかけて、あまつさえそこで教育を受けているなんて。今でこそ公爵夫妻や君の寛大さに助けられているが、失礼な態度が続けば、いつか受け入れられなくなるだろう。そうなったとき、ベイルとシャルロットを野放しにしていた僕達王家と公爵家の決裂は、決定的なものになるだろうね」
「それは……そうかもしれませんわ。今の状況が続いて、我が家と王家の関係が良くなることは、ないと思います」
たとえシャルロットと私達の関係が良くても、今のままでは、それは王家の信頼感にはつながらない。両親、特に父は、国王夫妻に対する懐疑的な発言が増えつつある。別に、反乱を企てているわけではない。ただ、国家の安定を保つ役割を、もはや期待していないというだけだ。
「僕達王家とオルコット公爵家との関係が悪化することは、この国の平和にとって、不都合だということはよくわかっているよ。僕にとってシャルロットは、不都合な存在になってしまったんだ。そうなった今、あの子をあのままにしておくことはできない」
厳しい口調で話すオーウェンの視線が、つい、と開けっ放しの扉へ向かった。
「娘が可愛いなら、言い訳ばかりしていないで、きちんと干渉するべきだと思うのですが。違いますか?」
声を張り上げ、扉の向こうへ話しかけるオーウェン。外に誰かいるらしい。部屋へ入ってきたのは、間違いなく、国王夫妻であった。
血の気がさっと引く。どこから聞いていた? 不敬だと罰を受けてもおかしくないことを、たくさん言ってしまった。私以上に過激な発言をしたミアは、すっかり顔色を失っている。
突然の破滅フラグに、私は動揺するしかできなかった。ここはもう、ゲームの外。破滅を回避したくても、使える知識が何もなかった。
私は即座に立ち上がり、そしてさっと頭を下げる。
「まさかお聞きだとは思わず、失礼な発言の数々、申し訳ありません!」
高貴な人が頭を下げるな、って? 相手が王族だから構わないし、プライドが傷ついたって破滅するよりはましだ。頭を上げると、目を丸くする王妃の顔がまず視界に入った。
「いえ……キャサリン、ミア、オーウェン、えっと……」
おろおろと視線を泳がせる王妃は、動揺しているのがありありとわかる。誰の発言が致命的だったのかわからないが、私達の名前を順繰りに呼び、そして顔を見比べている。
「シャルロットがそんな状態にあるとは、知らなかった」
動揺する王妃に対し、国王はしんみりと、そう呟く。ヘランに取り憑かれているという噂だったが、今この瞬間は、しゃんとして見える。それでも頬がこけ、肌色が悪く、以前より体調が良くないように見える。
その表情には、悔恨の色が浮かぶ。反省しているようだけれど、今までシャルロットの現状に気づいていなかった落ち度があるのだから、もっと反省してほしい。
「私だって辛いのに、そこまで言うなんて、ひどいわ……」
漸く態度が決まったようで、はらはらと涙を流す王妃。透明な涙の粒が長い睫毛を濡らし、白い肌を伝う。
彼女のこの表情を、私は見たことがあった。あれはまだ私がベイルの婚約者であった頃、前王妃ーー姑に、いかに虐げられたかということを、王妃に聞かされた。あの時と同じ涙だ。
姑からの仕打ちについては同情するが、シャルロットについては、訳が違う。ミアを見ると、下唇を噛み、苛立たしさを表情に表している。いつものミアなら、率直な意見を述べているはずだ。それをしないのは、ミアにとっては王妃が義理の母になること、王妃の心情への配慮からか。
ならば言うべきことを言うのは、もう家族にはならないと決まっている、部外者の私しかいないだろう。
「僭越ながら申し上げさせていただきますが、王妃様、泣いてはいけません。親としてひどいのは、王妃様達ですわ。シャルロット様が、お可哀想です」
「でも、シャルロットは、お義母様に似ているんだもの……」
「お前は、そんな理由で、シャルロットを放っておいたのか?」
威圧的な態度で責める国王。ろれつがうまく回っていない王を、王妃がきっと睨む。
「私がお義母様に虐められていたときも、シャルロットのことも放っておいているあなたに、言われたくないわ!」
「それは……それは、お前」
今度は国王が動揺する番であった。
夫婦喧嘩を始めるこの国のトップをどんな顔で見ていたらいいのか、困惑している私に、オーウェンの視線が向けられる。
「ごめんね、家族の揉め事に巻き込んで。実はこうなることが分かっていて、僕は敢えて聞こえるように、戸を開けてもらったんだ。身内の僕が何を言っても、無意味だったから」
「……せめて、教えていただきたかったですわ」
「聞かれていることを知っていたら、君は何も言わなかっただろう?」
「まあ……」
当然である。国王夫妻が聞いていたら、ふたりを批判するようなことは言わなかった。
「お詫びに、美味しいお菓子を用意したんだ。ミアとふたりで、別の部屋で食べてくれる? 後は僕がやるから」
オーウェンに促され、私はミアと一緒に移動し、いつもの部屋で落ち着いて紅茶を飲む。
全く、良いようにオーウェンに使われてしまった。いくら幼い頃からの知り合いだから、気心が知れているからと言って、私を利用するのはあんまりだ。オーウェンが真摯に問題に向き合おうとした、その結果であるから許せるが、そうでなければ腹が立って仕方がないところだ。
ミアはオーウェンの計画を知っていたそうで、「聞かれているとわかっていたのに悪態を吐くのなんて、胃が痛くなりそうだった」とぼやいていた。道理で、いつになく歯切れが悪かったわけだ。
オーウェンが用意したお茶菓子は、前言に違えず頬が落ちそうなほど美味しくて、私もミアも、嫌なことをすっかり忘れてしまうのだった。甘いものは、最上の癒し。オーウェンは女心をよく理解している。
そうそう、ミアとの会話で、嬉しい知らせがあった。ミアの弟のギルは、夏の休暇が終わると、登校を再開したらしい。人間関係を理由に不登校を続けていた彼は、「リアン達が入学したとき、今のままでは恥ずかしい」と言っているそうだ。あの避暑旅行が、ギルが前向きになるきっかけになったのは、喜ばしいこと。リアンにとっても、仲の良い先輩がいることは、安心できるだろう。