47.騎士団の見学
暑さの盛りは過ぎ、青い空を見上げれば、夏の雲と秋の雲が行き交うようになりつつある。降り注ぐ陽射しの中で、私が眺めているのは、エリックがシャルロットに稽古をつけている様子だ。
もちろん騎士のエリックと幼女のシャルロットでは、力にも技術にも大きな差がある。エリックにとってはお遊びみたいなものなのだろうが、シャルロットが小回りを利かせてちょろちょろ動き回り、エリックの動きを躱している姿には感心する。私には、あんな動きはできない。
ちなみにリアンはエリックの稽古を一度受け、あまりのレベルの高さに既に降参していた。今は私の隣で、シャルロットの稽古を見学しているところだ。
「すごいね、おねえさま!」
「ほんとね」
初めこそシャルロットを打ち負かそうとしていたリアンも、最近では彼女の運動能力の高さは、素直に認めている。その裏には自分の方が勉強は圧倒的にできるという余裕があるのかもしれないが、シャルロットの学習能力は異常なほど高いため、勉強だってそのうち追いつかれてしまうだろう。
ひとまずここでは、リアンの感嘆の呟きに、同意の相槌を返す。普通の人なら辛いだろう騎士団の鍛錬に、日々楽しく参加しているというだけで、シャルロットの体力は賞賛に値する。まあ……王女のシャルロットに武の道を教えた騎士団の行いは、そもそも賞賛できないけれど。
ノアの指示で、シャルロットの次の相手はリアンとなった。ふたりとも木製の短剣を持ち、打ち合いを始める。今は、リアンにとっては実技の時間である。シャルロットを相手にすることで、自分の課題を見つけさせるのが目的だそうだ。リアンはシャルロットに対してライバル意識がある。だから、一緒に練習させると効果が高いというのは、ノアの意見である。
シャルロットの相手を終えたエリックが、こちらへ歩いてきた。
「お疲れ様です」
私の座るテーブルの向かいの、用意された椅子に、エリックが腰掛ける。
「労りのお言葉、ありがとうございます」
「いつも大変ね、シャルロット様のお相手ばかりで」
「俺の仕事は、王家の方の護衛ですから」
労いの一環でそう言ってはみたが、エリックがシャルロットに注ぐ視線を見ていると、彼が子供好きであろうことはよくわかる。父母がリアンに送るのと同じで、弱く小さき者を愛おしむ、そんな優しい眼差しなのだ。
「でも、子守までは、お仕事じゃないでしょうに」
「確かに子どもの相手だと言って嫌がる者もいますが……俺は、王城にいるより、ここでこうして羽を伸ばして居られるほうが、正直ありがたいです」
ノアが用意した紅茶を口にし、「いつも美味しいですね」と声をかけるエリック。騎士団所属だからか、エリックには、貴族特有の「やって当然」という態度がない。
「あなたはここで、羽を伸ばしているの?」
「そうですよ。キャサリン様は、俺が飾らずに話せる、唯一のご令嬢ですから」
「私も、エリック様とは飾らずに話せるから、ありがたいわ」
彼の優しい声は、何を言っても受け止めてくれそうな、安心感を醸し出している。お互いにそう思っているとわかり、目を合わせて、微笑みあった。
「また負けた!」
「あたしに追いつくなんて、百年早いんだから」
ませた台詞と共に涼しい表情で立っているシャルロットと、短剣を弾き飛ばされて嘆くリアンの、対照的なふたり。当たり前だが、シャルロットとリアンでは、シャルロットの方に軍配があがる。
「シャルロット様の身のこなしには、驚くべきものがあるわ」
「ええ。俺たちも、女の子がこんなにできるなんて知らなくて、驚いているんです」
「誰でもできるわけじゃないわ、私には到底無理だもの」
リアンの再挑戦を受けるシャルロットは、素早く跳び、体を捻り、リアンを良いように振り回している。
「どんな鍛錬をしたらあんな風になれるのか、気になるわね」
「キャサリン様なら、騎士団の訓練をいつでもご覧いただけますよ」
「そうなの?」
頷くエリックと、跳び回るシャルロットを見比べる。騎士達のシャルロットを見守る目を見ていて、きっと彼等の関係は悪くはないだろうと想像はできるが、実際に彼女の日常生活を見たことはあまりない。
ミアやオーウェンに相談する前に、普段のシャルロットを見ておくのもいいかもしれない。
「なら、一度行ってみたいわ」
「わかりました。都合の良い日をお知らせしますね」
こうして私はエリックと、騎士団を訪れる約束を交わした。
そして約束の朝、私はリサに、いつもの倍以上の時間をかけて髪を整えられている。
「リサ、いいのよ、そんなに気合を入れなくて。いつもと同じ、ミア達とのお茶会なんだから」
「いえ、こういう日こそ、身だしなみを整えなくてはいけません」
騎士団の訓練場は、シャルロットがしょっちゅう通っていることからもわかる通り、王城の近くにある。有事の際には駆けつける必要があるため、すぐそばだそうだ。
父やアルノーが騎士団の鍛錬を見に行く話は聞いたことがあったので、行けないものではないことは知っていたが、今まで特に興味はなかった。シャルロットと出会わなければ、これからも行かなかっただろう。
今回私はミア達とのお茶会の前に騎士団を見て、シャルロットの普段の様子を、直接確認することを計画していた。
初めて騎士団を見学に行くと聞いて張り切っているのは、私よりリサである。先ほどから普通でいいと何度も言ったのに、尋常ではないほどていねいに、私の髪をとかしている。
服も、普段通りでいいと言ったのに、まだ着たことのない新しいドレスを着せられてしまった。これでは随分、気合の入った感じになってしまう。胸元にはハーバリウムのネックレスが揺れていて、それが唯一、私の希望の通った箇所だった。
「素敵よ、キャシー。エリック様も、いちころに違いないわ」
「もう、何言ってるの、お母様」
すっかり着飾らされて部屋を出ると、母が通りかかった。優雅な笑みを浮かべながら、口にするのはちょっとしたからかい。
近頃両親は、私とエリックの関係に、何かを期待している節がある。元々知り合いだったこともあり、シャルロットを介して話す機会は他の騎士より多い。ただ、私たちはお互い話しやすいだけで、別に恋とかではないのに。
こんな風にからかわれるのは不本意で、頬を膨らませると、母はくすくす笑いながら歩き去った。
「おねえさま、でーとに行くの?」
「リアンまで! 違うわよ、そんなこと誰に聞いたの?」
「おとうさまが言ってたよ」
「そう。……私がデートに行くって言ったら、リアンは寂しくないの?」
「んー……」
階段を降りれば、玄関ホールにいたリアンが、そう投げかけてくる。リアンを挟んだ父のからかいに、呆れて肩の力が抜けた。
リアンの言う「でーと」に行くわけではないが、もし私が男性のところに出かけると言ったら、リアンは全力で阻止してくるはずだ。いつもは、私が出かけるときに寂しそうにするリアンが、今日は平気そうな顔をしている。
その姿に疑問を感じてリアンに質問すると、彼は首を傾げて少し考えた。
「だってぼく、おねえさまがエリック様に会うなら、別にいいもの」
「どうして?」
「ぼく、エリック様も好きだから」
エリックはシャルロットの護衛でうちに来ると、リアンの稽古をつけてくれる。そうした関わりで、リアンは彼に懐いていた。確かにエリックは子供にも優しいから、話しやすいのだろう。
私もエリックのあの穏やかさは、一緒にいて安心するし、話しやすい。そう思うけれど、それを家族に言ったことはない。なのにいつしか「家族公認」感を、皆が出してくる。いったい誰が蒔いた種なのだろうか。
王子に婚約破棄された面倒な家で、こんな風に扱われているとしたら、エリックも迷惑に思うだろう。だから、冷やかしてくる家族の態度は、私にとって不本意だ。
「エリック様は、公爵家の皆様からの覚えがよろしいのですね」
リサが、どこか満足げな表情で言う。なぜか幸せそうなその表情を見ていると、「不本意だ」という感想すら、言えない気分になるのだった。
馬車に乗って辿り着いた騎士団の訓練場は、土埃と鉄臭い匂いがした。
「汚いところですが、どうぞお気をつけください」
出迎えてくれたエリックにエスコートされ、鍛錬場まで歩く。地面がでこぼこして何とも歩きにくく、幾度かバランスを崩すのを、彼が支えてくれた。日頃から鍛えているだけあって、エリックのエスコートは安定感があり、安心して身を預けられる。
「あーっ、キャサリン様!」
体を動かす騎士団員の中から、鞠のように飛び出てくるのは、シャルロット。彼女の動きに反応して、騎士団の方々の視線もこちらに向く。私は曖昧に微笑んで会釈をし、シャルロットを受け止めた。
「会いに来てくれたの?」
「そうよ。シャルロット様がいつもどんな風に過ごしているのか、見に来ましたわ」
「そっか! あたしはいつも、ここで一緒に動いてるんだよ! 見てて!」
シャルロットは、騎士団の人々の中へ帰って行く。私は柵の外から、彼等の鍛錬の様子を見学する。
エリックもシャルロットも、屋敷でリアン相手にしている時には、かなり手加減していることのよくわかる動きをしていた。機敏で、力強く、無駄のないシャープな動作。いつもの様子とは違うふたりの姿に、思わず見入る。
エリックは表情が歪み、つらそうに力を込めるシーンもあった。いつもの涼しげな顔とは違う、人間味のある表情に、視線が奪われる。
あの人、あんな顔、できるんだ。エリックが額にじわじわと汗をかきながら体を動かしているのは、新鮮だった。




