26.ミアの結婚発表
日没が遅くなってきた。夜開かれるパーティに向かうとき、まだ日が高いのを見ると、夏が近づいていることを実感する。
「舞踏会を開くから、ぜひ来てね」
ミアにそう誘われ、ローレンス公爵家に馬車で向かっているとき、窓の外に空が見え、季節の変化を感じた。実のところ、今日の舞踏会は、王太子とミアの結婚式がいつ行われるのか、それを発表するために催されるという。王も来るし、有力な貴族は皆招待されている、規模の大きな舞踏会だ。
私は、夜空をイメージした紺色のドレスを着ている。フリルの上からきらきらした薄布をかけた、天の川のようなデザイン。幻想的な夜空を思わせるようで、気に入っている。鏡で見たとき、「さすがメインキャラ」と自画自賛したのは……皆まで言うまい。
大広間へ行くと、入り口でローレンス公爵が出迎えてくれた。
「お待ちしていました、オルコット公爵。……今日も両手に花で、羨ましいことです」
「そちらこそ。今日はめでたい日になりますな、我が家もあやかりたいところだ」
私は婚約破棄されてしまったから、あやかれないのだけれど。父の皮肉の利いた言葉は、それを踏まえてのものである。本当に親しい間柄だからこそ許される、きわどいジョークだ。ローレンス公爵は喉の奥でくつくつと笑い、その後、私達を案内係に引き渡した。
主賓の王家夫妻と王太子が到着すると、開催者のローレンス公爵からの挨拶。ミアと王太子の結婚式は、来年行われるという。先日のベイルの婚約とは違い、こちらは昔からわかっていた話なので、人々にも驚きはなく、喜びとともに受け取られた。
会が始まり、王家夫妻とローレンス公爵が話しているところへ、挨拶に伺う。
「こんばんは、オルコット公爵」
「おめでとうございます、陛下、ローレンス公爵」
「おめでとうございます」
父がお祝いを述べるのに合わせ、母と私も挨拶をする。ベイルの件でのわだかまりが無いわけではないけれど、それとこれとは別で、王への礼は尽くすのが私達の方針である。盲信しているわけではないが、目上の者への尊敬の心や、適切な礼儀を欠いてはならない。
暫し会話をするうち、母が「そういえば王女様は、うちのリアンと同い年ですわね」と言い出した。ベイルの妹のことらしい。母は、夏の避暑の話を持ち出した。
「いいわね。ぜひ、娘も参加させたいわ」
王妃が微笑んでそう言う。優雅な笑みだが、眉下が憂いに翳っている気がした。気のせいだろうか。とにかく、この短い会話で、王女が避暑に参加することが決まってしまった。
避暑へ一緒に行くなんてよほど親しい間柄でないとしないし、そこに王家が加わることは、我が家にとって悪くない話だ。こうして変わらぬ繋がりを示すことで、周囲への牽制にもなる。貴族同士の諍いの芽を摘むためには、王家や公爵家など、力のある家同士が繋がりを密にしておくことも必要であろう。ただ、私個人としては、ちょっと複雑な心境でもあった。
王女だなんて。私はリアンが入学する前に仲の良い友達ができたらいいなと思っていたのに、女の子は、微妙なんじゃないだろうか。やはり学園では、同性同士で固まるものだから、まずは同性の友人を作ってあげたかった。
まあ、そう母にはっきりと言わなかった私の落ち度もあるし、王女自身に罪はないから、仕方がない。
「お義姉様、おめでとうございます」
談笑する私達の外から、場違いな声が飛び込んでくる。一瞬の沈黙の後、皆の視線が声の主を向いた。そこには、笑みを顔に貼り付けた、エリーゼの姿がある。ベイルは彼女の後方に、影のように佇んでいる。彼の心はいったい、今はどこにあるのか。
「あら……」
ミアに向かってお姉様、とはすごい。たしかにミアと王太子が結ばれ、ベイルとエリーゼが結婚した暁には、ふたりは義理の姉妹となる。だけど今はまだ、ミアもエリーゼも婚約の段階だ。それなのにお姉様だなんて、さすがに気が早すぎる。
この場にいるのは王家に公爵家、それぞれ侯爵家のエリーゼよりは身分の高い人々であり、そこに声をかけてくる神経も理解できない。誰もがどう反応していいかわからず、顔だけ笑って戸惑っていると、王が「ありがとう、エリーゼ」と返事をした。自分の命を救った男の娘であり、ベイルの婚約者である以上、冷たくあしらうことはできないのかもしれない。それとも、ただの優しさか。
エリーゼの乱入により、落ち着いて会話をする雰囲気ではなくなってしまった。私達家族は視線を合わせ、彼らからそっと離れる。
「ブランドン侯爵令嬢は、昔からああだったの?」
「ううん、ベイル様との婚約が決まってからだと思うわ」
「もう王家に入った気持ちでいるんだねえ……」
先程のエリーゼの振る舞いを非難するような会話をしていると、楽団による演奏が始まった。
大広間の中央のダンスホールで、王と王妃が踊り出す。さすがに優美で、完璧なダンスであった。次いで、ミアと王太子が踊る。幸せなふたりは、見ていて微笑ましくなるほど息が合っていて、素敵だ。そして、立場上は第二王子であるベイルとエリーゼが踊る。たしかにこんな順番で踊らされていては、エリーゼが調子に乗るのも、しかたがないかもしれない。舞踏会では身分の高い順に踊るから、ベイルと一緒なら、公爵家より順番が先なのだ。
エリーゼ達の番が終わるとあちこちの公爵家の面々が踊る。私は父と母が踊ったあとで、父と踊った。元々、体を動かすのは嫌いではないので、それなりに楽しかった。
会場には、騎士団の服を着た男性もちらほらいる。あの壮年の男性は、話したことはないけれど、父と話しているのを見たことがある。騎士団長だ。他にも何人かいるのは、どこかの家の子弟なのだろう。
この間の騎士も、来ているかもしれない。もしかしたら、話しかけてくれるかもしれない。そう気付くとなんとなく心が浮き立ち、騎士団員の若い男性を、それとなく目で追ってしまう。
「誰か探しているの?」
「あっ……ミア。ううん、見てただけ。それよりも、おめでとう」
私自身は「それとなく」辺りを見回していたつもりだったけれど、その様子は目立ったらしい。ミアに話しかけられ、慌てて誤魔化す。
「ありがとう」
そう言って微笑むミア。水色のドレスを着ているミアは、いつもと何か違うわけでもないのに、内部から発光しているように輝いて見えた。幸せな人はこんな風に、内なる輝きを秘めているものなのかもしれない。
「夏の避暑、王女様もいらっしゃるそうね」
「もう知っているの?」
「ええ。さっき王妃様から伺ったわ」
ローレンス公爵家は先日のお茶会で、既に避暑へ誘っていた。セシリーに会いたいというミアの希望もあり、同行が決定されたのである。
情報の早さに驚いていると、ミアは続けた。
「王女様って、お会いしたことがある?」
「ないわ。ミアはあるの?」
「ええ。とっても可愛くて、妖精みたいに可憐な方よ。でも……王妃様との折り合いが、良くなさそうなの」
最後はこそこそと、囁くように続ける。先ほどの王妃様の憂いを含んだ表情は、私の見間違いではなかったようだ。「どうして?」と問うと、知らないのかここでは言えないのか、ミアは曖昧に首を傾げた。
王太子と共に挨拶回りへ向かうミアを見送りながら、私はある人を思い浮かべていた。「妖精のように可憐な」人。アレクシアは、まさにその表現がぴったり合う少女だった。