16.リアンとニック
お医者様の見立て通り、痛みと腫れは数日で引き、私はすぐに日常に戻ることができた。
リサと一緒にロディのところへ向かい、スコーンを作り、昼食を食べて作業場へ。これが、今の私の日常である。
「あ、おねえさま!」
作業場へ向かう廊下を歩いていると、リアンに呼び止められた。振り向けば、ノアの隣にリアンがいる。ノアは、作業場に来る途中だろう。では、リアンは?
「どうしたの、リアン」
「前はおひる食べたあと、ノアとかおねえさまと一緒にあそんでたのに、最近ずっとあそんでくれないでしょ。だから、ついてきたの」
「すみません、断りきれなくて……」
「内緒にしていたわけじゃないからいいけど、きっとつまらないわよ、リアン。いいの?」
「おねえさまと一緒のほうがいい!」
そう言うリアンの首には、例の蝶ネクタイが巻かれている。本来日常的に使うものではないのだけど、きっと去年あげた帽子のように、着けると言って聞かなかったのだろう。それだけ喜んでくれたということだ。こんなに喜んでもらえるのなら、考えた甲斐があったというものだ。
本人が希望したので、リアンも連れて、作業場へ向かう。扉の隙間から、話し声が漏れてきた。開けると、中には何人もの人がいる。
「あら、ずいぶん賑やかになったわね」
「わあ、すごーい!」
話し声が止まり、いくつもの目がこちらを向く。部屋にいるのは、ハンナとアンナ。その間の黒髪の男の子が、きっとニック。彼ら以外にも、屋敷で見たような顔がちらほら見える。私の覚えている作業場と比べると、活気が増した。リアンは、今まで見たことがないだろう光景に、歓声をあげる。
「ライネルさんが、有志を募って、人手を増やしてくれたのです。皆、作業を続けて大丈夫だよ」
ノアのひと声で、作業の続きが始まる。もう、すっかり皆のリーダーだ。リサがやっていた洗濯のりをおたまで瓶に入れる作業は、華奢な侍女の役目になったようだ。私の、洗濯のりに水を混ぜる仕事は、壮年の執事がやっている。それを見たとき、私は内心、「ここに私のできる仕事はもうないな」と悟った。
ハンナとアンナの目の前には小瓶が置かれ、ドライフラワーをひとつひとつ入れている。近づけば、同じタイミングで顔が上がり、目があった。
「キャサリン様、その節はありがとうございました!」
「おかげさまで、弟のニックも元気になりました。ほらニック、キャサリン様よ」
「キャサリン様……ご心配いただいて、ありがとうございました」
「あら……」
意外なほど、覇気のない声。ニックは、リアンより2つも上のはずなのに、たしかに体が小さかった。今まで、栄養が足りていなかったのだろうか。
ただ、頬は血色が良く、体調が悪そうな印象はない。ハンナ達に続いて年相応以上の礼儀正しさでお礼を言われ、こちらがたじろいでしまった。平民の子どもで、これだけきちんとした挨拶ができるとは。リアンのほうが、よほどお行儀が悪いかもしれない。
「元気になったのね。安心したわ」
「ハーバリウム作りのおかげで、薬を買うことができたんです」
「そのうえ、ニックにも生産のお手伝いをさせてくださって、本当にありがとうございます」
ニックの手伝いを許可するとかしないとかいう話はしたことがないから、きっとライネルの機転なのだろう。なんにせよ、ふたりにとって良い形で働くことができているようで、なによりである。
「ねえノア、これなに?」
「それが、キャサリン様がお考えになって、皆で作っているハーバリウム、というものですよ」
「へえ! おねえさまが考えたんだ、すっごいねえ!」
厳密には、アイディアの元はアレクシアなんだけどね。リアンに褒められ、私は肩をすくめた。
リアンは興味深そうに机上のハーバリウムを手にとって眺めている。瓶をひっくり返すと、泡が上っていくのが面白いのか、何度も上下を反転させて遊んでいる。
リアンが持っているのは、赤ベースの華やかなもの。あの色合いは、見たことがある。
「リアンが今持っているのを、作ったのはニックよね? お見舞いにいただいたのを、見ていると元気が出たわ」
「ありがとうございます」
お見舞いのときに貰った赤とピンクのハーバリウムに似ていると思ったら、やはりニックが作ったものらしい。照れたのか、後頭部に手をやってくしゃっと笑う。その仕草に愛嬌がある。ニックは先ほどからずいぶん大人びた態度をとっていたが、その笑顔には、年相応の幼さを感じた。
「ねえリアン、その赤いハーバリウムは、このニックが作ったんですって」
リアンにそう声をかけると、彼は視線を瓶から離し、びっくりしたような顔つきでハーバリウムとニックの顔を交互に見る。
小瓶を机上に戻し、どうするかと思ったら、リアンは小走りで私の後ろに隠れた。
「そんなところに隠れてどうするの、リアン」
「だって、話すことないもん」
「どうして?」
「どうしても!」
リアンはぷい、とそっぽを向く。
こんな反応をするリアンって、初めて見たかもしれない。人見知り、というのだろうか。あまりにも素っ気ない反応に、ニックは困ったように笑顔を作る。
こんな態度をとるリアンを、作業場にいつまでも置いておくのは、雰囲気を損なう。そう思って、私はリアンを連れて外に出た。
「どうして、ニックと話さなかったの?」
「話すことないもん」
「そう……」
あまりの頑なさに、返す言葉がない。リサやノアを始めとする身の回りの使用人たちとはよく話すのだから、今更ニックとの身分の差を意識した訳でもなかろう。いつも人懐こいリアンのあんな姿は、私は初めて見た。
ノアが「少し話をしますね」と、リアンを勉強に連れて行く。私は頷いて見送った。あとは彼に任せよう。自分の家庭教師でもあったから、ふさわしくない振る舞いをしたときの、彼の静かな恐ろしさはよくわかっている。
私はふたりと分かれ、ミアとのお茶会の準備をするため、リサと共に庭園方面へ向かった。