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オトメと木星  作者: 等野過去
7/13

「あー、ようやく金曜日が終わったね。やっと週末だー」

 金曜日の夜間学校を終えると、愛梨さんはうーんと体を伸ばしながら感慨深く漏らした。そんな何気ない仕草にも色香がふわりと立ちこめ、僕の目はくぎ付けにされた。

「保育園での事務って、土日休みだったよね?」

「うん、だから毎週二連休なの。悠斗くんは、土曜日は仕事があるんだったよね……もう一踏ん張り、頑張って! 日曜日には一緒にドラマの舞台旅行が待っているんだから」

「言われずともここ一週間はそれだけを頼りに頑張ってきたんだから。今さら撤回なんて言われたなら頑張る気力は持たないだろうけどさ」

 そしてタイミングを見合わせたようにはにかみ合う。傍から見ればまさに息ぴったりのベストカップルであるところだろうが、残念ながらそうもいかない。女音の香水を残したあの日より、愛梨さんが僕には何の興味を抱いていないのではなかろうかという懸念は日に日に積もっており、同時に太陽を作るなどという馬鹿げた企画が次第に進行していっては、熱を入れずともしっかり協力している自分がいて神経がどうにかなってしまいそうだった。

 しかし不思議なもので、理解不能な混沌が沈殿しつくしたならば、悟りを開きでもしたように逆に心は落ち着いていたりするから分からない。すべてを放棄して自身を客観的に見れているのだろうか、いずれにしてもとてもよい傾向とは思えなかったが、目の前に迫った愛梨さんとのデートがその心配をも無理矢理脇に退けさせた。

「それじゃあ悠斗くん、日曜日の午前十時、学校前でね。忘れたりなんかしちゃ駄目だからね」

「むしろ忘れられないかと気を揉んでいるくらいだよ」

「大丈夫、私もずっと楽しみにしていたんだから」

 相変わらず男心をくすぐるような嬉しい言葉だったけれど、残念なほど以前のときめきを感じなくなっていた。

 もしかすると僕は心の病気なのかもしれない、この日曜日にはしっかりと療養させてもらう事としよう。


 土曜日、次の日には愛梨さんとのデート――やはり主観であるが、客観でも大差はないと確信している――を控えているわけであるが、早く帰りたい僕を引き留めるのはやはりどこぞの女だ。

「ねえゆうちー、今日は学校休みだったよね。例の計画について、また少し話したいから仕事の後どうかな?」

 えてしてこの場合、否定するだけ無駄だ。時間次第で少しだけなら構わないと話をしたなら、案の定さっさと仕事を終わらせようという事になった。

 この計画を打ちたててからというもの、話をするために早く仕事を終わらせようと促すことで、女音が少しながら働いてくれるようになった。これは非常に良い傾向だ、付き合わされる立場からすれば、これくらいの見返りはあっても罰は当たるまい。

 仕事を終わらせると、もはやお約束となった喫茶店を訪れて腰を下ろし、相変わらずカップルだらけの中、肩身狭い思いで飲み物と簡単な食事を頼んだ。

「それでね、ゆうちー。早河教授や名誉教授サマの力をお借りしたけれど、次はどうすればいいのかな、なんて思っちゃってね。お偉いサマが力を貸してくれるとなったなら、とても私たちがまったりもしていられないじゃない」

「そうですね」

 女音なりに焦りを感じているのかもしれない、少なくとも櫻井名誉教授が(とが)めたように、他人に任せっきりとなっている現状ではいけないと反省でもしたのだろう。個人的な要望としては、計画の進展など考えてほしくないのが正直なところであるが……などと悪態が出そうになって、慌てて抑制した。女音の成長を喜ぶべきか、計画の進展を悲しむべきか……いずれにしても手放しで感情表現はできそうにない。

 しかしいざ真剣に向き合ったらどうだ、考えれば考えるだけ問題点など山積みだ。そもそも太陽を作るとして、地球という非現実的な大きさをさらに何万倍とゆうに超越するそれの生成をどうやって実行に移すのか、どうやって宇宙という空間に配置するのか。公転や軌道はどうするのか。

 第一に、女音は宇宙にそんな巨大なものがもう一つ増えるという異常態を少しでも考えたことがあるのだろうか?

 太陽が二つの世界。女音が初め、太陽が沈むと同時にもう一つ昇るだなんて言っており、それを僕は夜行性動物のことを考えろだなんて一刀両断してみせたが、実際どうなのだろうか。気温だって、夜がなく日柄(ひがら)照りつけられていればみるみる上昇するはずだ。地球がもう少し太陽との距離が近かったら、あるいは遠かったら人類は生存できなかったという話を聞いたことがある。温暖化など取るに足らぬほど気温は上昇するだろうし、他の太陽系の星々に至ってもとても平気ではいられまい。

 そうだ、自然界のバランスが崩れるなど地球単位で軽く見ていてはいけない。人類ひいては宇宙のあらゆる生命系において、あるいは禁忌(きんき)たり得るのではないだろうか。氷を主成分とする惑星であれば気温上昇に伴って存在自体が消えかねないし、何よりも太陽系自体が太陽をほぼ中心とする同心円の軌道を描いているというのに、そこにもう一つ中心を任される太陽を設置しようという発想自体が狂っている。惑星は己の描くべき軌跡を見失うだろうし、太陽同士が起因して何らかの作用が起こらないとは考えられない。

 太陽とは古今東西の神話においても神として崇められているケースは多い、日本でも天照大神(あまてらすおおみかみ)日光菩薩(につこうぼさつ)くらいなら僕でも聞いたことがある。神を作ろうとしているなどと言っては、今更ながらに非現実的だろうか? 今まで乗り気でないこともあって真剣に取り合っていなかったが――だったら今が真剣かと問われれば返答に窮するが――一度立ち止まり振り返ってみたならば、あまりに突拍子もない、それでいて狂気に満ちた計画にすら感じた。

「女音先輩、少し尋ねたいのですが」

「うん? なになに」

「地球には夜と昼が存在しますよね、昼は暑いですし夜は寒いです。では、夜がなくなってしまったならどうなるんですかね」

「年中暖かいんじゃないかな、すっごく過ごしやすいと思わない? 桜が年中咲いているかもしれないし、ツクシが大木のように大きく育つかもしれない、きっと毎日が入学式の当日のように胸が弾んじゃうんだから」

 さて、どう話をしたものか。想像力は有り余るほどあるだろうのに、それがすべてロマンなどという不可解なものに費やされているのだから世話が無い。

 その下らぬ想像力を、少しでも現実的に有意義に使っていただきたいものだ。

「そもそも女音先輩は太陽を、そもそも星というものをどんなだと思っているんですか……」

「えと、だからプロミネンスが……その、ね。そういうゆうちーこそ、分かってるの?」

 早河教授の太陽系に関する話を何も聞いていなかったのだ、女音は当然計画の初期段階と同じ反応を返してくる。

 僕はため息をつくと、腕を組んで真剣な眼つきを向けた。

「そもそもにして、まず星というものは膨張と自身の重力のバランスによって今の形、ほぼ球状を保っているわけですよ。自分の重力に負けて収縮しきってしまいますと、光ですら外に出られない状態、よく聞きますブラックホールになるわけですよね。そして地球を例にとってみますと、昼と夜があるわけですから自転、季節があるわけですから公転という要素もあります。他の太陽系の動きまで考えると枚挙にいとまがありませんが、つまりは現在においても幾つもの要素が複雑に綿密に絡み合って、奇跡的に、地球が僕たちの住める惑星となっているわけですよ。何十億年後かには太陽も終焉(しゆうえん)を迎えるでしょうし、地球だって同様にいつまでも存在するわけじゃありません、絶妙のバランスと半永久的という曖昧な環境の元で今の我々があるんです」

 正直なところ、僕も今まではほとんど理解できていなかったが、女音と同様に、櫻井名誉教授に会ったことで計画に対する無知――無理矢理付き合わされている不本意な状態であるにしろ――を反省して少しだけ勉強した。改めて向き合えば向き合うだけ宇宙の仕組みなどとても理解が及ぶものではなかったわけだが、だからこそ問題点などいくらでも挙げることができそうだった。今しがた述べた惑星としての要素だけでなく、太陽系の公転軌跡に太陽(たいよう)(ふう)と呼ばれる電荷の波が宇宙空間を余すところなく吹き廻っており、ダークマターと呼ばれる不可視の宇宙特有の要素に至るまで僕ですらいくつも考慮するべき点を挙げられるのだ、専門家から見たならどれだけ穴だらけな状態であり、これで太陽を作りたいなど、どれだけ熱弁をふるったところで詭弁と受け取られるに決まっている。そもそもにして宇宙という大前提が、世界中が我先にと研究している領域なのだから、問題点以前と言われればそれまでだ。

「そんな絶妙のバランスで成り立っている太陽系にもう一つ、太陽と同じものが存在したならどうなると思いますか? まぁ想像なんてとてもできないでしょう、いえ、そここそがロマン溢れるだなんて言うのかもしれませんが、もっと現実に目を向けたならロマンなんて簡単に捻り潰されてしまう事は分かりそうなものですがね。僕にだってどうなるかはさっぱり分かりませんが、気温はみるみる上昇して海は干上(ひあ)がり、いえ、極の氷が溶けて水面上昇が先かもしれません。草木だって他の星に存在しないように枯れ朽ちるに決まっています。ええ、少なくとも僕たち人類も生きること叶わないでしょう。太陽を作りたいだなんて、女音先輩は僕を殺したいのですか?」

 櫻井名誉教授の言葉が尾を引いているのか、それとも愛梨さんとのデートの前日にまでこんな夢物語計画を話された事が気を荒立てているだけなのか。いずれにしてもこの機会にとズバリ言いきってやったが、女音はきょとんとした顔を向け続けるだけで、とりわけ芳しい反応はなかった。

 なぜ強く言い咎められているのか理由が分からず呆となっているのであればまだいい、大方言い咎められている事自体理解できていないのだろう。

 言い損だったと肩すかしをうけ、溜息とともに頭を垂れた。

 女音は無表情なままで、あからさまな素振りを見せる僕をただただずっと眺めていたが、僕の溜息が途切れた頃合いを見計らって、ゆっくりと声を出した。

「ゆうちー。あのね、ずっと聞きたかったことなんだけどさ……ゆうちーは嫌々私に付き合ってくれているの?」

 まさか堂々とそんなことを聞かれるとは覚悟しておらず、そして反論するだけの同情の気持ちも持ち合わせておらず、戸惑って何も言い返せなかった。

 僕の無言が何を表わしているのか、女音であろうとも分からぬわけではあるまい。

 彼女は無垢(むく)な相好を(ほが)らかに崩した。

「ありがとう、もういい」

 女音は表情だけは温厚そうに、それでも大きな音を立てて椅子から立ち上がると、そのままお金も払わずに荒っぽい仕草で喫茶店を出ていってしまった。

 まったく、こんなにややこしい相手は初めてだ。別に僕は何も間違ったことは言っていない、真実を述べただけだ。

 それでも僕自身が乗り気でないという、心の底を見透かされた落伍感(らくごかん)だけはしこりとして残り、心がもたれた。

 そもそもにして、僕はどうしたいのだろうか。女音の怒りももっともだ、ずっと露骨に嫌々な素振りをしながら、そのくせずるずると今の今まで一緒に行動していたのだから。にもかかわらず、計画が進行しても喜ぶどころか嫌な顔しか見せないのだ、無邪気に何も考えていないような彼女だったがそれに気付かぬほど鈍感でもないらしい。

 かといって、実際僕は嫌だったのだ、それは今でも変わらない。なぜこんな馬鹿げたことに付き合う必要があるのだという思いは本音だと言いきれる。

 なのに何だこの空虚感は。激しい後悔と苛々が腹中に溜まり溜まっている。望んでいたことだというのに、一体いつからこうも馬鹿げた計画にのめり込んでしまっていたのだろうか、そんな僕自身にまた嫌気がさす悪循環だ。

 明日は待ちに待った愛梨さんとのデートだというのに、それら全てがまるで色褪()せてしまったかのようにつまらないものに映りだす。まったく僕はどうしてしまったのだろうか、相当おかしくなってしまったようだ。

 早々に喫茶店を後にすると、真っ直ぐ帰路に着いた。今日は早く寝て明日に備えたかった。

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