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オトメと木星  作者: 等野過去
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 夜間学校というものに縁がある人は比較的少ないのではないだろうか。

 夜間学校に通う者は大小はあれど各々が事情を抱えており、とりわけ家庭的な私情が多く見受けられる。生徒は二十歳(はたち)前後から中年に至るまで幅広く、中学を卒業してすぐに働いた人がいれば、高校を中退している者もいたりと理由や背景は千差万別であれど、ほとんどの人はその生活軸を仕事などの昼間に置いている。

 かくいう僕も例外ではなく、母子家庭という事情から、中学を出て以来昼は工場にてせっせと働いて、夜には夜間学校にて一高校生らしく、他愛ない話に花を咲かせながら年相応にはしゃぐのだ。

 夜間学校では一クラスの人数は高々二十名ほど、その内中学を卒業してすぐに夜間学校に入学したのは僕ともう一人女性だけである。あくまで生活の根幹(こんかん)を昼と捉える人たちが多い中では、親のすねをかじりながらのうのうと高校生活を過ごすだろう人間などかやの外と感じられるようだ。どんな事情があるにしろ高等学校卒業の経歴を欲する目的の人と、一般高校生活を満喫したいと考える僕たちとでは、意識の上で越える事の出来ぬ隔たりがあって当然だろう。特に夜間学校にしては珍しく三年制で、レベルだって界隈(かいわい)では私立高校にも引けをとらぬのだから、仕事と学業を両立しようともなれば生半可な気持ちではとても勤まるわけがない。環境の助太刀もあり、僕とその女性はいつも一緒に話をしている二人組なのだ。

 さて、そのもう一人の女性というのがまた眉目秀麗(びもくしゆうれい)かつ温和(おんわ)怜悧(れいり)、端正な顔立ちに艶のある漆黒の髪を腰辺りまですらりと(なび)かせる清楚な風貌を携えているのだから、とても僕には手の届かぬ高根の花であることは重々承知しているが、人生とは中々に巧妙にできているもので、クラスで唯一同じ年齢であるという絶妙な縁に仲立ちされて、僕たちは今日も宿題の見直しと銘打って二人きりで参考書を片手に寄り添うのだ。

 学校と聞けば勉学に励むだけのつまらぬ施設だと感じる人が大半だろうが、おかげ様で僕においての学校は毎日の楽しみであり、年中無休で学校があろうとも喜んで皆勤賞を手にしてみせよう。三年制の夜間学校ともなれば長期休暇はごく僅かに限られているが、僕にとってはむしろ願ったり叶ったりで、一般の高等学校さながら学期の都度一ヶ月あまりの長期休暇が設けられようものなら心の拠り所がなくなったかのように憔悴(しようすい)してすれきってしまうに違いない。ここでは制服もなく授業の座席も決まっていない、毎日違う服装――そのすべてが似合っている点を補足しよう――の彼女を常に隣に置きながらに授業を受けるのだ。これを幸福と言わずして何を幸せと定義できようか。

 今も彼女こと愛梨(あいり)さんは淡いグレーのブラウスの上にキャメル色のカーディガンを羽織り、僕の正面で優雅な(たたず)まいを見せながら、艶のあるほんのり紅がかった唇をゆっくりと動かした。

「それでね、……ねぇ、悠斗(ゆうと)くん、ここまではいいかな?」

「なるほど、こうやって公式に当てはめればよかったのか。この問題のどこで使うのかってずっと悩んでいたんだけど、どれだけ頭をひねってもさっぱりだったよ」

「私も初めは悩んでいたけど、色々と考えていたらふっとひらめいたの。答えは合っているから間違いないと思うけど、でも応用問題になった途端、難しくなりすぎだよね」

 学校が始まるまでのこの一時間はまさに至福の時間、隣り合って椅子に腰かけると、宿題を教えてもらいながら二人でいちゃいちゃとじゃれ合うのだ。きっと周りから見れば付き合っているように思われているに違いない、間違いない。

 まったくもってその一挙手一投足がいじらしい。ことある度に小首を傾げる仕草も、俯き加減で話をしながら時折懇願するように上目遣いに覗き込む所作も、長く黒い髪を疎そうに払いのけるしなやかな手首、絶やさぬ微笑み、クリンと丸まった可愛いとも綺麗ともつかぬ大きな目、鼻につかぬ和やかな香水、まさに非の打ちどころがない理想の女性像だった。小さくえくぼが表れるたびに目線はそそられ、ほだされたがごとく会話中は唇を追ってしまい、まばたきまでがおざなりとなってしまう。透き通った声はまるで耳元でこっそりと話されているようで、次には心臓の鼓動が耳に反響してくるのだからやりきれない。

 かくいう僕も中学時代にはボーイッシュで格好いい女性や天然の可愛らしい女性に憧れたものだったが、この学校に入学して彼女と出会い、ひとたび会話を交わせばすぐにも恋に落ちた。以来彼女はことある度に僕を魅了し、趣向までもが変化させられてしまった。

 やはり女性はこうでなくてはいけない、明る過ぎず暗過ぎず、TPOを弁えて適度に感情を見せ、随所でしっかりと自身を管理する。口に出したなら夢の見過ぎだと一笑に付されるだろう絵に描いたような女性像であるが、こうして実在するのだから世の中分からない。どこかの女とはえらい違いだ。僕は幸運なことに、彼女を相手に人生に三度あるというモテ期の三度目をとうとう迎えたのだ。一度目は生まれた時、二度目は二歳あたりで過ぎたに違いない、当時は事あるごとに近所のおばちゃんに可愛がられそやされたものだった。小学校中学校とてんで女性に縁がなかったのだからずっとそうだと信じてきた。いつか三度目のモテ期が訪れると長く夢見たことは間違いではなかったのだ。

「おおー、分からない問題があったからどうなるかと思ったけど、さすが愛梨さん。おかげ様で全問解けたよ」

「私も解けていたから良かった……見直しもできたし」

「愛梨さんに解けない問題なんてそうそうお目にかかれないよ。いつも教えてもらってばかりで申し訳ない、機会があれば、きっとこの借りは返すよ」

「ありがとう。でも、気にしなくて大丈夫。私って心配症だから、こうやって悠斗くんと宿題の見直しをできるのはすっごく助かっているんだから」

 今まで女性となればドギマギ話をしていた僕がこうやって一般男児のようにしっかりと会話を交わせるのだ。きっと愛梨さんと僕との相性は抜群に良いに違いない。どこかの女とはえらい違いだ。

 さて、長年女性とは無縁の僕だけれど、こうやって自分を作らずに話のできる女性が三人いる。一人は愛梨さん、もう一人は残念ながら母親、そしてもう一人というのが、先ほどから比較対象として出ているどこかの女、だ。いや、愛梨さんとでは月とスッポン、比べるどころか隣り合わせに置いて見せるだけでも申し訳ないような女だ。ドラマや小説で嫌がらせを生きがいとしており女性を捨てているようなでっぷりとした会社の上司が登場するだろう、方向性は百八十度違うが、まさにそれと同じような女なのだ。

 まず第一に、僕は昼間には工場で働いているわけだが、まさにその工場での上司であり先輩に当たるのがその女なのだ。でっぷりとしてないだけでも救いかもしれないが。

 続いて第二に、髪の毛はいつも無造作で所々がピンとはねており、工場という働き場所の手前仕方ないが毎日同じブカブカの作業服でいるものだから女性らしさなど微塵と感じない。顔に汚れがつこうともなんのその、といった塩梅(あんばい)だ。

 そして第三に、女性らしいしたたかさなど微塵となく、抜けて緩みきった表情と共に持ち前の妄想癖から意味不明なことを口にするだけで一切仕事をしないのだ。結局そのしわ寄せは後輩である自分に回ってくるのだから堪らない。

 以上を余すところなく携える女がいるのだから、尚更学校の時間が至福のそれとなろうことは誰もに異論なく理解していただけるだろう。これまた絵に描いたようなダメな上司だが実在するのだから世の中分からない。

 今朝も例に漏れることなく目覚ましの耳障りな音と朝日の眩しい光に促され、眠い目をこすりながら起き上ると、すぐにも準備をして勤め先の工場へ向かう。朝から夕刻にかけては一社会人として仕事に精を出す、そして夜は安らぎのひと時として学生という青年期としてあるべき姿に舞い戻るのだ。

 会社に着いたが当然のように上司の女はおらず、僕は溜息とともにその日の作業を開始した。仕事というのはいわば内職のようなもので、幾多もの工具を使い、工程表に沿って順々に組み立てるのだ。何も難しいことはなく、小指の爪程度の円柱型ソケットにリング状の板べらを順番通り数枚入れ込み、中心に棒を音がするまで差し込むだけで完成だ。これを十個で一セットにして、検査機に送る。単純だが同じ作業ばかりというのも中々に辛いものだ。勤務時間は定められているが、実際は規定数をこなせば終了となる。しかしこれがまた、上司の分までお鉢が回ってくるのだから中々終わらずに、たいていは一、二時間ほど延長してしまうのが常だ。どんな不幸か、その仕事自体は僕と上司のペアに一任されているのだからやりきれない。

 結局朝から黙々と一人作業をこなすわけであるが、一人の方がよっぽど効率も良く、仕事がはかどるというものだ。鼻歌なんて鳴らしながら調子良く作業をしていると、工場を統括するチーフがこちらに歩いてくる姿が目に映る。

「チーフ、おはようございます」

「おう悠斗、精が出るな」

「お陰さまで、上司がいない間はのびのびと作業させてもらっています」

「はは、気持ちは分からんでもないが、まあそう言うなよ。ほら、今月の給与明細だ」

「ありがとうございます」

 封筒を受け取ると、目に見えて喜びを体現するのもいやしく感じられ、礼儀正しく頭を下げて丁寧にポケットに入れ込んだ。よくよく考えれば上司が給与明細を貰っているのを見たことがないが、関係のない話だとすぐにも考えを打ち消す。

「そういえば、悠斗。お前に本社から奨学金の話が出ているんだが」

「奨学金……ですか?」

「ああ、俺もこの会社にそんな制度があるなんて初めて知ったんだが、このまま卒業後もここに勤めてくれること、そしてN大学の……確か経済学部だったかな、そこに進学する条件のもとで、会社が学費を全額負担してくれるそうだ」

「ええ、全額ですか!」

 全額負担、母子家庭で大学の学費を溜めるために仕事をしている僕にとってはまたとない有り難い提案であり、とりわけ大学卒業後にもここに籍を残しておいてくれるというのだから、願ったり叶ったりだ。いや、もしかすると母子家庭であることを(かんが)みて僕にこの制度を適用してくれたのかもしれない。

「ああ、全額ってんだから、随分と期待されているじゃないか。会社から携帯電話を支給されている従業員なんて悠斗くらいのもんだし、その支給品だってGPSとかいう、宇宙衛星から現在地を割り出せるような、なんか最新のハイテクなやつなんだろ?」

「宇宙だなんて(おごそ)かなものは僕も分かりませんが、それを常備しろと言わたなら逆に監視されているみたいで気が気じゃないですよ。携帯電話に関しては、今時持っていない僕を見かねて支給してくれたんでしょうが」

「まあそう言うなよ、こんな優遇処置を受けていて文句を言ってちゃ罰が当たるてなもんだよ、くわばらくわばら」

「それは重々承知です。改めましてありがとうございます、奨学金の件は、ぜひ前向きに検討させていただきます」

「そうしてくれ。それじゃ、邪魔したな。仕事頑張ってくれ」

 チーフがずっと会話に興じているようでは他の従業員に示しがつかないか、片手をあげてすぐにもその場から去っていった。

 僕はチーフの背中を眺めながら、神様は常に天から見てくれているものだ、ひたむきに頑張っていれば報われるものだと、改めて強く感じ入った。N大学はかなりレベルが高く、今の僕ではちょっと背伸びするような大学であるが、奨励される以上それくらいは勉強してしかるべきという事だろう。いずれにしても思わぬ朗報に、僕は改めて気分良く鼻歌交じりで仕事に打ち込んだ。

 そして作業開始から半時間ほど経てば、更衣室のロッカーがけたたましく閉められる音が作業場に漏れてきた。ああ、どうやら(くだん)の上司が到着したようだ。

 僕は空を仰いで――当然工場内なので空など見えないが、一応――大きな溜息を吐いた。いよいよもって、上司がその場に現れてしまった。相変わらず四方八方無造作に髪の毛は跳ねており、何がそんなに嬉しいのかも分からないほど特大の破顔でどたどたと駆けてくる様は登場だけでちょっとした騒音だ。

「ゆうちー、おはよー! えっとね、違うの、確かに昨日は今日こそは遅れないって宣言したけどね、違うの、違うの、ちょっと聞いて!」

「いや、いいですよ遅れたことについては言及しませんし(とが)める気もありませんから早急に仕事に着手してください、女音(めおと)先輩」

「だからちょっと聞いてって、違うんだから! 昨日はね、すっごい事ひらめいちゃってね、胸が躍りまわっちゃって夜中まで寝付けなかったんだから! すっごい事よ、聞きたい? 聞きたいよね?」

「いや、別にいいですから仕事に着手してください切実に」

「うーん、どうしよっかなー? むふふー」

 遅れてきたのに何の悪びれもないその素振りには、呆れるを通り越して溜息しか出ない。その上何が楽しくてこうも絡んでくるのか。

 僕は観念して顔を一切向けずに声を漏らした。

「気になるんで教えてください女音先輩。そして満足いくまで話したなら仕事に移りましょうね、後生ですから」

「やっぱり気になるわよね、んふふー、ゆうちーにならトクベツ、教えてあげる! もう、私とゆうちーの仲じゃないの!」

 目を上に向ければデコにできているだろう青筋が目視できそうだったが、まっとうに相手をするだけ不毛という事は経験上理解している。大きく深呼吸しながら仕事の手を止めずに話相手を続けた。改めて思えば、女音の話し相手も仕事の内なのだろう、きっと。

 ちなみに実際のところ、女音と僕は仕事に就くのがたった三日違うだけであり、ゆえに役職だって持っていないヒラ同士であるのだから、十歩引いて先輩であれど断じて上司ではない。こうして先輩と呼びながらかつ上司として扱っているのは、本人直々の希望があったので渋々しているにすぎない。幼稚園児のママゴトと言われてしまえばそれまでだ。

 話を聞く姿勢をみせたなら、女音は声を小さく控え目にして、周囲を伺って誰もいないことを確認しながら僕にそっと耳打ちした。

「あのね、ゆうちー。まずは、ゆうちーはどうして世界に昼と夜があるんだと思う?」

「太陽があるから一択です、太陽が見える地球上の地域一帯が昼と定義されているだけに過ぎない話でしょう」

 また余程下らぬことを思いついたのだろうが、その戯言(たわごと)を自信満々に勿体(もつたい)付けて話しだすから輪をかけて面倒だ。

 出し抜けに放たれた言葉を、理系特有の夢もへったくれもない言い回しでバッサリと切り捨てたが、それでも女音は諦める様子なく、疑問を続けた。

「でも、よ。でも、夜って必要ないと思わない? 私だってお月さまの輝かしさには生命の神秘に迫る何かがあることは承知しているんだけどさ、でもでも草花の芽吹く昼こそやっぱり美しく神聖なものと思うわけ、分かってくれるかな?」

「夜が不要だったら昼仕事の僕たちはいつ休めばいいのでしょうかね、四六時中仕事だなんて困りものですよ、ああ、なるほど確かにその観点から考えれば非常に興味深いです。ただ僕個人としましては、夜間学校がなくなるのはいただけないですね」

「だからそうじゃなくてね、もう、ちゃんと聞いて考えてくれないかな? 太陽がもう一つあったらどう、って話なワケ。それで地球を両面から照らすの。どうかなどうかな、きっととても神々(こうごう)しくてきれいなんじゃないかな。ほの輝きたる鮮烈の地球! なんてねなんてね、素敵な響きでしょ、宝石の名前にありそうじゃない?」

 どうだと言わんばかりに持論を披露されたが、口ばかりではなく手を動かしてもらいたい。仕事の逃避に無駄口を叩かれては、顛末として僕のところにお鉢が回ってくるのだからとてもまともに相手をする気力は湧いてこない。

 この工場は大手メーカーS社の下請けであるわけだが、工場勤務であればどこも人手不足なようで、試験も面接も特別なことは何一つとしてなく、簡単に働き手に選んでもらえた。親会社のS社といえば政界やヤクザと黒い係り合いがあるなどと根も葉もないゴシップを耳にすることが多いが、企業とはえてして大きければ大きいほどマイナスイメージと表裏一体であるものらしく、実際には先ほどのように皮肉を、あろうことか工場レーンのチーフへ向かって添えられるくらい垣根(かきね)のない良い環境であった。そもそもS社自体には、採用試験の筆記試験会場だったために一度行ったきりで、仕事上でかかわることは皆無だった。しかし恵まれた人間関係に対し、仕事自体はなるほど人材不足となるわけで、常に中腰で延々と単純作業を繰り返していると、今にも発狂しそうになってくる。やけに鼻につく油と汗の臭い、薄暗い中で巨大な機械が振動する音に共振する空気、作業服の蒸し暑さ、狂うべく環境が見事に整えられており、慣れるまでは半時間ですら途方もなく長く感じられ、終わりがけはいつも数分ごとに腰を伸ばす始末だった。こんな酷烈な環境だ、ようやく世間は秋を迎えて過酷さが緩和されようとしているが、今年の夏は草木さえうだるような猛暑だったから目の前の女はそれゆえに壊れてしまったのだ、間違いない。

 そもそも昼と夜に厳密な区分けがあるのだろうか。黄昏(たそがれ)時は昼なのか夜なのか、そんな下らないこと昨今では小学生すら頭を掠めないだろう愚問だ。

「その発想はたいへん素晴らしいです。で、どうやって太陽をもう一つ用意するんですか? 通販でもする気ですか、送料がとんでもなくかさばりそうですよね」

「んもう……私は真面目に話しているの、なのにどうしてゆうちーはそんなひねくれた言い方しかしてくれないのかなあ」

 いい加減にしろと頬を膨らせて白い目を向けられたが、そっくりそのまま返してやりたいものだ。どうしてそんな気違いじみた詭弁(きべん)に付き合わされた揚句に仕事を増やされなくてはならないのだ、世の中に無数と存在する理不尽の一つとして大々的に取り上げてもらう必要がありそうだ。

 白い目を向け返してやるも、女音は一向に口を閉じるつもりはないらしい。

「だってね、そうじゃないかな? 太陽が二つあれば世界中が昼で、暖かいし暮らし易くなると思わない?」

「先輩はもうちょっと夜行性の動物の生活を考えてあげるべきじゃないですかね、今もサバンナでは昼夜(ちゆうや)生き残りをかけた弱肉強食の関係が繰り広げられているわけですよ、食物連鎖を止める権限は一個の人間になどとてもありませんよね?」

「……ゆうちーってつくづく面白くない人間よね、他人の意見を否定ばっかしする人は嫌われるよ? ゆうちーだってあら探しばかりする人とは付き合いたくないでしょ。それに男の子がロマンの一つも持たないなんて、品性を疑っちゃうんだから! 朝まで一緒に熱いロマンを語らいましょうよ」

「夜は学校があるので無理ですね」

「もう……おねーさんは情けないんだから」

 先に言っておくと、僕の方が年上だ。現在高校二年生であるが、突飛な思考やいい加減な態度から推察するに、実年齢こそ知らないがこの女は中学生だと思う。僕の肩まで届かぬ背丈をはじめとする風貌はもちろん、とりわけ頭の点で確信している。俗に言う厨二病という単語がここまで見事に当てはまるのだから間違いなかろう。実際に中学生が働いているわけなど無いが、そう思って割り切っているのだ。だからトンチンカンなことも言うし、僕が面倒をみる羽目にもなっているのだ。相手が子供だと思えば仕方ないかと多少の諦めもつく。

 返答するのも面倒になって黙っていると、そんな無言を一方的に反省ととったのか、女音は再び持論を自慢げに話し出す。

「それでね、そう。だからさ、作ればいいと思わない?」

「……は?」

 思わず作業の手を止めて、女音に向き直った。

 相手は馬鹿だけに風邪をひいて熱があるわけではなさそうだし、別段おかしなところは見当たらない、いつも通りのふざけた調子いい面が覗けた。いや、つまりはいつもおかしいのではないだろうか、きっと常時風邪をひいているのだ。それゆえ脳細胞が壊死(えし)してしまったのだ、そうに違いない。考えながら僕こそ風邪をひいたわけではあるまいに、女音と話をしているといつももよおす頭痛が一段と強くなるのを感じて顔をしかめた。

「作るって……何をですか?」

「太陽を作るに決まってるじゃない、ゆうちーって本当人の話聞かないんだから」

「そうじゃなくて、そもそも女音先輩は太陽がどんなだと思っているんですか!」

 こいつは真正の馬鹿、しかも超がつくほど特大の馬鹿だ。常人の考えでない、しかも会話が成立しない、どれだけ性質が悪いのだと。いや、突飛な言葉を吐き出す愚弄(ぐろう)さは今に始まった事ではない。少し前にも「曇りの日に海が灰色にならないのはどうしてかな?」などと意味の分からぬ質問を投げかけてきた。僕がさも興味なさそうに適当に返答をしていると、次第に怒りだし、最終的に僕に相手されないと分かったなら随分と気落ちしながらも諦めた様子だったが、なるほど、また新しい企画を思いついたらしい。

 いい加減見当はずれの話には疲れてきた。真剣な目とともに質問を投げかけてやると、女音は頭を回転させる素振りで、自信薄に発言をした。

「あの、太陽といったら炎でしょ、ぷ、ぷろ、プロムネンスが弧を描いている図くらいゆうちーも見たことあるでしょうに、小学生でも知ってるわよ」

「太陽の炎っていうのは何を燃やしているか分かります? 物質は個体でも気体でも燃えたらエネルギーを消費するんですよ、なのにエネルギーが無尽蔵なそれをどうやって作るって言うんですかもっとちゃんとものを考えてから発言してください」

「だったらあれよ、あれ、そう、電気よ電気、蛍光灯とか触るとすっごく熱いんだから、あれを応用すればばっちりじゃない? すごく明るくて熱いんだからピッタリじゃん」

「だから、その電力ってのはどこから得るんですか、熱エネルギーってのはとんでもなく燃費が悪いんですよ? ドライヤーってすごく音が大きいじゃないですか、あれは電気エネルギーを熱エネルギーに変換する効率が悪いから生じるそうなんですから」

「時代はエネルギーの組み合わせよ、えーと、そうそう、ハイバリットじゃないかしら」

 まったく、工場に勤めているとこんな用語ばかり達者になって困る。

「結局はハイブリッドにしても、複数のエネルギーを合わせているだけですから変わらず何らかのエネルギーが必要なわけで……本当に他の原動力も駆使してその頭の回転力をもうちょっとでいいんで上げてください、ロマンなんて原動力だけで物事を考えられては正直迷惑です」

 言いきってやると、女音はしょんぼりと今にも泣き出しそうに目を潤ませて口をへの字にし、渋々といった様子で仕事に着手し始めた。

 それを横目で確認しながら僕も仕事へと力を入れ直す。プロミネンスとハイブリッドだと用語の誤りを訂正するタイミングは外してしまったが、ちゃんと反省はしたようで、以後は特に無駄なおしゃべりをすることなく、その日は意外にもいい感じで仕事を終えた。

 そうだ、今から思えばどうしてこの時にもっと入念にこの馬鹿を注意しなかったのだろうか、そればかりが悔やまれる。簡単に引き下がらない天邪鬼(あまのじやく)な彼女の性格を知っていながらそこに釘を刺さなかった自分が哀れで愚かで仕方ない。結局彼女の厄介事はすべて自分に回ってくるのだから。

 そう、この話だって例外ではない。この時にしっかりと話のとどめを刺しておきさえすれば、後にあんな大きな事件に巻き込まれることもなかっただろうというのに……天邪鬼だなんて表現ではまだ生温い、疫病神(やくびようがみ)そのものだ。

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