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オトメと木星  作者: 等野過去
11/13

「悠斗くん、ちょっといいかな?」

 最近は特筆するような進展がないも、夜間学校における愛梨さんとの会話のほとんどは太陽を作る計画に終始した。といっても僕たちにできることなど高々知れており、その上で他人に聞かれてもいけないものだからと常に二人で教室の隅を陣取って隠れるように会話をしている。共通点の秘密を手に入れたことで、改めて従来のような睦まじい会話を取り戻しつつあった。その共通点というのが太陽を作るという馬鹿げた計画である点だけがどうにも()に落ちなかったが、背に腹は変えられない。僕こそいつまでもぐじぐじと文句を垂れてばかりいてもいけない。

 周囲では最近の僕たちの関係について、あらぬ噂がまことしやかに(ささや)かれていることも承知しているが、当の愛梨さんは気が付いていながらも、よほど僕の事など歯牙(しが)にもかけていないのか、別段意識する素振りはなかった。いつもと変わらぬしとやかな立ち居振る舞いで、心の底から楽しそうに会話をしてくれる。僕だって一度諦めてしまった手前、噂話を取り立てて否定したり、もったいぶってみせることもせずに知らぬ存ぜぬを貫いていた。

 もっとも、その上で嬉しい噂であったことは言うまでもないだろうが。こうも未練がましく思っているようでは、まったく我ながら女々(めめ)しい。

「どう、天文博士の勧誘は、やっぱり難しそう?」

「うん……。あれからずっと打診は続けているんだけれど、中々良い言葉は返ってこないの。正直なところ、あまりに空想染みた計画だから、誘いに応じられないのは当然とは思うんだけど……でも残念」

「そっか……」

 天文博士とは、愛梨さんが声かけしてくれている天文学のプロフェッショナルのことだ。合流することが未定の内は、その名を伏せておきたいと希望するものだから、便宜上このように呼んでいる。黙られるとなると余計に気になってしまい、実は若くて凛々(りり)しいカリスマ研究者だったりするのでは……などといらぬ気を揉んでいるのは僕の中だけでの話だ。

 愛梨さんが協力してくれると誓ってくれ、天文博士に声をかけると言ってくれてから今日で一週間が経とうとしていたが、どうにも進捗は望めそうになかった。しかし愛梨さんの言う通り、こんな夢見物語、高校生たちが妄想の世界で勝手にやってくれと思うのが普通の反応であり、僕が博士であったなら問答無用に門前払いをしてみせたことだろう。櫻井名誉教授の初対面での対応がよい例だ。

 それにしても愛梨さんは相当この計画に乗り気であるのか、はてまた尊敬するべき博士を協力者にしたくて仕方ないのか知らないが、諦めるつもりはさっぱりなさそうだ。

「悠斗くんの方はどうかな、早河教授はいかが?」

「先日に櫻井名誉教授と初めて顔合わせしたそうで、同じカルストン博士の研究者という事で馬が合ったそうだよ。櫻井名誉教授は小難しい人だから、二人きりで上手く話ができるだろうかなんて心配していたけど、杞憂(きゆう)だったみたい。専門的な話をしたことで、良いヒントが貰えたって言っていたかな」

「やっぱり共通点ってあるといいんだ。これはカルストン博士に大感謝しないと」

 こうして僕と愛梨さんの仲も修復してくれたのだから、共通点もといカルストン博士には感謝してもしきれないだろう。振られてしまったとはいえ、簡単に割り切れるものではなく、愛梨さんとの会話はまだまだ至福のひと時には違いないのだから。

 なんにしても、いよいよ早河教授と櫻井名誉教授は会合を済ませ、太陽計画に向けて意気投合したそうだ。

 とりあえずエネルギーや球状云々についての問題は専門家たちに任せることとなり、目下僕たちが進展させられる項目というと、畢竟(ひつきよう)するに愛梨さん推薦の天文博士頼りになるのだ。

「うーん、声をかけてみると悪い反応はしないんだけど、やっぱり渋っちゃうみたいで……でも諦めずに頑張って声かけを繰り返すからもうちょっと待っていて。あと、私が天文博士を誘おうとしていることは、ちゃんと櫻井名誉教授には内緒にしててね?」

「うん、早河教授にも念を押しておいたから大丈夫」

「櫻井名誉教授って、話を聞く分にはちょっと気難しそうだから……ちゃんと結果を出したら堂々紹介してやるんだから」

 言って気合を入れているが、正直なところ天文博士については期待できないと考えていた。乗り気でない人を無理に引き入れることは僕自身がそうだった手前したくなかったし、仮に介入するとなれば、いくつもの否定意見を撒き散らされるのは目に見えている。無論もともとが異常に非現実的で幼稚な計画だから必然であるが。

 もっとも女音を除き、本当にこの計画が完成するなどと考えている人は教授たちを含めてもいないだろう。ただ、皆で協力して何らかの結果、成果をあげたいという想いが強い結束力を維持しているのが現状だ。

「もうちょっとだけ、時間をもらえないかな。きっと説き伏せてみせるから! 悠斗くんの方も、何か進展あったら絶対に教えてね。仲間外れなんてされた日には、きっとすねちゃうんだから」

「ご心配なく、いの一番に報告するよ」

 女音に負けじとやる気を出す愛梨さんにたじろぎながらも、口元を引き締めて意気込む表情がまた新たな一面であって、心配事など霧散霧消させてしまうのだ。


 待つしかないもどかしき状況ではあったが、先に吉報(きつぽう)を届けてくれたのは早河教授の方だった。

 早河教授が櫻井名誉教授と会ってから状況報告を聞きたいと常々思いながらも、失敗の報告が尾を引いているためにこちらからは連絡し難く、いかんせん僕たち自身がこれといって何ができるわけでもないからこそ余計に引け目を感じて二の足を踏み、ひたすら待たざるを得なかった。

 そんなところに突然鳴り響いた携帯電話、仕事中だったにもかかわらず僕は慌てて電話に出た。

「はい、はい」

「悠斗くんかい、日中は工場だったよね、仕事中すまない! でもすぐにも知らせようと思ってね、恥ずかしながら我慢できなかったよ。例の研究の成果だが、櫻井名誉教授の補助もあって、シミュレーション上で三メートルの壁を超えることに成功したのだよ! まだまだ特筆するほどの進歩とは言えないかも知れないが、かなり錯誤して成果は想像以上に理想的なんだよ」

 どれだけの試行錯誤があったか知れないが、真っ先に報告をしたくなるほどに大きな進展だったに違いない。待つだけの僕にとってはただ成果報告を聞くだけに過ぎず、あっけなく思う気持ちに並行してじわじわと感謝と嬉しさが体中を満たしていった。

「しかもカルストンの原理について調べていると、櫻井名誉教授と共通する部分も多々出てきてね、私たちが思う以上にカルストンの原理は洗練されており、君たちが考える以上に研究は順調に進んでいるよ。話の流れで実際に小型太陽を形成してみようということにもなってね。仮想シミュレーションばかりに気を取られ、後で実験との齟齬(そご)に気付いたのでは始めからやり直しになりかねないし、一度実践しておくべきという見解は櫻井さんも同じでね。おそらくゴルフボール程度の大きさを形成するのが関の山だろうがね。そこで、一度改めて皆で揃わないだろうか?」

 僕が口を挟む隙を与えず、興奮冷め止まぬ教授は一息に要件を言い連ねた。僕は要件の一つ一つを咀嚼(そしやく)しながら、ゆっくりと言葉を返す。

「進展があったようでなによりです、まずはおめでとうございますと言わせてください。そしてさっそく報告を頂きまして、本当にありがとうございます。もしまた櫻井名誉教授と会われるのでしたら、実験の邪魔はしませんのでぜひ呼んでいただきたいです」

 口に出してから改めて実験をするという事が現実味を帯び、小型の太陽が本当に作られるのだと思うと遅まきながら心臓が大きく脈動しだす。あわよくば実験そのものを見せてもらえないだろうかと思いつつも、何もしていない手前、差し出がましいかと言葉にはできなかった。

 引き続き進展状況について、専門用語を並べながら息を弾ませて話す早河教授の歓喜を阻害せぬよう、僕は言葉を失いながら耳だけを傾ける受け身の姿勢で、適度に相槌をうっていた。

「それで、天文博士の方はどうなんだい? もし候補者が協力的もしくは少しでも興味を持ってくれているのなら、この機会にぜひ一度同席したいと思ってね。研究成果も含めて話がしたいんだよ。といっても、まだまだ初歩の初歩だ、特に実用になると話は全く別物になってくる。宇宙には我々の知らぬエネルギーやファクタが無数とはしっているもので、どこまで理論が通用するのか、依然問題は山積みだからね」

 そういえばニュートリノだか宇宙に存在する粒子の検出だかなんだかでノーベル賞を授与された研究者がいた気がする。なるほど、未だもって検出すら出来ない、存在自体が証明できない様々な要素が宇宙中にはひしめき合っているのだ。それらの解明や考察はとても一分野の学では適わず、逆に物理学ないしエネルギー学の分野と天文学的な分野の専門家が揃うとなれば、そちらの方がよっぽど多面的に宇宙空間を捉えることができるだろう。考えればそれもまたものすごいことであり、もしかすると本当に太陽が作れてしまうのではないだろうかと錯覚してしまうほどだ。

「まぁ前述通り、予定している適用実験ではまだまだゴルフボール大程度だが、それでも実践できたとあれば大きな一歩は踏み出すことができるはずだ。これ以降は大きさを僅かに変えるだけで極端に性質が揺れ動くのでね、その特性に合わせて逐次(ちくじ)微調整して、制御法則の発見が最優先事項となりそうだ。これから先どれだけ時間を必要とするか分からないが、何にしてもまずはこの成果を喜びたいよ。せっかくだしどうだろうか、来るのならぜひ一度、小型太陽を拝むかい?」

「いいんですか? もし見せてもらえるのでしたら、それはもうぜひ」

 密かに望みながらも、重大な実験に同席など無理だと半ば諦め、ついぞ言い出せなかった欲求を逆に向こうから提案されれば、二つ返事で頷いた。

 小型太陽を拝む、聞いただけで胸の躍る話だ。今まで太陽を『作れるかもしれない』だった希望が、『作れるに違いない』に変わってしまう、それはちょっとした恐怖でもあった。世界の禁忌に触れるような背徳感に打ち震え、背筋をいくつもの汗が伝った。自然だの神だのと、人類史上において人間風情が抗えぬ物の一つである、太陽。

 小型版とはいえ、それを実際に作りあげ、この目で拝むことができるのだ。

「実験の日は私の研究所を一日空けるから、日付だけ先に決めてしまおう。仕事の都合もあるだろうし、日曜日が一番都合をつけ易いだろうか? 私としても休日の方が研究室を完全に貸し切れるから助かる」

「分かりました、この日曜日に必ず伺いますので、よろしくお願いします。早速女音先輩と愛梨さんに連絡します!」

 今まで現実味もなく、ぼんやりと脳裏にだけ存在していた太陽というものが、いよいよそのベールを脱ぐのだ。僕たちの前に、仮想とはいえ、姿を表わすのだ。

 武者震いのように気持ちが落ち着かず、携帯の通話終了ボタンを押すことすらままならない。僕は嬉しさをかみ殺して深呼吸をすると、高鳴る胸を抑え込み、腕の震えを落ち着けようと努めた。冷静を保とうとする心とは裏腹に、体は早く喜びを共有したいと愛梨さんに連絡したくてひたすらに(うず)いていた。


 当日までは実に気が気でなかった。いつもの何気ない生活の中、突然喚起された刺激的な誘惑に女音は勿論(もちろん)、僕や愛梨さんまでもが魅了されてしまい、終日(ひねもす)そのことしか考えていられず、生きてきた中で最も長い一日を幾度と越え、ずっと訪れないのではないかとまで思った日曜をとうとう迎えた。

 太陽の射光が冬に移りゆく特有の乾いた空気を鮮やかに照らしつける中、愛梨さんと女音と一緒に大学へ赴き、早河教授と顔を合わせるとそのまま大学キャンパスを奥へ奥へと誘導され、自分の位置が把握できなくなった頃にようやく目的の建物に到着したようで、裏口らしき塗装が剥げて錆びた鉄の扉を開けると手招きされた。重量のある小さな扉は大きな軋みをあげており、現実ではないどこかへと(いざな)われるようだ、

 中に入るとすぐさま階段を上り、二階の静かな廊下を足音を鳴らしながらまっすぐに歩いたなら、突き当ったところに両開きの巨大なドアが立ちふさがった。早河教授はその片方を重そうに押し開けながら、僕たちを部屋の中へと促す。

「いらっしゃい、薄汚いところで悪いけどね」

 案内された先はだだっ広い空間であり、端には何に使うのかも分からぬドラム型の鉄塊――これでも精一杯の表現で、僕にはとてもこれ以上的確に言い表わせそうにはない――がどっしりと安置されており、機械の正面には円形の指針がいくつも取り付けられていて、何を通すのか知れぬ管が片手で掴める程度の小さなハンドルからいくつも生え出ている。外装はメッキが剥げてところどころ褐色がむき出しとなっており、錆ついた六角のボルトでコンクリートの地面に厳しく固定されている。本当に何に使うものだろうかさっぱり想像もつかない。周囲を見渡せばそんな意味不明な機械ばかりで、各々は獣が唸るような低い音と共に僅かに振動している。それぞれの機械からは何十本もの配線が一絡(ひとから)げにしてニョキリと生えており、無数のコードが地面や壁を縦横無尽に這っている。手作りなのだろう、管の接続場所などテープでぐるぐる巻きにされているような場所が散見された。おそらく他の部位も粗末な補修が施された場所があるのだろう、見ている方が心配になりそうだ。極めつけに分厚いカーテンが締め切られ、かつ光源に乏しく、設備の割にかなり薄暗い空間こそが余計に機械を不気味に演出してみせる。教室ほどもある部屋の広さに対して、電燈があまりに家庭的でお粗末な蛍光灯なのだ。もっともそれが研究室らしい風貌であるといえばそうかもしれないが。

 部屋の中心には大きな柱がそびえ立ち、その奥を見れば櫻井名誉教授が待機しており、僕たちに背中を向けながらパソコンに向かって睨めっこしている。パソコンの画面には、何重もの折れ線グラフが(まば)らにはしっている表が四つも五つも表示されている。僕たちでは見ているだけでも目がチカチカと痛くなるようなものであったが、研究者という人たちにとっては当たり前のもののようで、慣れた手つきでそれぞれのグラフを目まぐるしく入れ替え差し替えしていた。

 櫻井名誉教授は僕たちに気付いているのだろうが、画面に集中しきっているのか、挨拶すらしてくれない。集中している櫻井名誉教授を気遣ってか、代わりに早河教授が僕たちに尋ねた。

「そういえば、愛梨くんの言っていた天文博士は……?」

 早河教授は話題を捻出(ねんしゆつ)しようとそう口にし、直後にしまったと顔が強張ったが、後の祭りだ。櫻井名誉教授は聞き逃せないと椅子をクリンと半周回転させて、ようやくこちらを向いた。

「なんだい、天文博士とは……また一人増えるのかい?」

「あ、始めまして櫻井名誉教授、私は椎名愛梨といいます。実は知り合いに天文学の専門家がいるものですから声かけをさせてもらって……本日は遅れるそうですが、教授方にご挨拶に来ていただけるそうです」

「……」

 あからさまに腑に落ちない顔をしている櫻井名誉教授に、愛梨さんもたじたじだ。櫻井名誉教授も人が悪い、どうしてそう他人が関わることや自分の存在を隠したがるのか、僕たちだって必要以上に人に言いふらすわけがないというのに。ましてや初対面の愛梨さんにそんな不愛想な対応をしなくてもよかろうと思いはしたが、とりわけ他言しないという件については女音の前科があり、とても口に出して指摘できる立場にいないため、押し黙ることしかできなかった。

 いずれにしても、いよいよ五人が揃い踏みとなった。もっとも年端のいかない未成年が三人、初老の教授が二人ではなんともアンバランスで統一感も微塵とない、周囲から見たならこの上なく奇怪な集団だろうが。

「それでそれで名誉教授サマ、ちみこい太陽を早く見せていただきたいです!」

 僕や愛梨さんの興奮とはまた違い、目をキンキラと輝かせながらもうじっとしていられないと女音は跳ねまわって尋ねる始末だ。櫻井名誉教授も目障(めざわ)りだと渋い顔をしながらも、溜息を吐いて観念した。

「それでは早河氏、お披露目(ひろめ)といこうか」

「そうですね、では準備にかかりましょう」

 互いに了承を取り合うと、櫻井名誉教授はパソコンに向かって見たこともない英語のソフトを立ち上げて、よく分からない数値を一つずつ入力していく。早河教授は照明の光度を落とすと、隣にある巨大な機械に向かい、随所に取り付けられたねじを少し回したり、配置場所の水平状態の点検や気温や湿度など状態の確認らしき動作に(ふけ)った。機械というのはまず一メートルはあろう巨大な鉄のボックス――四方には取っ手やボタン、何かを収納するような箇所が無数にあるがこの際説明は省かせてもらう――があり、そこから天井伝いに細いパイプが三本ほど束ねられながら伸びていて、天井を伝って部屋の奥角へ続き、壁の手前で垂れ下がったなら目線の高さあたりで三本のパイプは一本に結合されて、そこから透明なガラスに連結されている。ガラスというのはヒョウタンを中心のくびれで半分にしたように球状にぷっくらと膨らんだもので、パッと見巨大な豆電球が吊り下がっているようだ。透明な材質なのでガラスと早合点したが、近くで確認すると水晶で作られている旨が記載されていた。

 結構な時間を点検及び準備に費やしていたようだが、眺めていてもあっという間のように感じた。それだけ僕たちの心境も、期待とともに緊張と激昂(げつこう)のるつぼと化しているのだ。言葉を放った途端に、この神秘的な緊張をはらんだひと時が霧散してしまうように感じたなら、女音でさえも固唾をのんで見守っていた。

 本当に成功するのだろうか、こうしていざ実現が目の前に迫ると、傍観者にもかかわらず心配がおずおずと顔を覗かせ始める。人は常に悪い方向を想定してしまうように、へそ曲がりにできているようだ。だがもしこの実験で小さな太陽を作り上げることができれば、それは人類における新たな一歩ではないのだろうか。小型であれレプリカの太陽を作り上げることができれば、後々実際に太陽自体を作り上げることも十分に可能ではないだろうか。

 生唾を飲み、息も詰まりそうな緊張感の中、いよいよ準備が整ったのだろうか、早河教授が手を挙げて準備完了の合図をした。

 櫻井名誉教授もそれに対応し、手を上げると同時にパソコンのキーを叩いた。

「反重力、放射線および電磁界の安定状態形成。櫻井さん、固定願います」

「了解」

「および酸素、窒素反応なし。水素とヘリウム、第一段階投入済み。カルストンの原理適用可能空間の形成が完了しました」

 教室は空気の微震と共にこそばゆい程度の重低音を(たけ)るだけであり、宙吊りの水晶も微動だにもせず、一体どれだけの変化が起きているのかと懐疑心を覚えるほどであった。

「これであのぷっくりと膨れたフラスコの中は、疑似的な宇宙空間だ。あとは早河氏の作業に注目していてくれ」

 早河教授は気を抜かずに、真剣に一つ一つ目盛りを確認し、ところどころに表記されている数字を確認している。場所によっては小さなハンドルを回して、微調整を加える。

「櫻井さん、では、お願いします」

「それでは、水素の第二段階注入開始」

 パソコンに向かって値を入力してキーを押したが、鳴り響くノイズの様な音に変化がなければ、相変わらず透明なフラスコ空間に変わった様子もない。そこで名誉教授は双眼鏡を取り出した。

「これであの水晶ガラスの中を見て見てくれ」

 どうやら奥のレンズに黒いフィルタが設けられているらしく、双眼鏡越しに周囲を一瞥しても真っ黒い世界だけで何も見えない。言われた通り水晶ガラスに向けてはみたものの漆黒のままであり、思わず双眼鏡を取り外して確認したがちゃんと水晶ガラスに向かって構えられている。

「真っ暗いままですが……」

「そうだろう、騙したようで済まないが、それでいいんだ。しかしこれから、カルストンの反応が成立したなら、その双眼鏡越しに球状の光が確認できるはずだ。カルストンの原理による人工的なルクソン粒子にのみ反応するから、今見て貰った通り、現状では双眼鏡越しにどこを見ようとも光るものなどありはしないはずだ」

「はい」

「ルクソン粒子は質量が存在しないものだからね、そのように少々特殊な方法を使わなければ、確認が困難なんだ」

 言われても今一つピンとこない。ルクソン粒子というもの自体がどれだけ特殊なものか理解が及ばなかったし、時間が止まるという事象を紹介された後では質量がないという事もどれだけ不可思議なことであるのか、価値観は目盛りを失った定規のように混乱しており、とても正常に働かなかった。

 とりあえず、実験で作るルクソン粒子を確認するすべの一つが、この特殊なフィルタのかかった双眼鏡なのだろう。人類初ともいえる今実験専用のものであるから、それ以外の何に向けたところで暗闇以外が見えるわけがない、という事らしい。

「これに外部から強力な電磁極を当てるんだよ。櫻井さん、水素量諸々問題なし、実験を開始します!」

「こちらも問題なし、頼む」

「では、いきます」

 櫻井名誉教授の声に合わせ、早河教授は最後のスイッチをオンにした。

 瞬間、部屋中に張り巡らされた大小すべての機械が例外なく振動し、ひいては部屋中、空気までが大きく揺らいだように感じた。低く不快な大音が鳴り響き、今にも機械が爆発してしまうのではないだろうかという緊迫感が部屋中を支配した。

 しかしその一方で、水晶ガラスの中には何一つとして変化が見られなかった。失敗なのだろうか、一抹の不安を覚えたその時、櫻井名誉教授が僕の肩を叩き、双眼鏡を指差した。

 双眼鏡を目に当てた瞬間、僕は絶句した。先ほどは真暗であったその世界に、小さな淡黄の球が存在したのだ。大きさはほんのビー玉程度であるが、力強く光が凝縮されていた。真暗な世界にぽつりと輝くそれは蛍のようで、静かでありながら未知の世界へと誘う灯火のごとき幻想的な(きら)めきを放っていた。

 ずっと見入っていたなら、僅かに球は膨れ上がり、黄色はどんどんと白味を帯びていく。片手で握れるくらいになるとすでに色は乳白色に近く、球は光を放射せずに、月のように、静かにぼんやりと黒い世界に鎮座していた。まるで黒い画用紙にボトリと白絵の具を落としたような、立体的な縁取りと厚みを感じさせる、異質な存在感だった。

「……上手くいったね。これが、太陽計画の記念すべき第一歩だよ」

 早河教授の言葉で現実に引き戻され、ふと双眼鏡を外したなら、水晶ガラスの中に僅かに青白く光る球が目視できた。光るというよりも、白い粉が球状に凝縮されているようで、黒い下敷き越しに太陽を見るのとはまた違う、霧を思わせるように半透明でおぼろげなものであった。なるほど、これが話をしていた時間が遅くなるという事なのだろう。きっとあの球状の内部においては、僕たちの現実世界と比べて何百、何千倍でも足りぬほどゆっくりと時が過ぎているのだろう。次第に大きく膨れるにつれ、奥が見透かせそうだった薄い青白さは目が痛く感じるような白となり、ぼやけていた縁は確かな存在感を持って球を形成する。事前に話して貰っていたゴルフボール程度の大きさにもなれば、変化は一見の白さを伴ったクリーム色の状態で完全に停止した。

 光は思っていたほどはっきり明るいものではなく、肉眼でも辛うじて目視できるほどだし、色も完全な純白ではなく若干の青を含むようなものではあったが、それでも球状の光る物体をしっかりと目で捉えることができた。太陽の子供というには存在感が確か過ぎた。これはなんだろうなどと、ここまできてなお獏然とした疑問が浮かび上がるほど見事な出来栄えの疑似太陽が現実に存在していた。

 女音も愛梨さんも目の前に釘付けであり、おそらく同様にこの物質が何であるかなどと考えてしまっているのだろう。それはそうだ、今更ながらに太陽が何かと問うたところで、僕たちはあくまで抽象的な事項の一つとして捕らえていただけで、いざこのように目の前に現れるものではなかったのだから。

 フラスコの中は陽炎(かげろう)が見えているかのように空間が(ゆが)み、歪曲(わいきよく)した世界が広がっていた。好奇心で近付こうとした女音は、早河教授の手によって慌てて抑止させられ、近付くことすら危険であるとたしなめられていた。激しい電磁波が漏れている可能性があり、水晶ガラス内部の温度も飛躍的に上昇中で、長くこの実験を続けるのは危険であるそうだ。

 限られた時間を大切にせねばならない。僕は血の気も引いて呆然としている愛梨さんの肩を叩き、櫻井名誉教授から預かった双眼鏡を手渡すと、彼女は呆としたままそれを目に当てた。

「うわぁ……なにこれ、すごい……神秘的っていうのかな、うん……すごいとしか言えないや……」

 確かにそれは言葉などではとても表現できるものではない、まさに呆れる程の絢爛(けんらん)さだった。生命の不思議であったり、神の存在であったりと、人類が立ち入ることの出来ぬ絶対的な神秘を目の当たりにしているかのような瀟洒で気品溢れる、圧倒的な輝きだった。

 心なしか周囲が暖かくなってきたように感じる。目の前の球が大きくなれば太陽になる、そう言われたならば素直に頷くしかない。

「ねぇあいちー! 私も見たい、双眼鏡貸して!」

「はい、どうぞ」

 女音は意気揚々と双眼鏡を目に当てたなら、寸で静かになり、双眼鏡から視線を逸らせられずに固まっていた。口をパクパクと開け閉めするも言葉が続かず、それでも必死にしわがれた声を繰り出した。

「……おお、これはなんて言うか……うん、すごい……!」

 結局誰も彼も言う事は同じだ、すごい(・・・)としか表現できないのだ。語彙(ごい)や知識の問題ではない、すでに現象は人智を超えているのだから人の作りだした言葉で表現しようとなれば、結局は抽象的でありふれたものに落ち着いてしまわざるを得ないのだ。

 しかし女音は極端なのか、次には何度と双眼鏡を付けたり外したりを繰り返し、幾度と同じ動作で他の場所も見てみたりしていた。

「うわ、本当にどこ見ても真っ暗なのに、その球だけが綺麗に白いの! すごい、すごい!」

「あくまで人工的に作り上げたルクソン粒子にしか反応しないようにできているだけだ。少々手間取りはしたものの、それほど特殊ですごいものじゃない」

「でもこの双眼鏡で見て光るってことは、今まで人類が発見したり作り出したりできなかった、未開の物質の証明になるのよね?」

「そうだな、そう言っても過言ではないだろう」

「じゃあやっぱりすごいすごい。これで新しい発見ができるかもしれないんだから!」

 言いながら双眼鏡を持って部屋から飛び出していった。おそらく本当に人造太陽だけが光るのかと確認に、いや、双眼鏡を通しても見えるものを発見して、太古の人々が作りだしたロマンある物質だなどとのたまいたいのだろう。子供らしい好奇心でどこかへ行ってしまった。

「櫻井名誉教授、すみません……今追いかけて、連れ戻しますので」

「双眼鏡を壊されると堪らないから頼むよ。他に見れるものが存在するわけないのに、双眼鏡を見ながら駆けられては暗闇を走るようなものだ、転ぶなという方が無茶だろう。いずれにしても、この実験こそが私たちの研究の第一歩であり、同時にすべてでもあるんだ。これ以後は天文博士とやらに必要事項のご教授を願いたいのだが……それで、ご本人はいつ頃来るのだろうか?」

「話ではもう来ていてもおかしくない時間なのですが……近くに来たら電話がかかってくるはずですが、鳴りませんのでもう少し時間がかかるかと思います」

「ここ一帯には強力な電磁波が漏れているから携帯電話は圏外だろう、だからかもしれないな。早河氏、もう機械を止めてもらっていいだろうか。それで愛梨くんと言ったか、その天文学の博士についてちょっと聞きたいんだが……」

 櫻井教授に捕まる愛梨さんにすまないと目配せをして、部屋の外へと駆けだした女音を探しに廊下へ出た。一体どこに行ったのか、馬鹿でかい校舎だ、仮に外に出られでもしたなら探し出すことは並大抵では叶わず、随分と骨が折れそうだ。

 しかし心配は杞憂であったか、廊下の角を一つ曲ればそこには女音がいた。先だっての心の急きようが嘘のように我を忘れ、つくねんと立ちすくんで外を眺めていた。

 外――空に燦々(さんさん)と浮かぶ、太陽を。

 僕もつられて細めた目を太陽に向けると、なんとなく今までとは異なる感じがした。自然界のものではなく、まるで人造物のように見えだす。本当にこれを作り上げるのだろうか、こうやって見てみると先ほどのゴルフボール程度の太陽の方が大きく感じるくらいなのだから、またちぐはぐだ。

 しばらく茫然と眺めていたか、はっと我に返ると気を取り直して女音に向いた。

「感慨に浸るのも結構ですけれど、双眼鏡は落とさないでくださいね」

「……ねえゆうちー。少し聞きたいんだけど」

「なんですか?」

 女音が静かに固まっている姿など日頃見慣れておらず、これほど好物のロマンに満ちている現状にも拘らず、興奮すら忘れているというのは一体どういう了見かと、僕は口を閉じて相手の言葉を待った。女音は依然固まったままで、ゆっくりと口を開いた。

「もし……もし、川の始まりはどんなのか気になってね、川をどんどんと上流に上っていって……そこに大きな蛇口があったなら、きっと驚くよね?」

「そりゃあ驚くでしょうね」

 何が言いたいのかさっぱりだった、川の初めに蛇口があるなんて面白い話だし、当然驚くに決まっているが、事実はそうでないのだ。現実に湧き水から始まって川となり海に流れ出ていくのだ。夢物語もいいが、そんな常識に妄想をあてはめられても困る。

 やっと外から顔を逸らせた女音は顔面蒼白で、恐怖におののいた目をしており、双眼鏡を僕の手に掴ませると、指先を太陽へと向けた。

 何が言いたいのか分からない、ただ僕はふと太陽を見て眩しく思い、特段の意味もなく手をかざす程度の意識で双眼鏡を目の前に持ってきた。

 太陽は双眼鏡を通してもなお、白く輝いていた。

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