九
「……ねぇ、悠斗くん」
ただでさえ告白のために隙間風が吹いていたわけであるが、昨日の答えは今までの僕と愛梨さんの仲を決定的に分かつのには十分であった。愛梨さんはできる限り今まで通り接しようとしてくれているのは良く分かるが、それでもどこかぎこちない、ぎくしゃくとした関係へとなり下がってしまったのだ。告白の返答を実際に聞いてしまったために、昨日に輪をかけて他人行儀であり、幼稚園児のママゴトのように不自然さがつきまとう。それでも声をかけてくれるならば蔑ろにはできない、僕も平生を装うように努める。
「愛梨さん、どうしたの?」
「あのね、その……昨日の女音ちゃんだっけ、一緒の仕事だったよね。元気だった?」
「今日は休みだった」
「そっか……」
いけない、どうしてもぶっきらぼうになってしまうのは、否が応にも僕が男であるが故か。振られたというのにまだなお男としての尊厳などを誇示したいがため、無駄な矜持を捨てきれずにいるのだろう。
しかし相手はへこたれない、昨日の女音とのやり取りでも思ったのだが、愛梨さんは意外に強情ではないだろうか。忍耐力があり、互いが理解、納得できるまでしっかりと話を求むのだから僕が素っ気ない対応をすることがいかに情けなく子供っぽい対応であろうか。
「悠斗くん、女音ちゃんのところに一緒に行きましょうよ。……昨日すごく落ち込んでいたみたいだし」
「僕はいいよ、ゴメン。行くなら一人で行って欲しい」
「だったら住所を教えてもらってもいいかな?」
躊躇なく住所を聞き返されると思っておらず、面食らった。強情な上で面倒見がよく、どれだけひどく言われようと彼女側に非がなかろうと、最後まで相手を見捨てられないのだ。そして僕もまた、女々(めめ)しくも愛梨さんが好きで割り切ることができず、そして女音のことを心のほんの片隅で気にしてもいたから、折れるのは結局のところ自分であるしかない。
渋々観念すると、二人して授業が終わり次第、夜道を女音の家へと歩いた。
学校からは徒歩でも五分ほどの近場であるが、夜間学校が終わるともなれば時間は二十一時をゆうに過ぎていた。時節柄、冷え込んで引締った夜の空気にともなう満月の灯りを頼りに、二人何を話すでもなく、ぽつりぽつりと頼りない外灯を伝って夜道を歩いていくと、一棟の寮に到着した。女音の部屋は二階の一番端だ、外から見るとカーテン越しにぼんやりと電気が灯っていた。
「部屋にいるみたい」
インターホンを鳴らすと扉の向こうでバタバタとけたたましい音が漏れてきたが、玄関先でぴたりと静かになり、そのまま少し静寂な時間が続いた。覗き穴で僕を認めて、居留守を決め込もうとでもいうのか。電気を点けながらあれだけ音をたてているのに、その内諦めて去っていくだろうなどとは随分とあざとらしい方法をとられるまでに嫌われたものだ。
「いるんでしょう女音先輩、開けてください」
「……何しに来たのよ」
ドア越しに辛うじて聞こえた声は、不機嫌というにはもってこいの低い声だった。ドアの向こうで頬をパンパンに膨らませている女音が透視できるようだ。
「改めてちゃんと話をするべきだと考えたんです。一度面と面向かって、腹を割って話しましょう。だから開けてもらえませんか?」
「ヤダ。ゆうちー絶対に怒るもん、馬鹿にするもん。私だって傷つくんだから……だから、もうヤダ」
今更になって良心がズキズキと痛みだした。いつも能天気で何があろうとも一日経てば忘れているようなお子様だった女音が、こうして根に持ちながら家に引き籠っているのだ。果ては部屋に入れないときた。
どう話をしたものかと頭を悩ます僕を押しのけて、愛梨さんはドアに寄りかかると、静かに声を出す。
「女音ちゃん、開けてくれないかな? 昨日は本当にごめんなさい、私ったら途中からすごくムキになっちゃって……結局話も中途半端に終わっちゃったよね。だからもし許してくれるなら、改めてちゃんと、お話したいの」
愛梨さんの丁寧さとその物腰の柔らかさ、それは昨日迷惑をかけた張本人である女音ならば良く分かっているだろう。迷惑をかけたというのに、その上で気にかけて家まで足を運んでは、和やかに優しく声を掛けてくれるのだ。僕には取りつく島もなかったというのに、愛梨さんの一言でドアの向こうで頑なに否定していた声はすんと聞こえなくなった。そして返事の変わりにカチリと、鍵の開く音がした。
ゆっくりとドアが開き、中からは不満たらたらの恨めしそうな顔が出てくる。愛梨さんに免じて入れてあげるんだから決して勘違いするな、しかめっ面の語ろうとしているところは良く分かった。
「ありがとう、女音ちゃん」
女音は朝からずっと部屋に籠っていたのだろう、黄色い薄手のパジャマを着たままひょこひょこと歩いていた。髪はいつもにも増して重力を無視して四方八方に跳ねており、爆発直後とでも比喩できそうな髪形は、見るなり寝起きというだけではとても説明のつかないほどのもので、いつもの無雑作なものもクシでとかした上でああなのかもしれないと思わせるほどであった。大きなスカートに首を通しているとでも表現すればいいのか、布一枚のパジャマであり、水泳の着替えで使うバスタオルを彷彿とさせた。加えてくせ毛を覆うフードが付いている点といい雨合羽のようでもあり、どこか赤道近くの国の人々が身に纏っていそうだ。私服のワンピースといい、女音は一枚で完結するような手軽な服装を好み、色々と着込むのを嫌うようだ。
民族衣装を棚引かせる異邦人の後に続き、薄暗い玄関を抜けると、相変わらず簡素な机と棚だけの部屋には先客がいた。
「やあ悠斗くん。そちらの彼女は……初めてお会いするね?」
豊満な頬肉を携えた柔らかい恵比寿顔は他の誰でもない、早河教授だ。すっかりと失念していたが、確かに今日の夜間学校が終わってから女音の家で会う約束になっていた。昨晩の一件でつい吹っ飛んでしまっていた。
愛梨さんは予期せぬ先客に驚いている様子だ。
「はじめまして、N大学理工学部応用化学科気体流動学専攻で教授をしている早河悟です」
聞いた途端、愛梨さんはいつもにもないほどゆっくりと口元を和らげた。これが年上と対面する時の彼女の応対なのだろうか、非常に嬉しそうに見えた。清楚な美しさとはまた違う、大人の女性が見せるような艶めかしげな色香がふわりたちこめた。
「早河教授ですね、はじめまして。悠斗くんのクラスメイトの椎名愛梨といいます」
慎ましやかな挨拶に教授も気を良くしたのか、緊張の色は一気に取り払われた。
しかしこの場に愛梨さんがいることは、とてもまずいのではないだろうか。どう考えても太陽を作るなどという非現実的な発想とは無縁の彼女だ、呆れられるくらいならまだいい、今度こそ本当に関係が決裂してしまう可能性も多分に含んでいる。
僕は咄嗟に立ち上がり、まずこの場の整理に取り掛かった。
「早河教授、ありがとうございます。でもちょっといいですか、すみません。愛梨さん、大切な話があるので今日はすみませんがお引き取りいただいてもいいですか?」
「だったら玄関先で待たせてもらうから、要件が終わったら呼んでもらえるかな」
「いえ、そうもいきませんよ、今日は……また明日、話しましょう」
「悠斗くん、別に私は何をしているのか、何を隠そうとしているのか気にはなれども無暗矢鱈に詮索はしないつもり。でも、今日は話をしに来たの。私は、待つから」
なんという頑固さだ、間髪入れずにいつまでも待つと言い切られてしまう。こうなってはてこでも動かぬことだろう。
僕は半ば諦めながらも、太陽を作る計画についてはとても知られてはならないと、必死にどのようにして撤退させるかと苦悩していたわけだが、続いて口火を切ったのは女音だった。
「いいじゃんゆうちー、ついでにあいちーにも話しちゃえば。その、私はあいちーなら信用できるし」
あろうことか、僕よりも愛梨さんを信頼しているような言い草だ。いや、僕よりも愛梨さんを信頼するのは至って正常な反応であることは認めるが、いざ面と向かって、しかもこれまでずっと手を煩ってきた相手に言われるとなれば、屈辱を通り越して悲哀に打ちのめされてしまい、二の句が継げなかった。
なにがあいちーだ、もう勝手にしてくれ。
愛梨さんに厳しく対応されただけに留まらず、女音の追撃で自暴自棄に拍車がかかり、僕は投げやり気味にお手上げのポーズをとって見せた。
「えーと、それじゃあ聞いてもいいのかな? どうしてN大学の教授さんが、こちらに?」
「あいちー、驚かないで聞いて下さい。そしてこれはここだけの秘密です、絶対、絶対に。実は私たちはですね、ゆうちーを中心として太陽を作ろうとしている同士なんですよ!」
愛梨さんの時間が止まったが、当然だろう。あわよくば被害者面をしようとの目論見も、中心人物に据えられて説明されては絶望的だ。
ああ、明日からより奇怪な目で見られることが確定した。それでももういい、もう諦めた。
「太陽って、え、あの、空にある?」
愛梨さんは必死に女音と考えを共有し合い、賛同しようとしているのだろうが、あまりな発言に面食らったようでタジタジだ。
「空といいますか宇宙といいますか。その太陽ですよ」
「素敵!」
続いて時間が止まったのは、誰でもない僕自身だ。顎が外れんがばかりに口を開け放ち、呆然と馬鹿な顔をしていたに違いない。
「私もすごく天体に興味があってね、それってすごく夢があると思う! え、本当にそんなことができるの? すごい、すごい!」
「だよねだよね、すごく夢とロマンが詰まっているんだから! さすがあいちー、理解ある!」
二人はきゃぴきゃぴと両手を合わせて喜びあっており、完全に置いてきぼりを喰わされた。どんな事態だ、確かに女性は幼少期において星に何がしかの憧憬を抱くものなのだろうが、それにしてもなぜ女音と愛梨さんの感性がこうも合致するのだ、普通に考えれば間違いなく駄目な組み合わせではないのか。絶対に混ざることのない水と油、いや、洗剤の水素系と酸素系の如く混ぜるな危険な二人だろう、違うのか。
「なのにゆうちーったら、こんな計画嫌だっていうの……」
「え、どうして? 教授さん方もお力添えいただけるみたいなのに、勿体ない」
なんだこれは僕が悪いのか、僕が浮世離れしているのか。愛梨さんが女音に合わせているだけだと信じたかったが、どれだけ訝って愛梨さんを目視したところで、まんざらでもなさそうな真剣な表情が崩れることはなかった。今まで最高に理想的な女性であった愛梨さんが途端に理解できなくなった。いや、こういう子供っぽいところもあるからこそ可愛い……などと、女音とは違い茶目っ気のある魅力として新たな補正がかかるのだから不思議なものだ。
「いや、でも、太陽がもう一つあったならどうだろう、生物の生態系とか諸々(もろもろ)が崩れるし、人類が住めなくなる可能性も……」
「そういう可能性も想定して、研究するんじゃない、すごく夢があると思う。太陽が二つになったなら気温がどれだけ上昇して、氷がどれだけ解けて水面が上昇して、絶滅する動植物もいれば、新たに発生する生物がいて……。すごく面白い試みだと思わない? 私はそういった研究、すごく興味がくすぐられちゃうけどな」
「そう言われてみると、そうかもしれない……」
以前に研究することに興味があると言っていたか、完全に押し切られてしまった。まさか愛梨さんが女音側に着くとは……最大にして最悪の誤算だった。
しかし、だ。この研究は完成しないのだ。居心地悪そうにしている早河教授が、おずおずと手を挙げた。
「……盛り上がっているところすまない」
声に反応した二人は揃って早河教授を覗きこんだ。話が良い方向へと転化しようという中、重苦しげな空気を率いているのだからただ事でないのは容易に想像できよう。一時にして盛り上がった場が、再びすんと静まり返った。
僕が部屋に来るまでに、シミュレーションが行き詰った事情を女音に説明済みだと勝手に決め付けていたが、この様子ではまだ話をしていなさそうだ。むしろ早河教授こそ、女音が知らな気な素振りを見せているので、僕が話していなかったのかと驚いたのかもしれない。
教授はバツが悪そうにしながらも、盛り上がっている二人を前に黙り続けられるはずもなく、悲痛の声を絞り出した。
「もう悠斗くんには話させて貰ったんだが……実は、今回の私のシミュレーションは……すまない、失敗に終わったんだ」
「ええ!」
女音の衝撃の受け方は殊にすさまじかった。彼女もまさか教授が失敗しようとは思いもしなかったのだろう、それだけ頼り甲斐があっただけに、早河教授の頓挫は、すなわちこの計画自体の頓挫を示しているように感じられた。
すぐさま愛梨さんがどういう事かと、詳細を尋ねる。
「以前に話した通り、私は気体による球状の構築において、『カルストンの原理』を適応して一つの星の大きさを形成しようと実験したわけだが……これがどう頑張っても三メートルほどの大きさで止まってしまうのだよ。ある境界を越えるとともに、気体の持つエネルギーと自重の相関関係から一定の偏りが生じてしまい、破裂するかのように球状が破綻してしまうんだ。たった一週間で分かるような実験かと問われると何とも返答に窮するが、そもそも水素による実験に限ればこれ以上検討のしようがないというのが現状だ」
「でも、実験なんて何度も失敗を重ねて様々な方法を吟味していくものではないのですか?」
「ああ、それは否定しないが、しかしながら『カルストンの原理』についてはずっと以前に正当性が証明されており、その可能性はゼロでないにしろ極めて低い。そうだ、どれだけ頑張ろうとも一定の水素の球を作るのが限界だったんだ。太陽の大きさなんて夢のまた夢、あっけなく一週間で片が付いてしまったよ」
いざ目の前で失意の念を吐かれたなら、今一度僕自身を悲痛な無力感が包んだ。別に本気で太陽を作れると信じていたわけではないし、太陽を作りたいと願ったわけでもない、それでも一人の研究者がこうして研究の不甲斐なさを吐露したなら、自身の心が抉られるように痛かった。
僕たちとはまた違う、研究者とは誰もが夢とロマンを持って新たな世界を切り開こうとしているのだ。だというのにそこに障害が立ち塞がり、それどころか他人のロマンを崩御せしめたのだから、どう頑張ろうとも落胆の色が隠せないのは必然だ。
「せっかく話が盛り上がっているところなのに……本当にすまない」
「そんな、早河教授、顔を上げてください」
咄嗟の言葉など聞こえないかのように、早河教授はただ「すまない」と同じ言葉ばかりを過剰に繰り返して、僕と女音に向かって頭を下げた。そんなにひどいことをしているとは思えないし、むしろ協力のために自らの時間を割いて全力で研究にあたってくれた教授に僕たちこそが最大限の感謝を捧げるべきだというのに、構わずに頭をひたすらに下げられるのだからこちらこそ教授を計画に加えたことを申し訳なく感じてしまう。
口先だけの情けなどかけられるわけもなく、周囲の空気は重苦しく濃度を増した。
このままではいけないと、初めに口を開いたのは愛梨さんだった。
「あくまで現状において失敗した、というだけで決して確率がゼロというわけではないのですよね? でしたら本当の研究はこれからじゃないのですか?」
教授の意気を再燃させようという気遣いは嬉しいには違いないが、だからといって僕たち一般人風情が研究の何を補助できるというのだ。それこそ太陽の息子ともいえよう木星を肥大させるという、もう一つの手段を検討するならわかるが、その場合では早河教授を切り捨てざるをえない。
僕たちは依然意気消沈気味だったが、愛梨さんはめげることなく言葉を繋いだ。
「そう、私たちではとても教授の研究の助手は務まらないけれど、同じように研究を積み重ねている人がいるなら……きっと手を差し伸べてくれると思うの。失敗だなんて決めつけずに、新たな方法に挑戦していかないと。ねえ女音ちゃん、他に協力してくれる人は誰かいないの?」
「あ……名誉教授サマが」
「おいおい、それは……と、まあいいか」
名誉教授はこの研究をしている事自体は黙ってくれと言っていたが、相変わらず女音の口の軽さときたならない、愛梨さんも女音ではなく僕に聞いてくれでもしたなら黙っていたものを……などと後悔の念に駆られたが、よくよく考えればこのまま計画自体が台無しになろうとしているのだ、そんな事を言っている状況でもないだろう。まずは一度、現状の把握と情報の共有をしてしかるべきだ。
考え直すと、僕も今一度この計画から脱退したいなどという情けない考えを捨て、項垂れる早河教授に向いた。
「先日ですが、櫻井喜太郎という、K大学物理工学部の名誉教授にもご協力を取りつけました」
「そうか、他にもちゃんと協力を依頼していたか……」
研究が駄目になってしまったからだろう、早河教授は非常に憔悴しきった声でゆっくりと語った。教授からすれば研究の失敗により破綻してしまう犠牲者がまた一人増えたのだ。しかしネガティブにばかり考えてもいられない、愛梨さんなど早河教授を気にする様子も見せずに言葉を放つ。
「その櫻井名誉教授は、どんな研究をされているの?」
「えっと、櫻井名誉教授は無限のエネルギーに関する研究をしていて、太陽を作るに当たり必要となる莫大な光エネルギーと熱エネルギーを……なんていうか、賄えるだけの膨大かつ永久的なエネルギーを生成する研究をしているんですよ。えーと、ルクソン粒子でしたか、そういう一般常識にとらわれない粒子を利用して、半永久的なエネルギーを作るという常識外の研究を……ああ、何言っているんだろう」
「ルクソン粒子なんて、聞いたこともないけど……。ねえ、そのルクソン粒子が常識に囚われないというのなら、早河教授の研究に適応することはできないの?」
「あ、そうか!」
その手があった。太陽が水素でできていると聞いてから、水素という状態の固定観念に囚われていたかもしれない。例えば櫻井名誉教授の研究を適用して、水素原子がルクソン粒子としての性質を有する非常状態へ転移することができれば、従来の原理を超えた新しい条件による研究が検討できるのではないだろうか。試みる価値は十分にある。
愛梨さんの妙案を聞くや否や、研究の話となって取り残されていた女音も水を得た魚のように喜びに跳び上がった。早河教授のみが、やはり駄目であると思いきっているのだろう、悄然した顔を持ち上げる気配がない。
「早河教授、どうでしょうか。愛梨さんの言う通り、ぜひ試していただけないでしょうか」
「悠斗くん、せっかくだから一度櫻井名誉教授と早河教授で話をするべきじゃないかしら? 私たちでは物理学なんてとてもとても、斜方投射における最高点を導く公式がいいところだけれど、専門家同士だったらもっともっと有意義になる話ができると思うの。それにいずれはお互いに協力するべきでしょうし、現状における残された問題点を検討する上でも効率的じゃないかな。私たちでは、太陽を作るに差し当って二人の教授の研究で何がどこまで補いあえるのか、さっぱり理解なんて追いつかないし」
テキパキと言葉を紡ぐ愛梨さんの前では、ただ頷くことしかできなかった。今までの僕たちのように手探りしながら行き当たりばったりに進行するのではなく、とうとう全体を仕切れるだけの器量を備え持つ人物がこの計画に加わったのだ。
「うん、うん、さっすがあいちー! そうと決まればさっそくセッティングなんだから。さあゆうちー、名誉教授サマに連絡してちょうだい」
「あー、もう二十二時だし、この時間に電話は……」
「つべこべ言わない!」
好き勝手言ってくれる、そう思いながらも早河教授をもう一度元気にさせるためだと割り切り、携帯電話を持って部屋から出ると櫻川名誉教授の番号を押した。
部屋で電話しても良かったのだが、いかんせん早河教授の研究が頓挫した旨を語る必要がある以上、本人の目の前でその話をすることは憚られた。口を滑らせて今の教授の気力を根こそぎ削いでしまっては元も子もないのだから。
しばらくコール音が鳴り響き、やはり時間帯が悪かったかと諦めようとしたとき、電話口から声が飛び出す。
「悠斗くんだね、どうした?」
「あ、櫻川名誉教授、突然のお電話すみません。今、少しよろしいですか? 忙しければかけ直しますが」
「大丈夫だ、ちょっと人がいるところだったから抜け出てきてね、取るのが遅れてすまない」
やはり僕との会話は聞かれたくないのだ、そんな櫻井名誉教授のことを勝手に語ってしまったことを、今更ながらに強く後悔した。申し訳なく反省はするも、しかしそうばかりも言ってられない、今の早河教授を救えるのは櫻井名誉教授しかいないのだから。
「あの、まずはすみません。実は櫻井名誉教授のことを、協力者に吹聴してしまいまして……。その、不注意で……」
「ああいいよ、期待していなかったし、君が謝ることじゃないだろう。大方もう一人のお嬢ちゃんがうっかり口を滑らせたんじゃないだろうか、手に取るように想像できるさ。話してしまったといっても、協力者のその教授だけだろう?」
「あと、もう一人新しい協力者がいまして……僕の学友なのですが」
「そうかい」
明らかに言葉尻が尖ったのを感じ取り、びくりと震えあがった。難詰の念がたんまりとまぶされており、僕は慌てて事のいきさつを説明した。早河教授が研究のシミュレーションを行ってくれていたこと、それが失敗に終わってしまったこと。そしてそこに櫻井名誉教授から協力の手を差し伸べて欲しいこと。もっとも愛梨さんについてはどう説明したら良いものか悩みあぐね、結局は多少脚色した上で天文学に興味があり、頭脳明晰な点を挙げて無理やり説明を完結させた。少しでも印象を良くするために、今回の櫻井名誉教授に手を借りることに至ったアイデアはすべて愛梨さんの発想によるものだと付け足した。
「ですから、一度お時間ありましたらどうか早河教授にお会いして頂けませんでしょうか?」
「……構わないよ。この前渡した名刺にメールアドレスが書いてあっただろう、そのアドレスに都合のつく日付を送って欲しいと早河氏に伝えておいてくれ」
「分かりました」
出だしから名誉教授の存在を他言した旨を述べたのがまずかったか、終始機嫌を悪くされていたようで、用件だけ伝えたなら愛想もなく電話を切られてしまった。多分学生か他の教授と大切な話の最中だったのだ、だから急いで電話を切りたかったのだと自分に暗示をかけながら、それでも早河教授と会う事を了承してくれたことに感謝をして女音の部屋へと戻った。
部屋に戻ると三人は元気に話をしており、早河教授も若干とはいえ失敗の気落ちから立ち直ったようだ。それもそうだろう、女音は随分と有頂天で早河教授に絡んでいるものだから、教授のようにできた人であれば、とても暗欝な顔をし続けてなどいられまい。
僕が部屋に入る頃には諸々の話し合いも一段落していた。
「おかえりなさい、ゆうちー。名誉教授サマはどうだったの?」
「協力してくれるそうですよ。早河教授、これから示しますアドレスに今後の予定をメールして頂けますか? 互いの都合のつく日に、ぜひ一度お会いしましょう、とのことです」
「承知した、わざわざすまないね。この借りは研究で返せるよう、全力で挑むつもりだよ」
「心強いです」
随分と元気が出ているようだ、これなら安心だと、ほっと一息ついた。
……いや、息をつく間もなく女音が袖を引っ張って、いやに嬉しそうにしている。頬を真っ赤に染めて、何かを報告したくて仕方のない顔つきだ。
「んふふー、それでね、ゆうちー。もう一人良い人が見つかりそうなの」
「もう一人? って、この計画についてまだ人を誘い入れるんですか?」
「もう、まだまだ足りないじゃないのよ。それでね、一番大事な宇宙ないし惑星についてよく知っている人、必要じゃない? あくまで早河教授や名誉教授サマは物理学とか、何かそんな感じの研究者じゃない。全体を取りまとめられる、宇宙の専門家、しかも本格的に太陽について研究している人が必要だと思うのよ」
「ほう、それはもっともですね」
きっと愛梨さんの受け売りだろうと思いながら、話の腰を折らぬよう頷いて見せた。
「それであいちーが、心当たりがあるんだって!」
「まーた僕のいないところでどんどんと話を進めて……」
「ごめん悠斗くん、私が声かけてみたの。悠斗くんの返事を聞くまであくまで予定に過ぎない話だけれど、私が宇宙とか天体に興味があるって話したわよね? 私が興味を持つようになった理由っていうのが、知り合いの博士が学会で天文学について発表しているのを聞いたことがきっかけなの。とりあえず世界的な宇宙開発に携わる人で、なんでも世界に認可された組織で活動しているとか言っていたけど詳しくは知らないかな……とりあえず知識は本物。顔見知りだから、もしよければ専門的な見地から意見だけでも貰えないかなって、声をかけてみようと思うんだけど……どうかな?」
「もちろん断る道理はないわよね、ゆうちー」
愛梨さんは協力したくて仕方ないという感じだし、女音も随分と乗り気だ。なによりも宇宙についての専門家が必要という事は常々感じていた、これにより計画は俄然現実味を帯びるし、次にどういったことに着手していけばいいのか、その進行方向がはっきりとするだけでも非常に助かる。
僕も腹を括った、ここまで来たなら一蓮托生だ。
「異論なし。愛梨さん、お願いするよ。協力と言わず、本当に助言だけでもいいから、専門家がいると助かるんだ。ぜひとも声かけをしてもらえないかな。そして女音先輩、生意気な事言ってしまってすみませんでした。もう覚悟を決めました、ここまで来たならやれるだけやってやろうじゃないですか、太陽を絶対に作ってやろうじゃないですか!」
観念して言ったなら、女音は口端をだらしなく緩めて、袖にギュッと抱きついてきた。
「やた、そうこなくっちゃ、だからゆうちー大好き!」
「ああもう、くっつかないでください!」
「んふふー」
早河教授と愛梨さんの微笑ましげな目線が痛い。しかし今だけは仕方ないか。
僕は気持ち新たに、太陽を作る一歩を踏み出したのだ。




