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外つ夜の調べ  作者: アウレア
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闇夜の月

 闇夜の底より仄昏く、死も時も追えぬ、地底の国。その中央に位置する一際美しい宮殿の玉座の間で、一柱の神と一人の人間が対峙していた。


「おお、人間よ。わざわざこのような地の底まで、ご苦労な事だ。して、如何なる用向きかな?」


 地の底の国の女王にして、陽の当たらぬ全てを統べしもの。夜天の公主にして、あらゆる美と芸術の保護者たる神は、人間の住まう地上からは程遠い、この地の底への客人を歓迎していた。もっとも客人のほうはとても歓待など受ける気にならぬ様子であるが。


「我が妻、エイランティア・ラドヴァリエを返してもらおう、女王よ!」


 陽神の加護を受けし勇者、地上にあって並ぶ者なく、大地を荒らした悪龍を幾匹も屠った男は、初めて対峙する真の神に臆することなく要求した。


「エイランティア。ああ、彼女か。だが、彼女は今世一の詩人。叙事詩や英雄譚にかけては我が国でも五指に入る技量であろう。何故返さねばならぬのだ? あれはもはや我が民、我が物。人間も地上の澱みに臥せるより、我が下にて永遠を知る方が良かろう? 何故地上に戻さねばならぬ?」


 神は言った。そしておもむろに玉座から立ち上がると、どこからか杖を取り出して、そっと床を叩いた。すると、玉座の間にどこかの風景が浮かび上がる。そこには机に向かって筆を執る女の姿があった。


「エイランティア!」

「見よ、彼女のこのひたむきな美しさを。我がために今、一作書いているところなのだ。あれが終えれば次を。それも終えればその次を。そしてその次を。まだまだ我が無聊を慰めてもらわねばならぬ。地上に戻す気などないぞ? そなたはどうする?」


 この国に住む人間は皆、神の無聊を慰めるために絵画や音楽、詩を生み出し続けるのである。


「女王よ。貴方は確かに偉大な神なのだろう。貴方はいついかなる時も、この地を訪れた英雄に、悪人に、魔術師に、過酷な試練とその褒美を与えた。此度も試練を与えよ! そして我が妻を褒美として要求する!」


 男の言い分に神は微かに笑うと上機嫌になって言う。


「面白い。人が神に試練を要求するなど何たる不遜、何たる傲慢! だがそれこそ、人の人たる所以。彼方の方に無限の可能性を持って作られし、定命たる汝ら人間のみに許された特権よ! なればこそ試練を与えよう、人よ、可能性の子よ。これなるは我が影、我が写身、水面(みなも)に映る(げん)(げつ)なり。我が愚弟の加護を受けし使徒よ、その力を見せてみよ!」


 神はその身を二つに分けた。二つの体は等しく闇夜の外套を身に纏い、背丈は三メートル程もある。骨のように細く長い白の手に、蒼茫に輝く指輪が嵌められ、片手で杖をついていた。一つは玉座に座り、もう一つは前へ出る。


「汝ら人の、眩き死の輝きが、刹那に瞬く無常の生が、意味ある生死が、我を魅了し狂わせるのだ。剣を構えよ、足掻け、そして朽ち果てよ、人間!」


 神は無為自然なるままに力を解放し、男の前に立ちはだかった。ただそこにあるというだけで、地上を荒らした悪龍の全てを足し合わせても足りぬほどの重圧と恐怖とが撒き散らされる。男は堪らず膝をつきそうになるのを耐え、咄嗟に腰に差した剣を抜く。


「我が主! 我が神よ! 我、主の威を以てここに絶対の正義を示さん! 光の王に勝利を捧げん!」


 男が抜いた剣がこの陽の差さぬ地底にあって太陽のごとく輝く。男の体もまた、たちまち光に包まれ、全身に力が漲った。必ず相手と同等以上の力を得られるという、陽神の勝利の加護だ。だが、相手が神の影では分が悪いらしく、男には八割ほどまでしか迫れていないように感じた。


「ほう、これは珍しいものを見た。この地底にあって陽光を浴びようとは。だが、地底に太陽など無用というもの」



――眠れ。



 神の力ある言葉が地底に響き渡った。男の身を包んでいた太陽の輝きは闇夜の眠りに掻き消え、全身から力が抜ける。

 男が愕然とする隙を神が逃すはずもなく、虚空に溶けるように消えては男の背後へと現れ、手に持っていた杖で首を一突きした。完全に貫通しており、男から乾いた呻きが漏れる。


「これが地上なら、そなたは一度死んだぞ。どうした、これで終わりではなかろう。もっと足掻け。立て。望みがそこにあるのだ。それを成し遂げられる可能性がほんの僅かにもあるならば、無限の試行の果てに辿り着くのが人というもの。幾億倒れてなお立ち上がらんとするものが、屈せず起きるその様が、我が渇いた心に火を灯すのだ。さあ、人よ、大言壮語したからにはその可能性、掴み取ってみせよ!」


 神は言う。そして余裕を示すように歩いて元の位置へと戻った。男が受けた傷は致死であったが、この地底はいかなる時もいかなる死も追っては来られぬ不死にして常若の国。故に男もまた死に至ることはなく、その傷を癒やして立ち上がった。全身の傷が癒えているばかりでなく、陽神の加護も復活し、全身を光と力が包む。男は神の強さを己が主より伝え聞いていたが、実際に対峙してそれ以上だと感じていた。だが、今更後には引けない。


「人は何度でも立ち上がる。必ず我が妻を取り返す!」

「そうだ、その意気だ。人の持つ無限の灯火、希望を捨てぬ不屈の闘志。そなたのその志、吹き消してくれようぞ!」


 神と男が再び対峙した。神は、先程の男の力を掻き消した力ある言葉は使わないらしい。男にとっては幸いであった。あれを使われる限り決して勝利することはできないのだから。

 神が再び虚空に消える。今度は男の真横に現れると再びその杖で首筋を狙った。だが光が男を守るように凝集し盾を形成する。男はこれまで何度もこの絶対の自動防衛に守られてきた。男もこれに反応して神の方を向こうとした時――首を背後から刺された。見れば杖の先が光の盾に当たる直前に虚空に消えている。


「そなたは二度死んだ」

 

神は玲瓏たる声で、男の耳元に囁いた。そして杖を首から引き抜くと、また元の位置へと戻る。




 二度仕切り直して三度対峙する。男は守っていてばかりではどうにもならないことを痛感した。たった今自分が絶対の信頼を寄せていた防御がいとも簡単に破られたばかりだ。


「今度はこちらから行くぞ!」


 男はあえて宣言する。そうすればこの神は待ちに徹するだろうという狙いだ。この神は常に挑戦を受ける。故に男の宣言に対してただ待ち構えるのみだ。

 男は呼吸を整え、剣を上段に構える。そしてこの眼前の神を観察した。思えばこれが三度対峙して初めてまともに相手を見たときであった。今まではそのような態勢を整えることもなく殺されている。


 神はまさに天衣無縫の構え。ただそこに自然に立っているだけにも関わらず、あらゆる攻撃に対して反撃できる状態だ。隙などありはしない。ならば自身の最大の一撃を以て守りを崩し、切り札を切るしか無い。


「我が手に輝くは勝利の陽。闇夜を祓う払暁の剣! 主よ、その御霊をここに!」


 剣の光が一層強まる。その輝きと熱は時間とともに増し続け、小太陽と言えるほどだ。この一撃の前に斃れなかったものなどない。だが、神には届くかどうかも怪しいというところか。

 男は神の後背、やや上空に転移した。上からの落下とともに振りかぶりその一撃が神の頭上に落とされる。だが神はいつの間にか振り返り仰ぎ見てこちらを捉え、剣を指先でつまんで受け止めた。圧倒的な力で支えられ、一瞬男は剣に吊られる形になる。男は剣を手放して地に伏せるほどに沈み、神の視線から外れると、懐から黒金の短剣を取り出して正面に突き出した。無論、神はそれも手で掴んで止めた。


 その時であった。無数の黒い式が短剣から黒光とともに溢れ出した。男に理解できぬ無限の魔術式が神の力を吸って動きはじめ、力ある言葉には為せない複雑多岐な約束が、世界に紡がれ始める。神は力を吸われながらも狂気じみた笑みを浮かべそれを見ていた。

 魔術が完了する。世界に新たな約定は紡がれた。


 これこそが男が今回用意した最高の切り札であった。これを作成した魔術協会によれば神々の力を利用し、神々が受ける信仰を一時的に留めることで、信仰を受けなければ消滅する神を一度消滅させ、別の存在として再誕させるという。自らの主をも殺しうる武器であり、男はこれを隠匿すべく、地上にあっては魔術的保護から決して取り出さず、主を含めた天の神々の目の届かぬ地底にあって初めて取り出した。

 その力は十分発揮され、神が放つ圧倒的恐怖と重圧が薄れていく。だが、男は気づいていた。神の力そのものが減少しているわけではないと。なにか別のものに変質しているのだ。これでは聞いていた話とは違う。確かに玉座に座していた神は消えている。だが、目の前の神はあり続け、そしてその顔を手で覆い、何事か思案に耽っているようだ。


「そうか、そうであった。人はここまで来たか。何という快事。そして口惜しや。後少しであった。未だ私を殺すに足りぬか。だが、これで確信した。可能性の寵児、人はいつの日か不可能を可能にする! ククククハハハハハ」



――ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ。



 神は堪えきれぬように高笑いを続けた。それは地底のあらゆるところに響き、地の底のあらゆるものに何事かと感じさせた。男にも全く理解できなかったが、ただ確かなのは神が未だ存在し続けているということだ。


「惜しかったな、人間。私以外の神ならば、そなたらの願いどおり消滅し、別のものになっていたであろうに。ああ、口惜しや口惜しや。私が消えるのはまだ先か。もうじきあの信仰も再び私の下に届こう。これも一時の夢幻か。神が夢を見るなどとは笑える話だ」


 男にはまるで意味が分からなかったが、しかし神には戦意がもはやなさそうであることは見て取れた。

 すると玉座の間の扉が開き、従者らしきものが書簡を携えて入ってきた。男はここで初めて気づいたが、この玉座の間にはあのように戦ったというのに傷一つなかった。


「陛下。エイランティア嬢よりお届けに上がりました」

「どれ、見せてみよ」


 神はエイランティアのもたらした書簡を読んだ。そこにあるのは男をモデルとした英雄譚である。今回は連れ去られた妻を追って、地底の国の神から妻を取り戻す話らしい。だが、その話は未完結で終わっており、最後には「夫の英雄譚を聞かなければ、書くことはできない」と綴られていた。神は笑みを浮かべた。


「全くこれだから人間は。人よ、そなたは私に人間の可能性というものを知らせしめた。永く生きている中で、久方ぶりにこの上なく愉快であった。よって褒美をとらせる。エイランティアとともに地上へ戻るが良い」


 男の前にエイランティアが現れた。


「エイランティア!」

「フィランディル!」


 二人は抱擁し合うとお互いの存在を確かめた。男はついに成し遂げたのである。


「さあ、行け。私の気が変わらぬうちに。エイランティアよ。そなたは地上に出て二日以内に何かを食せ。さすればそなたの体も飢餓と老い、死というものを思い出すであろう。人の世を生きたいなら、ゆめ忘れるな」

「さらばだ、神よ」

「あなたのためだけには書いてあげられないわ、ごめんなさい、寂しいヒト」


 二人は地上へと戻っていった。



「ふん、神をヒト呼ばわりとは、全く」


 神は上機嫌に言う。人の輝きを受けねば光ることもできない神をヒトなどとは。




――人の光が時代の夜を照らし、いつの日かこの私をも灼くだろう。私はここで、人が強く輝くための夜で有り続けようではないか。ああ、人間よ。私に無い、唯一つの光――。


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