第一章 灯火(2)
タキシード姿の紳士は廃工場に足を運んでいた。施設自体全体的に老朽化しており、かつて使われていたと思われる何かしらの機械や台車などが錆びた状態で転がっていた。
なぜ彼がこのような場所にいるかなのだが、それは彼が引き受けることになった間引く対象者達がここによく滞在しているとの情報があったからである。
「男が数人見えますね。あれは間違いなく対象者達ですね」
紳士がそう言うと、彼の右手からまるで色のついたガスのような禍々しいものが現れ、右腕の指先から肘までを覆い隠した。すると、覆い隠した禍々しいものは漆黒に染まった鎧のグローブに変化した。
「おい! なんでこんなところにいるんだテメェ!!」
紳士が見つけた男達の中の一人である金髪男が怒鳴り散らした。どうやらこの男は紳士に気付いたようだった。
「この世界では負け犬ほどよく吠えるものだと聞きましたがね」
「ああん!? なめてんのかテメェ!」
紳士の軽口に金髪男は噛みついた。それを便乗するように周りの男たちが吠えだし、紳士に向かって殴りかかろうとした。
「やれやれ、これだから馬鹿な連中は……」
紳士はため息をつきながらグローブを身に着けた右腕の手のひらを男達に向けるように構えた。すると、手のひらから禍々しいものが直径5センチほどの玉になって数個出現させた。その玉は、男達を目標に一人一個命中させるつもりでまるで誘導弾のように射出した。
禍々しい玉は、男達に全弾命中した。男達は悲鳴をあげる時間さえなくそのまま顔面が吹っ飛び、首から噴水のように血を出しながら倒れた。
「おい! 俺の仲間に何してくれてんだよ!!」
たむろしていた男達の中で唯一残った丸坊主の男が叫びだした。しかし、仲間達が倒れていった光景が焼き付いてしまったのか、立ちすくんで紳士に飛び掛かることができなかった。
「無理しなくてもいいですよ。あなたは対象者じゃないのですから」
紳士がそう言うと同時に紳士の目の前の視界が業火で覆われた。
すると、黒コートの少女が紳士の目の前に現れた。
「おやおや注目の『紅眼の魔術師』じゃありませんかぁ!! あなたに会えて本当に嬉しいなぁ!!」
紳士は今までの丁寧口調が崩れ、興奮気味になって叫んだ。
「でも残念です!! もう私のここでの任務は終わりましたからぁ!! これにて失礼!!」
紳士は右腕のグローブから禍々しいものを出現させ、彼の全身を包んだ。包み切ったと同時に彼はこの工場からマジックのように姿を消した。
「……本当に見逃されたのですか?」
「そうだと思うんすけど……。なんか対象者じゃないとか言われたし、大声で任務終わったとか言ってましたし……」
賢太郎は魔術師による廃工場襲撃事件があった後日、事件で唯一生き残っていた丸坊主の男に彼が通っている高校の生活指導室で職務質問をしていた。丸坊主の男は同じ高校の仲間が殺されてしまったからなのか、元気を失っていた。
「間違いないのですね?」
「はい……。いろいろあってよく分かんないこと多かったっすけど、確かに間違いないっすね……」
その発言を聞き、やはり西村の言う通り殺しをしている魔術師は見逃すことがあるということが賢太郎の中で確信された。賢太郎はもう一つ気になっていた『紅眼の魔術師』について聞いてみることにした。
「分かりました。あと、炎を扱う魔術師は見かけませんでしたか?」
「もしかして噂になってる魔術師のことっすか……? それなら見ました……」
「彼女は何か行動を起こしましたか?」
「なんか炎まき散らして派手に登場してたっすけど、あの子が来た途端に襲ってきた奴がマジックみたいに消えました……。それで興味なくしてあの子も立ち去って……」
丸坊主の男からは彼女の有益な情報を見付けることができなった。
「分かりました。ご協力ありがとうございました」
賢太郎は丸坊主の男と別れた後、警察署に戻り、彼が所属している捜査一課の自席に座った。
「お帰りなさい先輩! 何か手掛かりは見つかりました?」
そう言って出迎えたのは遥香だった。
「どうやら西村さんの言う通り、見逃すこともあるそうだ」
「そうですか……。やはりあのネタはガセだったのでしょうか……」
あのネタというのは魔術師は知能の低い人間のみを殺すというネットから発信された噂のことである。あの廃工場にいた人々も見逃された丸坊主の男を含めて勉強の成績が芳しくなかったことは賢太郎が既に調査済みだ。
西村の言う知能の低い人間だから殺されやすいと言っていたが、それは確定的なものとは思えなかった。
賢太郎はネットの噂を丸々信じ切るつもりはなかったのだが、魔術師による殺害には何か法則性があるとしか考えられなかった。
(仮に知能が低い人間が殺されているというのはほぼ事実なのかもしれない。もしかしたら見逃された人間には何か例外的なものがあるのではないだろうか……)
「どうかしたのですか? いきなり立ち上がって」
「この件についてもう少し調べてみる。もしかすると何か分かるのかもしれない」
賢太郎は警察署から飛び出した。
優未は下校をしていた。彼女はいつも以上に元気がなかった。今日、英語の小テストでお世辞にも良いとは言えない点を取ってしまい、体育でもまたバレーボールの試合でミスばかりをしたのも要因の一つであったのだが、最大の要因は真希に守られてばかりな自分の立場について考え込んでしまったからだ。
優未の視界にある高校が目に入った。校門近くの駐車場にはパトカーが数台止まっていた。昨日起こった魔術師によって廃工場でここの生徒が殺害されたことは今朝のニュースで優未は目にしていた。
私たちが何もしなくてもこの世にいなくなるんだから
優未は目の前の光景を見ていると一週間ほど前にあのチームメンバーが発していた言葉を思い出していた。
チームメンバーが発していた言葉の意味はおそらく優未も魔術師に殺される対象になりかねないことを意味していることは頭のよくない彼女でも理解できていた。
もし魔術師に襲われることになってもアタシが優未を守るよ
その次に真希のハスキーな声で発された言葉を思い出した。優未に何かがあったらいつも真希が励ましてくれていたが、警察でも十分に手が負えないほどの凶悪な存在である魔術師の件に関しては悠長に考えられないと彼女は思った。
「匿うしかできないって言ってたけど、それでも危険だよね……」
高校を通り過ぎ、路地裏に入った優未はそう呟くと彼女の目の前に一人の男が現れた。
男では珍しい長い髪
整ったタキシード姿
漂う高貴なオーラ
彼の見た目は紳士そのものであった。彼を見た優未は緊張で身体が動くことが出来なかった。
「初めまして。私の名前はセシルと申します」
セシルと名乗った紳士は丁寧に自己紹介をした。しかし、その程度では優未の緊張は解けることはなかった。
「しかし残念です。年端もいかない少女をこんな目に遭わせないといけないなんて」
セシルは右手から禍々しいものを発し、指先から肘までを覆い、グローブを作った。
そう、彼は昨日廃工場で大量殺人をした魔術師本人だったのだ。
固まっている場合ではないと身体が反応したのか、優未は全速力で逃げた。それを見たセシルはそれを追いかけていた。
優未は走りが苦手で運動会の競走でもビリになることの方が多いくらいというものだった。しかし、セシルは優未になかなか追いついていない状態にある。否、追いつこうとせずに追いかけるという行為を楽しんでいる。
「鬼ごっこですかぁ!? 子供らしい遊びですねぇ!!」
セシルは廃工場で『紅眼の魔術師』に出くわしたように興奮気味な口調で優未に弄ぶように語りかけた。
優未はがむしゃらに路地裏を走って逃げている。進行方向や行き先などは優未は頭から抜け落ちてしまっている。ただ、逃げなければならないというその思いが頭の中を蹂躙して走っている。
セシルはそれを舐めるように眺めながら、全速とは言えないスピードで追いかけている。
優未は必死に走り続けていたのだが、ついに道につまづいて転んでしまった。
「おやおやもうそろそろ鬼ごっこもおしまいですかぁ!? じゃああの世への片道切符でも贈りましょうかねぇ!!」
セシルのグローブの手のひらから禍々しいものを放出し、直径40センチの大きな玉を作った。
「これでさよならですねぇ!!」
優未はこの禍々しいもので最期を迎える運命だと実感した。
(真希ちゃんとの約束、守れなかったな……)
その時、優未とセシルの間に業火が割って入った。まるでセシルの攻撃を阻むように。
漆黒の長髪。
深紅の瞳。
瞳と同じ色をした剣。
『紅眼の魔術師』がそこにいた。
「おやおやまた会いましたねぇ!? 私とあなたの間に運命の赤い糸で結ばれてるかもしれませんねぇ!!」
「その禍々しいもの、お前は『闇』の魔術師か」
彼女はセシルの小言を無視してセシルに剣先を向けた。
「ああそうさ!! これが私の最高傑作だぁ!!」
「まあそんなことはどうでもいいか……。とっとと消え去れ」
優未は彼女、『紅眼の魔術師』を初対面の人とは思えなかった。
彼女の見た目は長髪で口調は冷静で淡々としていて、『あの人』とはかけ離れていた。
しかし、彼女のハスキーな声を聞いて優未は気付いた。
「もしかして、真希ちゃん?」