第四章 闇路(3)
アリスは買い出しに行っていた。
「買いたいものは、これで全部ですわね」
荷物を抱えたアリスは、武雄の家の元へ行こうとしている。
しかし、彼女はある光景を見た。
「ねえ、お姉ちゃん! 今暇? 暇なら俺と遊ばない?」
「あの、困ります……」
目にした光景は、25歳前後くらいの見た目の女性をナンパする二十歳前後の男性といった構図だ。
女性は、肩までかかったブロンドカラーの髪をしていて、ワンピースを着ている。ワンピースといっても、アリスのように、フリルが付いておらず、グレー基調のシンプルなもので、その上に紺の上着を重ね着がプラスされているといった清楚なものだ。
一方男性の方は金髪ショートヘアーで、服装は黄色のTシャツに赤のスカジャン、その下にジーンズといった、女性とは真逆で、お世辞にも上品なイメージが持てないビジュアルになっている。
「困るって今一人じゃん? 一人より二人の方がきっと楽しいって!」
「だから困ります……」
金髪スカジャンは、ブロンドワンピースが嫌がっているにも関わらず、しつこくナンパを続けている。
「まったく、こんなステレオタイプなナンパをこの目で見るなんてね……」
アリスはそのまま、男女を無視して通り過ぎようと考えていたが、金髪スカジャンの行為があまりにも目に障ったのか、その男女のやり取りをしている方へ足を向ける。
「あの、この人が嫌がっているの分かりませんの?」
「なんだお前!? 人が神聖なプロポーズをしてるって時に」
「これが神聖なプロポーズ!? 片腹痛いですわ!」
「なんだとコラァ!」
金髪スカジャンはアリスに右ストレートで殴りかかる。
しかしアリスは、それを避け、殴りかかった右腕を掴み、そのまま彼の背中まで捻って関節技を決める。
「イダダダッ……! 痛いってもう許してっ……」
「だったら二度と彼女に近づかないでくださいまし!」
金髪スカジャンは、アリスの関節技から解放された後、今までの威勢が嘘だったかのように即座に逃げ出した。
(魔術学校で、しっかりと護身術を学んでおいて正解でしたわね。あー! でもそこで、あのフレアに負けたことを思い出してモヤモヤしますわ!)
アリスはここで、『紅眼の魔術師』と呼ばれていた彼女を思い出し、頭をぐしゃぐしゃしていると、ブロンドワンピースがアリスに近づく。
「あの、ありがとうございます。 本当に助かりました」
彼女は大人しめな口調で、アリスに声をかけた。
「例なんていりませんわよ。わたくしは、あの殿方が不快に感じただけですので」
「いえいえ、それだと私の気が済みません。お礼させてください」
「だからわたくしは……」
アリスは断ろうとしたが、ブロンドワンピースが真剣にアリスの方を凝視している様子を見て、どうも退くようには見られないように感じさせられた。
「……わたくしの負けですわ。お言葉に甘えさせてもらいますわ」
お礼として、、ブロンドワンピースはアリスを、カフェに連れていった。その店は有名なチェーン店ではなく、それよりもモダンチックな内装で、挽かれるコーヒーの香りが、アリスにはとても高貴に感じ取られた。
「私、どうしてもここに行きたかったんです。折角だからえっと……」
「氷室アリスですわ。アリスでいいですわ」
「じゃあアリスさんで。アリスさんもここに連れて行こうと思ったんです。ここのコーヒーはとても美味しいのですよ」
あっ、私の名前は相藤 純子と申します、と彼女は名乗る。
「ちなみに、ここのブレンドコーヒーがおすすめなのですよ。もちろん私の奢りで構いません」
「ではいただきますわ、相藤さん」
「純子さんでいいわよ」
アリスは奢られることに申し訳なさを感じていたが、彼女は退く様子を感じられなかったため、素直に受け入れた。
アリスの了承を終えた純子は、オーダーをするために店員を呼んだ。
店員にオーダーすることを終えると、アリスの方へ顔を向ける。
「そういえば、あの時の身のこなしはかっこよかったですね。感激してしまいました」
率直に褒められたアリスは、恥ずかしくなって照れだす。彼女は、自身の顔の体温が上がっていることを感知し、ああ、これは顔が赤くなるってやつですわね、と実感する。
「いえ、それほどではありませんわ。オホホホ……」
アリスは照れを隠すように、笑ってごまかす。
「あの護身術みたいなのは、どこで学んだのですか?」
「それは……」
アリスは口を澱んだ。魔術学校にいたときに学んだという、アンブランクの世界の出来事を話すわけには行かないと、彼女は思ったからだ。
「い、従弟がそういうものに詳しくて、彼に教えてもらいましたわ……」
「従弟ですか。頼もしい人なんですね」
「まあ、そうですわね……。オホホホ……」
アリスはこの場を乗り切れたことに安堵した。
「最近は、かなり物騒になりましたね……。魔術師って呼ばれている人も出てきたりして」
「そうですわね……。外に出るのが怖くて仕方ありませんわね」
アリスは、自分がその魔術師を討伐していることを隠し、嘘をつく。
「でも最近、警察にAMTって呼ばれる対策班が出来て、警戒してくれているみたいですね」
「AMT……」
アリスはその組織に対して、いい思い出がなかった。彼らの初任務らしき日には、アリスまで命を狙われ、そのことに快く思わなかった彼女は別の日に、あらかじめトラップを仕掛け、AMTのスナイパーを無力化する行動を取ったりをし、AMTとアリスは、お世辞にも良好な関係を築けていないのが現状だ。
「あの……、しましたか?」
「そうね、彼らがいると少し安心して外に出られるかもですわね……」
とはいえ、アリスが放ったこの言葉は、本心ではないが完全に嘘ではない。その組織によって、人を襲うアンブランク(純子にとって『魔術師』と呼ばれるが)、『クリーナー』を討伐を行おうとする姿勢はとてもありがたいことだと考えている。後は、闇雲に敵を殺そうとする姿勢と、と優未たちに対する誤解を解くことが出来れば、文句はないというのがアリスの考えだ。
(まあ、そこまでのことを簡単に出来れば、こんなに苦労しませんわね……)
アリスはそう思い悩んでいると、店員が二人にコーヒーを差し出してきた。
アリスは、コーヒーカップがそのまま二つ運ばれるのかと思ったが、実際はそうではなかった。
「ここのコーヒー、サイフォンと一緒に運ばれてくるのですよ」
純子の言う通り、運ばれたのはサイフォンに入ったコーヒーとコーヒーカップだった。
純子は、サイフォンの中のコーヒーをカップに移し、そのカップを砂糖やミルクを入れずに、自分の口に移す。
「やっぱり美味しいわね、ここのコーヒー」
アリスは純子がしたように、カップにコーヒーを移し、コーヒーを飲む。
アリスの口の中では、豆の風味があたり一面に広がった。まるで彼女の口の中で、一つの世界が創造されているようだった。彼女は、ブランクの世界の缶コーヒーは飲んだことがあるが、それの比ではなかった。
「……美味しいですわね」
「よかったです……。もし口に合わなかったらお礼になりませんものね」
「こんなコーヒー、生まれて初めて飲みましたわ」
「ここのコーヒーはですね……」
純子は、コーヒーの話を延々と続けた。今飲んでいるコーヒーの話、他にはどのようなコーヒーがあるのか、同じコーヒー豆でも挽き方で風味が変わるといった話をした。
ただ、彼女がする話はとても長く、話が終わるころには二人のコーヒーはすでに飲み終わっていた。
「あっ、ごめんなさい! うっかり話過ぎちゃいました! くどくなかったですか?」
純子は、今までの落ち着いた話し方が崩れ、あたふたする。
「いえいえ、とてもためになる話を聞きましたわ」
アリスの言葉はお世辞ではなかった。こうしてブランクの文化をこうして聞くことは貴重な機会だと感じ、少なくともコーヒーが出される前にした、嘘偽りをしないといけなかった話よりは心地よかった。
「それならよかったです……」
「とても貴重な時間でしたわ。感謝しますわ」
「いえいえ、お礼になってよかったです。先ほども言ったとおりにここは私が払いますね」
「ごちそうさまでしたわ」
「あっ、そうだった。一つだけ質問いいですか?」
「なんですの?」
純子は一層真剣な表情になり、次の言葉を発した。
「アリスさんはここの人間のことが好きですか?」