第二話
翌日。
カシャッ、カシャカシャッ!
「……うん、こんなもんかな。じゃあ終わりにしよう」
お父さんが撮影の終了を宣言する。
「お父さん、悠太、お疲れ~」
お姉ちゃんがねぎらいの言葉をかける。
「やた~っ、お駄賃の時間だ~!」
と、おれがわざとらしく言うと、お父さんが苦笑いしながら千円くれた。
コットンデニムのワンピースにレースアップシューズ、そしてダテメガネにふわふわロングのウィッグにカチューシャといった出立ちのおれは、それを受け取るとポケットに突っ込んだ。
恰好がおかしいだろうって? いやいや、おかしくないよ。まぁ、男子がする格好じゃないかもしれないけどな。
ここはお母さんが趣味で(?)やっているお店の2階にある事務所兼倉庫の一角だ。壁に白いカーテンを掛けて簡易スタジオの様になっていて、お店のホームページに掲載する商品の撮影をしている。
お父さんは早速画像のチェックを始めた。撮影は、写真が趣味のお父さんの担当だ。しかし、本職は大手電機メーカー系のIT企業に勤めるサラリーマンなので撮影は休日限定。そしてもちろんホームページ作成もお父さんの仕事。
そこでレフ板を持ってニヨニヨしているのは今年高校に進学したばかりのお姉ちゃん。名前は「あいり」。元気系腐女子。背は低い。まあ、姉弟だから当然か。姉弟そろって背が低いのはきっと遺伝だ。なにしろお母さんの身長も百五十センチを切っている。お姉ちゃんはおれのコーディネート担当でもある。そして夕方や学校が休みの日には店番をして小遣いを稼いでいる。
お母さんは一階にあるお店「コットンテール」で店番をしているはずだ。このお店はイギリス大好きなお母さんが始めたお店で、お母さんがイギリスから直輸入した商品を売っている。正直、儲かってなさそうだ。商品はオートミールから高級磁器まで一貫性がない。お店の壁一面にはうさぎのキャラクターが描かれてて、商品にもうさぎのキャラクター関連の物が多い。でも、メイン商品は店の売場の半分以上を占めている衣料品だ。衣料品といってもレディースとガールズだけで、メンズとボーイズは置いていない。そこで、ガールズの衣料品紹介の写真は、おれがモデルになって撮るわけだ。もちろんさっきもらったお駄賃は、そのモデル料だ。おれがモデルになることを提案したのは、享楽的で「面白ければ何でもアリ」なお姉ちゃんだ。もしかしたら自分がモデルをやりたくなかっただけかも知れない。
「悠太っ! 今日も可愛かったよっ!」
とお姉ちゃんが抱き着いてきた。あ、やっぱ面白がってるだけだな……。
「やめてよ暑苦しい!」
おれはガラガラと窓を開けた。
窓を開けると、お店が面しているクレアロード商店街を見下ろせる。そうしたら見覚えのある人影が、ちょうど「コットンテール」の前を通り過ぎるのが見えた。地味なサックスの長袖パーカーにジーンズ、そしてスニーカー。一見、男子の様にも見えるが、あのシルエットに歩き方は、古谷だ。
古谷は男子に対してはあの有様だが、女子に対しては当然愛想は悪くない。ならば、この格好で古谷に会ったらどんな反応をするのだろうか? いやいや、こんな格好で人前に出るなんてありえねー、なんてことを考えながら、おれはぼんやりと古谷の後姿を見ていた。
すると、古谷の正面から歩いてきた高校生くらいのチャラそうな金髪男が、いきなり古谷の右手を掴むのが見えた。ん、あの古谷に男の知り合いがいるのか? なんて思ったのもつかの間、様子がおかしい。古谷は明かに嫌がっている。商店街にはそれなりに人通りがあるものの、ささいなトラブルの仲裁を買って出ようという酔狂な人間はいないようだった。
とっさにおれは、
「ちょっと出かけてくる!」
と言うと、階段に向かって駆け出した。
「え、その格好で!?」
お姉ちゃんが目を丸くしている。
「後で返すから!」
お姉ちゃんが言いたかったのはそういうことじゃないよな、とか思いながら階段を駆け降りて、お店から商店街に飛び出した。すぐに古谷と金髪男が見えてきた。古谷は路地裏に連れ込まれそうな雰囲気だ。
おれは古谷の近くまで駆け寄り、叫んだ。
「おまわりさーん! こっちですぅー!」
すごく古典的な方法だ。古典的なだけに効果覿面だった。
「ちっ」
金髪男は舌打ちしておれを睨み付けた後、おれが来た方向とは逆方面に逃げて行った。あ、意外とチキンだった。
古谷の顔は蒼白で、膝がガクガク震えているのがわかった。おれが声をかけられずにいると、
「あ……ありがとう……ございます」
と気力を振り絞るような声で、古谷に礼を言われた。
「ああ、いいよ。……いや、よくないな。そうだ、警察! 警察に行こうか」
おれはしどろもどろになって提案した。
「え、警察は……いいです。ちょっと驚いただけですから……」
ホントかよ。でもまぁ、本人がそう言うならいいか。
「そう? じゃあ、ちょっと休んでいこうか? 歩ける?」
おれが右手を差し出しすと、古谷は、
「はい。大丈夫です」
と言って、左手を差し出してきた。ナチュラルに手をつないでしまった。
いつもの調子とあまりにも違う古谷の態度に戸惑いながらも、正体がバレていない様子に安堵するおれ。とりあえず男っぽい仕草にならないよう気を使いながら、近くにあったマッキントッシュハンバーガー、通称マッキンまで歩く。自動ドアをくぐり抜けて階段を上ると、古谷を壁側の席に座らせた。
「何か買ってくるから待っててね」
「はい……」
古谷はうつむいたままだった。
おれはもらったばかりのお駄賃でマッキンシェイクSサイズのバニラとストロベリーを買うと、席に戻った。
「お待たせ。マッキンシェイクのバニラとストロベリー、どっちがいい?」
「じゃあ、ストロベリーを……」
「はい、どうぞ」
古谷の前にマッキンシェイクを置くと、おれは向かいの席に座る。
「ありがとう」
小さく礼を言って、古谷は微笑んだ。
あれ? 古谷ってこんなキャラだったっけ?
「いや、いいよ」
「あ、お金、払います」
「いや、いいってば。そんなことより、ホントに大丈夫?」
おれが古谷の心配をする日が来るとは夢にも思わなかったけど、さすがにこの状況で「ざまぁ」とか思えるほどの人非人ではなかったと言うことかな。
古谷はシェイクを一口飲むと、
「もう大丈夫です。本当に有難うございました」
と言って再び笑顔を見せた。そして、
「あの……、よろしければお名前、伺ってもいいですか?」
「え……」
そりゃそうだよな。古谷はおれが変装してるなんて気付いていないんだから。でも、ここで正体をばらしてはいけないような気がした。ていうか、女装癖があるなんて思われたら来週から学校に行けない。
「お……あたしは……、ゆう……り」
とっさに適当な名前を言ってしまった。
「あ、わたしは古谷しおんです。先に自己紹介するべきでしたね、すみません……」
「あ、いや、別にいいよ」
「あの、ゆうりちゃんって呼んでもいいですか?」
「え、あ、もちろん、いいよ?」
戸惑いながら答えると、
「じゃあ、わたしのことも名前で呼んだください」
「え……じゃあ、しおんちゃん、よろしくね?」
「こちらこそ」
そして古谷は今日一番の笑顔を見せた。おれが知る限り、女子にだって見せたことがないような笑顔。何か可愛いな、とか思って見とれてしまった。
「で、どう? 怪我とか、してない?」
「それはないです」
「しおんちゃん、可愛いんだから防犯ブザーはちゃんと持ち歩いた方がいいよ?」
「そうですね。あ、そうって言ったのは可愛い、の方じゃなくて防犯ブザーの方で……」
古谷が顔を赤くしながら言う。ホントに可愛い。学校でもこんなだったらとっつきやすいのに。
「あはは。別にそこ、否定しなくてもいいじゃない」
「いえ、わたしなんて……。ゆうりちゃんの方が可愛いし、しかもかっこいいですよ」
「いやいや、それこそあたしなんて……」
でも、可愛いのはともかく、かっこいいのはうれしいかも。
「ふふっ。ゆうりちゃんも否定してるじゃないですか」
「え、だって……」
やばい。それ以上言えない。と思ったら古谷が話題を変えてきた。
「わたしが最近読んだ本で、戦国時代の女の子が城主になる小説があったんですけど」
「うん」
「ゆうりちゃんって、その主人公の女の子のイメージにピッタリです」
「あ、それ聞いたことあるかも? こんどドラマになるやつ?」
「そうそう、それです」
「へえ、じゃあ見てみようかな?」
それから、ドラマの話とか漫画の話で、ちょっと盛り上がった。おれはもちろんドラマや少女漫画にたいして興味はなかったけど、お姉ちゃんの趣味で一緒に見ていたから、それなりに知識はあった。
そして小一時間たったころ、そろそろ帰ろうということになった。
「しおんちゃんの家、近いの? 送っていくよ?」
「え、それじゃあゆうりちゃんが帰り一人になっちゃいますよ?」
「あたしはへいき! こう見えても空手やってたんだ!」
一応、本当のことだ。近所のスポーツクラブで、もうやめちゃったけど。
「すごいなあ。じゃあ、お願いしてもいいですか?」
そしておれたちは手をつないでマッキンを出た。商店街から住宅街に入り、歩くこと約十分、二階建てのアパートの前に出た。
「わたしの家、ここなので、今日はありがとうございました」
と言って古谷は頭をペコリと下げた。
なんか遠回りをしてきたような気もするけど、そういえば古谷が転校してきたのは半年くらい前だったから、そもそも裏通りは知らないのかも知れない。
「じゃ、気をつけてね」
と言って帰ろうとすると、
「あのっ!」
と呼び止められた。
「どうしたの?」
「あの、また会ってもらえませんか?」
「え」
一瞬困った顔をしてしまったようだ。
「あ、ご迷惑ですよね。ごめんなさい……」
見る見るシュンとした顔になっていく古谷。
「ううん、迷惑なんかじゃないよ? ちょっと予定があったから! 来週のこどもの日は空いてるから、どうかな?」
いや、予定なんて無いんだけどね?
「もちろん空いてます!」
パッと表情に明るさがもどる。
「じゃあ、午後一時ごろに……どこか行きたいトコ、ある?」
「いえ……実はこの辺りに何があるのかよく分からなくて」
「そか、じゃあ図書館集合にしよう。このあたりのこと、教えてあげるよ」
「こどもの日の午後一時、図書館集合ですね? 楽しみにしています!」
うれしそうにそう言うと、古谷はアパートの方に小走りで去っていった。そして見えなくなる直前にこちらを振り返り、大きく手を振った。
それから一人で家に向かって歩いていると、急にこの格好が恥ずかしくなってきた。やべー、友達に見られたらどうしよう。
トボトボと帰宅し、店舗と反対の裏通り側にある自宅の玄関をあけた。すると「ただいま」も言わないうちに、奥からバタバタとお母さんとお姉ちゃんが駆けつけてきた。
「なに、さっきの子、お友達?」
「女の子助けたんでしょ? ちょっと話きかせなさいよ!」
ああ、見られてたのか。そりゃ、そうだよな。お店の目と鼻の先だもの。その日の夕食は針の筵だった。