第十九話
「ごめん! そういうコトだから!」
ドアノブを回してドアを開けたところで、しおんに肩を掴まれた。
「待って。ドコ行くの?」
「ドコって……」
振り向くと、しおんは真っすぐおれを見ていた。
「さっき、あの後あったこと話すって言ったじゃない。上がって?」
「え? いいの?」
予想外の反応だ。絶対怒られると思ったのに。
「何で?」
「何でって……しおんは男子嫌いみたいだし……」
「……ああ、うん。そうね。出来ればウィッグ付けてもらえると嬉しいかな」
「あ、ごめん」
あたしはウィッグをかぶりなおした。
そして居間に通されたあたしは座布団に座る。しおんはあたしの右斜め前に座った。しおんを見ると、まだドキドキしてしまう。
「ゆうりちゃん、さっき『しおん』って呼んでくれたよね?」
「あ、ごめんね。呼び捨てにしちゃった? なんかあたしって『悠太』のときと『ゆうり』のときでキャラが違っちゃうみたいで……気持ち悪いよね……」
そんなに意識はしてないけど、お姉ちゃんには『悠太』と『ゆうり』は別キャラとか言われている。もちろん『ゆうり』のときには男の子っぽくならないようにはしてるけど……我ながらちょっとキモいと思う。
「え? それって、演技じゃないの?」
「それ?」
「うん、そのしゃべり方とか、女の子座りとか」
あたしは自分の足元を見た。正座の足を少し開いて、お尻を座布団にペタンとつけた、いわゆる女の子座り。言われてみれば『悠太』だったら胡座かもしれない。
「全然意識してなかった」
「よかった」
何故かしおんはほっとしたように微笑んだ。
「何が?」
「だって、ゆうりちゃんは演技でした、なんて言われたらちょっと悲しい」
「そか……そだよね」
「でも、わたしのことはさっきみたいに『しおん』って呼んで欲しい」
「え? なんで?」
「なんか、ちゃん付けだと、よそよそしいって言うか……」
「じゃあ、あたしのことも呼び捨てで」
「それはイヤ」
「は?」
「ゆうりちゃんの『ちゃん』は、尊敬の表現だから外せないの」
「はぁ? まだ尊敬とか言ってたの!?」
そういえば、最初のころは恩人とか言ってた気がするな。
「だって、ゆうりちゃんはわたしを救ってくれたし」
「ああ、元兄から?」
「それだけじゃないの」
「他に何かあったっけ?」
「ゆうりちゃんはね、わたしが去年兄に襲われてからずっと苛まれていた離人感からわたしを救ってくれたの。わたしと世界を隔てていたヴェールを、ゆうりちゃんだけが破ってくれたの」
「そんな、あたし何もしてないよ」
「ゆうりちゃんはそんなつもり無かったかもしれないけど、わたしにとってはそうなの」
「いや、買いかぶりすぎだってば」
あたしは思わず両手を振って否定する。
「だから、ゆうりちゃんが芳野君だったのは、その、ちょっと驚いたけど……」
「ちょっと?」
「……すごく驚いたけど、そんなことはどうでもいいの。わたしにとって、ゆうりちゃんはゆうりちゃんなの!」
「しおん……」
そのとき、突然インターホンが「ピンポーン」と鳴った。
「あ、ママが帰ってきたみたい」
「え? お母さん!?」
「うん、ママもゆうりちゃんにお礼とお詫びがしたいから、パート早く上がるって」
そう言いながら、しおんは玄関のドアを開けに行く。
「ええ? いいよ。そんなこと!」
とは言っても、この状況で逃場なんてない。でも正体ばらしたばかりなのに、今度はお母さんに会ってとか、急展開すぎる!
すぐにしおんが戻ってくると、続いてしおんママが居間に入ってきた。あたしはあわてて立ち上がり、自己紹介をした。
「はじめまして! 吉田ゆうりです! 古谷さんにはいつもお世話になっています!」
なんか変なテンションになっちゃった。本名は言わなくてもいいよね?
「いらっしゃい。しおんの母です。聞いていたとおり、しっかりしてるわね。それに比べてしおんたらお茶も出さないで……」
しおんママはテーブルの上を一瞥して言った。
「あ、いえ! おかまいなく!」
「ふふっ。そんなにかしこまらないで? 紅茶とコーヒー、どちらが好き?」
ええ? ここで断ったら失礼だよね?
「紅茶がいいです」
「今からお湯わかすから、ちょっと待っててね」
そう言ってしおんママはダイニングキッチンに消えた。
あたしはしおんに小声で聞く。
「しおん、お母さんにあたしのことどう説明したの? あたし、しっかりなんてしてないよ?」
しおんも小声で返す。
「しっかりしてるよ。ママにはゆうりちゃんってすごい子だよって説明してるよ?」
しおんは何故かドヤ顔で言う。あたしは目まいがした。
しばらくして、しおんママがトレイに紅茶とモンブランを持ってきた。
「どうぞ」
あたしの前に置かれる紅茶とモンブラン。
「ありがとうございます」
改めてしおんママを見ると、うちのお母さんより若くて美人に見える。心なしかしおんに似てる。しおんも男っぽい恰好をしなければ、たぶん美人なのに。
お茶を配り終えたしおんママは、テーブルを挟んであたしの正面に座った。
「遠慮しないで食べて?」
「はい、いただきます」
紅茶に添えられているのは3gのスティックシュガー。あたしはそれを紅茶に入れると、ティースプーンでかき混ぜた。そして、紅茶を一口飲んだところでしおんママと目が合った。
「どうかしら」
どうと言われても。
「アールグレイですね。美味しいです」
うちはお母さんが紅茶好きでよく飲むから、アールグレイのフレーバーは分かる。でも、あたしにとって美味しい紅茶とは甘い紅茶、美味しくない紅茶とは甘くない紅茶だ。正直言うと、もっと砂糖が欲しかった。
「あら、よく知ってるのね。しおんのお友達とは思えないわ」
「ほっといて」
しおんがちょっと拗ねたように言った。
「しおん、ゆうりちゃんにどこまで話したの?」
「まだ何も」
「そう。ゆうりちゃん、しおんと義孝の間にあったことは、聞いてるのよね?」
「義孝っていうのは兄の名前ね」
しおんがフォローを入れる。
「うかがってます」
「ごめんなさいね。お友達に話すような内容じゃないのに」
「いえ、しおんが一人で背負うには重い話だと思います。あたしに打ち明けてくれたことで、少しでも気持ちが軽くなってくれれば嬉しいです」
なんかお姉ちゃんの受け売りみたいなこと言っちゃった。
「しおんからすごいとは聞いていたけど、ゆうりちゃんは本当に大人なのね。じゃあおばさんもちゃんと話すわね」
はあ? ハードル上げすぎだよ、しおん!
「先月突然おばさんのパート先にしおんが来てね、泣きながら『家で友達がお兄ちゃんに襲われてる』とか言うのよ? もうびっくりしてパートを早退させてもらって帰ってきたら、家の中に義孝が裸で倒れててね。すぐに救急車を呼んで、別れた夫のところにも電話したわ」
「あのとき、ゆうりちゃんはどうしたの?」
しおんが割り込んで聞いてくる。
「ごめん。そのまま帰っちゃった」
「ううん、無事ならいいの」
「ほんとにね。ゆうりちゃん、もう危ないことしないでね?」
「はい。すみません」
言われなくたってもうやらないよ、あんなこと。
「結局救急車が来る前に義孝は目を覚ましたんだけどね。あの子ったら、ずっと『男の子にやられた』って言ってたの。女の子にやられたとは言えなかったのね」
あたしはしおんを見た。しおんはポーカーフェイスで紅茶を飲んでいる。
「そう……なんですか」
あたしは作り笑いをして言った。
「そのあと念のため救急車で病院に行ってね、そこに別れた夫も駆けつけたんだけど。義孝は結局、後頭部のタンコブだけでMRIにも異常がなかったからその日のうちに返されたの」
「わたしは病院には行かなかったんだけどね」
と、しおん。それは、しおんはあの元兄のそばには行きたくないだろう。
「そして帰ってきてからしおんに事情を聞いてね、それを別れた夫にも電話で伝えたの。それで警察に行くかどうか考えたんだけどね、しおんが警察はイヤだというから行ってないの。ゆうりちゃんもそれでよかった?」
「はい。それでいいです」
あたしも警察で事情聴取とか、ちょっとパスしたい。
「それから何日かたってから、うちに丸刈りになった義孝と別れた夫が来て、二人で土下座して謝ってたわ。二度とやらないってね。そのとき前に義孝が撮ったしおんの写真もスマホから削除してもらったから、もう大丈夫だと思うけど」
「そのあと、わたしもすごく怒られた」
しおんが気まずそうに言う。
「当たり前でしょ! そんなことになってるならまず親に相談しなさい! あなたのためにお友達が危険な目に遭ったのよ?」
「もう何回も聞きました」
しおんは涙目だ。
「その節は、ゆうりちゃん、本当にごめんなさいね」
「いえ、あたし、大したことしてないし」
「でも、しおんはゆうりちゃんに会うようになってから本当に明るくなって。実はおばさん、最初はしおんが架空の友達を作ったのかと思ったのよ?」
「へ?」
「ここに引っ越してきてからのしおんは精神的に不安定でね。お友達もぜんぜん出来なかったのに、急にすごいお友達が出来ちゃって」
「ちょっとママ、余計なこと言わないでよ!」
「あら、いいじゃない。ゆうりちゃん、ずっとしおんのお友達でいてあげてね?」
「あたしなんかで良ければ、もちろん……」
ほんと、あたしでいいの?
「ママ、もういいでしょ? ゆうりちゃん、あたしの部屋行こ?」
あたしはそのまましおんの部屋に連行された。
しおんの部屋はベッドと学習机、そして本棚とワードローブに囲まれている。この前来た時には気付かなかったけど、学習机の上には誕生日プレゼントの写真立てが飾ってあった。ちょっと嬉しい。
「あ、ベッドに座ってもらえる?」
しおんは自分の椅子に座るのかと思ったら、あたしのすぐ横に座った。
「ごめんね、ゆうりちゃん。わたしのママ、おしゃべりで」
「いいお母さんじゃない」
「まあね。でも、わたし、またママにもゆうりちゃんにも迷惑かけちゃった」
「迷惑かけてもいいって言ったでしょ」
「わたしって、ほんとにダメな子だなあ」
「そんなことないよ! あたしだって……ほら、こんな格好して誤解させちゃったし」
「そういえば、ゆうりちゃんは何で女の子の格好してたの? 趣味?」
「趣味じゃないよ! うちのお店のホームページ用に、商品紹介の写真を撮っててね、ちょっと悪乗りしちゃった。まあ、ほとんどお姉ちゃんの仕業だけど」
「あ、ゆうりちゃんのお姉さん? またお会いしたいなあ」
「うちにいるからいつでも来てよ」
「ゆうりちゃんの家? ゆうりちゃんの家ってことは、芳野君の家ってことだよね?」
「うん、ほんと、その点についてはどうお詫びすればいいのか……」
「お詫び?」
「うん、ずっとしおんのこと騙していたってことだし、一緒にお泊りしちゃったし……」
「そう、別にいいんだけど……。でも何かお詫びしてくれるなら、一つだけお願いしてもいい?」
「あたしに出来ることなら」
「ゆうりちゃんにしか出来ないよ。あのね、さっきのママの話じゃないけど、わたしもゆうりちゃんって実在しないんじゃないかって思ったこともあったの」
「ある意味、当たってたね」
「茶化さないでよ。それくらい一ケ月待つのが辛かったって言いたいの!」
「ご……ごめん」
「だから、これからはゆうりちゃんに週一回くらいは会いたいな」
しおんの手が、あたしの手に重なる。
「へ?」
「今後はわたしと毎週日曜日、会ってもらえないかな? お願い!」
あたしに拒否権は無かった。
――完――
稚拙な乱文に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。