第十八話
あのおぞましい事件から三日たった水曜日の昼休み。給食を食べ終わったおれは、中村の席に向かった。
「おう、悠太。いま片付けるから」
中村はちょうど食べ終わったようだ。ふと、中村の隣に座っているしおんを見た。給食が半分以上残っている。
食器を片付けた中村と一緒に教室を出て、校庭に向かう。
「最近の古谷、元気ねーな」
おれがしおんを見ていたことに気付いたのか、ふいに中村が言った。
「なにお前、古谷の観察してるのかよ」
おれは照れ隠しに当てこすってしまう。
「ちげーよ! 席が隣りだから独り言が聞こえたんだよ!」
「独り言?」
「ああ何度も。『ゆりちゃん、大丈夫かな』とか。あれ? ゆーりちゃんだったかな?」
「はぁ? なにそれ!?」
「知らねーよ。そんなヤツ、うちのクラスにいないし」
実はしおんの元気がないことは、おれも気付いていた。でもその原因は、元兄問題が片付かなかったのかな? やっぱあの程度じゃダメだったか、とか考えていた。まさか自分が原因だったなんて。
でも、冷静に考えてみれば当然だ。あの日、しおんが帰宅したときには、もうおれはいない。元兄がいたのかいなかったのかは分からないけど、まさか元兄に聞くわけにもいかなかっただろう。そうしたら、しおんはあの後おれがどうなったのかなんて、分からないのだ。おれは、あの日しおんの家に引き返せばよかったと後悔した。
その日の下校時刻、中村が席を外した瞬間、おれは意を決してしおんに話しかけてみた。
「なあ古谷、ちょっといいか?」
「……なによ」
しおんは顔も上げずに答えた。しかし「話しかけないで!」とか言わないだけでも異常事態だ。
「ゆうりなら元気にやってるから、心配すんな」
「えっ!?」
しおんがおれを見た。
「じゃあな」
「ちょっと待って!」
なんだよ。もういっぱいいっぱいなのに。
「ゆうりちゃん、知ってるの? 怪我とかしてない?」
しおんが悲壮な面持ちで聞く。
「そんなこと本人に聞けよ。来月も会うんだろ?」
「ゆうりちゃん、来月も会ってくれるのかな?」
「はあ? 当然だろ?」
「なんでそう思うの? ゆうりちゃんに嫌われたら……わたし……っ……ううっ……」
しおんの目から涙があふれたかと思うと、両手で顔を覆って泣き出してしまった。
「中村、帰ろうぜ」
自席に戻ってきたものの、呆然と事の成り行きを見ていた中村に声をかける。
「あ、ああ」
しおんを置いたまま、おれと中村は教室を出た。しおん、悪い。おれじゃ力になれない。
「悠太、すげえな。古谷を泣かせるなんて!」
「泣かせてないよ。勝手に泣いたんだよ」
その後しばらく、おれはクラス中の女子から「女の敵」扱いされた。
それから一ケ月経った十一月六日、日曜日。
あたしは赤いタータンチェックのネルシャツにスキニージーンズという出で立ちで、いつものクレア公園に向かっていた。今日はお姉ちゃんに頼んでボーイッシュな格好にしてもらった。なぜなら今日、しおんに秘密を話そうと思っているから。正体をバラすのにあんまりガーリーな格好だと恥ずかしい。尤も、何を着てもダメだろうけど。
最近のしおんは、まあ、元気そうだった。あの後、あたし、というか「悠太」に「ゆうり」のことを聞いてくるようなことも無かった。何か吹っ切れたのかな?
クレア公園に着くと、まだ待ち合わせ時間より十分以上早いにもかかわらず、しおんが待っているのが見えた。あたしがクレア公園に入ると、しおんがこっちを見たので手を振った。するとしおんがこっちに向かって走って来る。そしてそのまま、ほとんどぶつかるような勢いでハグされた。
「ゆうりちゃん! ゆうりちゃん!」
「あはは。ずいぶん盛大な歓迎だね?」
ほんとにあたしのこと心配してたんだな。そう思うとつくづく申し訳ない。
「ゆうりちゃん、大丈夫だった? へんなこと、されなかった?」
「え? だから大丈夫って言ったじゃない」
まあ、へんなことはされたかもしれないけど。
「よかったぁ。すごく心配したよぅ」
「だよねー。ごめんねー」
「ううん、無事ならいいの。ねえ、ゆうりちゃん、今日はうちに来てくれる?」
「うん、いいよ」
「じゃあ、行こ。ゆうりちゃんに、あの後あったことも聞いて欲しいし」
そして、二人で手をつないで公園を出た。
十分ほど歩いて、しおんの住むアパートに着いた。
「上がって?」
扉を開けて、先に室内に入ったしおんに促される。
「いや、ここでいい」
あたしは玄関で秘密を打ち明ける決心をした。
「え? なんで?」
「しおんちゃんはこの前、あたしに秘密を打ち明けてくれたよね?」
「あ、うん」
「だから、今日はあたしの秘密を打ち明けようと思う」
「じゃあ、上がってよ」
「いや、いいよ。すぐ済むから」
「室内じゃダメなの?」
「うん、あたしにそんな資格、ないし」
「どうして?」
しおんは怪訝な顔をしている。あたしはダテメガネを取った。
「ねえ、しおんちゃん。この前、元兄に襲われたのがあたしじゃなくて、同じクラスの芳野悠太だったとしたら、心配してくれた?」
「芳野君? やっぱり知り合いなの?」
さすがにこれだけじゃ気付かないのか。
あたしは覚悟を決めてウィッグを外した。
「知り合いとゆーか、本人」
「ええっ!?」
おれはしおんの顔を見れない。お互い言葉を紡ぐこともできず、微妙な沈黙が支配する。
いたたまれない雰囲気に何とか顔を上げると、しおんは両手で口元を押さえ、驚愕の眼差しでおれを見ていた。おれはその視線に耐えられなかった。
次回、最終回です。
明日の投稿予定です。




