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第十七話

「そんな、あぶないよ! ムリだよ!」


「ムリだったらしおんちゃんだけ逃げてよ。あたしは大丈夫だから!」


 一応、返り討ちの準備はしてみたものの、やっぱりしおんは決心がつかないらしく、蒼ざめた顔であたしを見る。そのとき、玄関のドアをドンドンドンと激しく叩く音がした。


『おい、あけろ!』


 とドアの向こうから声。元兄が来たようだ。インターホン使えばいいのにね。実は平和的に様子を見に来ただけ、なんて可能性はないのかなーとか思っていたけれど、雰囲気的にやっぱそんなことはなかったみたい。


「あたしがドア開ける」


 しおんを下がらせて、あたしが玄関に向かう。そのとき、再びドアが激しく叩かれた。


「はいはーい、いま開けまーす」


 開錠してドアを開けると、いきなり男が玄関に踏み込んできた。


 あたしは一瞬声を上げそうになった。男に見覚えがあったからだ。目の前に立ちはだかっているのはチャラそうな金髪男。間違いなく、ゴールデンウィークのあの日、クレアロードでしおんに詰め寄っていたヤツだ。コイツが元兄だったのか。もしかして、あの日からずっとしおんの居場所を探していたんだろうか。だとしたら、たいした執念だな。


「あんだ? テメエ」


 さすがにしおん以外の人間が家にいるとは想像していなかったのか、元兄は一瞬動揺したような素振りを見せた。どうやらあたしのことは覚えていないようだ。


「やだ、怖い顔しないでよ」


 顔を至近距離に近づけガンつけてくる元兄に対して、あたしは笑顔を作る。


「今からしおんと楽しいコトするからよぉ、テメエは消えろや」


 ああ、楽しいコトね。


「お兄さん、今日はあたしと楽しいコトしようよ」


 あたしは煮え滾るような思いとは裏腹に、上目づかいで媚びるように元兄を見た。


「あぁ? テメエなにヤんだかわかってんのかぁ?」


「当たり前じゃない。そんなに子供に見える?」


 見えるだろうけど。あたしが元兄の股間を右手で触れると、元兄の腰がザリガニのようにピクッと引けた。元兄の息子は早くも興奮状態だ。うへえ、気持ち悪い!


「あたしをがっかりさせないでよね!」


「おもしれぇ。じゃあテメエの相手をしてやるよ!」


 あっさりターゲットを変えてきた。あたしがシナを作ったところで男が興奮するのか疑問だったけど、うまくいったみたい。まあ、あたしに魅力があったというよりは、単にコイツがロリコンだっただけだろうけど。


「じゃあシャワー浴びてきてもらえる? あたしはベッドで待ってるから」


 あたしが元兄の手を取って誘導すると、意外と素直に脱衣所へ入って行った。


「大人しく待ってろよ」


 元兄はそう言って脱衣所の扉を閉めた。あたしはしおんのところまで行くと、着ていたワンピースを脱ぎ捨ててスリップ姿になった。わざわざ言う必要も無いとは思うけど、ショーツもガールズの物だ。スリップの裾に隠れて見えないけどね。


「ゆうりちゃん……」


 しおんはもう、というかまた泣きそうだ。


「しおんちゃん、一発勝負なんだから気合い入れて!」


 あたしが小声で活を入れると、しおんはコクコク頷いた。


 しおんの家の間取りはシンプルに田の字型になっている。玄関を入るとすぐにダイニングキッチン、その隣はバスとトイレ、ダイニングキッチンの奥が居間で、その隣がしおんの部屋だ。あたしはそのまましおんの部屋に移動すると、ベッドに寝転がる。その瞬間、脱衣所の扉が開く音が聞こえた。ずいぶん早いな。ちゃんと洗ったのかよ。


「きゃっ!」


 居間にいたしおんが小さく悲鳴を上げた。あたしもちょっとびびった。現れた元兄が全裸だったからだ。


「待たせたなぁ」


 待ってないよ。とは思うものの、これは都合がいいかもいれない。いろいろと手順が省けた気がする。


「おいでよ」


 あたしが言うと、元兄はずかずかとベッドに歩み寄り、そしていきなりあたしの上に馬乗りになった。ちょっ! なにこの体勢! お口でしてってパターン?


「しおんちゃん!」


 あたしが叫んだ瞬間。




 ピカッ!




 フラッシュの閃光が室内を包んだ。しおんがコンデジのシャッターを切ったのだ。そしてしおんはあたしを一瞥したあと、脱兎のごとく玄関へ向かった。あたしはあわててしおんを追おうとする元兄の腰にしがみつく。うわっ! 近い! 何がって、ナニが!


「テメエ! ハメやがったな!」


 さすがに腕力に差があるのであたしはすぐに元兄から引き剝がされてしまったけど、しおんが逃げるには充分な時間足止めできた。元兄は玄関まで行ったものの、それ以上全裸で追いかけることはできなかったようだ。下着姿の少女(っぽい男子)に馬乗りになっている全裸男、さぞかしいい写真が撮れたことだろう。


「やってくれたな!ゴルァ!」


 元兄が巻き舌で悪態をつきながら戻ってくる。


「テメエはお望み通り孕ませてやっからヨォ!」


 え、なに? まだやるの? てか、望んでないし孕みませんよ? 


 なんてツッコミも出ないくらい、あたしは突然恐怖に襲われた。元兄は完全に据わった目で近づいてくる。


 怖い!


 逃げようにも、後ろは壁だ。左は窓だけど、ここは二階。どっちに逃げれば……と思ったものの、そもそも手足が竦んで動かない。口の中が渇いて声が出ない。


 しおんがいた時に感じていた万能感はすっかり霧散して、今は恐怖感しかない。ああ、なんでこんなヤツに立ち向かえると思ったんだろう。最初から大人に相談するべきだったんだ。


 あたしはベッドの上に座ったままズリズリと後退(あとずさ)るが、すぐに背中が壁についてしまった。元兄がベッドに近づいてくる。元兄はベッドに足を掛けると、あたしの両足を跨いだ形で膝立ちになる。そして右手であたしの顎をクイっと上げた。


「覚悟は出来てんだろうなぁ!」


 右手は顎から下にさがって行く。


 怖い! 怖い! 怖い!


 過呼吸になりそうだ。そして元兄の右手があたしの(もも)をさする。


 嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!


 乱暴に元兄の右手がスリップの裾を掴む。そのままぐいっとスリップを捲り上げると、露わになった純白のショーツの中に元兄の左手が滑り込んできた。




 むぎゅ。




 思い切り握られてしまったあたしは、計らずも我に返った。一方の元兄は、思考が停止したのか、あたしのショーツを見つめたまま固まっている。これはチャンスだ!


 元兄の視線がショーツを離れ、徐々に上がってきて、あたしと目が合った、その瞬間。


「はあっ!」


 掛け声とともに両手で元兄の顎に掌底を食らわせた。背中が壁についた状態で放った掌底は予想外に強力だったらしく、元兄はベッドの向こうまで吹っ飛んだ。これにはあたしも驚いたが、今のうちに逃げないと次はない。あたしはベッドを飛び降りると元兄の脇をすり抜けてワンピースを掴んだ。


 元兄が起き上がる前に……と思ったけど、様子がヘンだ。元兄が動かない。あれ、死んだ? まさかね。恐る恐る、元兄に近づいてみる。あたしは小学校でやった救命救急教室を思い出して、元兄の鼻に耳を近づける。よかった、 普段どおりの呼吸をしている。どうやら吹っ飛んだ拍子に後頭部を敷居にぶつけて気を失ったようだ。本来ならこのあと声かけしないといけないらしいけど、もちろんそんなことはしないでさっさと逃げる。


 ワンピースを着てそっと玄関を出ると、アパートの入り口まで走った。アパートの前で周囲を見回してみるけど、しおんはいない。そういえば目的を果たした後、どうするかまでは決めてなかった。まだ元兄が追いかけてくる気配はないけれど、追いかけてこられたら面倒だ。しおんには悪いけど、今日はもう帰ることにしよう。しおんが安全なところまで逃げているといいんだけど。




 家に帰るとお姉ちゃんがいた。


「あら、ゆうり、今日は早かったね」


「うん。ちょっとね」


「今日は何があったの?」


 さすがに今日の出来事はちょっと身内にも言えないな。しおんの過去の話も含めて。


「ごめん、お姉ちゃん。ちょっと言えない」


「なに? 難しい顔して」


 ああ、そんな顔してたかな? 軽くジョークでもかましておこう。


「あたし、もうお婿に行けないかも知れない」


「はぁ?」


 あ、これってジョークになってないかも?


「いや、なんでもない。秘密」


「ねえ、ゆうり。秘密って一人で背負うには重いものだよ。お姉ちゃんが半分背負ってあげるから、話してごらん?」


「……何、いいこと言った! みたいな顔してるの?」


「あ、バレた?」


 お姉ちゃんが「てへぺろ」みたいな顔をした。表情筋豊かだな、このヒト。


 でも実際、あたしも秘密に疲れたかもしれない。しおんは、成り行きとはいえ自分の秘密を話してくれた。あたしも次回は秘密を話そう……かな。



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