第十三話・お姉ちゃんのお迎え
アタシには可愛い悠太という弟がいる。可愛いというのは姉弟的な比喩だけでなく、外見的にも可愛いという意味だ。
悠太の顔を初めて可愛いと思ったのはアタシが小学校五年生の時、夏休みの家族旅行先で写真を撮った時だったと思う。悠太が観光地によくある写真撮影用の顔ハメ看板から顔を出した。服と髪が隠れて顔のパーツだけを見ると、気の強そうな眉毛にパッチリした目と長い睫毛、そして小さい鼻に薄い唇、それはまるで女の子のように見えた。それ以来、アタシは悠太に女の子の格好をさせてみたいと思っていた。
チャンスが訪れたのはアタシが小学校六年生の時。お母さんがやっているお店のインターネット通販を始めることになった時だった。ガールズの衣料品のモデルを頼まれたアタシは、その役割を悠太に押し付けた。最初は衣類の写真を撮るだけで顔は出していなかったから、髪はそのままだった。女の子の服を着た悠太は、まあ、可愛かった。でも、さすがに髪型がそのままではやっぱり男の子だ。アタシはそれに満足できなかった。アタシは美容院に行って、長かった髪をばっさり切った。その切った髪を貰ってきて、ニットキャップの内側に張り付け、即席のウィッグを作った。
次の撮影の時、アタシはそのウィッグを悠太にかぶせてみた。完璧に女の子だった。お母さんは面白がって、せっかくだから顔出しでホームページに載せようということになった。が、悠太が恥ずかしがったので、変装のためにダテメガネも着用してホームページに掲載、ということで落ち着いた。その後、アタシはお母さんに悠太用のウィッグが欲しいとねだった。撮影用、ということで意外とあっさり買ってくれた。それ以来、悠太のコーディネートはアタシが担当することになった。
そして、更なる転機が訪れたのは今年の春、悠太が同級生を助けるために、突然女装のまま商店街へ飛び出した時だ。その助けた同級生は「しおんちゃん」という女の子だった。その後、曲折あって悠太はしおんちゃんと月一回「ゆうり」という女の子として、正体を明かさないまま会うことになった。で、今回はそのしおんちゃんとゆうりは一泊でテニス教室に参加することになった。アタシも協力したけどね。アタシはそのテニス教室の会場である山の家の最寄り駅である小山町駅までの送迎を買って出た。それで昨日は小山町駅まで二人を送り、今日もまた小山町駅まで迎えに来ているわけだ。
それにしても昨日はいろいろ驚かされた。ゆうりが予想以上に女の子だったからだ。もともと女装自体は完璧で、ゆうりが自分でカミングアウトしたりしない限りは、女装がバレることはないだろうとは思っていた。今どき男の子みたいなしゃべり方をする女の子なんて珍しくないからね。ところがゆうりはしゃべり方も仕草も女の子だった。しおんちゃんとも普通に手をつないでいた。アタシだって男の子と手をつないだことなんてないのに。あれ? 小学校の頃ってつないでたっけ? もう忘れちゃったな。
なんてことを思い出しながら小山町駅前のコンビニで二人の帰りを待っていると、ロータリーに山の家のバスが入ってくるのが見えた。何も買わずに出ていくのも悪いからアイスでも買っていこうかなと冷凍ケースを覗き込んだとき、二本組のチューチューアイスが目に入った。よし、二人にはこれを買って行ってあげよう。チューチューアイスって意外と可愛く食べるのは難しいんだよね。普段の悠太ならガジガジかじりながら食べるはずだ。
アタシがコンビニを出ると、ちょうどバスからゆうりとしおんちゃんが下りてくるのが見えた。ゆうりは着替えられなかったのか、テニスウェアのままだ。アタシが二人の方へ歩きながら手を振ると、二人とも手を振り返してくれた。可愛い。そして二人に近づいて「おつかれさん」と声をかけると、持っていた二本組チューチューアイスを割って、二人に一本ずつあげた。しおんちゃんは申し訳なさそうにお礼を言うが、そんな高いもんじゃないし、こっちが恐縮してしまいそうだ。ゆうりも満面の笑みでお礼を言う。やばい、可愛いすぎる。ハグしたい。ってアタシ何考えてるんだろう。
「あんた、着替えてこなかったの?」
つい、ゆうりに向かって照れ隠しに言ってしまった。
「まあ、あとは帰るだけだしね」
そりゃあ、そうだよね。余計なリスク冒してまで着替えられないよね。
「やだ、汗臭い。近寄らないでよね!」
しかし口をついて出たのは、そんな言葉だった。あああ、アタシってヤなヤツ!
「ひどーい!」
ゆうりは胸の前に両手をグーにして、頬を膨らませている。天邪鬼な姉でスマン。でも、ゆうりのその仕草も可愛いよっ!
そして三人でアイスを食べながら改札口に向かう。ゆうりはチューチューアイスを手でふにふに揉みながら、美味しそうに吸っている。やっぱりゆうりの時にはかじったりしないんだな。
ホームにはすでに電車が入線していた。アタシたちは食べ終わったアイスの残骸をごみ箱に捨てると、電車に乗り込んだ。さすがに始発駅だけあってガラガラだ。車両の隅まで来ると三人掛けの椅子を確保する。
「ゆうりは汗臭いから一番奥に座って」
さすがに小奇麗になっているしおんちゃんの隣に汗臭そうなゆうりを座らせるわけにもいかず……というのは建前で、アタシもゆうりの隣に座りたかったので真ん中に着席する。ゆうりは「えー」と言いながらも素直に一番奥に座り、しおんちゃんがドア側の席に座った。
やがて電車が出発すると、まもなくゆうりは舟を漕ぎ始めた。
「ゆうりちゃん、疲れてたんですね」
しおんちゃんが言う。
「みたいだねー。しおんちゃんは疲れてない?」
「疲れました。でも楽しかったです」
しおんちゃんはバッグから集合写真を取り出した。
「あ、写真? 見せて?」
「はい。そういえばゆうりちゃんと撮った写真ってなかったから、宝物です」
「そうなんだ? じゃあ後で撮ってあげるよ」
なんて話をしていると電車がカーブに差し掛かり、スピードを落とした。ブレーキが掛かった瞬間、ゆうりがグラッと傾いてきて、アタシの肩にもたれかかった。ゆうりもアタシも、もともと体臭がない方だから別に汗臭いということはなかった。が、予想外なことにコロンでも付けたのか、むしろいいにおいがした。しかも、よく見ると、足も口も閉じている。いや、口は少し開いているかもしれない。でも、それはそれで愛嬌だ。悠太は電車に乗ると寝てることが多い。そして、寝てるときは決まって足も口も開きっぱなしだ。アタシは寝ていてもなおゆうりを演じている、その精神力に感嘆した。
そんなゆうりの寝姿を可愛いと思ってしまったわけだが、可愛くても重いものは重い。アタシはゆうりを押し返した。しばらくすると次の駅が近づいてきて、電車はブレーキを掛ける。するとゆうりはまたこっちにもたれかかってきた。
「あの、席かわりましょうか?」
写真をしまったしおんちゃんが聞いてきた。
「え? こいつがもたれかかってくるけど、いいの?」
「もちろんです」
しおんちゃんの顔は「かわりましょうか?」ではなく、むしろ「かわってください」と言っている。
「じゃ、かわってもらおうかな」
アタシは再びゆうりを押し戻すと、席を立った。そこにしおんちゃんがスライドしてくる。アタシがドア側の席に座ると、ちょうど電車が次の駅に到着してブレーキを掛けた。その瞬間、案の定ゆうりがしおんちゃんの肩にもたれかかってきた。
「重かったら言ってね。たたき起こすから」
「いえ、全然重くないですよ」
そう言いながらゆうりを見つめるしおんちゃんの顔は、まるで想い人を見つめる少女のそれだった。
「そうだ、じゃあ写真撮ってあげるよ」
アタシはスマホを取り出すと、二人の正面に立った。そしてスマホを構えると、しおんちゃんは寝こけているゆうりの方に頭を傾けて、可愛くピースをする。アタシが「はいチーズ」と言いながらシャッターボタンをタップすると、「カシャ」と電子音がした。席に戻って、しおんちゃんと画像を確認する。うん、よく撮れてる。
「あとでプリントして、ゆうりに渡しておくから受け取ってね」
「ありがとうございます」
「ゆうりは寝顔撮られたって怒るかもしれないけどね。あはは」
アタシは右手を口に当てて笑った。
「ゆうりちゃんとお姉さんって、そっくりですね」
アタシを見ながら、しおんちゃんが感心したように言う。
「え? そう?」
「今の笑った時の仕草とか、しゃべり方とか、さすが姉妹って感じです」
「ふーん? そう、かなあ?」
言われてみれば、何かいろいろ思い当たる。笑う時に右手をパーにして口に当てたり、抗議の時に両手をグーにして胸の前に持ってきたりするのはアタシの癖だ。そういえば、ゆうりも同じ仕草をしている。悠太はしないのに。うーん、うっかり「可愛い」なんて思っていたけど、アタシの真似してたのか。まぁ、たしかにゆうりがやると可愛いけれど、高校生にもなってやるのはどうだろう? 少しあざと過ぎるかも知れない。今後は気を付けよう。
「ゆうりちゃんは可愛くてかっこよくて、わたしの憧れなんですよ」
「えー? そうなの? どのへんが?」
アタシとしてもゆうりが可愛いという点では同意するけど、かっこいいとは思えない。そして、その後しおんちゃんの口から語られたゆうり像は、一体どこの完璧超人かと思わせるような内容だった。うん、アタシはこういう語り口に心当たりがある。それは恋する女の子のノロケ話に出てくる彼氏像だ。普段の悠太を知っているアタシから見れば「どこが」と思うものが多かったけど、「そういえば」と思い当たるものもあった。
たとえば、ゆうりはしおんちゃんに会ったときは必ず手を振ってくれるそうだ。それが、しおんちゃんはすごく嬉しい、と。言われてみれば、ゆうりは出かけるときに必ずアタシにも「行ってきます」と言って手を振る。悠太はそんなことしない。むしろ、「行ってきます」すら言わないことさえある。アタシは、普段「女装がバレたらイヤ」と言っている悠太が、ゆうりになると堂々と玄関から出ていく神経をどうかと思っていたけど、異常なのはそっちじゃなくて手を振る方だったか。
それから、ゆうりちゃんのお喋りが楽しい、と。アタシには悠太がお喋りというイメージはない。と、言うよりは、なくなった。思えば悠太が幼稚園に通っていたころは、ヘラヘラとよく喋っていた気がする。それが、小学生になり、さらに高学年になるとあまり喋らなくなった。一瞬、外ではお喋りなのか、とも思ったけどそうじゃない。アタシはゆうりが帰ってくると、その日の出来事を興味本位で聞く。するとゆうりは聞きもしないことまでペラペラと喋る。それはもう、表情豊かに。悠太はお姉ちゃんに吐かされた、とか言っているけど、そうじゃなくてゆうりが勝手に喋るのだ。
そしてまたも気づいてしまった。どっちもアタシのイメージに近い気がする。アタシも友達に会ったときには手を振る。意識的にやっているつもりはないからクセだろう。そして、アタシはお喋りだとよく言われる。自覚も、ある。余計な事まで言って、唇寒し、といった思いをすることもしばしばだ。こいつ、そこまで真似してたのか? てゆーか、真似して演じられるものなのだろうか? びっくりだよ。
そんな話をしているうちに、電車は初雁駅に近づいてきた。
「あの、最後に、お姉さんのお名前ってうかがってもよろしいんでしょうか?」
「ぷっ、なにその聞き方」
しおんちゃんの言い回しに、アタシはつい吹き出してしまった。
「あ、あの、ゆうりちゃんってプライベートなこと聞かれるの嫌みたいなので、お姉さんもそうなのかなって……」
「ああ、そうなんだ? 名前は平仮名で『あいり』だよ」
アタシの名前は別に本名を伝えても問題ないだろう。
「ありがとうございます。ゆうりちゃんはそのうち秘密を話すよって言ってくれたんですけど……」
「へー、じゃあそのときは怒らないで聞いてあげてね?」
「わたしが怒るんですか?」
あ、アタシまた余計な事を言っちゃったか。
「さ、そろそろ着くからゆうりを起こしてあげてくれる?」
突っ込まれる前に話題を変えよう。
「あ、そうですね」
そう言うと、しおんちゃんはゆうりの肩をゆすりながら「ゆうりちゃん」と呼びかけた。
「ん……」
ゆうりが不快そうにちょっと顔をしかめる。
「ゆうりちゃん、起きた? そろそろ着くよ?」
ゆうりがすこし目を開けて、しおんちゃんと目が合った瞬間、盛大にのけぞった。
「でええ? しおんちゃん? あたし、寝ちゃって……?」
こいつ、おもしれー。しかも、寝起きなのにちゃんと「あたし」とか言ってる。
「わたしが席を代わってもらったの」
「な、なんで?」
「ゆうりちゃんの隣が良かったから」
ゆうりがアタシを見る。アタシは笑いを隠し切れない。
「んー、いいもの見せてもらったよ。お姉ちゃん、百合にも目覚めちゃいそうだよ」
ゆうりはその可愛い顔に似合わない、汚いものを見るような目でアタシを見やがった。
やがて、電車は初雁駅に着いて、アタシたちは電車を降りた。そして改札を出たところでしおんちゃんと別れる。
「じゃあ、しおんちゃん、また来月」
ゆうりがそう言いながら手を振る。
「うん、またね。お姉さん、どうもありがとうございました」
しおんちゃんはゆうりに手を振ってから、アタシに一礼して帰っていった。そのしおんちゃんが見えなくなるとアタシたちも帰路についた。歩き出す瞬間に、ゆうりの手を握ってみる。ゆうりは嫌がる素振りを見せるようなこともなく、普通に握り返してきた。そのまま、手をつないで帰る。なんでだろう、姉弟なのにドキドキする。いや、姉弟だからか。姉妹だったらしないのかな。
「ねえ、ゆうり」
なぜか、二人のときに「ゆうり」って呼びかけるのは、妙に気恥しい。しかしゆうりは全く気にするふうでもなく「なあに?」と返事をした。
「あんた、アタシの真似、してるでしょ」
ゆうりはちょっと驚いた様子でアタシを見た。
「最初はお姉ちゃんの真似してたんだけど、最近は自然にこうなっちゃうんだよ」
そう言うと、ゆうりは笑った。右手をパーにして。その右手を口にそえて。




