第十二話
あたしと新井、小野の三人は結局、というか目論見どおり入浴せずに、テニスコートから直接バーベキュー大会会場に向かった。
「ところで吉田さんはシャワー浴びなくて良かったのかい?」
新井が今更なことを聞いてくる。
「あたしはいいの! それとも新井君、あたしの裸見たかったとか?」
あたしは上目づかいにちょっと意地悪なことを言ってみた。
「まさか、そんな!」
あからさまに動揺する新井。意外とウブだな。君たちは昨日、あたしの裸を見てるのだよ? 気づかなかったみたいだけどな。
バーベキュー大会会場は半屋外で、屋根があるから日陰になっている。直射日光が当たらないだけでもちょっと涼しい、気がした。真ん中が鉄板になっているテーブルは六人掛けで、初心者コースの六人は当然同じテーブルが割り当てられた。テーブルにはすでに野菜が配られていて、後は肉が来るのを待つのみだ。ちなみにご飯と飲み物はセルフサービスで、食べ放題飲み放題だ。
「吉田さん、お風呂行かなかったんだ」
あたしの隣に座った平山さんが言う。
「ごめんねー、汗臭くて」
「ぜんぜんそんなことないよ。それにどうせ、これから焼肉臭くなるんだし」
そういう平山さんはいいにおいがする。シャンプーのにおいかな?
「平山さんはいつもいいにおいだね」
「あ、ヘアコロン使ってるから。これ」
と言って、ポーチから小さなスプレーを取り出した。
「へぇ、平山さんておしゃれだね」
「私は吉田さんみたいに可愛くないからね。いろいろ盛る必要があるのさぁ」
平山さんはやれやれといった表情で言う。
「え、平山さんは可愛いと思うけどな」
「またまたぁ。吉田さんて素でそういうこと言うよね。お礼にコロンつけてあげよう」
あたしはテーブルから少し離れたところまで連れていかれると、ウィッグにコロンを吹き付けられた。
「ありがとう。いいにおい」
「うんうん、素材がいいと香りも引き立つねぇ」
素材の良し悪しは知らないけど、なんかこう、桜の花のような女の子のにおいがする。そして、テーブルに戻ると、ちょうど肉が運ばれてきたところだった。
十二時を過ぎるとバーベキュー大会開始だ。初心者コースのテーブルは平山さんの指示のもと、新井と小野が作業担当という図式がすぐに出来上がった。練習中はあまりやる気を見せなかった平山さんだが、なかなかの焼肉奉行っぷりだ。
そして用意された材料は、あっと言う間になくなった。平山さんは肉がきちんと六等分になるように取り仕切った。そのあたりは見事だったけど、小森さんの取り皿にはまだ肉が残っている。そして、やはりと言うか足りなかったらしい平山さんは、ご飯に焼肉のタレをかけて食べるという大技で胃袋を満たしていた。
「それにしても、吉田さんと島田さんのペアは強かったね」
一息ついた新井が、思い出したように話題を振ってくる。そう、あたしと島田さんのペアは、新井チームと平山チームに試合形式で勝っていた。初級コースチームには負けたけどね。
「あんたが下手なんでしょ」
島田さんが、新井を見もせずに身も蓋もない返事をした。
「下手っていうか、新井君自爆しすぎでしょ。オーバーヘッドで打たなければいいのに」
あたしがあんまりフォローになってないフォローをする。事実、新井はオーバーヘッドでサーブを打ってはダブルフォルト、スマッシュを打とうとしては空振りを繰り返した。
「いやあ、その方がカッコいいかと思ってね」
「決まればでしょ。小野君が気の毒だよ。」
あたしが言うと、平山さんが小野君に向かって聞いた。
「そういえば、小野君は何でこの教室に参加したの?」
「新井を野放しにしておけないから」
珍しく小野が冗談を言ったのかと思ったけど、小野の顔は笑っていない。
「ははは。たしかに新井君てイケメンなのに中身はポンコツだもんねー」
平山さんにはウケていた。
バーベキュー大会が終わるとグラウンドで閉校式。これで全ての日程が終了だ。各コーチからの講評とか施設長の挨拶とかあって、最後に高橋コーチから終了証と最初に撮った集合写真が配られた。そしてみんなで挨拶をして解散になると、新井が寄ってきた。
「吉田さん、最後に連絡先、交換しないかい?」
「やだよ。新井君はもっと背の高い人がいいんでしょ?」
あたしは新井にそう言って、あっかんべをした。新井はちょっと驚いた顔をしていたけど、彼の事だ、この程度でメゲたりはしないだろう。
「ゆうりちゃん、おつかれさま」
後ろからしおんに声をかけられた。中級コースも解散になったみたいだ。
「あ、しおんちゃん、おつかれさま! 荷物取りいこ!」
そう言うと二人でロッカールームに荷物を取りに行った。
ロビー棟に入ってロッカールームに向かう。この建物も見納めかと思うと感慨深い。ロッカーから荷物を取り出し、ロッカールームの前でしおんを待つ。しおんもすぐに出てきた。
「ゆうりちゃん、着替えなくていいの?」
しおんがあたしのウェアを見て言った。
「もう帰るだけだしねー。帰ったらシャワー浴びるよ」
たしかに周囲の女子はみんな着替えたのか、練習時の格好のままの子はあたしの他にはいなかった。男子には着替えてないのがちらほらいるんだけどね。あたしも汗で湿ったウェアを着替えたいのはやまやまだったけど、まさか女子ロッカールームで着替えるわけにはいかない。
「なんか、ゆうりちゃんって、かっこいいよね」
「へ、どこが?」
しおんの予想外な感想に、思わずあたしは聞いてしまった。
「意志が強いって言うか、 他人に流されない感じが」
「そんなこと、ないと思うけどね。むしろ流されまくりだと思うよ?」
「そうかなあ」
自慢じゃないけど、あたしはお姉ちゃんにはいつも優柔不断と言われてるし、自分でもそう思ってる。まぁ、ゆうりになっている時はさすがに流されるわけにはいかない、というシチュエーションが多いだけだろう。
そんな話をしているうちに、ロビー棟前に小山町駅行きのバスが来た。あたしとしおんもロビー棟を出てバスに乗った。しおんに窓側の席を勧めたけど、「行きは私が窓側だったから」と断られて、結局あたしが窓側に座った。あたしとしては女の子が窓側に座るべきだと思う。あたしも女の子だけど。
バスの窓から外を見ていると、車で帰る子も結構いることに気が付いた。家族がここまで送迎してくれているようだ。正面に見えたお迎えの車に、新井が乗り込むのが見えた。黒塗りの高級外車だった。
「あいつ、金持ちだったんだな」
口に出すつもりはなかったけど、ボソッと声に出てしまった。
「あの子って、さっきゆうりちゃんが振ってた子?」
あたしの独り言がしおんの耳に入ってしまったらしい。
「いやいや、振ってないよ? 連絡先聞かれたから断っただけだよ!」
「それは振ったってことじゃないの?」
「違うと思うけど……」
「ゆうりちゃん、わたしは男子って苦手だけど、ゆうりちゃんは気にしないで男子と付き合ってくれてもいいのよ?」
「あたしが男子と付き合うの!?」
あまりに想像の斜め上を行く提案に、声が裏返ってしまった。
「そんなに驚かなくても。私たちも六年生なんだし、別に早くないと思う」
いや、早いとかいう問題じゃなく、あたしが男子と付き合うとかありえない。
「しおんちゃん、あたし、男子と付き合うつもりないから、変な気使わないでね?」
「そっか。ゆうりちゃん可愛いのに、もったいないと思うけどな」
だったらしおんの方がもったいないと思ったけど、言えなかった。そしてバスは小山町駅に向けて出発した。
バスが小山町駅に着いて、あたしたちはバスを降りた。お姉ちゃんはまだ来ていないと思ったら、コンビニの方から棒アイスを食べながら歩いてきた。たぶんコンビニで涼んでいたんだろう。お姉ちゃんが手を振っているので、あたしたちも手を振り返す。そしてお姉ちゃんはあたしたちのいるバス停まで来ると、「おつかれさん」と言いながら持っていたコンビニの袋から何か取り出した。それはホワイトサワー味の二本組チューチューアイスで、半分に割ると一本ずつあたしとしおんにくれた。
「ありがとうございます」
しおんが申し訳なさそうにお礼を言って受け取る。あたしもしおんの手前、「ありがとー」と言って受け取った。お姉ちゃんがタダでアイスをくれるとか気持ち悪い。何を考えているんだろう。
「あんた、着替えてこなかったの?」
お姉ちゃんがあたしの格好を見て言った。
「まあ、あとは帰るだけだしね」
「やだ、汗臭い。近寄らないでよね!」
「ひどーい!」
いやいやいや、着替えられるわけないじゃん。分かってて言ってるな? ホント性格悪いよね! あたしは両手をグーにしてお姉ちゃんに抗議した。
三人で上り電車に乗り込むと車内はガラガラだった。始発駅だしね。来るとき同様に車端部の三人掛けの席に座る。「汗臭い」という理由であたしが車両の一番隅に追いやられ、真ん中にお姉ちゃん、ドア側にしおんが座った。やがてドアが閉まり、電車は動き出した。カーブの多い線路上をゆっくり走る電車の心地よい揺れに、あたしはすぐに意識が遠のいていった。
「――ちゃん」
「ん……」
「ゆうりちゃん、起きた? そろそろ着くよ?」
あ……、いつの間にか寝ちゃったのか。「おはよう」と言おうとして顔を上げたら、目の前にしおんの顔があった。
「でええ? しおんちゃん? あたし、寝ちゃって……?」
確か電車に乗った時には隣にお姉ちゃんが座っていたはずだ。でも今、なぜかしおんが隣に座っていて、お姉ちゃんがドア側に座っている。あたしはよりによって、しおんの肩にもたれかかって寝ていたようだ。
「わたしが席を代わってもらったの」
「な、なんで?」
「ゆうりちゃんの隣が良かったから」
しおんは満足そうな笑みを浮かべている。そしてお姉ちゃんを見ると、いかにも邪悪そうな笑みを浮かべながら、言った。
「んー、いいもの見せてもらったよ。お姉ちゃん、百合にも目覚めちゃいそうだよ」
何を言っているんだこの人は。そして電車は初雁駅に到着し、あたしたちは電車を降りた。
「じゃあ、しおんちゃん、また来月」
「うん、またね。お姉さん、どうもありがとうございました」
改札を出ると、あたしとお姉ちゃんはJRE線に乗り換える、という設定でしおんと別れた。しおんが見えなくなると、あたしとお姉ちゃんも手をつないで家路につく。
「ねえ、ゆうり」
ふいに、お姉ちゃんに話しかけられた。
「なあに?」
「あんた、アタシの真似、してるでしょ」
バレた、と思った。でも、最近は演技ではないのだ。そこは分かってほしい。
「最初はお姉ちゃんの真似してたんだけど、最近は自然にこうなっちゃうんだよ」
お姉ちゃんはうろんげな顔をしている。あたしは笑ってごまかすことにした。




