消えたお金のゆくえ
ゆる~く読んでいると、オヤっと思える勘違いです。
決して深く考えてはいけません。まして、電卓など取り出しては……
ある大学院で民俗学を研究している三人の若い研究者が、論文をまとめていました。
三人は持ち寄った資料を元に一つの成果を発表しようと日々執筆にいそしんでいましたが、ある日、彼らの資料に全く相反する記述を見つけて困惑します。
論文の発表は差し迫っており、一刻も早く真偽を確かめなければなりません。
「こうなったら仕方がない。現地へ行って資料を探そう」
彼らの一人が、目の前に資料を放り投げて言いました。しかし残る二人はあまり良い顔をしていません。彼らは執筆に集中するあまり、バイトもできずに生活がぎりぎりだったのです。
それは言い出した彼も同じでした。それでも、このまま断念すれば本末転倒になってしまいます。
三人は何とか現地へ行けるだけの旅費を用意して早々に出発します。
出発を延ばせばそれだけ考察に費やせる時間が減ることを恐れたのです。目的地と時刻表だけを調べて、彼らは旅立ちました。
目的の街で古跡を尋ね、資料館で手分けして目当ての文献を調べているうちに予定した時間を大きく過ぎてしまいました。この辺りは古い地籍なのでビジネスホテルの類はありません。
街の宿泊案内所はすでに閉まっており、当てのない彼らは今日の宿を求めて街を探し歩きます。
すると、街道の横道の奥詰まった先で、少し古びた宿の看板が灯っているのを見つけました。宿の前に立ってみると作りはなかなか凝っており、歴史がありそうな旅館です。
彼らは手持ちに一抹の不安を感じながらも、フロントで空室の確認をして宿泊料を尋ねます。
「あのう、私たちはこの辺りの民俗学を研究している学生ですが、こちらで一番安い宿泊料金はいくらほどでしょうか?」
「はい、お三人様で一部屋ならば、一泊二食付でお一人様一万円となります」
三人はその金額を聞いて相談を始めます。何しろ急に決まった旅で十分な費用を工面できず、その金額を支払うと帰りの交通費しか残りません。
かと言って、日はとっくに暮れて、今から別の宿を探しても無事に見つかる確証はどこにもありません。
やむなく、三人でこの旅館に泊まることにして、前払いで支払を済せました。
フロントが彼らから預かったお金の処理をしているとき、奥の事務所からこの旅館のおかみさんが出てきて尋ねます。
「それは、あそこを行くお客様の分ですか?」
「はい。なんでもこの辺の古い文化を研究している学生さんだそうです。手持ちが乏しいそうで、うっかり失くしてしまわないように前払いでお願いされました。」
「そう、それは大変そうですね。……この辺の事を広めてくれる学生さんに、ほんの気持ちだけどサービスさせていただきましょう」
そういうと、おかみさんは預かったお金から千円札5枚を取りだして、三人に返すよう担当の仲居を呼んで渡します。
ところが、この仲居、おかみさんの遠い親戚筋とはいえ、少々心根の卑しい人で預かった5枚の千円札をみて、こう思いました。
(三人で五千円なんて割り切れないじゃない。別に値引きするって約束したわけじゃないし……私が二千円貰ってもバレないわね)
仲居はおかみさんから預かった五千円からすっと二千円を抜き取ると、客間でくつろいでいる彼らに向かって、さも善意の心付けかのように三千円を渡します。
「こちらは当館のおかみより、ご苦労なさっている学生さんへの細やかな気持ちです」
「これは、お心遣い大変ありがとうございます。おかみさんによろしくお伝えください」
三人はおかみさんの好意に大感激です。懐具合もさびしい今、偶然立ち寄った人の情けに嬉しさがひときわです。
荷物を片付けていると早々に夕餉の支度が始まります。地元の食材を中心に、素朴な味わいに心を込めたお持て成しが感じられる。そんな料理に三人は心から感謝しました。
食事が終わると彼らは大浴場へ汗を流しに行きます。さっぱりと疲れを癒してから部屋に戻る途中でロビーを通りかかると、「おかみさん」と呼ばれた女性が従業員に指示を出しています。
三人は先ほどの感激を直接おかみさんに伝えたくて尋ねます。
「失礼ですが、この宿のおかみさんでしょうか?」
「はい、当館のおかみを務めさせていただいております」
三人はこの女性がおかみさんとわかると、口ぐちにお礼を述べました。
「このたびは、私たちの状況にご配慮いただきありがとうございます。料理も浴場も大変堪能できました。」
「本当に助かります。もう交通費しか手持ちがなかったものですから」
「ありがとうございました。三千円も値引きしていだだけるなんて夢のようです。これで一人頭千円づつですから、明日は帰る前に皆で昼食が十分いただけます。」
途中まで鷹揚に謙遜していたおかみさんは、最後の一人の言葉に耳を疑います。
「……えっ 三千、それはその……、こちらこそ、これから活躍される皆様にほんの気持ちばかりです」
おかみさんはとっさに問い返すのを何とか思い止まりましたが、内心はびっくり仰天です。確か五千円返したはずが三千円と言われているのですから。
三人の丁寧なお礼へ失礼がないように切り上げると、おかみさんは急いで事務所へ戻り、仲居を呼んで渡したお金を問い詰めました。
もともと考えが浅い仲居は、しらを切り通すことがでせず、あっさり白状して誤魔化そうとしたお金を出して謝ります。
取り急ぎ、取り返したお金を持って、おかみさんは客間を訪ねました。
「大変申し訳ございませんでした。仲居が着服した分はこの通りお返しいたします」
おかみさんはそう言って詫びると、懐から二千円を取り出して前へ差し出し、あっけにとられている三人に向かって、手をついて深々とお辞儀をすると客間を出てゆきます。
目の前に置かれた二千円を見て、ひとりが言いました。
「なあ。俺たち最初1万円払ったよな。全部で3万円なわけだ。そこから3000円返してもらったという事は2万7000円で、ここに2000円ある。……じゃあ残りの1000円はどこにいったんだ?」
最後までお読みいただきまして誠にありがとうございます。
この話はかなり昔、友人から聞いた小話的なものに背景とディテールをつけたものです。
何か原型があるかもしれませんが、素人の習作と思ってご容赦ください。
さて、私が初めてこれを聞いた当時、おバカな私は友人の華麗な言葉運びにすっかり翻弄されて、後からその手法に感心したことを覚えています。この話って、話し方が下手だとすぐばれてしまうんです。
うまく騙されてくれたでしょうか?