金の陽光、銀の月華 5
第一操舵室の水槽を職員たちが注視していると、凪いでいた水面が唐突に揺らいだ。
大きな気泡が次々と浮かぶ。
水槽の中で不自然に泳いでいた足環が光だし、足環の部分から秋と緋室の体が水槽へとあらわれだす。ふくらはぎまで現れたのを確認してから、春樹が命令を飛ばした。
「よーし、足環のロックを解除しろ。あと、ミュウアクアの回収開始と大型移動板の投入。
二人の体を上げるぞ。俺はサイドに上がる」
春樹による指示で第一操舵室の中が活気づいた。
足環のロックが外され、水中に現れた二人の体が浮力に従う。
移動板が水槽に飛び込んで、二人の体をプールサイドに掬い上げた。
「お帰り、秋。王子様」
「ただ今。春樹」
秋は髪の毛を絞りながら、移動板からプールサイドに降り立った。
一方の緋室は、ぐったりと体を預けたままだ。
「渡航時間五十二時間四十五分三十二秒・・・守備はどうだ?」
「最低よ。目の前で消えられたわ。呪われていた」
濡れた前髪を掻き揚げると、右手に痛みが走った。
金陽に伸ばした手、その指先が火傷で爛れている。
秋は失敗と屈辱の証を苦々しい思いで見つめた。
傷のない左手で銀月に触れるが、金陽の鼓動を感じることは出来ない。
奴は完全に隠れている。
「金陽に隠れられたわ。しばらくは無理」
そう宣言すると春樹は軽く肩をすくめた。
しょうがないね、と体で言っている。
後ろを向くと、移動板から何とか降りた緋室が床に膝をついてむせていた。
彼の隣には心配顔のソウバがタオルを持って控えている。
「金陽が時空に隠れたわ。しばらくは追跡できないから」
「・・・」
時空旅行に体力も気力も何もかも奪われた彼はプールサイドにぐったりと仰向けになっていて、秋の言葉には答えない。
緋色の瞳で秋を見上げるだけだ。
水に濡れた髪や張り付いた服が彼の疲労に満ちた体を彩っている。
「残念ね、緋室。金陽捜索はしばらく休憩よ」
そういって、秋はプールサイドから飛び降りた。
水分を吸った髪がベチャと醜い音を立てて体に絡みつく。
まとわりつく髪がうっとうしくて、失敗にもいらいらして、秋は大きく舌打ちをした。
翌朝、鏡の前に立った緋室の顔はどんよりとしていた。
黒髪が寝癖であっちこっちにはねている。行儀悪く歯ブラシをかんだまま、自分の顔を凝視する。
― うわ・・目の下にクマ・・。
昨夜は不思議な緊張が体を満たし、一向に眠れなかった。
緋室に睡魔が訪れたのは朝方のことで、うつらうつらとしか寝ていない。
時空を渡るという経験。
自分の目で見た歴史上の人物の姿。
豪華絢爛な時代。
そのすべてが緋室の神経を刺激した。
― 楽しかったけど・・体が変な方向に疲れた。
鏡の中の自分の顔には睡眠不足ですとはっきりと書いてある。
クマができ、むくんだ目元だけでも何とかしないと、と冷水で顔を洗う。
何度かその行為を繰り返していると、部屋のチャイムがピンポーンとなった。
どうせ朝食の準備をしに来たソウバだろうと考えて、そのままの姿でドアに向かう。
「ソウバ、用意はいらないって言っただろ・・・うぉわ!」
「ソウバじゃないわよ」
ドアの向こうに立っていたのは秋だった。
きれいに身支度をした彼女が不機嫌な顔で立っていた。
対する緋室は寝癖のついたぼさぼさの頭に上半身裸、洗ったばかりの顔にはまだしずくがついていて、左手にはタオルを持っている。
寝ボケ姿で呆けている緋室に秋は「まぁ」と顔を顰めた。
「女性の前にそんな恰好で出るなんて、いい躾を受けていらっしゃるわね」
「・・っ」
瞬間的に、顔に血が上った。
手に持っていたタオルで上半身を隠し、勢いよく洗面所に飛び込んでドアを閉める。
「なっ・・・・なんでここに?」
「長官の命令よ。金陽が見つかるまで私はあなた専用だから、退屈しのぎに殿下を時空旅行に連れて行って差し上げろってね」
ドア越しのくぐもった、それでも焦っているとわかる緋室の声とは対照的に、秋の声はひどく冷静だ。
腕時計と壁にかかっている時計の両方を見て、大げさにため息をつく。
「もう朝の八時半よ。こんな時間まで寝ているなんていいご身分ね」
「違う!いつもこんな時間まで寝ていない。ただ・・・昨日はなかなか寝付けなくて」
ごにょごにょと言い訳をする緋室の声は尻すぼみだ。
身だしなみを整えてから出てきた緋室の顔には気恥ずかしさと困惑がはっきりと刻まれていて、本当にこの王子は分かりやすいなぁと思う。
「そんなにあわてなくてもいいわよ」
そういうとますます気恥ずかしそうに体を縮めた。
その様子が面白くて、唇が弧を描いた。
気まずそうに視線をさまよわせていた緋室だったが、秋の手を見て、ハッと顔を上げた。
「そういや、秋・・手は大丈夫なのか?」
「あぁ・・・これ?平気よ。
昨日、医務室で再生してもらったから。爪だけは伸びるのを待たなきゃいけないけどね」
ひらりと振った右手の指先の皮膚はなめらかで、傷一つ残っていない。
そのことに緋室は心底安堵する。緋室の気持ちは顔中に出ていて、彼の顔を見た秋がふっと笑う。
「どうしてそんなに全力で安心しているのよ」
「女性に傷を残すのは・・申し訳ないだろう」
「今の世の中、幹細胞のおかげで皮膚組織や内臓組織の復元はとっても簡単なのよ。
傷なんて残るわけないじゃない」
「そうだけどさ・・・それでも、心配はするよ」
よかったといって胸をなでおろす緋室。
彼の姿は純粋で、今度は秋が気恥ずかしさに襲われた。その感情をごまかすかのようにつんと顎をそびやかす。
「で、貴方は誰が見たいの?」
「え?」
「え?・・じゃないわよ。私の話は聞いていた?
長官の命令で、貴方を退屈しのぎの時空旅行に連れて行くのよ。
で、誰を見に行きたいのか聞いているの」
「え・・っと・・・」
有無を言わせないとばかりの迫力に、緋室はたじろいた。
頭の中が真っ白だ。誰も思い浮かばない。えぇと有名な人・・・有名な者・・・えぇっと!
冷や汗がタラリと垂れた。
しかし、秋は「早く誰を見たいか言いなさい」とばかりに緋室を威圧してくる。
「え・・・え・・っと」
緋室は必死に考えた。
小さいころに見た博物館やら美術館、歴史の授業で習ったことを必死に思い出す。
そういえば、前氷期博物館のエジプト考古学分館で見た奴は結構すごかったなぁ。
今にも生き返りそうなミイラや黄金や宝玉の装飾品。
神々をかたどった銅像。
その中でひときわ目立っていた黄金のマスク。
「あっ」
それを思い出して、声が出た。
秋はというと怪訝そうに緋室を見上げている。
「ツタンカーメン。黄金のマスクの!彼が見たい」
「わかったわ。エジプト第十八王朝ね」
そういって秋は緋室の手をつかんだ。
同時に彼女の体が発光し始める。秋の髪をとかしたような、金色や銀色、虹色の混じった光が秋を中心に広がって緋室を飲み込んでいく。
あまりの眩しさに緋室は目をつぶったのだった。




