金の陽光、銀の月華 4
秋が取り返さないなら自分がと、マリー・アントワネットに手を伸ばしたところまでははっきりと覚えている。
ほんの少し前のことで記憶は鮮明だ。
しかし、伸ばした手を秋に掴まれた瞬間、また世界は変わった。
「え?」
そこは薄桃色の靄に包まれた空間だった。
靄は右から左へ動いている。
それに、テレビ画面のようなものがいくつも足元に広がっており、違う時代・違う場所の出来事を移していた。
「おい、秋っ」
なぜ金陽を取り戻さなかったのか。
ここはどこなのか。
疑問が山積みになった緋室は秋を呼んだ。
しかし、彼女は答えない。
パッドコンピューターをいじり、誰かを呼び出している。
「あー、貴方のにやけ顔が画面いっぱいに写るとむかつくわ」
『開口一番それかよ。・・・・どうした。秋』
コンピューター上に浮かび上がったのは春樹だ。
立体的なホログラム通信が彼の陰気さを正確に伝達している。
「金陽と接触したんだけど、どうも歴史に組み込まれているっぽいのよねー」
『嘘だろ?面倒くさいことになったな?どうする?』
「休憩所でしばらく様子を見る。それで、軽食と飲み物を送って欲しいのだけど」
『了解。すぐに準備する。休憩所の座軸は?』
「Dニ―三〇〇ニ五よ」
『オッケー』
春樹が消えたのを見届けてから、緋室は秋に問うた。
「金陽をマリー・アントワネットから引き剥がしたら終わりだろう?なぜこんなところで待機する必要がある?」
「意見は聞かない。
時空異邦人であるこの私が決めたの。
マリー・アントワネットの時が終わるまでここで待つわ」
つんと顎をそびやかした秋は足元の画面のひとつを掴んで、目の前に広げた。
秋の腕の動きひとつで、画面が大きくなるのが不思議だ。
大きくなった画面には金陽を身に付けたマリー・アントワネットが写っている。
「納得がいかない。・・・・なぜすぐに取り返さなかった?」
なおも言い募る不機嫌な声音に秋はカチンとなった。
それでもつとめて冷静に説明する。
「金陽のこの時代での役割がわからないからよ。
もしかしたら、金陽を取り返すことで歴史が変わるかもしれない・・・歴史を変えてはいけないもの」
「そんなわけないだろう!
金陽は地球国の秘宝だぞ。元々、この時代には存在していない」
「時空の何も知らないくせに偉そうに言わないでっ!
この時代に流れてきているっていう時点で役割があるかもしれないわ。
もしそうなら、うかつに手を出せない。手を出して歴史を変えるきっかけになったら大事よ。
何も知らないくせにえらそうに主張ばかり・・・はっ・・・王子様だものね、偉いんだわ」
「なんだと!無礼もいい加減にしろ!」
「いい加減にして欲しいのはこっちよ!
いい?
歴史が変わるって事はね、ここから先の未来が変わるってことなのよ!
今、現在に生きている人たちが生まれないかもしれない、私だって貴方だっていない未来になるかもしれない。
それどころか地球国すらないかもしれないのよ!
ほんのささいなことでも大きな悲劇を生み出す可能性があるわ!
私達時空異邦人はいつも責任を・・・今生きている人たちの人生の責任をおっているの!
貴方のわがままで人々への責任をないがしろに出来ないわ!」
秋の勢いに緋室は黙った。
「いいこと教えてあげるわ、王子様。
時空の流れの中では時空異邦人に逆らわないほうが身のためよ。
私は貴方をここに置き去りにすることも、時空のゆがみにほり投げることも出来るのだから」
唇の右端だけ上げて不敵に笑うと、彼は少したじろいた。
「それは脅しか?」
「そうとってもらっても結構よ。
いい?
私達には不文律があるの。『歴史を変えないこと』・・・それを変えさせようとするものは誰だって敵よ」
まったく、と毒づく。
「本当にっ!いつの時代もそうね。王族は何も知らない。お姫様は特にね」
「・・・・それは俺と雪白に対する嫌味か?」
「よくお分かりね、王子様」
「お前、そこまで王族が嫌いか?」
ギリッと緋室が歯軋りをした。怒りに染まる彼をひたすら冷静な目を見下ろす。
「時空異邦人で・・・時空異邦人に関係するもので、王族が好きな人はいないわ」
つんと顔を背ける。
視線の先・・広げた画面の中ではマリー・アントワネットがプチ・トリノアンでのひと時を楽しんでいた。
「王族が何をした?!」
「知らないとは言わせないわ!」
「・・っ!」
ギリと、二人の歯ぎしりの音が響く。
お互い睨み合って、同時に顔をそむけた。
イライラとした沈黙が落ちた。
腹立たしくて悔しくて、秋は唇をかんだ。
画面の中では、マリー・アントワネットが子供をあやしていた。
幸せいっぱいの画面の横に、軽食と飲料が入ったバスケットが現れる。
二人分の飲み物とサンドイッチ。
仕方なく緋室に渡そうとしたとき、
「・・・すまなかった・・・」
「え?」
「ちょっとした行動がすべて未来に繋がるとは思わなかった。すまなかった」
小さな声だ。だが、緋室ははっきりと謝罪した。
「俺は・・・どうしても金陽を取り戻さなければいけない。だから、焦っていた」
「いくら希少なアライブメタル製の装飾品とはいえ、ただの宝飾品でしょ?
それに、王宮の宝物庫にはもっと貴重な財宝が山ほどあると聞くわ。どうしてそこまで焦るの?」
「・・・・ただの宝飾品じゃない」
「え?」
「王宮の宝物の中でも、“金陽”と“銀月”・・・そして、“十二の権力者”ってやつは別格だ。
王室の・・・王位継承にもかかわってくる、重要な宝物で。
だから、絶対に取り返さなければいけない」
「あっそう」
王族の事情など、秋には全く関係ない。
ついつい返事もおざなりになる。
「時空のことを何も知らない俺がはむかってすまなかった。
・・・だが、俺が王族なのは仕方ないだろう。子供は親を・・生まれてくる家を選べない」
お前が王族嫌いなのは仕方ないがもう少し譲歩してくれても、と唇の中でごにょごにょとぼやいている。
最後のぼやきは気に入らないが、謝罪と王族であることに対する言い訳を真剣な顔で言われて、秋の気持ちは少し凪いだ。
ついつい軽口で応酬してしまう。
「思ったより素直じゃない、王子様」
「王子様って呼ぶな。俺にも名前がある。緋室だ」
「私が名前を呼んだら不敬罪になるんじゃない?」
「ならない!不敬罪っていつの時代だ!」
「前氷期は二十四世紀まで続いたけれど、王室を抱く国では結構最後のほうまであったみたいよ」
少しおどけて、スカートの両端を軽く持ち上げて軽く屈伸をする ― 淑女の礼だ。
「やめてくれ。現在の地球国に不敬罪は存在しない」
「あらそう」
そのわりには王族特権が多いけれど、という言葉を必死に飲み込む。
春樹から送られてきた飲み物と軽食を緋室に渡してから、画面を見る。
そこには夫と一緒に庭園を歩き、幸せそうに笑うマリー・アントワネットの姿があった。
頬を軽く染めて、幸せそうに笑う彼女の笑顔をみて、秋の心に憐憫の情がわいた。
「本当に幸せそう。幸が薄いって言うのが信じられないわ」
「幸が薄い?屈指の権力者の娘だろう?」
「結婚するまでは間違いなく幸せなお姫様だったと思うわ。
恋愛結婚で結ばれたやさしい両親、仲の良い姉妹達、豊かな生活。
七歳のときに天才音楽家のモーツアルトに求婚されたエピソードはとても有名よね。
でも、フランスに来てからは義理の祖父の愛人との対立、夫との不仲、なれないフランスの宮廷・・・鬱憤と寂しさから仮面舞踏会や賭博、贅沢に興じた。
夫が先天性性不能の手術を受けてやっと子供に恵まれたけれど、四人のうち二人は早くに亡くしているし、最後はギロチンで処刑だもの。
いい事のほうが少ないんじゃない?」
「不能の手術って、この時代にそんなハイテクなものがあったのか?」
サンドイッチの包みを開いた緋室の眉根にはしわが刻まれている。
質問の観点がずれているわ、と秋は失笑した。
「食いつくの、そこ?まぁいいわ、先天性不能って包茎のことよ、ほ・う・け・い」
「うぉお・・・女の口からは聞きたくない言葉だな」
「言わせたのは、貴方でしょ」
引き気味に笑う緋室を睨む。
「昔の医療って結構侮れないわよ。
インカ時代でさえ開頭手術が行われていたし。
当時には金属のメスとか麻酔とかは存在しないから、意識があるときに石器で穴を開けたそうよ。
でも生存率は八割以上だって」
「気分が悪くなってきた。サンドイッチが戻ってきそうだ」
手術の様子を想像して青くなっている様子がおかしくて、秋は声を立てて笑った。
「だらしないわねぇ。ここで吐かないでよ。
ま、ともかくマリー・アントワネットのフランス時代はあんまり幸せではないってことよ」
「でも、王宮の予算を散財してドレスを何着もつくって豪遊したのだろう?
その結果の死刑なら本人も納得じゃないか?」
「それがね、そうともいえないの。
確かに、マリー・アントワネットはファッションで浪費したけれど、当時の王室予算は国家予算のたった六パーセントで、彼女が使ったのはそのうちの一部よ。
そんなちょっとで国家予算を破産させたっていえる?」
「言えないな」
「でしょ。彼女に関する悪評・批判は革命時にでっち上げられたものや後世に作られたものが多いことがわかっているわ。
確かに・・・確かに、彼女が一部の寵臣を偏愛し、格式高かったヴェルサイユの慣習を変化させて品位を低下させて、ギャンブルで浪費という王妃にあるまじき行動をしたのは事実よ。
でも、彼女がいなければ、フランスにクロワッサンもコーヒーを飲む習慣も毎日の入浴もハーブが主流の香水も伝わらなかったわ。
それに、綺麗なドレスも流行らなかったわ」
「じゃあ、あの有名な発言・・「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」は?」
「正確には「パンがなければブリオッシュを食べればいいじゃない」ね。
あの発言もマリー・アントワネットが言ったという確固たる証拠がないわ。
このせりふは千七百六十五年に書かれたルソーの自伝的小説『告白』に出てくるのだけれど、このとき彼女は九歳だった。
『告白』にも大変身分の高い女性が言った言葉としかかかれていないし」
「なんか・・マリー・アントワネットを見る目が変わった」
驚きを含んだ愁傷な言葉に、秋は満足感を得る。
「一方向から見ちゃだめよ。右から見たら、次は左から見る。
柔軟な思考で物事を見て判断しなきゃ」
「そうだな・・・・。おい、マリー・アントワネットが喪服を着て泣いているぞ」
「えっ?」
画面下に表示されている数字を見ると、前氷期千七百八十九年六月四日。
「あぁ、王子が死んだ日かぁ」
棺に倒れこんでむせび泣くマリー・アントワネットの頭上には喪服用に形を変えた金陽がちょこんと乗っていた。
「今さらだがここはどこだ?」
「ここは時空の流れの中よ。私達は『休憩所』と呼んでいる。
ここではいろいろな時代の色々な時間をのぞき見ることが許されている」
「だから、いろんな時代がうつっているのか?」
足元に広がるいくつもの時代のかけら達。
ある物は軍隊を率いて敵を攻め、ある物は傀儡の幼い王として即位している。
紛れもなく歴史の一部だ。
「そう、すべての歴史を見ることが出来るわ。・・望むならだけど」
何千年、何億年も存在する地球の歴史。
生まれて、恐竜が存在し、哺乳類が台頭し、人が生まれ、育ち、文明を育み、そして滅び、また立ち上がった。
すべての歴史がここにある。
「ここで過ごす時間は本来の時空の流れよりもかなりゆっくりよ。
長期間の待機が求められる場合、ここに居ることが多いわね」
「そうなのか」
「そうよ。ほら、画面を見て。
マリー・アントワネットがタンブル塔に幽閉されていくわ。
あれは前氷期千七百九十二年。私たちがマリー・アントワネットに会った時から十五年後よ」
以前とは違いかなり質素なドレスを着たマリー・アントワネットがルイ十六世、娘のマリー・テレーズ、息子のルイ・シャルル、王妹エリザベートと共に義勇軍に連行されていた。
相変わらず質素な装飾品に化けた金陽が彼女の頭に乗っている。
「タンブル塔の生活はそんなに悪くなかったみたいよ。
夫とは会えなかったけれど子供たちと一緒に過ごす団欒の時、一回に十皿以上の夕食、専用の召使も雇えたわ。でもこの生活は約一年で終わり。
前氷期千七百九十三年一月、ルイ十六世が死刑宣告され、処刑。
マリー・アントワネットも十月に死刑宣告を受けて・・・ほら、馬車でギロチン台へと運ばれているわ」
馬車に力なく座っている彼女には王妃であった面影はない。
豊かな髪を真っ白にして、人生に疲れた女がそこに居た。
「待って・・・ないわ」
ギロチンに向かうマリー・アントワネットの頭には白い布で作られた帽子だけ。
金陽の姿はない。
「嘘でしょ?いつの間に?」
ギロチンへと進むマリー・アントワネットが映った画面の横を軽く叩く。
即座にキーボードが現れて、秋はすぐさま『金陽』と打った。
画面が時を巻き戻り、移る人々が逆走していく。
馬車に揺られたマリー・アントワネットッはコンシェルジュリー牢獄へと戻り、最後の睡眠をとっている。
夜が明けて夕方になり、昼となって朝が来た。
何日も何日もさかのぼり、時空はやっと金陽を捉えた。
時は深夜の一時。
マリー・アントワネットがコンシェルジュリー牢獄で迎える最初の夜だ。
枕元に置かれた髪飾りが不思議に煌いている。
「画面に飛び込んで」
「はぁ?飛び込めって言われても」
「いいから早く行きなさい」
「うわっ」
秋は躊躇する緋室の背中を押した。
彼の体は画面をすり抜けてマリー・アントワネットの寝室に落ちた。
ぐっすりと眠る彼女の枕元では、金陽が黒い煙を吐き出しながら浮かんでいた。
「あらーなんか素敵になっちゃってわね」
床で膝を打ちつけた痛みに悶絶している緋室。
彼の隣に降り立った秋は金陽をみて不敵に笑った。
彼女が金陽に手を伸ばすと煙が鞭のようにしなった。
『私に触れるのか、娘よ』
立ち上った黒い煙は金陽の周りにまとわりつき、秋と緋室を威嚇した。
『今、捕まるわけには行かぬ』
「貴方の理由なんて知らない。私には貴方を捕まえる理由がある」
『愚かな』
「・・・・・・・きゃあぁああぁあぁぁあぁぁあああ!」
金陽へと伸ばした指先が一瞬でこげた。
上皮が破れ真皮が露出する。肉の焦げる匂いと血の香りが一瞬で広がった。
「秋ッ」
「呪い・・ね」
痛みで丸くなった秋を緋室が抱き寄せた。
しかし、秋は殺気のこもった目で金陽をにらみつける。
『ほう、娘。男の腕に抱かれてもなお、戦意を失わぬとはたいしたものだ』
「あいにくと、ど根性で育ってきているし、多少の拷問は平気なのよ。
それに、男の腕に抱かれて甘えるほどお姫様じゃないの」
『私は時が来るまで時空をさまよわねばならぬ。今、連れ帰られるわけには行かぬ』
「それは本心じゃないでしょ?」
『知らぬ。私が知っているのは、私はまだ捕まるわけにいかないということだけだ』
醜悪な煙と笑いと共に金陽は忽然消えた。
まるで最初から金陽など存在しなかったように。
金陽が居た場所には、明らかに手作りとわかる小さな髪飾りが代わりに置かれていた。
「幻影か・・・それとも」
金陽が消えた今、奴がどうやって髪飾りに成りすましていたかは知れない。
しかし、少なくとも金陽が歴史に関係していないことは分かった。
やけどを負った右手が痛んで、秋は舌打ちをした。
「秋、大丈夫か?」
「・・・・仕方がない。一度戻るわ。大きく息を吸いなさいっ」
苛立ちと共に、秋は緋室の手を掴んだ。




