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金の陽光、銀の月華 3

瞬いて目を開けると空に浮かんでいた。

水に濡れたはずなのに、体にも髪にも不快感はない。


「前を見て」


声に促されて自分の体から視線を動かすと、眼前に聳え立っていたのは山かと思うくらい豪華で巨大な宮殿だ。

隣に悠然と立つときが、嫣然と笑う。


「偉大なるフランスの太陽王ルイ十四世が建造した絶対王政の象徴、豪華絢爛の宮殿ヴェルサイユよ」


広大な敷地に立つ豪奢な宮殿は見るものを圧倒している。

しかし、秋にはその姿が滑稽に見えて仕方がない。

なぜならー・・。


「このころのパリは不潔で有名。汚水や汚物などが道路に垂れ流しだったの。

それらをよけるために、ハイヒールやマントが発明されたの。

町が汚かった分、ヴェルサイユの絢爛さは目立ったでしょうね」


町が不潔の極みだったからこそいっそう豪華に見えたであろう権威の象徴など、ばかばかしい。

そんな不遜なことを考えながら嘲笑めいた笑いをうかべる。


「ヴェルサイユにもトイレがなくて、貴族達は庭で用を足していたそうよ。

そのにおいを隠すために香りの強い花を植えた庭園が発達したの。

マリー・アントワネットの時代には置きトイレはあったみたいだけど、溜まった内容物は庭に捨てたらしいわ。

当時の貴族の服の洗濯だって月一介出来れば上出来で、服にカビが生えるのは当たり前。

お風呂もシャワーも利用しないから、体臭をごまかすために強い香りの香水が発達したの。

・・・ヴェルサイユだって綺麗なのは外見だけ。

庭や通路には糞尿が溢れ、その上きつい体臭の上からきつい香水を降りかけてカビが生えた服を着ている人で溢れていた。ものすごい悪臭でしょうね」


「・・・不潔だ・・・」


「毎日の入浴と洗濯、水洗トイレが普及した今の世からじゃ想像できないわよねぇ。

ってことで、これ。鼻に塗っておいて。

鼻の回りと下と内側にも」


と、秋が自分の鼻に薬を塗りこみながらその薬が入ったチューブを緋室ひむろに差し出した。


「これは?」


「防臭剤。百パーセント抑えられるわけではないけれど、塗っとくとましよ。

あまりのアンモニア臭にえずきたくないでしょう?」


素直に緋室は頷いて、すぐに鼻に塗る。


「それを塗ったら、一気に王妃のところまでいくわ」


チューブを緋室から受け取った秋の髪がふわりと風に持ち上げられて浮いた。

その煌きに見とれていると、瞬間、周りが変化した。

時空が、景色が、緋室を取り巻いているすべてが動いている。

リニア特急に乗っているような、しかし自分の体には何の重力も感じない移動。

木も壁も建物も何もかもが緋室と秋を通り過ぎている。


「どうしてこんなことが?」


「簡単よ。私たちが通る部分だけその部分がなかった時間に巻き戻しているの。

そして、通った後は元の時間に戻している。

あと私たちの姿も今は見えないから安心して。

この時代に存在するものとして認識させていないの」


さも簡単なことのように秋は言った。

しかし、簡単ではないことぐらい凡人の緋室にもわかる。


時空異邦人タイムストレンジャーは最強の異能。

そのすごさの一片を自分より年下の少女の中に見た。


「・・・・で?ここはどこだ?」


「王妃の部屋よ」


いくつ物部屋を通過してたどり着いた部屋。

そのなかでは着飾った女性達が、ウフフアハハと歓談している。

盛り上がった頭、鯨の骨のスカートで膨らんだ下半身、豪華できらびやかな宝石。

一概には着飾った女性達の集まりだが、緋室の頭の中では秋に教えられた事実がぐるぐると回っていた。

うっぷと唸り、口をおさえる。


「毎日お風呂に入らない、一週間に一度の洗濯、カビの生えた服」


「まぁったく。軟弱ねぇ。

歴史はきれいなことばかりじゃないの。

汚いものがあってきれいなものもある。

当然のことよ。

好きな部分だけ知りたいなんて我がままよ」


そういいつつ、視線は女性達の中心に居る人物を探っている。

彼女は女性の中心に降り、誰よりも盛った頭をしていて、誰よりも豪華なドレスと宝飾品を付けていた。

頭上を飾るのは、羽飾りのついた大きなティアラ。


「頭の上にあるのは・・・金陽で間違いなさそうね」


「あれは・・・誰だ?」


緋室の質問に秋は大げさなため息をついた。


「マリー・アントワネット・ジョゼファ・ジャンヌ・ド・ロレーヌ・ドートリシュ。

旧名をマリア・アントニア・ヨーゼファ・ヨハーナ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン。

オーストリア大公マリア・テレジアと神聖ローマ皇帝フランツ一世シュテファンの間に生まれた末娘、ハプスブルク=ロートリゲン家の王女でフランスのブルボン家の王妃となった女性よ。

彼女を知らないの?」


「マリー・アントワネットは知っているさ。

でも、なんていうか・・肖像画とまったく違う。特徴的な顔つきだな」


「マリー・アントワネットは時の権力者よ。

肖像画なんて美化するに決まっているじゃない。

あれは「ハプスブルク家の下唇」。それにあの細長い頭も鷲鼻もね。

ハプスブルク家はその莫大な遺産を外部の人間に渡さないように近親相姦を繰り返したの。

その結果が劣性遺伝による子孫の異常よ。

そうねぇ・・代表的な例で言えば、スペイン・ハプスブルク朝最後の王・カルロス二世が特に顕著ね。

彼は小柄な知的障害者で、常によだれを垂らし、奇行を繰り返し、幻覚をみ、痙攣を繰り返し、内臓疾患に悩み、血尿をし、性的に不能だった。

悲惨よね。長い間、近親相姦を繰り返した結果よ。本当に恐ろしいわ。

・・・・ま、そんなこと今は関係ないわ。王妃が一人になったら声をかけるわよ」


「わかった」


わかったといった緋室だったが、数分後には後悔し始めていた。

眼下のおしゃべりは一向に終わる気配がない。

こらえる様子もなくいらいらし始めた緋室に秋の呆れが容赦なく落ちた。

彼女は器用にも、空中に寝転がって、頬杖をついている。


「女のおしゃべりは長いものよ。このぐらいでいらいらしていたら、女性にもてないわよ」


「うっ・・・だが、もう三十分はたったぞ」


「まだ三十分よ」


つんとそっけなく言うと、緋室が信じられないという目で眺めてきた。


「まだ、だと」


「まだ、よ。そうねぇ、二時間、三時間は当たり前よ」


「・・・・・・・・・信じられない」


「なによう、女の知り合いくらい居るでしょう?」


わざとらしく膨れて問うと、緋室は固い顔で黙った。


「・・・王子様?」


「女の知り合いなんかいない」


低い、小さな声だ。

耳を澄ましていなければ聞こえないほどの小さな小さな声だった。


「親父とお袋の間には俺一人で、お袋も早くに死んだ。

七王家だって男だらけで、年下ばかりだ。

それに、あいつらはいつも俺より一歩下がっている。話しかけるときも敬語だ。

唯一の女の親戚は時空異邦人になって宇宙の彼方。

親戚筋の公爵家には年の近い従兄弟三人と末娘がいるが・・・あいつらは臣下として線を引いている。

・・・・・・東雲の家は孤独だ」


「あ・・・あっそう」


答える声が震えた ― 孤独だと告げる緋室の声がとても真剣だったから。

しかし、反射的に秋の中の王族嫌いが顔をだし、偏見に満ちた侮蔑が秋の唇から零れ落ちる。


「・・・贅沢なこと」


「何か言ったか?」


「いーえ。あら、やぁっとおしゃべりが終わったみたいね」


「何?」


ささやかな衣擦れの音と「ごきげんよう」という挨拶を交わして去っていく貴婦人達。

それにマリー・アントワネットが侍女にお茶を頼んで、彼女以外誰もこの部屋には居ない。


「・・・やっと終わった」


「姿を現すわよ。重力も戻すから、床に着地できるように態勢を整えて」


「お・・おぅ」


「行くわよッーせーのっ」


秋の声で二人の体はこの時代に存在するものとして認識された。

毛足の長いじゅうたんの上に、二人は降り立つ。


「ごきげんよう、王妃様」


「誰ッ?」


「怪しい者ではないわ。声を上げないで。貴女の髪飾りに用があるの」


「これですか?」


生まれながらのお姫様はゆったりと言葉を紡いだ。


「これは陛下が私のために仕立ててくださったものですのよ?」


「ルイ十六世が?貴方のために?それは本当?」


確かめるように何度も問いただすが、マリー・アントワネットの解答は少しずれていた。


「まぁ、陛下のお名前を呼ぶなんて無礼ですこと。ブルボン王朝の国主でしてよ」


「失礼はわびるわ。でも、私たちはそのティアラについて知りたい」


「まぁ、よろしくてよ」


マリー・アントワネットが口元で扇子を優雅にふると、彼女の使っているハーブの香りがツン香る。

防臭剤を塗っていてもなお強い香りが二人の鼻を刺激した。


「うわっ・・・ペパーミントっ」


「黙って頂戴」


この王子は感覚と口が直結しすぎだ。

本当に呆れる。

秋は深く息を吸い込んで、イライラした気持ちを落ち着かせてからマリー・アントワネットに向き直った。


「そのティアラはどうやって手に入れたの?」


「私と陛下の小さな記念日の証として。

陛下がローザ・ベルタンと相談して・・・・陛下は錠前つくりをなさるから、それを応用して作ってくださったの」


近くで見るとティアラには鍵の模様があり、その上どこか素人くさい。


― ルイ十六世の手作りか。


ティアラのつくりのつたなさもさることながら、ローザ・ベルタンというマリー・アントワネットお気に入りのデザイナーも絡んでいる。


「まずいな、金陽が歴史に組み込まれているかもしれない」


「どういうことだ?」


質問する緋室を無視し、王妃に向かって一礼した。


「いったん引かせていただくわ」


「おいっ」


「ごきげんよう、マリー・アントワネット」


「ごきげんよう、異邦人」


ふんわりと少女のように王妃は笑った。








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