金の陽光、銀の月華 15
そうだ笑顔笑顔と思い返して、慌てて口角を持ち上げる。
それから、くるりと緋室のほうに向きなおると、こっちを見ていた緋室とばっちり目があった。
ドクンと心臓が跳ねる。
「なぁ」
「な・・何よ」
「結婚相手を王宮が決めるって言っていたけれど、どういうこと?」
緋室の質問に秋は「あぁ」と頷いた。
「時空異邦人人数拡大計画ってやつよ」
「は?何それ?」
「時空異邦人の最大数は多い時で五人。
それ以上の人数が同時期に確認されたことはないわ。だから何とかして人数を増やせないか試行錯誤しているの。
例えば、時空異邦人と能力が開花しなかった候補生や遺伝子保有者を結婚させたり・・・組み合わせはいろいろだけど、相手は時空省が考えて、王宮に申請して最終決定するの」
「ちょっとまて・・それ・・まるで交配実験じゃないか」
緋室の顔が固まった。
「そうともいえるわね。・・・前々回の組み合わせで、数は増えていないけれど私とハリヤっていう能力の高い時空異邦人が生まれているから、国はやる気に燃えているわよ。
今、クロノシアには遺伝子保有者の男が多いから・・私たちはその男たちと結婚させられるのでしょうね」
「春樹以外にもいるのか?」
「えぇ。春樹の他に、春樹の弟である夏羽、秋保、冬彦。
それに礎分家の西呉と南斗でしょ。
要家の太白、辰星、歳星もね。
あと・・第三研究室のガジェット・ウィリス氏に第二情報局のフェルナンド・リッテとアーサー・スターラ、広報室のジョジョ・リオでしょ。
他にも何人かいた気がするけど、忘れたわ」
「どうしてクロノシアの中にそんなにいるんだ?」
クロノシアの人数って三百ぐらいだろ、とぼやく。
「遺伝子を持つものはみんな第二候補生としてクロノシアに集められるもの。
そして、能力が開花したものだけが候補生になり、そこからまた何人かだけが時空異邦人になるの。
候補生に昇格できなかった第二候補生は地球に帰る人もいるけど、時空省の職員になってクロノシアに残る人が圧倒的に多いのよ。だからよ」
「そうなのか」
「そうよ。
ま、春樹以外はみんな第二候補生止まりだったから、春樹が夫候補の最有力なのは間違いないわね。
誰と結婚するのかしらね?
っていうか、今は時空異邦人の結婚なんてどうでもいいじゃない。それより、ヒュッレムはどう?」
「え・・あぁ。・・・・なんか宴会しているぞ」
「そう。あぁ・・奥の上座にいるのはスレイマン一世の母后のハフサ・ハトゥンね。
で、ヒュッレムの隣にいるのはマヒデブランだわ」
春の薔薇という二つ名がとても似合う可憐な女性がスレイマン一世によく似た少年の肩を抱きよせながら座っている。
「あの少年は悲劇の王子ムスタファね」
「悲劇の王子?」
「えぇ。彼は文武両道に優れていてスレイマン一世の跡継ぎとして問題はなかったの。
でも、彼の母親を後見していたハフサ・ハトゥンがなくなり、マヒデブランはヒュッレムとの勢力争うに敗れてハレムを追放されたわ。
それでも、彼にはイブラヒム・パシャっていう有能な臣下が後ろについていたけれど、結局はヒュッレムに負けるの」
「優れているならムスタファが王になったほうがよかったのに」
「何言っているの?
いくらムスタファのほうが優れていたとはいえ、セリム一世が王位を継がなかったらオスマン帝国は衰退しなかった。衰退しなかったら別の歴史になってしまうじゃない」
「あ・・そっか」
「歴史に無駄はないわよ。すべてに意味があってそれが絡み合って現在を作っているのよ」
そうよ。歴史にはすべて意味がある。
歴史は人の軌跡。
人が誰かと出会い、愛し合ったり憎みあったりして・・・人同士の関係性が時代となり、歴史となる。
マリー・アントワネットとルイ・十六世にも、ツタンカーメンとアンケセナーメンにも、狂女王ファナとブルゴーニュ公フィリップにも、小野小町と深草少将にも、クレオパトラとカエサルにも、楊貴妃と玄宗にも、朱蒙と帯素にも・・そして、ヒュッレムとスレイマン一世にも。
それぞれに彼らが出会った意味がある。
全てに意味がある。
― だから。
声にならない声で、秋はクロノスに祈った。
彼女の視線の先には画面を見つめている緋室の姿がある。
緋室と自分が出会ったことにも、緋室に恋をしたことにも意味があると信じたい。
諦めなければいけない恋だけど、捨てなければいけない恋心だけど、出会ったことには意味があると信じたい。
― それぐらいは許されるよね?
画面の中のヒュッレムの様子は、母后や第一側妃の前でも堂々としており、満ち足りていて、スレイマン一世に愛されているのがよくわかる。
うらやましくて、自然と言葉が零れた。
「一人の奴隷が王に愛されて女性の頂点に上り詰めたのよ。
自分の美貌と才気でね。
同じ女性としてはすごいと思うし、うらやましくあるわ」
「そっか。ヒュッレムって最初は奴隷か」
「そうよ。でも、ヒュッレムだけじゃないわ。スルタンのハレムに入った女は貴族出身でも平民出身でも女奴隷となるのよ。スルタンの女奴隷にね。
女奴隷からスルタンの手がついて側室格の「幸運なもの」や「目をかけられたもの」になって、さらに気に入られて寵姫や夫人と呼ばれるようになって、最高位は主席夫人。
・・・後継者となる王子を産んだら後継者の母と呼ばれるようになるの」
画面を眺めながらハレムの階級を説明していると、画面の中にスレイマン一世が現れて、成人未満お断りの様子が流れ出した。
唐突に始まったそれに仰天して、慌てて画面にフィルターをかける。
「・・・・・」
「・・・・・」
沈黙が気まずい。
どうしようという言葉が頭の中をぐるぐるとまわり、結局笑い飛ばすことにした。
「ハレムだもの!こういうこともあるわよ。ヒュッレムの部屋からスレイマン一世が居なくなったらフィルターが解けるように設定しておくわ」
「あ・・あぁ、そうしてくれ」
秋は急いで設定を打ち込んだ。
会話は途切れてしまい、ものすごく気まずい。
フィルターが解けるまでの時間が永遠のように感じる。
休憩所の中に座り、膝を抱えてひたすらフィルターが解けるのを待つ。
ものすごく長い、地獄のような時間 ― 実際にはほんの数分だが ― が終わって、やっとフィルターがはがれた。
ほっとして画面を見ると、身だしなみを整えたヒュッレムの前に財宝が次々と運ばれてくる。
あの財宝の中に金陽がいるはずだ。
「行きましょう。ほら、画面に飛び込んで」
立ち上がった秋は肩関節を回して首を揺らす。しかし、緋室は動かない。
「緋室?」
彼を見ると、苦しそうな顔で秋を見つめていた。緋色の瞳が悲しさに揺れている。
「緋室、どうしたの?」
「・・・どうやって呪いを解く?」
「呪いは問答で解くのが普通だけど、金陽の呪いに通じるかしらね?術者も死んでいるし。
試してみるけど・・・うまくいく保証はないわ」
「うまくいかなかったら、両手でつかむのか?」
「そうなるわね。つかんですぐにクロノシアに帰るわ。大丈夫よ。
腕なんて骨さえ無事ならすぐに再生できるわよ」
「すぐ再生できるとか・・・そういう問題じゃないだろ」
緋室は秋の手を取った。
「女なのに、自分を進んで傷つけるなよ」
彼の親指が秋の親指の付け根をさすった。
まだ爪が生えそろっていない人差し指や中指もなぞる。
その動きがとても優しくて、秋の背中にしびれが走った。
「な・・何よ」
赤くなる頬を隠すために、秋はスルリと手のひらを引き抜いて、彼に背中を向けた。
そして、いつものように憎まれ口をたたく。
「女だからって言っていたら、何にもできないわよ。
体が傷つくのも仕方ない、仕事だって割り切らなきゃ」
緋室が触れた部分を自分でなぞる。
そこに残る暖かさが心地よくて、もどかしい。
彼の親指の形がはっきりとわかって、それだけで泣きたくなった。
― しっかりしなさい、秋。
自分で自分を叱咤して、笑顔の仮面をかぶってから緋室に向き直り、彼を画面の前へと押しやった。
「さっさと飛び込んで頂戴」
「うわっ」
無理やり背中を押された緋室は体勢を崩して、またしてもひざを床で強打した。
声にならない悲鳴が上がる。
緋室に続いた秋が金陽に視線を定めた瞬間、ピンと空気が張り詰めた。
かと思えは、部屋の色彩が消えた。風になびくベールも、わずかに開いたヒュッレムの唇の形もそのままに、部屋の時は流れを止めた。
ただ一つ、金陽だけが色彩を失わないまま黒い煙をまとっていた。
「お久しぶり、かしら?」
『また貴様か』
金陽から黒い煙が盛り上がった。
部屋のいたるところに伸びたそれは、空中にはじかれ火花を散らした。
そのことに金陽は狼狽し、秋は満足げに笑った。
『何?』
「逃がさないわ」
目を凝らすと色を失った部屋のところどころに薄桃色の靄が見える裂け目があった。
その裂け目を、金にも銀にも見える細い糸が覆っている。
「この部屋に通じる時空の穴はすべて私が支配したわ。貴方に逃げ道はないの」
『・・・くっ』
秋は逃げ道を失って狼狽した金陽の前に立ち、
右の人差し指と中指を立てて胸の中で十字を切った。
「我、礎 秋の名において汝、金陽に問う。汝、何故その呪いを身にまとうのか」
『答える必要はない!』
黒い煙が束となり、呪いの言葉を含んだ煙が二人へ襲い掛かる。
「甘い」
秋はパントマイムのように空間をたたいて伸びてくる呪いを掻き消した。
すべての呪いを打ち消して、満足気に笑う。
『くそぅ』
金陽が焦れたのが分かった。
彼にまとわりついている煙がブワリと伸びあがり、いくつもの煙の腕を秋と緋室に伸ばしてきた。
その様子はイソギンチャクのようで、緋室は気持ち悪さに顔をひきつらせた。
「うぉえ、気持ちわる」
「あらぁ、素敵」
『消えろ!』
呪いの言葉をまとった煙が鞭のように撓って二人に向かってくる。
実体を持ったそれは、壁や床に傷をつけながら二人を威嚇した。
「ちょっと、破壊しないでよ!」
金陽が破壊した場所を片っ端から巻き戻し元の状態へと戻していく秋。
歴史を変えないという不文律に集中し始めた彼女の隙を金陽は見逃さなかった。
言葉のとげをまとった煙が秋の顔を狙う。
目の前に影が現れて、ハッとなった。すでに逃げる隙はなく、怪我を覚悟する。
「っ!」
絶対にあたった。そう感じたが、体のどこにも痛みは感じない。
恐る恐る目を開けると、秋をかばって煙に打たれた緋室がいた。
「緋室っ!」
「女に手を出すなよ。傷が残るだろ」
そういう彼の頬に走る傷。見た瞬間、心臓が跳ねた。
自分は傷をおってもいいというのか?
秋を守るために金陽と秋の間に割って入った緋室の背中。その背中を見ながら、
― こんな風に誰かに守られたのは、初めてかもしれない。
そう思った。嬉しくて、胸が切ない。
発展途上のささやかな胸が高鳴る。
緋室の肩越しに呪い渦巻く金陽をうかがう。
空中に浮かび上がって凶悪な顔を見せる彼は、思っていた以上に呪いが進行しているようで触る隙はない。
何より、呪いが高温になって金陽本体をじりじりと焦がしているのが分かる。
あんなものに触ったら骨まで解けてしまう。
秋だって女だ。
いくらすぐに再生できるとはいえ、進んで自分の体を傷つけたくはない。
― それに・・・。
視線を上にあげると黒髪が目に入った。
両手を犠牲にするといった時の緋室の反応を思い出して、秋の頬が嬉しさにほころんだ。
目の前にある背中にすがりたくなるようなもどかしい気持ちが彼女の胸に咲き誇っている。
秋を女の子扱いしてくれる緋室の存在が嬉しくて、同時に彼を悲しませたくないと強く思う。
― ・・あまり使いたくはないけれど・・・でも。
心を決めて、秋は緋室の腕をつかんだ。
「緋室、下がって」
「え?」
「捕まえるわ」
そう言って、緋室の前に出る。
両手を軽く胸の前で交差させ、左足を一歩引いて構える姿には強い意志が感じられた。
「っ・・・秋!」
「大丈夫よ。手は使わない」
秋の言葉に緋室は疑問を顔中に浮かべて、金陽は馬鹿にしたように笑う。
『手を使わず、どうやって私を捕まえる?』
「触れなくたって捕まえられるわ。
マリー・アントワネットの時代で一度触れて、貴方の“時”を知ったわ。
一度知った“時”はすべて時空異邦人の支配下よ」
金陽の時を巻き戻すのも早送るのも、自分の自由だと秋は高らかに宣言した。
「詩編を使うと疲れるから・・・・できることなら使いたくなかったけれど」
そう言って金陽を見据える笑みは不敵だ。
秋のあまりの冷笑に金陽がひるんだ。
秋は両手を緩やかに伸ばした。掌が上を向き、その姿はまるで悠然とたたずむ大樹だ。
彼女はすぅと深く息を吸い、クロノスへ捧げる詩編を紡ぎ始めた。
「女神よ、わたしと神に敵する者のいかに多いことでしょう。
わたしに逆らって立つ者が多く、「私には神の助けがない」と、わたしに告げる者が多いのです」
まるで舞を舞っているかのように美しくのばされた指の先から、言葉が溢れた。
絵画のような図形で描かれた文字は帯に挟まれており、まるでリボンのように秋の指先から伸びてい
く。
「しかし女神よ、神はわたしを囲む盾、わが剣、わたしの頭を上げることを許してくださるかたです。
わたしが声をあげて神を呼ぶと、神は聖なる宮殿からわたしに答えてくださるのです」
帯状に伸びた言葉たちが金陽の周りを舞った。
前後左右全てを覆い奴の退路を断つ。
秋が両手を軽く払い、言葉の帯は彼女から離れた。
言葉が離れた指をそのまま瞼を閉じた目じりに添える。
「私は横たわり、眠り、神の声でまた目を覚まします。
それは女神が私を必要とされるからです。神が私を愛してくださるからです。
私を囲み、私に群がる万の民を私は恐れない。
なぜなら神が私を支えてくれるからです。
女神よ、立ち上がることをお許しください。
女神よ、私を支えてください。
女神よ、私をお救いください。
神の力を得て、私は神の敵を打ちます。私の敵を打ち、また私の頬を打つのです」
目じりに添えられていた指が頬をたどり、首へと流れた。
秋の指先から放たれた言葉たちは、金陽をからめとり締め上げ始めた。
「女神よ、お力を示してください。女神よ、わたしをお救いください。
私の全ては神のものです。
どうか神の祝福がわたしと神の民の上、すべてにありますように」
詩編暗唱が終わった瞬間、この世界の時はすべて秋の支配下となった。
誰も動かない。
何も音がしない。
風も吹かず、鳥の囁きすら聞こえない。
全てが止まった。
視界が色を無くし、灰色となる。
緋室自身も意識はしっかりしているが、体は指一本動かせない。
視線の先には、言葉に締め付けられる金陽と詩編詠唱をする優雅な秋の姿がある。
「!」
いつのまにか、秋の後ろには女が寄り添っていた。
秋の右側にふわりと浮かんで、両手は秋の肩に添えている。
添えられている手から薄桃色の光が発せられていて、その光はどんどん秋の体に流れ込んでいた。
時空異邦人に力を与える存在なんて、一人しかいない。
「時空神・・・クロノス?」
意識の中で名前を呟くと、女はにっこりと笑った。
薄桃色の、休憩所と同じ色の髪は長くのばされており、毛先は丸く輪を作っていた。輪の中には長針と短針が浮かび、時を刻んでいる。
額を飾るサークレットには十二ヶ月を示す宝石が並んでおり、今の月 ― 八月の宝石がひときわ輝いていた。
八月の宝石と同じくらい秋の二色毛髪が光っている。
まるで光の帯のように、秋を包んでいる。
圧倒的な美しさがその場にあった。
女神とともに呪いと戦う秋の姿を見て緋室はなぜか唐突に『異能全書』の時空異邦人についての解説を思い出した。
時空異邦人 ― 時を操る異能。別名、時の神クロノスに愛された娘。
時の全てを操る、地球国最強の異能。
クロノスに愛されるからこそ、時空を操るという稀有な能力を与えられるのだという。
目の前のクロノスと秋の様子をうかがうと、クロノスが慈愛に満ちたまなざしを秋に向けているのがはっきりとわかる。秋は本当に愛されているのだなと強く思った。
秋が新しく唱え始めた詩編の半分がすぎ、言葉に締め付けられている金陽からうめき声と黒い煙が漏れ出した。
耳をふさぎたくなるほど大きい、この世の終わりを嘆く低い呻き。
しかし、秋の詩編詠唱は途切れない。
「神は女神の味方も女神の敵も分け隔てなく調べられる。
女神は乱暴を好む者を憎まれるからである。
神は女神の敵の時を奪い、支配される。
燃えあがる風のような怒りを与え、吹き抜ける風のような冷たさをあたえる。
女神は自らの味方のみ、顔を仰ぎ見ることを許すであろう」
『ぎゃぁああああぁああああぁあぁぁぁあぁ!』
断末魔とともに金陽から黒い靄が抜けだした。
うっすらと人の顔が生まれ、秋を睨む。
『・・・ば・・馬鹿な』
軽く息を吹きかけると、黒い靄は空気に紛れて消えた。
呪いの残滓が上昇気流となって彼女の髪を舞い上げた。
残滓とは反対に金陽は秋の手の上に落ちた。
取り戻した金陽を腕に抱いて、秋は凶悪に笑みほころんだ。
「私を誰だと思っているの?私は礎 秋。歴代最高の時空異邦人よ」
そういう秋は自尊心にあふれていた。
モザイクが美しいタイルの床の上で、優雅に立っている。
しかし、次の瞬間、彼女の体は大きく傾いだ。
彼女の体が傾いたのと同時に自由が戻ってきて、緋室はすぐさま秋に駆け寄った。
「秋!」
傾く彼女を抱き留めると、秋はうっすらと目を開いた。顔色は青を通り越して白い。
「秋、大丈夫か?」
「言ったでしょう。詩編を使うと疲れるのよ。
今頃、向こうで春樹があわてているわね。さっさとクロノシアに帰りましょう」
そう言うと秋は緋室の腕をつかんだ。




