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金の陽光、銀の月華 14

木の上に落ちた。

ものすごくデジャブだ。

下に引っかかっている緋室ひむろもなんだか気まずそうな顔をしている。


「怒りに任せてつかまないで、って前にも忠告したはずだけど」


「・・・・すまない・・・」


「もう。ここどこよ?」


コンピューターを取り出し、年代と現在位置を探索する。


「トプカプ宮殿から西に五百キロってところね。これぐらいならさっさと移動しましょう」


緋室の腕をつかみ、空を移動し始める。

眼下では森や人、家畜たちの姿が流れていた。


「今度の相手・・・・誰だっけ?ヒョッレム?ヒョットコ?」


「ヒュッレム・スルタン、ヒュッレムよ!

別名はロクセラーナ(ロシアの女)。オスマン帝国のスレイマン一世の妃。

もともとは後宮に献上された奴隷だったけれど、美貌と教養、詩歌の才で皇帝に寵愛されて第四側妃となったの。

後宮での敵は二人。スレイマン一世の母后ハフサ・ハトゥンと第一側妃マヒデブランね」


「敵って」


剣呑な言い方に緋室が困ったように笑う。

言外に「それは言い過ぎだろう」と言われた気がした。


「言い得て妙よ。まさに敵。後宮はね、女の戦場なの。

何十人もの女がたった一人の男性を巡って対決するのよ」


壮絶よというと緋室の顔色がさっと変わる。


「・・・・想像したくないな・・・」


「現在は完全に一夫一妻制だからね。でも、昔は女性が道具のように扱われて。

ほら見て、スルタンに群がる女の多いこと。みんな笑顔だけど内心はどうなのかしらねぇ」


二人の眼下に広がるのはトプカプ宮殿、新宮殿の中に備え付けられた盛大なハレムだ。

広間の前方中央に一人の男が寝そべっている。麗しの獅子とたたえられた優美なスレイマン一世だ。

まだ若く鍛え上げられた彼の肉体には複数の女達がすり寄っていた。

女たちの、露出もあらわに精一杯媚を売る姿。

ハレムで生き残るための処世術とはいえ、見ていていい気はしなくて、ときはふんっと鼻で笑った。


「仕方がないとわかっているけれど、見ていて気持ちのいいものじゃないわね。

男としてはうらやましいんじゃないの?」


「そんなことないぞ。好きでもない女に群がられても・・・体は反応するかもしれないが、心は嬉しくない」


「反応するの?さいっていね」


「最低って・・・仕方がないだろう。翻るミニスカートに視線が行くのが男だ」


「不潔っ」


緋室の口からそんな言葉は聞きたくない、という秋の願望が彼女の態度を硬化させた。

膨れる秋の様子に緋室が苦笑する番だ。


「どうしてそんなに怒っている?」


「怒ってないわよ!」


噛みつかれて、なお一層緋室は苦笑した。

むくれている秋をしり目に、眼下の様子を観察する。


「それにしても、昔の男は馬鹿だな。なぜ男の体が女より屈強で筋肉に富むかをわかっていなかったのだろう。・・・・・女は守るべきものだ」


「・・・・フェミニスト的な考え方には賛成よ」


「男の腕は自分のためだけに咲く一輪の花を守り、抱きしめ、慈しみ・・・愛するためにある。女を道具のように扱うものは真の男じゃないな」


持論を語る緋室の声に深みが増す。

彼は秋の髪を一房すくった。

しかし、秋の髪はすぐに流れ、緋室の視線も秋から後宮の女達に戻る。


「・・・・っ」


唐突に髪を掬われ、秋の心臓が跳ねた。彼の言葉も胸を刺激する。


― 信じられない、何あの色気っ!


胸がドキドキする。・・・・・落ち着け、秋。

緋室は一般論を述べただけだ。

当の本人はしれっとしているじゃないか。なんてことはない。反応してどうする?

そう自分で自分に必死で言い聞かせた。


「秋、どのタイミングで行く?」


落ち着け落ち着け。顔の赤いの、引け。


「秋?」


一般論一般論。私に向かっていったわけじゃない。ただの一般論。


「おーい、秋?」


「きゃっ」


目の前で手を振られて、やっと緋室が自分を呼んでいたことに気がついた。


「きゃって・・傷つくな」


「驚かす緋室が悪いのよ」


毛を逆立てた猫のように反論すると、緋室は眉尻を下げた。


「いったいどうした?今日の秋は変だぞ」


「う・・・うるさいわね。何でもないわよ!」


「おかしいって。顔もなんだか赤いし、熱があるのか?」


緋室が秋の額に触れる。反対の手のひらで自分の額を触り、体温を比べて唸る。


「別に熱はないは?どうした?」


「・・・っ」


何のためらいもなく緋室は秋に触れた。

全く意識されていない事実が秋に突き刺さり、心が痛む。

自分は緋室に触れられてこんなにも胸がドキドキしているのに。

彼は秋に触れることに何の躊躇もない。

ばれてはいけない恋だけど、隠さなきゃいけない恋だけど、全く意識されていないという事実がつらくて、ついつい言葉もきつくなった。


「大丈夫だってば!」


額に乗っていた手をふりはらうと、さすがに緋室の眉間にしわが寄った。

彼がむっとしたのが分かる。


「えぇと、金陽は・・・」


自己嫌悪と気まずさをごまかすために、慌ててパッドコンピューターで金陽の出現時間をさぐった。


「金陽は・・今夜の伽の褒美として贈られる財宝の中に混じっているようね。

明日の朝、ヒュッレムの寝室に行って取り返しましょう」


「ってことは、休憩所で待機か?」


「そのとおりよ」


秋に向かって手を差し出してきた緋室の手を取って、二人は休憩所へととんだ。

いつものように薄桃色の靄が二人を迎え、秋は足元に広がる歴史の中からヒュッレムが写っているもの選んで目の前に広げた。

ヒュッレム・・・快活な、という名前の通り朗らかな声を持つ彼女はリュートに合わせて詩を歌っている。

彼女の隣にはスレイマン一世が寝そべっており、彼女の声を楽しんでいた。


「この二人も仲がよさそうだな」


ツタンカーメンとアンケセナーメンを思い出したのか、緋室が柔らかい笑みを浮かべた。


「そうね。なんたって、スレイマン一世はヒュッレムを愛するあまりオスマン帝国の慣例をいくつも破ったもの。

当時、オスマン帝国ではハレムの女性がスルタンとの間に子供を一人以上生むことは許されていなかったの。

一人産んだら遠ざけられてしまっていたわ。

でも、スレイマン一世はヒュッレムが男子を産んだ後も一番に寵愛して、彼女との間に五人の王子をもうけたわ。

それに、ヒュッレムと正式な婚姻関係を結んで、彼女を奴隷の身分から解放する手続きも取った。

妃と婚姻関係を結ぶのはムラト一世以来よ。

彼女だって、自分に与えられた権力を使って、自分の敵になりうる美女たちをハレムから追い出して、実質的な一夫一妻制にしたわ。

スレイマン一世は四十六年の在位の中で十三回もの遠征を行って、数多くの軍事的成功を収めた偉大な王よ。

その功績を湛えて壮麗帝とかスレイマン大帝ともいわれるわ。

法典を編纂して帝国の制度を整備も下から立法帝カーヌニーという二つ名も持っているわ。

オスマン帝国を最盛期に導いた帝王として人気の高い彼が、次々と慣習を破るほど彼女に夢中になったのは確かね。

その結果、後継者争いが勃発して、国は乱れた。

彼女の息子でスレイマン一世の後を継いだセリム一世は酔っ払い・・・サルホシュというあだ名で呼ばれて、至福の館というところで酒と女におぼれたそうよ。

このセリム一世の時代からスルタンは絶対権力を失って、オスマン帝国の国家運営は官人による支配に移行したのよ。

スレイマン一世のヒュッレムの寵愛をきっかけに国は斜陽したわ。そういう意味では悪妻かもね」


「悪妻かぁ。その言葉を聞くと体の力が抜けるな」


「あぁ、そうね。貴方は間違うことなく悪妻を迎えることが決定しているものね」


言って、胸が痛んだ。

そうだ。

緋室には婚約者がいる。

秋がかなう相手ではない。

身分も権力も美貌も・・・すべてあちらが上だ。


月国ザ・ルナの王女、百合宮ゆりのみや 鏡湖きょうこ

性格に難はあるが、容姿だけは特出して美しい姫だと聞く。

自分の頬を抑え、自分の顔を思い浮かべて悲しくなった。

大人っぽさのかけらもない丸い頬に、背ばっかり伸びて凹凸のない体。ずっと伸びたままになっている二色毛髪は目立つだけだし、自分の容姿にいいところなんてない。


― あぁ、悲しい。


ハリヤのような大人っぽさもないし、思ったことをすぐに声に出すのは子供の象徴だ。

自分のことを再分析し始めて、恥ずかしくて死にたくなった。

ちらりと緋室をうかがって、彼にはいた暴言や文句の全てを思い返してもっと死にたくなった。

どう考えても、いい印象を持たれているわけはない。


「・・・」


なんだか泣きそうになりながらも、ほけっと画面を見つめている緋室の姿をみる。

子供の面影がない完成された大人の体。彫が深い顔つきに緋色の瞳が映えており、黒髪との相性も抜群だ。笑うと一気に幼くなるが、真剣な顔は“男”そのものだ。

恋というフィルターを通してみると、緋室がものすごく格好良く見えた。

前回会った時と同じ顔なはずなのに、彼からキラキラとしたオーラが漂ってくる。


 ― 緋室ってかっこいいかもしれない。


恋愛初心者の乙女心が顔を出す。

だけど、緋室は画面の中のヒュッレムに夢中で、自分を見てくれないのが悔しくて僻み根性が乙女心を踏み越えた。


「画面に見入っちゃって。なぁに?ヒュッレムに重ねて自分の悪妻でも思い出しているの?」


「妻じゃないし、思い出すことなんてほとんどないぞ。そもそも顔も覚えていないのに」


「嘘でしょう?」


「本当本当。最後に会ったのは俺が五歳の時だから」


「五歳って・・えぇ!十三年前?」


「そ。だから、結婚しなければいけない婚約者っていっても実は実感ゼロ。所詮政略結婚だしな」


「大変ね。婚約者のいる方は」


「秋だって婚約者がいるようなものだろ?ほら、従兄の」


「春樹ぃ?冗談はよして!確かに私の結婚相手は王宮が決めるけど、あいつだけは絶対にお断りだわ」


断固拒否とばかりに、秋は顔の前で大きなバツ印を作った。


「それに春樹は時空異邦人タイムストレンジャーの婚約者候補であって、私の婚約者ではないわ。絶対に嫌よ」


「そんなに断固拒否しなくても・・・仲良かったじゃないか?」


「仲がいいイコール結婚できる、じゃないわよ。私にとって春樹は兄よ。

兄と結婚するなんて考えられないわ」


近親相姦をする気はないわ、と主張すると緋室が大きく噴き出した。

肩を震わせ、盛大に笑っている。


「何よ?私そんなにおかしいことを言った?」


「・・・いや・・・」


「じゃあどうして笑っているの?

だって、春樹は私にとっては兄だし・・・血縁関係で言っても従兄なのよ。ばっちり近親相姦じゃない」


「秋・・秋、ストップ!秋って時々言葉が危険」


「え?」


「思春期まっさかりの女の子は、包茎とか処女とか近親相姦とか平気で口に出さないって。

俺でも恥ずかしいのに」


両手を口元に添えて軽くぶりっこしてみせる緋室の言葉に、秋が赤面した。

恥ずかしさと照れと怒り ― 三つの感情が一気に秋の顔を赤くする。

そして、自分の失敗を悟った。

事実だからと言って何でもはっきりと口にすべきではない。

そう反省するが、口から出るのは思いと真逆の憎まれ口だ。


「事実を言って何が悪いのよ。恥ずかしくなんかないわ」


「おーい、女の子。恥じらいをどこに捨ててきた?」


茶化され、秋は緋室を睨みつけた。


「女の子って年じゃないわよ!十五・・・成人だし、十分結婚できる年齢なんですからね!」


首元にかかった髪を払い、左手を腰に当てて威嚇するが、緋室は「ハイハイ」と軽く流すだけだ。

そりゃあ、十八歳から見たら十五歳は子供かもしれないけれど・・。

ものすごく軽く流されて、秋は憤慨した。

怒りと悔しさゆえに唇をかむ。ふんとそっぽを向いてから、ハリヤの言葉を思い出した。




泣くのは今日だけにして。明日は笑顔でいてね。





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