金の陽光、銀の月華 13
窓の外には漆黒の宇宙と青く輝く地球。
薄くかかった雲の隙間にパンドラが見える。
宇宙から見る地球は本当に美しい。
一度滅んだなどと、誰が信じるだろうか。
何千年も、何億年も昔から変わらず輝いている、というような錯覚に捕らわれてしまう。
クロノシアの中腹 ― 最も眺めのいい場所に社員食堂はある。
そこにめずらしい人影がいた。
彼は尋常じゃない量の朝食を平らげてふぅと満足に笑みほころんだ。
「あー、生き返る」
「目の前に広がる景色よりも、食欲ですか・・殿下」
「二日ぶりのちゃんとした食事だぞ」
朱蒙を見に行った後、緋室はベッドの上で二日過ごした。
ミュウアクアを使用しない時空旅行は予想以上に負担を与え、意識ははっきりしているのにどうにも体が動かなかったのだ。
空腹も健康な時と同じように感じたが、体は動かないので用意されたのは病人食だった。
しかし、成年男子の健康な胃袋は病人食では満足せず、空腹の限界を訴えていたのだ。
やっとベッドから起き上がれるようになった緋室は、すぐさま社員食堂に向かって朝食とは思えない量を平らげた。
ソウバが用意する少量で上品な料理ではなく、時空省の皆が食べている庶民の味。
量も多いそれは緋室の胃袋を十分に満たした。
「おいー、誰か秋を見なかったか?」
「えー知らないですよ。部屋にいなかったんですか?」
「いない。あいつ、九時から会議だったのにすっぽかしやがった」
「秋さん、またですか」
「ったく、ここからは簡単に出られないのに・・・どこ行っているんだ?」
満腹になって窓の外の地球をぼんやりと見つめていると、そんな会話が耳に入ってきて、「あぁ、また飛んでいるんだな」と苦笑する。
時計を見ると、九時四十五分。
風みたいに自由で、軽やかにどんなところにでも飛んでいく ― そんな彼女がうらやましと思う。
秋を思っていると唐突に周りの空気が変わった。
人々の動きが止まり、それから逆に動き出している。
「え?え?」
きょろきょろと周りを見回すと、緋室以外の皆が少しずつ少しずつ逆に動いていた。
時計の針が巻き戻っていく。
人は逆走し、コーヒーはコップからコーヒーメーカーに戻った。
目の前のソウバもとまっている。
緋室だけがそのままだ。
秋を探していた人物の後ろが少し光り、見慣れた薄桃色のもやが見える。
もやの中から手が伸びてきて、ぎょっとした。
手の後の続いたのは少し砂で汚れた秋の姿でほっと息をつく。
秋は緋室に気づくと己の唇に人差し指を当てた。「内緒ね」 ― 動作でそういわれ、頷く。
もやの中から完全に秋の体が現れて、やっと周りの空気が元に戻った。人々も動き出す。
秋はというと今来たんだとばかりに先ほどの男の肩を叩いた。
「夏羽、ごめん、待った?」
「秋。どこ行っていた。会議すっぽかして」
「ごめーん。ちょっとねー。会議は九時からでしょ?今からでも間に合うって」
「何を言っている。もう九時四十五分・・・・あれ?」
時計は八時五十五分を指している。
「ほらほら、会議行こう。コーヒー取ったらすぐに行くから先に行っていて」
「わかった」
不思議そうに首をかしげる夏羽を確認して、満足する。
時間を巻き戻したことに夏羽は気づいていない。
「今度はどこに行っていた?」
コーヒーを取っていると、緋室にそう問われた。
恋心を自覚してから初めて見る彼の顔に、秋の心臓が跳ねた。
コーヒーカップを握る手が緊張で震える。
「秋?」
「アラビアのロレンスと一緒に砂漠を駱駝で走ってきたのよ。
スリル満点だったわ。銃弾の中を走るのって」
髪を手櫛でなおすと、砂が零れ落ちた。それから、「あ、そうそう」と緋室に向き直る。
「銀月が金陽を見つけたわ」
「本当か!」
「貴方がベッドの住人になっている間にね。詳しくは会議の後に話すわ。
服を着替えて、スキャンを受けて、第一操舵室に行ってすぐ飛べるように準備しておいて。じゃあね」
「おい、秋っ」
言うだけ言って、秋はきびすを返した。
時間を巻き戻してまで参加した会議だったが、ひどく退屈で、何度もあくびをかみ殺すはめになった。議題は本当につまらなくて、しかも時空異邦人《時空ストレンジャー》には全く関係ない。
「秋のせいでつまらない会議に二回も参加する羽目になったわ」
隣に座っているハリヤが恨めしげにぼそりとつぶやいた。
「あは、ごめん」
「特Aランチ - 有機野菜のパスタ、デザート付きで手を打つわ」
「えー、せめてCランチ - とんかつ定食」
「いやよぅ、あんな油の塊」
くすくす笑いながらボソボソと会話を交わしていると、退屈な時間も楽しい時間に変わる。
遅く感じていた時間の流れが速くなり、あっという間に会議は終わった。
ドアから出る時に宗司に睨まれたのはご愛嬌だ。
ハリヤと顔を見合わせて、くすくす笑いながら会議室から出た。
「秋ちゃん」
ハリヤと連れ立って歩く背中を呼ばれて振り向く。
「雪白」
名前とおり真っ白な肌にアクアマリンの瞳。
幼さの残る頬をピンクに染めた同僚が小首をかしげて立っていた。
「秋ちゃん。緋室兄ちゃんってどんな感じ?」
「どんな感じって・・別に普通よ。
それに、緋室のことなら貴方のほうがよく知っているでしょう?」
雪白こと曙宮 雪白は王族だ。
しかも、緋室の従妹にあたる。
「式典でしか会わないからよくわからないよ」
その言葉に、心が少しざわめく。
雪白は時空異邦人ではあるが王族だ。
それゆえ、王族が出席しなければならない式典などの参加が義務づけられていて、年に何回も地球に帰る。
雪白のことは好きでも嫌いではないが、王族特権はいつも気に障る。
「別に私に聞かなくても話しかければいいじゃない」
「だって・・・緊張するよ」
「じゃあ話しかけなければいいわ!」
イライラする。
苛立ちのままに言葉を投げかけると、雪白の体がビクリと揺れた。
色素の薄いアクアマリンの瞳にみるみる涙がたまっていく。
弱い女を思わせるその行動がますます秋の癇に障った。鼻息荒く、かかとを返して歩き出すと、リノリウムの床にヒールの音が反響した。
同じように足を進めてきたハリヤが隣で苦笑している。
「大人気ないなぁ。曙宮 雪白、泣いたよ」
「ハリヤ。・・・反省はしているわよ。でも、当たり前のように王族特権を享受しているのを見るとイライラするのよ」
「容赦ないね、相変わらず」
「ほっといて!」
自分でもこれが八つ当たりだということはわかっている。
それでも、どうしてもイライラするのだ。
当たり前のように守られて、可愛くいることを許された弱い存在に。
「秋。そんな不機嫌な顔をしないで。せっかくの可愛い顔が台無しよ」
「ちょっと・・・ハリヤ」
茶化す彼女の言葉に秋は照れた。
「・・・秋・・・大丈夫?」
「・・・大丈夫よ」
言葉の真意が昨日の相談だというのはすぐにわかった。
照れていた頬からは赤みが引き、秋の顔には微かな苦渋が浮かぶ。
「大丈夫なんだから」
もう一度つぶやいた声に力はなく、ハリヤが心配そうな瞳を向けてきた。
「秋・・・」
「ハリヤ・・・肝心なことを忘れているわよ。
私は籠の鳥。
籠に捕らわれて、繁殖相手をあてがわれて、卵を産んで、死ぬまで歌い続けるの。そうでしょう?」
親と引き離されて、宇宙に送り出され、一生を管理されて、この艦の中で生きる。
「わかっているわ。それに、私はまだ幸せよ。
艦内に一族の全てがある。礎一族はねぇ、この艦から離れられないのよ」
言い切って浮かべる笑顔は、どこか寂しくて悲しい。
誰よりも風のようなのに、誰よりもクロノシアに絡めとられている。
それが礎 秋だ。
「もう少しで・・・あの王子ともおさらばよ」
全部と仕事と割り切ってたはずなのに、別れを想像するとまだ胸が痛い。
「・・・そうね。
ねぇ、秋。話は変わるけどさ。さっきの言葉で思ったけど。さすがにもうそろそろだよね・・・・結婚」
ハリヤの言葉に秋の胸がなおいっそう痛んだ。
「私が十六、秋が十五でしょ。そろそろ上から打診されるんじゃない?」
「かもね」
地球が一度滅んだ後の人類の寿命は長くて六十歳。
そのため、政府は結婚年齢を十五歳、就業年齢を十二歳まで引き下げた。
現在の人類は十五から二十歳の間で結婚する。
「相手に選ばれるのって時空省の人かな?」
「時空省か遺伝子保有者じゃない?」
「身近なところで言うと、春樹とか夏羽とか?」
「かもしれないね。礎家の男は遺伝子保有者が多いし。
春樹、夏羽、秋保、冬彦あたりは有力だと思うわ」
「でも、基本的に突然変異でしょう?
持っている人から子供に受け継がれるとは限らないし、何の因果関係もなくいきなり遺伝子上にあらわれたりもする。
その上、性染色体の、X染色体上にもY染色体上にも存在できるけれど、遺伝子として働くのはX染色体上でホモになった場合かY染色体上でもうひとつ変異が起きた場合、ってややこしいわね。
私たちの遺伝子。名前覚えている?」
「覚えていない。興味ないし・・それに、なんだか自分達が実験動物みたいに感じてしまうから嫌だわ、その話題」
「確かに」
クスリとハリヤが笑いをこぼす。
それから、いたずらっ子のように瞳が輝いた。
「ねぇ、秋。どうする?春樹が相手に選ばれたら?」
「はーーーーー?」
突拍子もないたとえに絶叫した。
嫌すぎて嫌すぎて想像するのも苦痛で顔が歪む。
「絶対嫌よ、あんな変態」
「俺だってお前だけは絶対ごめんだ、このじゃじゃ馬」
「うお、春樹!居たの?」
話題の中にいた本人がすぐ背後に立っていた。
「気配なく背後に立たないでよ、変態」
「変態変態うるさい、じゃじゃ馬。王子を待たしているのだから、さっさと第一操舵室に行くぞ。
ハリヤ悪いな、こいつ借りていくわ」
「どうぞどうぞ」
「ハリヤの裏切り者―」
春樹に首根っこをつかまれたまま、にこやかに手を振るハリヤに見送られて、第一操舵室に連行された。
室内には、時空旅行の準備をした緋室が待っていた。
秋を見つけるとぱっと表情を輝かせ、しかし、秋をつかんでいる春樹に視線が流れると顔をしかめた。
その反応、胸に痛い。
顔に血が集まるのがわかって秋はうつむいた。
「お待たせしました、王子。時空異邦人のお届けでーす」
秋の反応を知ってか知らずか、春樹が秋を緋室に押し付けた。
自然と緋室の腕の中に納まる形になる。
「っ・・・・・いちいちいちいち言い方が変態臭いのよ、このド変態!」
顔に上る朱を怒りのせいだとごまかして春樹に怒りをぶつけたが、彼は一向に気にしていない。
もう、水槽の調整に入っている。
消化不良気味の怒りが秋の胸に残る。
唸っていると、上から声が降ってきた。
忘れていたけれど、今、秋は緋室の腕の中だ。
「あの人、春樹って言ったっけ?・・・ずいぶんと仲がいいんだな?」
「あれ、従兄だから」
彼の腕の中にいることを自覚した瞬間、ものすごく恥ずかしくなってそそくさと緋室から離れた。
しかし、恥ずかしくて顔が上げられない。
「従兄?」
「そうよ。礎 春樹。礎家本家の跡取り。
変態だけど、頭は良くて・・・本人には内緒だけど、自慢の従兄よ。
あいつも遺伝子持っていて、昔は時空異邦人の候補生の一人だったのよ。
お父さんのように時空異邦人になるかもって期待されていたけれど結局ならなくって・・・で、時空省に勤めている」
「ふぅん」
落ちてくる緋室の声が重い。暗い。
彼の声が不機嫌な理由を勘繰りたくなってしまって・・・でも必死にその気持ちをとどめる。
この雰囲気、嫌だ。逃げたい。
その思いだけで、春樹に向かって叫んだ。
「春樹ぃ、前氷期千五百四十三年のイスタンブール!」
了解と春樹が手を上げて合図をするのと同時に、メインスクリーンに一人の女性の映像が映し出された。
「今度の持ち主・・・ヒュッレム・スルタンよ」
「ヒュッレム・スルタン?」
デジャブなやり取りに苦笑する。
「オスマン帝国のスレイマン一世の后で、オスマン帝国の斜陽のきっかけを作った人物ともいわれているわ。
奴隷としてスレイマン一世の後宮に献上された人物で、元の名はアレクサンドラ・リソフクサ」
説明しても緋室の顔はきょとんとしている。
「有名じゃないのかな?」とぼやくと「秋が詳しすぎるんだよ」という春樹の突っ込みが入った。
「前回は持ち主の意思を組んでみすみす逃したけど、今回は逃がさないわ。
金陽が歴史に関係していないことはわかったしね。
ヒュッレムの時間を止めて、その隙に金陽をヒュッレムから剥ぎ取る。そして、すぐに戻る」
「剥ぎ取るって・・金陽には」
強烈な術がかかっている。
「手を犠牲にするわ」
「やめろっ」
突如大きな声を出されて、秋はきょとんとなった。
「何?どうしてそんな大きな声を出すの?」
「お前か傷つくのは見たくない」
「じゃあどうしろと?せっかく見つけた金陽をこのまま取り逃がせとでも?
貴方達が私に命じたのよ。金陽を取り戻せ、ってね」
「それはっ・・」
「矛盾した論理をころころ展開しないで。迷惑よ」
「秋ッ」
さすがに春樹から制止の声が飛んだ。
まだ言い足らなくて不満だが、おとなしく口をつぐむ。目の前の緋室がぼそりと呟いた。
「・・・俺は役立たずだ・・・」
「当たり前よ。
・・・・緋室だけじゃない。時空異邦人以外の誰もが時空の中では行動できないわ。
ただ見ているだけ。だって、時空を知らないでしょう?
でも、私達は知っている。どこまでがOKでどこからはだめかを。
だから、時空の中で動くのは時空異邦人の仕事よ。
初めて会った日に「時空異邦人を使う」といったわ。
その言葉通り、貴方は私という道具を使えばいいの。私が傷つくことなんか気にしなくていいのよ。
道具が壊れるだけー・・・」
「やめてくれっ!」
緋室の叫び声が秋の言葉をさえぎった。
会話の内容、声の大きさに職員達がざわめき、秋と緋室の間にも気まずい沈黙が落ちた。
「あ・・・貴方にできることは私に従うことだけよ。さっさと水槽に入って頂戴」
必死にそういい逃げして、それから春樹の元へと逃げた。そりゃもう全速力で。
「春樹」
「秋、こっちに逃げてくるな」
面倒ごとはごめんだとばかりに、春樹が手を振る。
犬のような扱いにむっとした。
「うるさい・・・ミュウアクアの調子はどう?」
「だいぶ使用しているからな、純度が落ちている。また精製ろ過だな」
春樹の言葉に何人かが盛大なため息をついた。
「主任。俺、休んでもいいですか?」
「馬鹿者め」
春樹のこぶしが彼の一番近くにいた職員の頭頂に落ちる。
「ミュウアクアの精製に関わりたくないとは何事だ。たとえ七日八晩不眠不休の作業だとしてもだ。時空省の職員だろ?」
何度も何度もこぶしが落ちる。
叩かれている職員はこぶしが落ちるたびに「いて」と小さな声を上げた。
「ちょっと、ちょっと春樹、あんまり職員をいじめないでよ」
「秋こそあまり王子をいじめるな。そのうち、不敬罪で捕まるぞ」
不敬罪という言葉にむっとした。ツンと唇を尖らせる。
「不敬罪なんてものは地球国には存在しないそうよ」
「王子がそう言ったとしても、だ。・・・・王子を気に入っているのはわかるが、ほどほどにしろ」
「・・・何ですって!」
「気に入らなければ存在無視、暴言、皮肉を織り交ぜた正論で相手が泣くまで叩きのめすお前だ。
言葉はきついとは言えフォローまで入れているんだ。十分気に入っているだろう」
ニヤニヤ笑いながら言う春樹が気に入らなくて「変態」っとわき腹にパンチを入れた。
「こら、あまり俺にかまうな。視線で殺されそうだ」
「え?」
春樹が指差したほうを見ると、水槽のガラス越しにこちらを見ている緋室が目に入った。
嫉妬していることを隠そうともしない、いらだった瞳で春樹を見ている。
その視線に胸が高鳴った。すかさず春樹の茶々が入る。
「髪の色が変わる日も近いか?」
「っ・・・ド変態!」
もう一度わき腹にパンチを入れた。
「やめろ。俺にかまうな。こーろーさーれーるー」
「言い方が気持ち悪いのよ」
「さっさと水槽に入って、王子をなだめて来い」
さっさと水槽に入れといわんばかりに、言葉と動作で追い払われた。
少しぐらい助けてくれてもいいじゃない、けち。
そんなことを思いながらいつものように水槽に飛び降りて、足環をつなぐ。
秋の身体データがコンピューターに反映されたのを確認してから、春樹がミュウアクアの放水を始めた。
ドドドドという音ともに四方の放水口からミュウアクアが溢れては水槽にたまる。
緋室を見ると彼はまだ不満顔だ。
対応がめんどうくさくなって、ついつい投げやりな口調になる。
「何よ?何か言いたいことがあるなら言ったら?」
「・・・ハリヤに春樹は時空異邦人の最有力夫候補だと聞いた」
いつのまにそんなことを、と驚いた。
あんぐりと口が開く。
「秋はあいつと結婚するのか?」
「冗っ談。ってか、何より緋室にそんなこと関係ないじゃない」
「関係なくないっ!」
否定の意味で振った手を緋室が怒号と共に捉えた。
最悪なことに、その時点でミュウアクアは水槽の最低点を満たしていた。




