金の陽光、銀の月華 12
第一渡航室の隣に備え付けられているシャワールームで体を温めながら、秋はイライラと爪を噛んだ。
こんなにイライラするなら修復作業なんていかなきゃよかった。
緋室と一緒に金陽奪還に行けばよかった。
心の底からそう思うような、無駄な仕事だった。
「・・・・」
シャワーから上がり、ロッカーに入れておいた私服にそでを通す。秋のイライラはまだ収まらない。
「・・・・・」
・・・・そうよ。
緋室を叩き起こせばよかったはずだ。金陽が見つかったのに。
秋の最優先事項は金陽の奪還で、目的物が見つかったのだから修復なんてほかの時空異邦人に任せておけばよかったはずだ。
緋室を叩き起こして、一緒にイスタンブールに飛んで、金陽を取り戻せばよかったのに。
― だけど。
「・・・・・・・・」
金陽を取り戻せば、そこで緋室との関係は終わりだ。
彼は王宮に帰り、自分はクロノシアで働く日々に戻る。
彼の無邪気な笑顔や素直な感情表現を二度と見ることはない。
そこまで考えて、ハッとなった。
「・・・・嘘・・・」
緋室の顔を見られなくなるのは寂しくてつまらないと思った自分がいて、愕然する。
「そんな・・・馬鹿な」
信じられない、と自分の思考を疑った。
だが何度考えても、緋室と会えなくなることを寂しく感じている自分がいた。
「馬鹿な・・・何をトチ狂ったの?緋室は王族よ?・・・あいつと同じ、王族よ?」
もっとも嫌悪する対象である王族を思い出して、秋の体は恐怖に震えた。
しかし、頭の中でもう一人の自分が「あいつと緋室は違う気がする」と囁き、それに同意したい気持ちも十分あった。
「・・・・・」
緋室とあいつが違うのか、それを確かめたくて秋は自分の過去に飛んだ。
光の渦を抜けて目を開けると、視界に入ってくるのはいつも見慣れたクロノシアの風景だ。
ただ、職員の顔ぶれが少し違っていたり、みんな少しずつ若い。
先代の時空異邦人が廊下を歩いていて、秋は懐かしさに目を細ませた。
歩きなれた通路を目的の場所に向かって駆けると、それだけで心が重くなった。
あの部屋に良い思い出はない。
それでも自分の胸に湧いた疑問を確かめるためにあえてその部屋へ向かう。
部屋の扉を開けた瞬間、耳に飛び込んできたのは泣き叫ぶ自分の声だ。
「きゃぁあああぁああぁあっ!やだぁああ!助けて!助けて!お父さん!」
「うるさいぞ。平民風情がこの俺様の決定事項に文句を言うな。おい、電流を上げろ」
「はっ」
「ぎゃああぁあああ!ああああぐ!うわあああああぁああ!」
部屋の深部。
大きなガラスで区切られた部屋の向こうで、幼い自分が両手両足を固定されて、電流を流されている。
ガラスの手前には何人もの研究員がいて、その中でもひときわ尊大な男がにたりと笑った。
「まったく。時空異邦人というものほど面白いものはない。
これだけ電流を流しても正気を保っているとはな。
おい、電流を三分流した後、血液を採取しておけ。
採取したら、人工ミュウアクアの中にほりこんで時空を割く能力の伝達速度を調べるぞ」
「はい」
「いやぁああああ!お父さん、助けて!お父さん!」
「ふっ、父親を呼ぶか?あいつなら時空省の地球支部だ。
俺様がいる限り、ここには来ない。
もっとも、俺様がお前のような面白い実験材料を手放すわけはないがな」
ふはははは、と男は盛大に笑った。
電流に支配されている秋が両目を見開いた。
体中が跳ね、口の端からは唾液が零れている。
「うわぁあああああっ!」
「光栄に思え、候補生ナンバー三。地球国でもっとも高貴な一族である俺様に実験されるんだからな」
泣き叫ぶ過去の自分とガラス一枚隔てた場所にいるあいつ。
あいつの、満足そうに笑う顔を見て、怒りと恐怖で震えた。頬の横にあげた両掌がガクガクと震える。
「・・・あぁっ!」
いたぶられているのは今の自分ではない。
過去の自分だ。
過去の、幼い自分だ。
しかし、過去の自分が痛みに泣きわめくたびに、秋の体にも痛みが走る。
過去の秋が泣き叫ぶ様子を楽しそうに見つめている男に殺意がわき、殴り掛かろうとして必死で自分を抑えた。
― っ。
歴史を変えてはいけない。
自分はまだこの男にいたぶられ続けなければいけない。
秋は怒りに荒くなった呼吸と震えるこぶしを必死に押しとどめた。
殺気を込めて眼下の男を睨み付ける。
― 大丈夫。私はまだ王族を恨んでいる。
そう感じて安心して、しかし同時に緋室を思う。
― でも・・・緋室は・・・こいつとは違う。
無邪気で純粋で、感情を全く隠せない素直な王子。
抜けていて勉強不足で・・・。
彼を思うとなんだか情けないところばかりが浮かんできて、呆れる。
だけど、なぜか緋室が気になるのだ。
答えがどうしてもわからなくてもどかしい気持ちを抱えたまま、秋は自分の時代へと戻った。
いつもの通路。
いつもの職員。
自分の時間のクロノシアに戻ってきた秋はまっすぐにハリヤの部屋に向かった。
今日の彼女の予定は予約渡航が二件。
もう終わっているはずだ。
「ハリヤ、いる?」
彼女の自室を覗くと、ゆったりとした部屋着を着て、お菓子をつまんでいるハリヤがいた。
「あら、秋。お疲れ様。修復はどうだった?」
「後方支援が無能で疲れただけの最低な仕事。でも、無事に終わったわ。
あのさ・・・ハリヤ、ちょっといい?」
「どうしたの?」
「仕事終わった?相談があるのだけれど」
「大歓迎よ。今、飲み物を用意するわね」
秋に座るように進めてから、ハリヤが立ち上がる。
お茶を入れてくれているハリヤの後姿を見ながら、秋はラグの上に腰を下ろし、近くにあったぬいぐるみを抱え込む。
「はい、カフェオレ」
「ありがとう」
「嬉しいけれど珍しいわね、秋が相談なんて。どうしたの?」
秋の正面に腰を下ろしたハリヤはニコニコと笑っている。
「どういう風に話したらいいのか、わからなのだけど」
「大丈夫よ。むちゃくちゃでも聞くわ。思うことを言ってみて」
「あのさ、ハリヤは緋室のことをどう思う?」
「緋室?・・あぁ、東雲宮 緋室のこと?」
「うん・・そう」
もごもごと口ごもると、ハリヤは「そうねぇ」と顎に指を当てた。
「私は初日にしかお会いしていないけれど・・・普通に好印象よ」
「嘘?王族よ!」
「王族だけど・・・偉ぶったり威張り散らしたりもしなかったし。
私が金陽探索に失敗したときだって、「ありがとう」って言ってくれたわよ」
「嘘。私、ありがとうなんて言ってもらってないわ」
衝撃の事実に、秋が呆然とする。
顔に怒りをにじませた秋を見て、ハリヤは笑った。
「そりゃあ、秋はあの場所に居たくないって感じでさっさと部屋に引っ込んだでしょ」
「それは・・・」
事実ゆえに、反論がしぼむ。
「ねぇ、秋は?秋は東雲宮 緋室のことをどう思っているの?」
ハリヤの質問に秋は黙った。
脳内に浮かぶのは、緋室の笑顔だ。
秋が緋室をぼろくそに扱き下ろした時に浮かべた満面の笑みだ。
思い出して、自己嫌悪の気持ちとモヤモヤした疑問感が胸に湧いてきて自然とうつむいてしまう。
「秋?」
「私ね、ぼろくそに言ったの。だって、緋室ったらむかつくのよ!
最高の教育を受けることができて、権力もあって・・・何よりも自由なのに、なのに、自分に与えられた境遇に甘えて、何も努力してないように見えたんだもの。
歴史にだって自分の先祖にだって無関心で・・・与えられた知識を使っていない気がしてて・・・だから、私・・ものすごくもったいないって思って。思いっきり文句言ったのよ」
「うん」
「もし私が言われたら怒り狂っていると思うわ・・それぐらいのことを言ったのに、彼、笑ったの」
おもちゃを与えられた子供のように純粋な笑顔だった。
「私・・きついことを言ったわ。王族を馬鹿にしたわ。
自分ではっきりと自覚があるくらい、緋室を馬鹿にして文句を言ったわ。
でも・・・・彼は笑ったのよ。どうしても・・緋室のあの笑顔が頭から離れないの」
自己嫌悪でカフェオレボールを持つ手が震えた。
「秋のきつさが嬉しかったんじゃないかな?」
「え?」
「東雲宮って王家の中でも神格視されているし。
これは私の推測だけれど、東雲宮 緋室に本音で話す人っていないんじゃないかな。
だから、本気で怒って本気で文句を言った秋の言葉が嬉しかったんだと思うわ」
「そんな!私は緋室をけなしたのよ?」
今にも泣きそうに顔を曇らせた秋の様子にハリヤも困惑した。
「どうしたの?いつもならそんなこと気にしないじゃない?」
「自分でもおかしいと思う。でも、緋室の顔が頭から離れない」
傷つけたはずなのに、緋室は「ありがとう」と言ったのだ。
「秋・・恋をしたのね」
「え?」
「東雲宮 緋室のこと、好きになってしまったのね」
「・・好き・・?」
言葉にすると、その感情はすとんと秋の中に落ち着いた。
しかし、慌ててそれを否定する。
「馬鹿な!私は恋なんてしていないわ!」
「秋。恋はね、“する”ものじゃないの。“落ちる”ものなのよ。
本人も気が付かないうちに“落ちている”ものなのよ」
「・・・そんな」
好きという気持ちを自覚して、最初に感じたのは絶望だった。
「でも私はっ・・・私は礎の時空異邦人なのよ」
礎の異能は次代に受け継がねばならない。
そのためには、王家が決めた相手と結婚して子孫を残さねばならない。
純潔の喪失と共に失う異能だからこそ、誰かと恋をするわけにはいかない。
たくさんのプレッシャーが嵐となって秋を襲う。
秋が背負うものをよくわかっているハリヤはそっと息を吐いた。
「今の状態だとそれは仕方ないわよね。
でも・・・もしかしたら・・・普通に地球に帰って、普通に友人も出来て、カフェとかに行ってお茶をして・・・・そして、普通に恋が出来るようになるかもしれない。
だから、気持ちは隠しても・・・捨てなくてもいいんじゃない?」
「・・ハリヤ・・・」
「大丈夫。秋だけじゃない。私も隠しているから。
毎日毎日、あの人が誰かの相手に選ばれたらどうしようって不安に思っているから」
驚きで目を丸くした秋に向かって、ハリヤは己に落ちてきた恋心を語った。
そして、それを抱えていると。
恋を抱えることの喜びも苦しさも、幸せなのだと語る。
「秋、人を好きになるって素敵なことよ。
顔を見られる喜び、声を聴ける幸せ、傍に居られる愛しさ、ほかの女性と居るのを見て感じる嫉妬、自分のことをどう思っているがという不安・・・いろいろな感情を知ることができて・・・それに一喜一憂して退屈しないわよ。
今の状況じゃ気持ちは一生隠さないといけないかもしれない。・・・・でも、一生隠したっていいじゃない。私は嬉しいわ。
秋と恋話ができるようになったんですもの」
「ハリヤ」
「ねぇ、秋。好きな人と一緒に居られる時間を大切にしなきゃ」
その言葉の背後に隠された本当の意味を悟って、悲しくなる。
秋もハリヤも稀有な異能である時空異邦人だ。
国家に保護・監視されている今の状況では、恋がかなう可能性なんて万に一つもない。
「ねぇ、ハリヤの好きな人って誰?クロノシアにいる人?」
「秘密。今はまだ教えてあげない」
「ハリヤ、ずるい!」
「うふふ。いくら秋でもまだ駄目よ。
秋ははっきりしているから、私の好きな人を知れば協力しようといろいろしてくれるはずだもの。
相手にばれちゃうわ」
だから内緒、とハリヤはいった。
「秋。まだ金陽は見つかっていないのでしょう?
もう少し東雲宮 緋室といっしょにいれるじゃない。その時間を大切にしなきゃ」
「金陽は見つかったわ」
「あ・・・そうなの?」
「うん。前氷期千五百四十三年のイスタンブール。
ヒュッレムが持っているわ。明日・・・金陽を取り戻しにいく。それで、緋室とはさようならよ」
「そう」
「ハリヤ、どうしよう。さようならだと思うだけで悲しくなるわ」
自覚したばかりの恋心が悲鳴を上げる。
秋の群青色の瞳がみるみる潤んだ。
一つ年下の勝気な親友をハリヤは優しく抱きしめた。
「うん。つらいわよね。いくらでも泣いていいわ。でも、泣くのは今日だけにして。
明日は笑顔でいてね。
明日でお別れなのだから・・・一番きれいな秋を・・秋の笑顔を緋室に覚えておいてもらいましょう」
零れ落ちた涙をハリヤがぬぐう。
抱きしめられて、彼女の優しさと暖かさに余計に秋の涙は零れ落ちた。
「明日・・・東雲宮 緋室と時空旅行に行く前にどっかに飛んで気分転換して来たら?」
「でも、明日・・・会議」
「秋、貴方・・・時空異邦人でしょう?間に合わなかったら時間を巻き戻せば?
これぐらいの職権乱用、クロノスも見逃してくださるわよ」
ウインクとともに言われた提案に、秋が噴出した。
「ハリヤ、不謹慎よ」
「あら、失礼ね。・・・・・よかったわ、笑えている」
「うん。ハリヤに相談してよかった」
「そうね。なんたって、恋の先輩ですもの」
「頼りにしているわ、先輩」
額を合わせて二人は笑った。
ふざけたやり取りに心が軽くなる。
話せる相手がいて本当によかったと、秋は思った。
「今日、泊まるでしょ?」
「うん。でもこんな恰好だし・・部屋、隣だから、お風呂入って着替えてもう一回来るわ」
「わかった。お菓子用意して待っているわね。なんだか楽しいわね、パジャマパーティ」
「そうね」
「じゃあ、いってらっしゃい」
にっこりと笑ってハリヤが手を振る。
見送られて、秋は自室に戻った。
話ができる人、秘密を共有できる人間、ともに悩むことができる相手。
そんな他人がいることに秋は心の底から感謝した。
そして、満足いくまで話した後、自分の立場と恋に悩む少女達は手をつないだまま眠りに落ちたのだった。




