Barオアシス
バーから始まる恋愛物語。お気に入りの場所でくつろいでいた女は、悪酔いして怪しい男につけ込まれる。
身長百七十センチ、体重五十キロ、見た目は平凡なそのもの。
成りきるときは『完璧に』がモットーの私は、化粧品やカツラを駆使し、たまに別人へと変身する。
サラシで胸を押さえつけ、白いシャツに黒のブーツ、ライダースジャケットとシンプルなシルバーのネックレスを装備。カツラは黒で襟足は長め、アイプチでパッチリ二重を奥二重にする。ファンデーションは薄めに、骨格をはっきり出すために、頬に薄くシャドーを入れる。
これだけで、意外と友人も気付かない。
なんせ、普段の私はメガネにバッチリ化粧をしたお局だから。いや、お局予備軍らしいから。給湯室で、新人の女の子がそう言ってたのを聞いた。
黒髪を一つにまとめ、分厚いフレームのメガネをかけ、わざと真面目な私を演出している。ナチュラルなのに、見た目の印象を変えるメイクって意外と難しい。黒のカラーコンタクトを入れて、赤系統の口紅をして、キツイ口調で新人を指導している。会社の同僚には女王様とからかわれることもしばしば。
最初のコンセプトは『キャリアウーマン』だった。メイクも仕事もバッチリなイメージだったけど、中身がついていかずお局になったのだ。こればっかりは、仕方がない。
友人の前では、そこそこの化粧をした普通の女子。
でも、裏の顔は誰も知らない。知らなくていいのだ。隠したいのだから。
電車で、一時間かけて誰もいない土地へと行く。夜中のネオンが光る町へ、月に一回訪れる。そのまま入るのは、一件のバー。
「スクリュードライバー」
好きなカクテルを頼むと、ニコリと笑ってバーテンダーが作業に入る。
至福、眼福。癒される。
この時間が最高のひと時。格好は、男装でも心は乙女。
周りを見渡すと、店の落ち着いた雰囲気に合うようなイケメンや、渋いおじ様が目に入る。客席は、いつ来ても結構埋まってる。店内に女は私しかいない。
「おまたせいたしました」
店員の言葉に、カウンターの方を向くと琥珀色の液体がキラキラと輝いて見えた。
ぬふふ。私が女だと、誰も気づいてない。それでいい。それがいい。
だって、ここは女人禁制なのだ。
「よお、元気か?」
肩を叩かれ、振り向くと知り合いの男だった。私がイケメンウォッチングをしているうちに、店内に入って来たのだろう。
「うん、元気」
顔も見ずにカクテルを煽る。ここは、料理もそこそこ美味しい。適当にツマミを頼んで、次のカクテルは何にしようか、悩んでいると腰に手が回ってきた。
「今日も一段と男前だな」
からかうような言葉が耳元で囁かれる。無駄な色気が自分に降りかかり、内心を隠しながらニッコリと笑った。
「辞めろよ。セクハラ」
他に行け、と言わんばかりに腰を撫で回す手を叩き落とせば、相手はあっさりと身を引いた。
男の呆れたような視線を受け流し、私は酒を注文する。
「お前は、いったい何しに来てんだ? 出会いを求めてるわけでもなきゃ、一晩かぎりのお相手を探してるわけでもない……」
私は、知り合いの言葉にギクリと表情筋が固まった。
「な、何しようと勝手だろ」
誤魔化すように、怒ったフリをしてアルコールを飲み干す。
「……まあ、そりゃそうだな」
「折角、いい気分で飲んでんだから」
しっ、しっ、と追い払うように手を振れば「犬か」と、呆れながらも相手は退散した。
ふー、危なかったー。あまり深く聞かれたら、ボケツほりそうで恐い。ただでさえ、女顔って言われてるのに。男じゃないってバレたら、この場所に来られなくなる。
きっかけは好奇心、後は居心地がよくてズルズルと通い続けて常連さんになってた。このバーで私は『ユウキ』としてひっそりと活動中。
男装してるのは趣味。コスプレイヤーがやってることと変わらないと思うんだ。理由なんてない。しいて言うなら、楽しいから、ただそれだけ。世の中には、女の子が好き過ぎて女装する男の人や、気に入って男性下着を愛用する女の人だっている。中には、自分の健康な歯を抜いて、すべて差し歯にする野球選手だっているのだ。……最後のは、関係ないか。
このバーは、主に男性同士の出会いの場になってる。だから、知り合いと話をして美味しい食事をしたら帰るだけだ。誰かと、趣味を分かち合う気もない。本名さえ交換しない。社交的な雰囲気を演じなくてもいい息抜きの場所。イケメン見放題だしね。
「白ワインとチーズ盛り合わせ」
じゃんじゃん飲んで、明日は休み。買い物ぐらいしか予定はない。
好きなお酒を数回たのんで、いいホロ酔い気分――――さあ、あとは帰るだけ。
席を立ち、会計をしようとしたところで視界が回った。
世界が歪んで地面がないような錯覚に、思わず足を踏みしめる。固い音と、浮いたような自分の体に違和感を覚えた。
さっきまで、普通にいい気分だったのに。可笑しいなあ。泥酔するほど、飲んではいない。
視界の隅っこで、いたずらっこのように笑う男を見た。虫でも、服の中に放り込まれたような感覚、ゾワゾワと背筋がこおる。
直感で、ああ、あれが犯人か、と思った。ちくしょう、知り合いかよ。ニヤニヤしてんじゃねぇ。
心の中で罵詈雑言、口汚くても気にしない。
そういや、昔は市販の薬を酒に混ぜて、悪酔いした女の子をお持ち帰りするという手が使われてた。似たようなものか。いや、それよりタチが悪いかもしれない。ドラッグだったらどうしよう。恐い。
吐き気と、強烈な目眩に、いつの間にか床に寝ていた。視界のほとんどが床。後は、アシ、アシ、アシ、アシ。
ヤバイ。このまま寝てしまいたい。
「ごめん……」
私は、誰だか知らない奴に謝っていた。体を起してくれた人がいるのだ。固くて分厚い手の皮、大きな指の感触に身を任せていると声が聞こえた。
「俺、知り合いなんで連れて帰ります」
そんな白々しい知り合いの発言に、頭の中で警報が鳴る。
ソイツだけは、勘弁してくれ。犯人は、アイツです。誰か、お巡りさん呼んで。
私は、弱々しい声で帰ることを主張した。ありえない、犯人にお持ち帰りされるなんて、絶対にありえない。それなら、駅のホームで寝たほうがマシだ。
「無茶言うなよ。ここに居たら、店の迷惑になるだろ? バーテンも困ってんじゃねえか」
薬を盛った犯人が正論をいう。
え? アンタ、そうなの?
歪んだ目にうつる、知り合いの顔。そんな目を初めて見た。ギラギラで、触れたら切れそうな表情。
彼は、私に腕一本で引っ張り起こす。鈍い痛みに気づかないのか、そのまま私を無理やり立たせて支えた。
やばいやばい。いつ、恨まれるようなことをしたんだろう?
背筋を悪寒が這い、冷たい汗が伝う。冷や汗をかきながら、足に力を入れようとして失敗した。体がタコだ。骨がない。いや、実際にはあるんだけど、思い通りに動かない。頑張れ、私の足っ!
明日の朝、冷たくなって路地裏に転がされてたりしたら、今日このバーで出会った全員を恨んでしまいそうだ。こんなことされる理由が思い浮かばないのに、なんでこんなこと……。
「お前が悪いんだぞ……」
囁く低い声が聞こえて、思考が止まる。ふらつく体を、男は引きずるように店を出た。
しまった! 一瞬、ビックリしすぎて意識が飛んでた!
だって、私は恨みを買うようなことを他人にした覚えがない。自覚があるかぎりは。…………つまり、自覚がないところで何かした可能性がある。うあー、うあー、まじか。何をしたんだ私。
どこかへ運ばれる最中、真剣に考えても答えはでない。どうしても、この状況が納得できなくて、私は男へ声をかけた。
「……わたし……なに? ……なんで?」
おえっ、吐きそう。体がだるい。それでも、根性で男を見る。
足がピタリと止まり、男がコチラを見た。恐い。睨んでる。なに? なんで?
「ああいうところに来るんだから、何されても文句はないよな」
男は、そう言って笑った。口の片側だけを上げてニヤリと。
私は、おもわず目をそらし……吐いた。胃の中身、ぜんぶ。すっからかんになるほどに。
徒歩、十分。飲み屋の近くには、だいたい『ラ』から始まって『ル』で終わる建物がある。週末なんだから、部屋が埋まってるのが定石でしょうに。
一瞬の迷いもなく、男はチェックイン。帰りたくても、動けないし、酒が入っているからか、眠気が絶え間なく襲ってくる。意識は途切れる寸前だ。もう、どうでもいいや……なんて気になってくるから恐ろしい。
この人と知り合ってから、約半年。顔見知りの域を出たことはない。ただ軽口を叩き合うだけの仲だ。
「っ……」
男は、私を床へ放り出した。部屋へ着いたのだろう。
カーペットが優しく私を出迎えてくれる。
「少し待ってろ」
その言葉を聞きながら、私は意識を飛ばした。
軽く頬を叩かれて、なんとか目を開けるとコップに水と、洗面器が見えた。これで、口をすすげとゆうことだろう。
私は、だるい体を起し、男に手伝ってもらい口の中を綺麗にした。
「飲め」
再度、水をもらい素直に喉を潤す。
ん? なんか、スースーするな。……そう思って、自分の胸から下を見るとバスローブが……。
いやあ、見間違いかな。うん、まさか着替えさせてもらったなんてことは……ないよね。自分を恨んでる人が、こんなに優しいなんて錯覚だよね、うん。しかも、私……ベッドの上じゃないか。
周りからは、ぼーっとして見えるのか。男は、再度わたしの頬を叩いた。
「起きろよ」
「起きてるよ! 叩くな!」
ちょっと、思いの外いたくて反発してしまった。
男は、フンと鼻を鳴らしたが私は被害者だ。警察に通報してやりたい。でも、まだ何もされてないし……このくらいでは警察は動いてくれないだろう。もどかしい。
バーなら、助けてくれる人がいたかもしれないのに、自分の思考の低下が情けない。なぜ、ここまで大人しく引きずられてきてしまったんだ私。薬か、何かを盛られていても抵抗できることがあっただろう。今は、荷物も見当たらないし、スマホなどもっての外だ。
「お前、女だったんだな」
思考に割り込まれて、私はハッと男を見た。
「なによ、悪い?」
開き直って、演技を捨てた。ああ、もうオアシスに行けない。最悪だ。心の中で泣く。
「いや、俺はどっちもイケるし」
「……」そんなことは聞いてない。
彼は、笑った後、おもむろに私に近付いて来た。
水を飲んだからか、吐いたからか、意識は持ち直している。私は、ベッドの端へ後ずさった。
「なに?」
警戒心むき出しで聞けば、男はさらに笑ってベッドに乗り上げて来た。
「介抱してくれて、ありがとう。帰る」
早口で言い捨てれば、私のビビりようが面白かったのか、彼はニヤニヤ笑いながら近付いてきて、あっと言う間にベッドの隅に追い詰められた。後ろは壁だ。ラブホなんで、部屋はそんなに広くない。……というか、男の背が高いのでリーチの差であっさり捕まるだろう。逃げるだけ、無駄かもしれない。
「誘いを断ったのは、女だったからか? お高く止まってやがるから、どんなモノかとは思ったが……」
腕を捕まれて、悲鳴を上げかけた。ありえない、ありえない。帰りたい。
「初物か? まあ、それもたまにはいいな」
勝手に、ペラペラ喋る男を無視……出来ない!
「その年齢で処女か、レアだな。……痛いのは最初だけだろ?」
いやいや、いいです。一生、そんな経験がなくてもよろしいです。
「ぎゃー!!」
「うっせぇ」
「むっ……!!!!!!」
「黙れ」
「むー! むー! むー!」
「痛くすんぞ」
「……」
「それでいい」
そして、美味しく頂かれ……ません! 急所を蹴って飛び出す。
ただ、財布やスマホがないことに気付いてラブホの廊下で立ち尽くし、一、二時間後に回収されるという辱めにあった。
ただ、その後スマホに謎の電話がかかってきたり、違うバーでバッタリ出会ってしまうミスをおかしてしまい……なぜ、会社が割れてるんだ! え? 自宅も知ってる? 免許証と社員証か!
なにをとち狂ったか、遭遇するうちに友達のような妙な関係が構築され、たまたま飲みに行ったら男がいて、たまたま二人で飲むことになり、たまたま悪酔いしたせいでラブホに連れ込まれ。
え、思い出したくない。犬に噛まれたと思って忘れましょう。どうせ、遊びでしょ? ……え? いやいや、前から好きって嘘でしょ。だって、私は女だし。
アー、アー、キコエナイ。
妊娠? あれ?
「結婚するか?」
…………コクりと頷くしか、ない。なに、ニヤニヤしてんだ。
「不安なんですけど」
「大丈夫だ。金ならある」
そうじゃない。
「やっぱり、なしで」
いかんいかん、流されかけた。
「は? なんでだ?」
男の眉間にシワがよる。恐い。恐いよ。威圧すんな。
場所は、いつものバーだ。店員さんが空気をよまず、カクテルを差し出してくる。これでも飲んで落ち着けって? いやいや、妊婦だから飲まねえよ。
「気づけよ」
男がまた、威圧的に睨む。
……無理。これじゃあ、上手くいかない。……舌打ち。ちょっ、これは酷い。
「か、帰る……」
私は思わず、カバンを掴んだ。声が震える。
男は、頭をがりがりかいて小さく呟く。
「……何、泣いてんだよ。あー……めんどくせえなあ。机の上見ろよ」
潤んだ視界で、視線を上げる。……カクテルしかない。
「チッ」
また、舌打ちしたかと思うと、男がカクテルを一気飲み。
無言で肩を捕まれて、口に何かがぶつかる。……固い。そのまま、それが口の中に押し込まれた。歯で噛むと、キーンと跳ね返るような嫌な感じがしたので、手の上に吐き出した。
「……」
「……」
やばい。
「泣くなよ」
そういわれても、なぜか止まらなかった。
左手が掴まれて、ソレが指に通されると胸がいっぱいになる。妊婦だから、心が不安定なのだろうか。
「返事は?」
その言葉に、泣きながら頷いた。