運否天賦。「あれぇぇぇぇぇ!?」
書いていて頭が痛くなりました。
「夢だと思いたい…」
日村進は教室の机で頭を抱えていた。
あれから新聞や人と話を聞いた彼だが、調べれば調べるほど今日が7月20日だという真実がはっきりとわかってしまうので彼は調べるのを止め、受け止める事にした。
(でだ)
受け止める事で現在の状況を考える事にした。
(考えるのはいくつもある、そんなかで一番重要なのは……?)
まずはなぜこの現象が起きたのか?
『今日』が『昨日』ならば『明日』はどうなるのか?
(『明日』が『今日』になるなら問題は無いし、ハッピーエンドなんだけど、『明日』が『昨日』のままならバットエンドだよなぁ)
進は頭がいい方では無い、成績は多く見積もっても中の下クラスの人間だろう。
悪く言えば馬鹿。よく言えば大雑把。
それが彼、日村進と言う平凡な男子高校生なのだ。
しかし、この『馬鹿で、大雑把』な性格がこのイレギュラーな事態ではプラスに働いた。
もしも彼が頭がよく、世の中と保身を深く考えられる人間だったならば、錯乱して奇行に走っていたことだろう。
しかし、しばらく考えて彼が出した答えは
(まぁ……明日には元に戻るっしょ)
現状維持。
つまり深く考えず、かつ余計に慌てず、『今日』を過ごす事にしたのだ。
こうしてこの日2度目の『今日』を日村進は、
『昨日』と同じように学校生活を過ごし、
『昨日』と同じように友人達と放課後遊び、
『昨日』と同じように家に帰宅し、
『昨日』と同じように夕食を食べ、
『昨日』と同じように布団に入り、
『昨日』と同じように『明日』を迎えた。
そして『今日』が終わり『明日』を迎えた進は『今日』を再び迎えたのだ。
(あれぇぇぇぇぇ!?)
『昨日』の『今日』と同じく朝の学校で、机の上で頭を抱えていた進はようやく自身に起きている奇妙な現象に真剣に考えざるえなくなっていた。
日村進がいかに馬鹿な性格でも、流石に3度目の『今日』を迎えたのならば、落ち着いてはいられない。
よって彼は現在、街中を歩き回っていた。
『よって』からなぜ『街中を歩き回る』のかに明確な考えはない。
繰り返すようだが日村進と言う男子高校生は頭が悪い。
別に頭の良し悪しで、人間のステータスが決まっている訳ではない。
事実『昨日』は頭の悪さがプラスに働いた。
しかし『今日』はその頭の悪さがマイナスに働てしまったのだ。
(何かヒントは?)
そんな安直な考えから彼は街中を歩き回ると言う奇行に走っているのだ。
確かに『昨日』と同じように『今日』を過ごす事にしたならば答えは出ないと実際に『今日』を過ごした経験からわかる、しかしだからといって明白な答えを持たずにただ歩き回る事は果たして正しい解答に繋がるのか、と問われれば答えは五分五分だろう。
運が良ければ何らかのイベントが始まるだろうし、逆に運が悪かったら何もなく『今日』は終わり、また新しい『今日』が始まるかもしれない。
運の確率は五分五分だ。
ラッキーや奇跡は簡単には起きない、しかし同時にアンラッキーや不幸も簡単には起きない。
一般の人間が「ラッキー!」やら「不幸だ……」と口に出して起きている事もその五分五分な確率を努力や思考で意図的に増減させ僅かながらも核心、覚悟して起こしているに過ぎない、本当に五分五分の確率の運否天賦は簡単には起きない、いや起きる出来事は少ない。皮肉にも運に身を任せると言う人間自身が起こす事を削減してしまっているのだから。
しかし馬鹿で頭を使わずに行動だけをしている日村進は偶然にも純粋な五分五分な可能性を秘めた運否天賦に身を任せていた。
街中を歩き回り、すでに日は暮れ『今日』も残す所あと30分になる頃、ヘトヘトになった日村進は再び学校へ来ていた。
そこでこの物語の根本的な出来事が起きたのだ。
自宅、商店街、駅前、川原、様々な選択肢の中からただ何となく学校に来た彼の運は珍しくラッキー、アンラッキーが五分五分な可能性の中で、その出来事が彼にとって果たしてラッキーだったのかそれともアンラッキーだったのか、その答えは今後の彼の冒険
中で考えるとしよう。
次回、ようやく話が進みます。
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