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蜂蜜とミルクティー  作者: 暁 柚果
〈 7 〉
95/100

95.後援会



「葵姉さん! どういう事なの!?」

 杏実は会場に設けられた壇上に上がろうとした葵を掴んで、小声で呼び止めた。葵は特に慌てることもなくゆっくりと振り向き、いつもと変わらない冷たい目で杏実を見据えた。


「なに?」

「何って! 婚約発表ってどういう事よ!!」

 

 事の始まりは、後援会が始まってすぐのことだった。杏実は拷問とも呼べる久しぶりの両親との対面を済ませ、始終作り笑いを浮かべた母親に連れられて父の支援者に挨拶周りをしていた。その際、杏実は長期にわたる不在を詫びるとともに、父への支援に対する感謝を伝えることに徹していた。しかし……先ほど「実は知ってるよ。おめでとう」と言葉を掛けられた。母親はその言葉に「ありがとうございます」と返答を返す。なにか違和感を感じて、なんのことか尋ねてみると……


『何をおっしゃってるんですか! 今日はこの後援会(せき)で、三女の杏実さんが清水さんの御子息とご婚約を発表されるとお聞きしていますよ。このようなめでたい日にご一緒賜れるなんて光栄ですよ』

 と言って、楽しそうに笑いかけてきた。そのとんでもない事実に呆然とする杏実の横で、母親が「恐縮です」と笑顔で頭を下げていた。

 今日の母親は笑顔を絶やさない……しかし一度として杏実と視線を合わさなかった。そしてその後も杏実を無視するように、次々と支援者のもとへと杏実を連れて行く。先ほどの事実を確認する暇さえ与えられないまま……結局、戸惑う杏実に一言も気遣う言葉はなく挨拶回りを終えたのだった。


 婚約? 今日ここで??

 どうして? どうなってるの???


 疑問と不信感で一杯の杏実をよそに、壇上での演説が始まった。杏実は間もなく出番だと係りの人に連れられ、壇上の横の階段の前に待機させられていた。父は壇上の上で熱く選挙への意気込みを語っている。母は椅子に座ってその様子を、笑みを絶やすことなく聞き入っていた。

 しばらくして葵の姿を見つけた。杏実は足早に葵のもとに行きその腕を掴んだのだ。大勢の前ゆえに、小声で抗議する。



「何をいまさら。婚約してもらうって言ったでしょ?」

「そんな……私は出来ないっていったでしょ! まして今日ここで発表するって本気なの? こんな大勢の前で……これじゃ……」

「遅かれ早かれするんだから場所は関係ないでしょう」

「関係あるわよ!! これじゃ……断れない」

 こんな大勢の前でまして父親の支援者の前で杏実が拒否すれば、父親の顔に泥を塗り、千歳家の印象はたちまち悪くなってしまう。

 そんな……

 一人で何とかなると思っていたが、自分の行動ひとつで大きく左右してしまう事態に驚愕する。

 このままでは逃げられない……


「断る? まだそんなことを……」

「いい加減にしてよ! 私は出来ないって何度も言ってるのに」

「杏実!」

 なおも抵抗を見せる杏実に、葵は苛立ったように語気を強め杏実の言葉を制止する。その口調に反射的に閉口してしまう。


「今は言うとおりにして頂戴。わかるでしょ? 今の状況がどれだけ大切なのか」

「……そんな……」

「まだ言いたいことがあるなら、あとで聞くわ」

「あお……」

「杏実。いいわね? お祖母さんのことも忘れたわけじゃないでしょ? 言うとおりにして」

「……ひどい」

 そう言って唇を一文字に結んだ杏実を、葵は冷ややかな瞳で見据えた。そして「わかったわね」と念を押すと、壇上に登っていく。


 ……どうしたらいいの?

 出ない答えを探すように、その言葉だけがぐるぐると頭の中を駆け巡る。

 今だけ? 本当に??

 ううん……だめ。そんなの嘘に決まってる!

 否定と肯定を繰り返しながら杏実が考え込んでいると、そっと肩に手が添えられた。その感触にビクッと身体を揺らした。


「次ですよ。杏実さん」

 いつの間にか博己が隣に立ち、杏実の肩に手をまわしていた。たちまち先ほどのやり取りが頭に過り、嫌悪感がよみがえる。身体を離そうとするが、その動きは博己の手によって阻まれた。


「ダメですよ。今から発表があるんですから」

「……離してください!」

「ははは……」

 杏実が睨むように強い視線を投げかけても、博己は楽しそうに笑うだけだ。


『………このたび、私事ですがこの席でご報告させていただきたいことがあります』

 その言葉が会場に響いた。その声に杏実が顔を上げると、同時に壇上から父親が杏実に満面の笑顔を送ってきた。こんな笑顔は今まで向けられたことはない……あまりの意外な出来事に、面食らってしまい、とっさに息を飲む。

 そして次に告げられた言葉に、目の前が真っ暗になった。


『私の娘、三女の杏実が婚約することになりました』

 その言葉に一斉に会場に歓喜の声が響いた。

 実際に自分に起こった出来事だと認めたくない気持ちだけが、杏実の中を駆け巡る。肩から伝わる博己の手の感触と、満足そうな横顔にゾッとして視線を逸らした。もう絶体絶命だ。杏実は強く目を閉じた。


 嫌だ!!!


 

 その時、壇上の父親の話の続きをかき消すようなマイクの声が会場に響いた。


「そのお話は少しお待ちください」

 凛と耳に響く透き通った女の人の声。その声に驚いて杏実はハッと顔を上げる。そしてその瞬間、杏実の肩に置かれた博己の手が離れたかと思うと、腕を引っ張られて身体がすっぽりと温かいものに包まれた。


 え?

 その戸惑いと共に、覚えのある香りが鼻孔に広がる。そして背中に回された腕でギュッと抱きしめられた。

 この力強さ……温かさ……もう顔を見ないでもわかった。

 

 ずっと待っていた人―――――颯人だ……






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