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蜂蜜とミルクティー  作者: 暁 柚果
〈 7 〉
94/100

94.帰ってきたお守り


「……恵利さん……じゃないわよ……」


 杏実が思わず口に出た言葉を受けて、恵利は杏実を一瞥してから、不機嫌そうにそうつぶやいた。そしてワゴンの中が窮屈だったのか、両手を組んで怠そうに小さく伸びをする。


「ぷっ!!」

 その二人の様子を見て、先ほどのスタッフが再び吹きだして笑い出す。

 その声に恵利は動きを止めると、不機嫌そうな顔をさらにしかめ、そのスタッフに鋭い視線を送った。


「ちょっと……笑い事じゃないのよ! 遅いじゃない! こっちはどんだけ待ったと……」

「あははははは……。ごめんねぇ? だって博己(あいつ)急に帰ってきたらやばいじゃん? だから少し時間置いてみようかなぁ~ってさ」

「あんた、完全に面白がってるでしょ!」

「だってぇ、恵利がワゴンの中って、めったにお目にかかれないない機会だしさぁ」

 そう言って悪びれもなく、再び笑い出す。その様子に恵利が口元を引きつらせた。

 スタッフはそうして恵利の後ろでその様子を呆然と見ている杏実に視線を移して、恵利に向かって話し始めた。


「恵利! しかもこの子、おどおどして気が弱いのかと思いきや、無茶苦茶面白いね」

 そう言って杏実の方を見て、にっこり笑いかけてきた。目尻が細くなって無邪気な笑顔。親しみのこもったその表情から、思いがけず好意が向けられているのだとわかった。

 恵利と親しく話しているようだが、いったい誰だろう? そして一番の疑問―――――なぜ恵利がここにいるのだ。


「杏実さんはバカ颯人に惚れてる変わり者だからね」

「なるほどねぇ~。……この子がはーくん変えちゃったわけだぁ。その一生懸命なボケボケぶりにべた惚れかぁ~?」

 はーくん? べた惚れ?

 聞きなれない言葉に頭の中にさまざまな疑問が浮かんでくる。

 そんな戸惑った杏実の様子を見て、その人物はさらににんまり笑い、感嘆のため息をついた。

 

「どんな相手かと思ってたけど、確かに可愛い。私も持ち帰っちゃいたいなぁ!」

「夏美姉……それ颯人の前で言ったら、家出入り禁止になるわよ」

「えぇ~! ただでさえ帰れないのに……」


 え?


 恵利の言葉に思わず心の中で驚きの声を上げる。

 夏美―――――?

 その名前は聞き覚えがあった。まだ一度も会ったことのないもう一人の同居人。萌と恵利の姉。そして颯人のもう一人のいとこ。

 短く切りそろえられたストレートの茶髪に快活そうな大きな口元。そして颯人同様、切れ長な瞳だがその色は温かみがあり、女の人にしては太く大きめの声量がその表情を明るく親しみ深い印象に変えていた。

 まさかこの人が……?


「あなたは、”夏美”さん……なんですか?」

 恵利と軽快にやり取りしていた人物が、その呟くような杏実の声に振り返った。

 

「そうですよぉ? 夏美です。杏実さん、初めまして」

 そう言ってニコニコと笑いかけながら、夏美と呼ばれた人物は杏実に手を差し出してきたのだった。





 突然恵利と夏美がこの場に現れた理由。それはどうやら、杏実が突如としてホテルからいなくなったことを、颯人が心配して探してくれたおかげらしい。颯人は杏実がこのホテルにいると踏んで恵利と夏美に連絡し、すぐに駆けつけられない自分の代わりに二人を杏実のところに送り込んだのだ。恵利は持ち前の演技力でホテルのスタッフに成りすまし杏実の部屋番号などを調べ上げたものの、博己と面識があるため、代わりに夏美がルーム―サービスのスタッフに成りすまして、この部屋を訪れることになったらしい。しかしそもそもなぜ二人が杏実の地元にいたのか、颯人がなぜ杏実がこのホテルにいるとわかったのか、恵利は話すのを渋っており、(何を聞いても後は颯人に聞けと一点張りだった)詳細は不明のままだった。

 多少の疑問は残るものの、颯人が自分を心配して探してくれていた事や、恵利や面識のない夏美がこうして会いに来てくれたのは何よりもうれしい。その事実があれば、理由なんて二の次で良いのだ。



「じゃあ……とりあえず私たちは先に会場に行ってるから」

 恵利はそう言うと、フロントから取ってきたというもう一つのカードキーを杏実に渡してドアの方へ向かおうとする。


「恵利さん、夏美さん。本当にありがとうございました」

 杏実が心からそうお礼を口にすると、夏美がポンポンと杏実の肩を叩いて笑いかけてきた。励ましてくれているようで、その心遣いがうれしい。

 時刻はPM2時を過ぎていた。間もなく後援会の開始時間だ。二人は万が一、博己が戻ってくるといけないと言って、時間ぎりぎりまで部屋で一緒にいてくれたのだ。

 杏実が感謝をこめて笑顔をかえすと、夏美はハッと気が付いたように口を開けた。


「忘れるとこだった!……杏実さん。はい、これ」

 そう言ってポケットから小さな巾着を取り出した。

 夏美の手のひらには神社のお守りぐらいの大きさの巾着が小さく鎮座していた。見た目からして荒い縫製で、神社のお守りと言うにはあまりに見た目もお粗末なので手作りだろ。そして年季が入っているのか、”ぼろぼろ”だった。


「あの……これは?」

「はーくんから渡してって言われてね」

「はー……朝倉さんですか?」

「うん」

 

 颯人さんから私に?

 そう言われて、もう一度手の上に乗せられた小さな巾着を見つめる。

 これは、何だろう? ―――――――微かに何かが頭の隅をかすめるような気がした。しかしはっきりと形になる前に消えていく。

 記憶を手繰り寄せるように巾着を見つめ考え込む杏実に、夏美は不思議そうに言葉を重ねてきた。


「はー君は、杏実さんに見せればわかるって言ってたけど……」

「見せれば……ですか?」

「うん。 願いがかなうお守りだからって」


 願い?


「何よそれ……うさんくさ!」

 そんなやり取りをしている杏実と夏美に、恵利はバカにするようにそう言い放つ。そして杏実の手の中にある巾着を覗き込み、さらに顔をゆがませた。


「どう見てもインチキよ。明らかに手作りだし、タダって言われたっていらないわね」


―――――『え? 買った? 僕ならタダでももらいませんよ』


「ほんとに颯人がそう言ったわけ?」

「うん」

「ますます嘘くさ! あいつがそんなインチキ信じるわけないでしょ」


―――――『インチキに決まってる』


「でもぉ……本当に杏実さん見覚え無い? はーくん、杏実さんからもらったって言ってたけど」

「私に?」


 不思議そうに聞き返す杏実に、夏美はその言葉にうなずく。

 私に……もらった?


―――――『いりませんよ。僕には必要ないですから』


 先ほどから頭の中に靄がかかったように浮かんでくる言葉が、突然記憶と共に杏実の中によみがえってくる。

 そうだ! この巾着は()が颯人に渡したものだ。






―――――



『ですが……本当に“願いがかなう”と……もちろんタダでもらったものでもありませんし、境内から少し離れたところで……』


 なんの変哲もないこの小さな巾着を買ったのは、学問の神として有名な神社に忍の受験のお守りを買いに行った帰りだった。境内から少し離れたところで、突然呼び止められたのだ。

 初めは怪しいセールスかと思った。しかし“願いがかなうお守り”だという。杏実はその巾着を見た瞬間、なぜかこのお守りの不思議な力に吸い寄せられるかのように手に取っていた。そんなはずはないとわかってても、このお守りを二つ返事で買ってしまった自分がいた。(値段は3000円だった。そう言う意味ではインチキ臭いと言われても仕方がない)

 しかし家に持ち帰ってみると、そのお守りはその時のような不思議な力は働いていないように思えた。……あれは何かの錯覚、間違いだったんだろうと思っていた。一応は忍に渡す予定のお守りと一緒に持ち歩いていたのだ。

 あの日、颯人に会ったのは偶然だった。そしてその時――――――なぜかこのお守りを颯人に渡さなくてはいけない……そんな思いが……そんな気持ちが止められなくなっていたのだ。

 今でもなぜそう思ったのか、不思議だった。なぜなら、颯人は杏実の言葉に明らかに嫌悪感をあらわにしていたのだから。


『いかにも怪しい。しかもタダじゃないって……こんなバカ今どきいるんだな』

『え? 今なんて……』

『なんでもありません。とにかくいりませんよ』

『そんな……お礼なので』

『僕には願い事なんて無いですから。君が願えばいい』

『……私の願いは……朝倉さんに解決してもらいました』

『なら、捨てればいい』

『そんな……。……なら、朝倉さんの誰か大切な人にでもあげてください! そうすれば……』

『大切な人なんていない!!』

 あの時の颯人のすごい剣幕に、思わず息を飲んでしまったことを思い出す。そして同時にその強い口調とは裏腹に、その黒い瞳の中に深い悲しみの色が浮かんでいるのをはっきりと感じ取ってしまったのだ。引き下がるべきだった。しかしその瞳の中……心の奥底の孤独を見てしまった杏実は、思わずそれを颯人の手の中に押し付けた。


『なら、私が……いつか朝倉さんに大切な人ができるようにと願いを込めて贈ります! だからきっと、それまでこれを大切に持っていてくださいね』

『ばっ……』

『願いはかなえられます』

『僕は……すぐに捨てますよ』

『それならそれでいいです。とりあえず受け取ってください』

『……騙されてるって言ってるだろう』

『私は信じます』

『……筋金入りの……』

 そう言って言葉を切ると、颯人は呆れたようにため息を吐いた。


『もういい』

 やがて諦めたのかそう言うと、そのままその巾着を自分のポケットに入れたのだった。






 今の今まで忘れていた。

 その出来事は、杏実の実家に関するごたごたの一つだった。颯人の何気ない一言で杏実の問題は解決し、そのお礼にと押し付けた巾着だった。その場の勢いで強引に押し付けたものの、颯人は『捨てる』と豪語していたので、捨てたと思っていた。それもあって、その後すっかりそのことを忘れていたのだ。

 まさか……こんなところで再び目の前に現れるとは、思ってもみなかった。

 ましてこの巾着は、こんなにボロボロではなかった。まさかあれからずっと持ち歩いていたのだろうか?

 杏実の何気ない一言を信じて?

 いや――――――あれは杏実じゃない…………杏実(アメ)だった……でしょ?


「杏実さん? ひょっとして思い出した?」

 夏美のその声で、ハッと我に返る。


「はっ……はい! どうやら……私が渡したものみたいです……」

「ぷっ……どうやらって」

「杏実さんにとっては忘れるような些細なことを、あいつは覚えてたってことでしょ。……きもいわ」

 恵利がそう言って眉間にしわを寄せる横で、夏美は同意するように楽しそうに笑った。杏実の記憶力の悪さのために、颯人が悪く言われるのはいたたまれない。

 しかし……杏実(わたし)にもらったということはつまり……初めから杏実をアメだと知っていたんだろうか?

 いつから?

 気づいていたなら……どうして言ってくれなかったんだろう……


 次々と疑問が湧いてくる。しかし颯人が言わなかったことについては杏実も同罪なのだ。きっと二年も経てば自分のことなど忘れていると思いながらも、もし……本当に忘れられていたらと思い怖くなって言えなかったのだから。

 

「でもどうして私に……」

「返しといてくれって言ってたわよ? 自分にはもう必要ないからって」

「必要ない……?」

「願いがかなったんだって」


 願いが……叶った?


「嘘くさすぎる……というか、それを颯人が言ったかと思うと……あ~やだやだ。聞いてらんない。考えたくもない! 夏美! もう行くわよ」

「はいはい。後ねぇ、杏実さんに言っとくことない? って、聞いたらなんかメモに書いて中に入れてたよ。後で見てみたら?」


 夏美は半分恵利に引きずられながら、そう言って再び優しく微笑んだ。杏実がその言葉にうなずくと同時に、恵利と夏美はドアの向こうに消えていった。


 メモ?

 そう思って、手のひらに乗せられた小さな巾着の口を開ける。中に2つ紙が入っていた。丁寧に折りたたんだものと、急いでいるように無造作に折りたたまれたもの。

 見覚えがあるような気がして、丁寧に折りたたまれた紙の方から開けてみる。


―――忍の合格を願う。お守りを渡す―――と書かれていた。


「……これって……」

 これは以前、杏実が書いたのものだ。この巾着を売っている人から、中に願い事を書いて入れておくといいと言われて、書いて入れておいたのだ。そういえば、颯人に渡す時、この紙を取り出すことを忘れていた。それに“私が代わりに願います”と言っておきながら、中の願い事を書き換えていなかった事実に気が付き、いたたまれなくなる。

 これを持っていてくれたということは、颯人はお守りの効果をひそかに信じていたに違いない。しかし杏実は“願い事を書いて中に入れる”とは言わなかったし、本来お守りの中は見ないものだろうし、きっと颯人はこの紙の存在を知らなかったのだろうと思うことにした。

 結局……颯人は何を願ったんだろうか?


 乱雑に折りたたまれた紙も開いてみた。きっとこれが颯人の書いていた紙に違いない。そう思って小さなメモ用紙を見ると走り書きで書かれた颯人の文字があった。


“後で迎えに行く。待っていろ”


 そっけない言葉だった。しかしその簡素な文章はなんとも颯人らしい。思わずうれしくなって笑ったつもりだったのに、目尻からは知らず知らずに涙が零れ落ちていた。

 心細かったのだ。夏美と恵利は颯人に言われて駆けつけてくれた。きっと颯人は杏実を待っていてくれている、心配してくれていると思っていた。しかし……元来の自信のなさが邪魔をして、颯人を信じきれない気持ちもあった。

 しかし今、颯人らしい言葉を目にすると、それは嘘ではないと杏実に告げてくれているように思えた。

“待っててもいい――――――杏実の帰る場所はここだよ”と。


「待ってますね……」

 そっとそうつぶやく。止まらない涙と裏腹に、温かい気持ちが杏実を包み込んでいた。




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