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蜂蜜とミルクティー  作者: 暁 柚果
〈 7 〉
93/100

93.ルームサービス



「まだ何かあるのか!?」

 博己は苛立ちをいっそう強くしたようにそう叫ぶと、杏実の手を離して、ドアの方へ向かう。そしてポケットからカードを取り出してドアを開けた。

 博巳の肩越しにべージュのホテルの制服を着た女性が姿を現した。おそらく先ほどのルームサービスのスタッフだろう。博己から怒られると思っているのか、短い髪を伏せ、下を向いて胸の前で手を組み不安そうな様子を見せていた。


「なんだ! そこに置いておけと言っただろう!!」

「す……すみません。中から博己様の声が聞こえたようでしたので……」

 その女性スタッフはこわごわと、博己の質問に答えていた。いくらお客とはいえ、ひどく傲慢な態度に思える。

 もしかして博己は、このホテルの関係者なんだろうか?


「何?」

「先ほどからオーナーが探しておられましたので、一言お声をおかけした方が良いと思いまして」

「父さんが?」

「は……はい。本日の件だとかなんとか……」

「そうか……。わかった」

 博己はそう言うと、一度杏実の方を振り返る。再び視線が向けられた緊張感から、ビクッと身体を揺らした。

 

「杏実さん。少し予定が入りまして、これで失礼しますよ。これから長い付き合いになりますし、次回……楽しみにしています」

「わっ……私は……言いなりには……」

“なりません”と言おうとして、博己から鋭い視線を向けられ、グッとその言葉を飲み込んだ。

 今は下手なことを言って博己を怒らせることよりも、ここから出て行ってもらうことが最優先だ。

 杏実がおとなしくなった様子を見て、博己は満足そうな笑みを浮かべると、ドアの前で不安そうに佇むスタッフに向きなおり、そっと何か耳打ちするように身体を近づけた。


「はっ……はい! かしこまりました!! そのようにいたします」

 博己から何を言われたのかわからない。しかしその言葉と同時にスタッフの顔色が変わった。そして確認するように上目遣いにチラッとこちらに視線を向けた。杏実はその視線に、博己も振り向くのではないかと怖くなって、とっさに視線を逸らした。

 大方、杏実を外に出さないように、念を押しているんだろうと思う。

 逃げないって言ってるのに……信用してないわけね


 博己と杏実は初対面に近い。疑うのも当然だろうと思う。しかし仮にも婚約するかもしれない相手を、こんなところに閉じ込めていることに何の罪悪感も感じないとは……博己の人間性を疑わずにいられない。

 少なくとも……杏実はこの人を好きになれそうもない。




「失礼します」

 その声にハッとして、顔を上げた。

 気がつけば、博己の姿は消えており、先ほどのスタッフがワゴンを押して部屋の中に入ってくるところだった。制服をきちんと着こなし、行動も無駄が無い。しかし杏実から目を逸らすように俯いており、肩の上で短く切りそろえられている髪が、その表情までも隠してしまっていた。

 内鍵の掛かる部屋。

 そこから出ないようにと指示されている人物に対してどう思ってるのだろう? と思う。犯罪者とまではいかなくても、なにか問題を起こしかねない人物、少なくとも関われば危険だと思われているのかもしれない。まして万が一杏実を取り逃がしてしまったとしたら、このスタッフの責任となるのだ。そんなわけのわからない人物に関わり、責任を取らされるのはごめんだろうと思う。

 一介の従業員にその責を負わせるのは酷というものだ。

 しかし、逃げないとは言ったが、万が一博己が戻ってきた場合、この部屋から出る方法を考えておかなければ、元の木阿弥なのだ。

 このスタッフに迷惑をかけない方法で、何か自分を守る術はないだろうか?

 杏実に背を向けて、黙々とワゴンに乗せられた食事の準備をしているスタッフを見ながら、懸命にこの状況から逃れるすべを考える。

 

 殴って逃げる? ……でも鍵が無ければ出られない。怒らせるだけで状況はますます悪くなるだろう。

 眠らせる? ……しかしスタンガンは無いし、一般的な睡眠導入剤でそんなすぐに眠る人もいないだろうし……薬もない。

 誰かに助けてもらう……って誰に?

 そう思って、ハッと颯人のことを思い出した。心配してくれているだろうと思う。急に会いたい気持ちが募ってきた。ジワリと涙が目尻に溜まってくる。


 ああ……もう!! 


 まったくいい案が浮かばない。頭の中はますます混乱するばかりだ。このスタッフが頼みの綱なのだ。なにか……なにか……

 そう杏実が考えをめぐらしていた時、準備が終わったのか、スタッフがドアの方へ歩いて行こうとしているのが分かった。


 行っちゃう!!


 とっさに引き留めなくてはと思い、口を開いた。


「まっ……待って! 待ってください!! お願っ……何か殴るもの……貸してください。あっ……違っ……護身用にいるだけで、あなたを殴ろうとかじゃなくて……私、危険な人なんかじゃないんです。あっ……あと鍵!! 鍵をください……あっ、逃げるつもりじゃないです。いざって時逃げるために! ああぁ~それじゃ……結果的に逃げることになりますよね。違うんです……そうじゃなくて……怖くなったときにこの部屋からって言うか……」

 杏実の支離滅裂な言動に、スタッフはドアの前で、杏実に背を向けるようにして立ち止っていた。杏実の言葉を無視していくべきか、迷っているんだろうと思う。きっと怪しんでいるんだろう。(今の言葉で信用してくれと言う方が無理だ)

 しかし今引き留めなくては、道はない。全く説得できる自信はなかったが、必死で言葉をつぐむ。


「お願いします……行かないで! 今はあなたしか頼れる人がいないんです!……携帯も無くて誰とも連絡が取れなくて……あっ! 電話!! 電話を貸してくれるだけでもいいんです!!! 待ってる人がいるんです。……あ……待っては……いないかもしれないんですけど、心配ぐらいはしてる可能性があって……おそらく……たぶん。……なので逃げませんから、迷惑はかけませんから電話を……」

「くっ……」


 その奇妙な呻き声にハッと顔を上げる。

 く?

 よく見るとそのスタッフは背を向けたまま肩を震わせている。


 その仕草。笑って……る??


「くっくっくっ……」

 そのスタッフは笑いがこらえきれないと言った風に笑いながら振り向き、杏実に視線を向けた。

 その瞳は先ほどの不安も警戒もない。ただ面白いといった穏やかな瞳。

 杏実の言葉を信用してくれた、ということだろうか? 協力してくれると言うことだろうか?

 スタッフはニコッと杏実に笑いかける。しかし次の瞬間、再びドアの方に向き直り、胸ポケットからカードを取り出すとドアの鍵を開けた。


 あ! 行かないで!!

「待っ……」

 杏実が再び引き留めようと声を出そうとした時、そのスタッフは杏実に向きなおり、声を制するように「シー」と口の前で人差し指を立てた。


 え?

 スタッフはそのままドアから廊下に顔を出して、しばらく外の様子をうかがうと、そのままドアを閉めた。

 スタッフの視線が杏実にまっすぐに向けられた。短い沈黙が流れる。

 何か力を貸してくれるつもりだろうか?

 しかしその行動の意味が理解できず、何と言って良いのかわからなかった。


「あの……?」

 杏実が戸惑って声を出した時、再びその人物は思い出したように吹き出して笑い出した。


「あはははは……」

 どうしてこんなに笑われてるのだろう?

 スタッフはそのまま杏実の方へ近づいてくると、ルームサービスの置かれたワゴンの方へ行き、そのワゴンをトンと叩いた。


「くっくっ……いい……わよ。もう大丈夫」

 大丈夫?

 その不可解な行動と言動に戸惑っているとワゴンに掛けられたドレープから人が出てくる。黒のフォーマルな衣装を身に着けた髪の長いスレンダーな女性。……しかし顔を見た時「あっ!」と声を上げた。


「恵利さん!」

 その女性は……謎めいた言葉と共に突然いなくなってしまった、颯人のいとこの“恵利”だった。







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