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蜂蜜とミルクティー  作者: 暁 柚果
〈 7 〉
92/100

92.嫌悪感

 

「また会いましたね」


 杏実の驚いた顔を見て、その男は楽しそうに、にこりと笑いかけてきた。その瞳はいたずらが成功したと言うように、きらめいている。

 あの……祖父の墓参りの時に、寺の事務所で会った“博己”と言う男の人だった。

 あの時、博己は“また”と言ったが、もう二度と会うことは無いだろうと思っていた。しかしようやくあの視線の意味、杏実の名前を知っていた理由が分かった。

 初めからこの人は杏実のことを知っていたのだ。


 

「あら……いつの間に知り合ったの?」

 葵がそんな二人の様子を見て、疑問に思ったらしい。杏実と博己を交互に見比べている。

 杏実が何と答えていいのかわからず戸惑っていると、博己が穏やかな口調で返事をかえした。


「昨日、千歳さんのお祖父様のお墓のお寺でお会いしましてね」

「そうなの」

「杏実さんは、全く私のことをご存じなかったみたいでしたので、改めて紹介していただくまではと思い、その時は挨拶だけさせていただいたんです」

 淡々と語られる言葉。

 あの時、博己の隣にいた人物も不思議なぐらい杏実に親しげに話しかけて来ていた。きっとあの人も関係者に違いない。目元が似ていたのだから、やはり親子だろうか。杏実の意思を無視しながらお見合いを進めているもう一人の人物?


 杏実が言葉を発しないうちに、葵は博己と言葉を交わした後、カバンをもって部屋を出ていこうとする。

 杏実はハッとして、葵を引き留めようと呼びかける。


「葵姉さん!」

「じゃあ、杏実。あとで迎えに来るからおとなしくしていることよ」

「待っ……」

 杏実が引き留めようとする言葉も聞かずに、葵はサッとドアの向こうに消えていった。

 信じられない。初対面の(正しくは初対面ではないが)しかも断ろうとしているお見合い相手と、こんなこところで二人きりで置いて行かれるとは。

 ひどい……!

 杏実が呆然と葵の消えていったドアの方を見つめていると、博己は部屋のソファーに腰を下ろして話しかけてきた。


「またお会いできてうれしいです」

 その声にハッと博己の方に顔を向ける。博己はその表情に満足したように笑いかけてきた。


「改めて、初めまして。清水 博己と言います」

「……」

「ふふ……そんな警戒しないでくださいよ。黙ってた事、怒ってるんですか?」

 博己は杏実の様子を見て楽しそうに笑う。やはり……初めて会った時から感じていたことだが、なにかこの人嫌な感じがする。この人に気を許してはいけない気がするのだ。それはお見合い相手だから……と言うのもあるのだが、それよりももっと根本的な……


「仕方なかったんですよ。知らない男から突然お見合い相手ですと言われても、信じていただけ無いんじゃないかと思いましてね」

「私が……あそこに来ることをわかっていたんですか?」

「え?」

「あらかじめ両親から、私があの寺に来ることを聞いて、会いに来られたんですか?」

「どうだと思います?」

「……」

 含みのある言い方にどう答えればわからず戸惑っていると、博己は満足そうに笑う。


「答えはあたりです。一度婚約者に会ってみたくなったんです」

「婚約……?」

「お聞きになってませんか? 私たち婚約したんですよ。結納も終わってます」

「結納?」

 初めて聞く内容に、思わず眉を寄せる。知らないうちにそんなことまで行われていたのか。


「御存じなかったんですね。まったく千歳さんも悪い人だ。……ははは」

 ちっともおかしくなんてない。


「あなた……そんな会ったこともない相手と婚約なんて、おかしいと思わないんですか?」

「そうですね。……でも問題ありませんよ」

「どう言う……」

「やっぱり私の目に狂いはなかったということです……」

「え?」

 そう言うと博己はゆっくりと杏実の方に近づいてきた。その口元には薄っすらと笑みが浮かんでいる。

 杏実は思わず博己から逃げるように後退した。しかし狭い室内に、息が詰まりそうになる。逃げ場なんて無いのだ。ここから杏実は逃げ出すすべはない。


「な……なんですか?」

 怖くなりそうな心を必死で奮い立たせて、言葉をつぐむ。弱みを見せればつけこまれる様な気がして、キッと博己の方を睨んだ。


「おや? その不安そうな目がなんとも可愛らしいと思ってたんですけど、案外気も強そうですね」

「ちょっ……離してっ」

 博己の手はいつの間にか杏実の手首をつかんでいた。その力は強く、さらに不安感で胸がいっぱいになった。


 怖い……この人

 杏実は博己から思わず視線を逸らしてうつむく。すると博己が頭上で微かに笑った。


「……僕は女性は従順な方が好みなんで、その方がいいな。まあ頭が悪い女も嫌いですけどね。自分が今どんな状況にあるのかわかって行動できるのは、なお良いです」

 この人、何を言っているんだろう。

 その言葉の意味を必死で考えながらも、どうにかしてこの状況から抜け出せないか考える。なんとか博巳から逃げる方法を考えなくては。

 そうしている間に顎を掴まれて上を向かされる。抵抗しようにも強い力でとてもかなわない。


「離して……いただけますか?」

 今の状況で、この男を怒らせてはいけない。杏実はなるべく丁寧な口調で博己に抗議する。しかし博己は杏実の意図を察しているのか、その言葉を無視してさらに話を切り込んでくる。


「怖がらなくても大丈夫ですよ」

「あの……お願いですから」

「ふっ……可愛いなぁ。やっぱり……少し味見してみようかな……」

「え……?」

「その不安そうな瞳が愛らしくて……煽られそうなんです」

「何を言っているのか……」

「どうせ結婚するんだし、少しぐらいかまわないでしょう?」

 そう言うと博己は杏実に笑いかけ、ゆっくり顔を近づけてきた。

 

「嫌!」

 杏実は必死で顔を背けた。その行動にひるんだ隙に、博己からつかまれていた手を振り払う。そして震える身体を抑えながら、急いで距離を取った。

 しかし入り口側に博己がいるために、部屋の奥に逃げ込むしか方法が無い。


「僕は……従順な方が好みだと言いませんでしたか?」

 背後から穏やかな口調だが、微かに怒気を含んだ声色で博己がそう言い放つ。その言葉にさらに恐怖心がせりあがってきた。


 助けて……誰か! 葵姉さん戻ってきて!!

 それはかなわないことだとわかってもここに杏実がいることを知っているのは葵しかいないのだ。何とかその望みにすがるしかない。


 博己が再び近づいてきて、杏実の方へ手を伸ばす。

 

 嫌だ!!! 颯人さん!!!!

 


 ピンポーン……


 その時、部屋のチャイムが鳴った。

 杏実と博己は思わずその音にハッと顔を上げ、ドアの方を見つめる。そしてすぐに、控えめなノック音が聞こえた。


「失礼いたします。ルームサービスをお持ちいたしました」


 ルームサービス!

 なんてタイミングだろう。きっと葵姉さんが頼んでくれていたんだ。杏実は二人だけの空間に第三者が現れたことにホッと胸を撫で下ろした。

 

「何?」

 明らかに気分を害した博己の声が横から聞こえる。杏実はドアの向こう側の声にすがるように、ドアに向かって歩き出そうとした。しかし敢え無く、博己から腕を掴まれた。


「お客様? おられますか?」

 ドアの向こう側から声が聞こえる。杏実はその声に急いで返事を返す。不在だと思って立ち去ってしまっては困るのだ。


「はっ……はい! います!」

「ドアをお空けしてよろしいでしょうか?」

「……っ」

 再び返事をしようとした時、強く腕を掴まれた。痛みに思わず言葉を失い、博己の方を振り返る。博己の瞳はまっすぐに杏実を捕えていた。ただ強い怒りが奥にくすぶっており、焦点が定まっていないように思えた。そんな表情がさらに博己に対する恐怖心を煽る。

 そんな中、博己が口元に笑みを携えて話し始めた。


「出ていくつもりじゃないでしょうね?」

「え……?」

「それは考えない方がいい。あなたのために言ってるんです。後悔しますよ?」

 出ていく?

 逃げるつもりか。と、聞いているんだろか?

 当たり前だ、何とかして博巳から逃れる方法を考えていた。父の後援会からは逃げるつもりはないが、これ以上、この人と二人きりでいれば危険だ。

 しかし今そのことを博巳に伝えるのは、さらに状況を悪くするだろう。杏実は慎重に言葉を選びながら返事を返す。

 


「逃げませんよ」

「本当ですか? ドアが開いても、逃げない、と?」

「後援会には出ます。だから逃げるつもりはありません。でもあなたとの……」

「お客様?」

 博己との婚約を否定しようとしたのと同時に、ドアの向こうから再びホテルのスタッフの声が聞こえた。

 博己はその声に再び苛立ちを見せながら、ドアに向かって叫ぶ。


「そこに置いておきなさい!」

 え?

 

「は……はい。かしこまりました!」


 え? ……ええ?!

 そんな……!!

 てっきりここに入ってきてくれると思っただけに、その返答に落胆を隠せない。博己(このひと)からは一刻も早く逃げたいのだ。

 嫌だ……助けて……

 この手首に繋がれた手のぬくもりがたまらなく嫌だった。

 

「これでいなくなった。杏実さ……」

 博己が再び杏実の方を向き、話を続けようとした時、“コンコン”と再び控えめなノックが部屋の中に響いた。




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