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蜂蜜とミルクティー  作者: 暁 柚果
〈 7 〉
91/100

91.決意



 目が覚めると、そこは知らない場所だった。自分はベットに寝ているらしい。白を基調とした壁紙、テレビ、小さなテーブル……ここはホテルの一室のようだ。カーテンが閉められていたが、光が漏れている。

 ここは……どこ?

 自分以外に人がいる気配はない。その状況に戸惑って起き上がろうとして、頭が痛むことに気が付いた。


「痛っ……」

 ずきずきする。

 なんで?

 痛む頭に手を添えて、必死で今の状況を考えてみる。今日は何日? ここは……えっと……えっと……

 そう考えてハッとする。そうだ、昨日は颯人達と一緒に祖父の墓参りに行った。そして夜に葵に呼び出されて……。




『場所を移さない?』

 そう言われてホテルを出て、葵と近くのBARに行った。お酒は飲めないと言ったのだが、どうしても一杯だけ付き合ってほしいと言われて、ほんの少し口につけた。しかし……そこから意識が途切れている。

 弱いお酒を頼んだつもりだった。あれぐらいで意識を失うなんて考えられないのに。

 そして頭の中に、その時葵から告げられた言葉が反芻する。




『明後日から選挙が始まるの。明日、父を支援してくれる方々を集めて後援会があるのよ。杏実、あなたにはそこに出てもらって、父を支援していると発言してもらいます』

 その言葉はまるで決定した事実のように告げられた。支援という言葉は、家族の一人としての役割のように感じる。できることなら……家族の一員として認めてもらうことができるならそうしても良いとも思う。しかしきっとその願いは届けられないことはわかっている。何度も経験してきたのだ。今更戻ってもきっと自分が傷つくだけだと思う。だから、杏実はきっぱり断ることにした。しかし葵は『無理よ。あなたが出席することはもう決まってるの』と言い放った。

 激しく問いただす杏実の言葉に、さらに淡々と告げられた葵の言葉。


『以前言ったでしょ? お見合いしてもらうって。あの後先方があなたの写真を見て、是非にお嫁に欲しい言われてね。この際、お見合いの席は省かせてもらうことになったの。早々な話だとは思うけど、近々婚約を発表させてもらうわ。断ったら……こちらにも考えがあるわよ。圭お祖母さんのことよ。まだ……圭お祖母さんの処遇の件は、診断書のある我々の手に握られてるってわかってるわよね。今までは特に何もしなかったけど……あなたの行動次第ではわからないわよ……』

 脅迫だった。

 もちろん圭のことは気にかかった。しかし……ここで言う通りにすれば、事態はもっとややこしいことになる気がする。

 まずは颯人や圭に相談しようと、きっばり”思い通りにはならない”と言って、席を立ちあがった。しかし……――――――そのあたりから記憶が無いのだ。


 時刻はAM11時を過ぎていた。まさかあの時間から、こんなに眠り込んでしまうなんて……もしや何かお酒の中に入れられたのだろうか? そんな疑いまで浮かんでくる。

 杏実は重い頭を抱えながら、ベットから起き上がる。そしてあたりを見回した。

 こんな時間まで帰らなければ、きっと萌や颯人が心配しているに違いない。携帯はどこだろう。カバンに持ってきたはずだ。そう思って歩きまわるものの、見当たらない。葵が持って行ったのだろう……仕方なく備え付けの電話のもとに向かい受話器を取った。

 二人の携帯番号はわからないが、泊まる予定だったホテルに掛ければなんとか連絡が取れるだろう。


「あれ……これって……」

 通話音がしないのだ。怪訝に思って電話の機械を持ってみると、電話線が無かった。


 まさか……!?

 嫌な予感がしてドアの方へ向かう。


「……やっぱり…」

 ドアには鍵がかけられていた。鍵を開けるための取っ手はついているが、電子錠なのかもしれない。ドアノブも回して、押しても引いてもドアは開かなかった。

 どうやらここに閉じ込められた、という事らしい。こんなことまでするなんて……ショックを隠せない。

 途方に暮れて固定されたガラス窓の方に向かう。この部屋は高層階のようで、下にはビルや駅などが見え、街中のホテルなのだということだけはわかった。部屋の備品からホテルの名前もわかったが、新しいホテルなのか聞き覚えはなかった。

 洗面室に入ると大きな紙袋が置いてあった。中を覗くと、中からフォーマルな服や下着、靴、アクセサリー……それと共に一枚のメモ用紙が入っていた。


“PM1時までにその服に着替えておくように。後援会の出席は千歳家の娘としての当然の義務です。――――葵”と書かれていた。

 やはり葵がここに連れてきたのだと確信する。

 

「はぁ……」

 ため息が口から洩れる。今のところ逃げ道はない。

 自分の行動がこんなにも悔やまれたことはなかった。せめて昨日の夜、しっかりと萌に、姉と会う事を伝えるか……多少迷惑をかけることになっても颯人に会って話をしておけばよかったと思う。きっと二人はついてきてくれるなりしてくれたはずだ。そうすれば、こんなことにはならなかった気がする。


 心配してるだろうなぁ……


 萌はきっとすごく心配して……泣いているかもしれない。

 颯人は―――――


 颯人の姿を思い出すと同時に、昨日杏実が思わず言ってしまった言葉が、脳裏によみがえってきた。

―――――あの時……


 颯人は杏実の言葉に“俺も好きだよ”と返してくれた。信じられない言葉だった。ずっとそうなれば……そう想ってくれたら、と思っていた。だから不覚にも、一瞬信じてしまいそうになった。しかし、すぐにいつものような意地悪そうな表情を見て、杏実の必死のごまかしへの冗談だったんだろうと思い返した。一瞬でも信じてしまった自分が恥ずかしくて。でも……不思議なことに、その後何度も優しいキスをされた。別れ際にも“おやすみ”と言って、頬にキスをくれた。

 まるで本当の恋人のようだと、錯覚してしまいそうなぐらい優しく甘く触れられた気がする。

 そして”名前で呼んで欲しい”……そう言われたのは2回目。

 耳朶をくすぐる颯人の声が、今も頭の中に響いている。そしてその言葉は、前回の時に比べて特別な意味があるような気がした。

 そして杏実自身……いつの間にかそばにいるだけでは満足できなくなっている。

 もっと近くに行きたい。私の気持ちをそばで受け止めてほしい。そして……同じように想いをかえしてほしい。ぎゅっと抱きしめて、その優しい香りに包まれたい。我が儘になって贅沢なって……あふれ出す思いを止められなくなってしまった。


「颯人……さん」

 返事が返ってくるわけはないとわかっているけれど、言葉にして呼んでみる。


“大好きです”

あの言葉は思わず言ったんじゃない。―――――言わずにいられなかったのだ。


 会いたい……

 颯人の笑顔が見たい。

“婚約を発表します”その葵の冷たい言葉を受けた時、婚約なんて……たとえ誰かを……家族を犠牲にすることになっても、颯人以外の人となんて嫌だ。そう思った。

 そう思ってハッとする。

 ああ、そうだったのか。もう無理なのだ。このあふれ出す想いを止めることはできないのだと思う。自分にだって持て余す想いを、もう隠しておけないのだ。

 自然と気持ちがすっと晴れていくような感覚がした。


 次に会えたなら……きちんと自分の気持ちを伝えよう。


 昨日は怖くて逃げてしまったけれど……今でも拒絶されたら怖いけれど、もう気持ちに嘘はつけない。もしダメなら怖いけれどそこからまた頑張ればいい。そうすれば少しはまた希望が見えるかもしれない。きっと……このまま流されてしまうよりもずっとその方がいい。



 顔を上げると、たちまち今の現実に引き戻された。今はとりあえずこの状況をなんとかしなくては、まずはこの苦しい立場を自分で切り抜けなくてはいけない。

 そう思って立ち上がると、先ほどのメモ用紙が足元に落ちた。“千歳家の娘として……”そう書かれた文字が目に入る。


 婚約はしない。絶対に。しかし……選挙のことは……別かもしれない。愛された覚えはないけれど……両親が自分を育ててくれたことには変わりない。やはり……家族には変わりないのだ。その義務は……果たすべきかもしれないと思う。

“後援会で演説”葵はそう言っていた。応援していると一言言うだけならできるだろう。それでいいのなら……父が喜ぶと言うのならやってみようか……。そしてそれが終わったら、きっぱりとすべてを断ち切って、家に……颯人のところに帰るのだ。きっと颯人は私を探してくれている……まだ帰らずにいてくれているはずだから。


 そうしよう。

 杏実はそう決意すると、置いてあった服を袋から取り出し始めた。






「きちんと着がえたようね」

 PM1時。時間通りに、葵は部屋を訪れた。

すぐさま杏実は、無理やり連れてこられたうえに、閉じ込められた事を抗議した。しかし葵は”そうでもしない限り言うとおりにしなかったでしょ?”と、淡々と言い放つ。携帯やカバンについても返してほしいと訴えたが、今はここにないと言い、今日の後援会が終われば返すと言う。それならせめて電話がしたいと言うが、それについてもすべてが終わった後でなら好きなようにすればいいと言うので、説得する手段をもたない杏実は、渋々納得するしかなかった。

 どうせ今言ったところで、無駄だと言うことだ。

 

「あなたの出番の前に迎えにくるわ。3時ごろかしら……演説の内容はこちらで作成しておきました」

 そして一枚のタイピングされた紙を渡してきた。父を全面的に支持するといった内容が丁寧に書かれている。


「恥をかかないために、あらかじめ練習しておいて」

 内容は考えていなかった。自分でやると決意したのだから、自分の言葉で伝えるつもりだった。しかしこの丁寧でかつ完璧な文章を見ていると、自分の考えが甘かったのではないかと思う。

 もしうまくいかなかったら? こういった場で演説することなんていままであるはずもない。失敗すれば、また両親を失望させてしまうだろう。今更杏実に対する評価がどうであるかなど気にならないはずだったが、四面楚歌な環境の中で、一人でやりきれるのか不安を感じずにいられなかった。

――――――本当に颯人のもとに……帰れるのだろうか?


「……み? ちょっとさっきから聞いてるの?」

 苛立ちを含んだ声に、ハッと我に返る。葵は怪訝そうに杏実の顔を見ていた。


「あ……ごめん。なに?」

「……まったく。今からそんな調子で……期待するだけ無駄ね。もういいわ。私はもう行くけど、とにかく今更逃げ出そうなんて考えないことよ。もし逃げ出したら……わかってるわね?」

「今更、私に脅しなんて通用しないから」

「そう?」

「私はお父さまの選挙に不利にならないように協力はしてもいいと思ってる。だからこんなことをされてもここに留まるの。でも……婚約はしない。それは譲れない」

「ばかばかしい。拒否権はないって言ってるでしょ」

「おかしいこと言ってるのは葵姉さんの方よ。私……こ……婚約っ……してるって言ったでしょ」

「あの朝倉って男? ……あの男はやめておきなさい」

「何を根拠に……」

「……あの男、なんか気に食わないのよ。あの目……」

「え?」

「そもそも本当に婚約してるの?」


 ギクッ

 葵の疑うような視線とその言葉に、思わず身体を揺らす。“本当”ではない。しかしそのことを今悟られてはいけない。


「……あ……あたりまえでしょ!」

「ふ~ん……」

 怪訝そうに眉をひそめる。不快感をあらわにしている表情、めったにない感情を表に出さない葵にしては珍しいと思う。しかしさらに「あなた、騙されてるんじゃないの?」と言われる。


「なっ……」

 なんでそんなこと言われなきゃいけないの!

 杏実がそう抗議しようと口を開きかけた時、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。

 葵はその音にハッと顔をあげ、やがていつものような無表情にもどって、思い出したように冷たく言い放つ。


「忘れてたわ。清水さんを呼んでたの」

「……清水さんって?」

「婚約相手よ。顔も知らないんじゃ、いざ後援会の時に質問されても困るでしょうから」

「そんな……勝手に!?」

 

 困る。どんな人であれ断るつもりだし、会って話をするつもりもないのに。しかも選挙が絡んだ状況で下手に断れば、メンツをつぶしされた母親が怒り狂うに違いないし、その反応を考えるだけで恐ろしい。

 協力と拒否……どちらかしか選べないのに……どんどん追い詰められていく気がする。


 杏実の動揺をよそに、葵はドアのところにいきカードを差し込み口に差し込み(どうやら内側からはそうして開けるらしい)ドアを開ける。

 静かにドアがあき、一人の男性が部屋の中に入ってきた。その顔を見て、「あっ」と声を上げた。




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