表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蜂蜜とミルクティー  作者: 暁 柚果
〈 7 〉
90/100

90.脅しと暴かれた過去~宇多side~



「……せい……先生! 千歳先生!」

 窓を打ちつける雨の音に耳を傾けぼんやりとしていた宇多は、その呼びかけにハッとして顔を上げ、声が聞えた方向へ視線を向けた。

 半分ほど開いたドアの向こう側から、事務員の女性が心配そうにこちらを見ていた。


「千歳先生? どうかされましたか?」

「ああ、すみません。ぼんやりしてました。……何かご用でしたか?」

 宇多が返事を返すと、不安そうにしていた事務員はホッと表情を緩める。いつから呼びかけていたんだろう。


「千歳先生に会いたいという方が、受付に来られています」

「私に?」

 今日は日曜日だった。病院は休みの日、もちろん診察も休みだ。

 宇多は医師であり、しかも若くしてこの大学病院において助教授の立場でもある。

 そのような役職にもなると、通常の医師とは異なり、外来もない休日には本来ならば出勤する必要はない。

 しかし今日は、1ヶ月後に行われる学会の資料を作成したかったし、書類の整理もあって出勤していた。実を言うと……家にいたくなかったともいえる。

 家にいれば嫌でも、なにかしらの連絡が入るだろうと思うのだ。現にここ一週間、葵や母親から”帰ってこい”と何度も連絡がきた。昨日は葵の秘書が宇多のマンションの前で待っており、明日の後援会には必ず出席するようにと、念を押されたのだ。勝手に選挙の役員にされてた挙句、協力しろとは身勝手な話だと、きっぱり秘書に言って帰らせたのだが、そのあと何度か葵から着信がありそれは完全に無視することにした。うんざりだ。関わるのも、巻き込まれるのも。

 どうしていつも……放っておいてくれないのだ。

 今日はそのすべてを拒否するつもりで出勤した。ここには絶対に来ないように言っている。宇多の権力は両親にとっては望ましい(道具)であり、それを脅かす行動だけは取らないとわかっている。それが宇多の唯一の強力な武器なのだ。

 

“会いたい人”?

 誰だろう。患者だろうか? それとも患者の家族? まさか……あれだけ言ったに関わらず、葵の秘書が来た?

 そんな疑問を持ちつつ事務員に「誰ですか?」と聞き返す。


「朝倉さんとおっしゃっています」


 

 朝倉……?

 誰だろう。ますます疑問に思う。……そんな名前に聞き覚えはない。やはり以前受け持っていた患者だろうか。

 そう思っていると、事務員はさらに意外な言葉を付け足してきた。


「千歳先生の妹さんのことで、話があるとおっしゃっていますが……」

「え?」


 妹?―――――――あ………み?


 久しぶりに聞く名前に驚いて、思わず「杏実が来てるの?」と聞き返す。


「そ……それはわかりません。若い男性の方です。千歳先生の妹さんのことで話があるとだけおっしゃっていました。……いかがされますか?」

 男? 

 杏実ではないということか?

 当たり前だ。杏実が訪ねてくるわけがない。あんな風にしか言えなかった宇多を、今更訪ねてくるはずもないのだ。ましてここに宇多がいるという事がわかるはずもないではないか。冷静に考えればわかることだったが、わずかな可能性に心臓がどくどくと早鐘を打った。

 わけがわからない。しかし……


「会うわ。どこにいるのかわかる?」

「はい。今は病院のロビーでお待ちです。必要ならばこちらに案内いたしましょうか?」

「そうね……案内頼めるかしら」

「わかりました」

 事務員はそういうと、一度事務的な笑顔を向けてから、出ていった。


 なんだか胸騒ぎがする……

 こんな日に―――――私に何の用だろう。杏実のこと? 誰なんだろうか。

 

 あれから……杏実が出て行った日から、もう8年の年月が経とうとしている。杏実は宇多の忠告通り、連絡をしてきたこともないし、一度も帰ってこなかった。今杏実が、どこで何をしているのか、どんな生活をしているのか、宇多は全く知らない。もともと祖母とも疎遠だったので、知るすべはなかった。

 いつも不器用で、純粋で、泣いばかりだった杏実(いもうと)。しかし不思議なことに、そのことにめげない強さも秘めていた。

 杏実は私と正反対であり、一番近い存在だった。


 そう言えば、先日選挙の件で母親に実家に呼び戻されたとき、忍が杏実のことを言っていた気がする。

『宇多姉ちゃんは……葵姉さんが、杏実に会いに行ったこと知ってんの?』と。

 まったく意味が分からず聞き返すと、「知らねーならいいや」と言って、それ以上何も話さなかった。

“葵姉さんが杏実に?”

 なんだかその時、違和感を感じたのだ。葵がわざわざ杏実に会いに行くだろうか? と。

 もしかして、父の選挙のことで……でも今更、杏実になんの関係があるんだろう……。そうは思ったが、所詮父の選挙も、母や葵のこともなにもかも、関わりたくなかった。

 だから忘れることにした……したのだが……



 昔の感情や出来事に思いを馳せていた時、ドアの向こう側からノックの音が聞こえた。


「どうぞ」

 宇多がドアに向かってすこし大きめの声を出すと、ドアが開く音がして先ほどの事務員と共に黒髪の自分と同世代ぐらいの男の人が入ってきた。事務員の女性はやがて部屋を出て行った。

 この人が……朝倉?

 やはり見覚えが無い気がする。そう思って宇多が改めて男の人を見るとバチッと視線が交差した。

 意志の強そうな瞳。スッと伸びた鼻筋と引き締まった口元はその瞳と相成って精悍な印象をもたらしていた。一見冷たそうに見えるが……かなりのイケメンと評される部類だ。

 宇多がその視線を外せずにいると、男はゆっくりと口を開いた。

 その冷たそうな印象と異なり、低く心地よい声だった。


「初めまして。朝倉 颯人と申します。突然こちらにお邪魔してすみません」

“朝倉 颯人”

 そう名乗った男はそう言って、丁寧なお辞儀を宇多に向ける。その所作も完璧に隙がなかった。

 そして顔を上げると何も言葉を発しない宇多に「あなたが……杏実のお姉さんで間違いないですか?」と問いかけてくる。

 その声にハッと我に返った。

 そうだ。この朝倉と言う人物は“杏実”の関係者なのだ。突然の訪問者に気を取られていた気持ちを引き締めて、宇多は椅子をすすめながら口を開いた。


「失礼しました。私は千歳 宇多と言います。杏実は私の妹です。朝倉さんとおっしゃいましたね。今日は杏実のことでお話があるとか……」

「はい」

「なんでしょう? と言いましても……ご存知かわかりませんが、私と杏実はもう何年も会っていません。ですから、なぜこちらに来られたのか全く見当もつかないんですよ」

「それは、知っています。私は圭さんの親友の下村フミの孫なんですよ」


 下村フミ―――――……ああそうだったのか!この人物はフミの孫だったのか。杏実はフミさんに協力を仰ぎ祖母を連れて家を出た。フミさんの老人ホームに入ったと聞いている。杏実は祖母と同様フミにも可愛がられていたように思うし、なるほどそれなら杏実を知っているのも納得がいく。


「フミさんの……。それで杏実をご存じなんですね」

「それもあります」

「それも?」

「僕は……杏実の婚約者なんです」

「え?」

―――――婚約者?

 いろいろと頭の中で情報を整理していた宇多は、あまりに意外な言葉に耳を疑い、思わず聞き返してしまう。


「婚約……杏実がですか?」

「はい。ご存じないですか?」

「全く……。そうなんですか。杏実の婚約者……」

 杏実にそんな存在がいたなんて。そしてその人物はフミさんの孫である……この男。

 もちろん宇多にも恋人ぐらいいる。杏実だってもう立派な大人なのだ。そんな存在がいてもおかしくない。しかし杏実は宇多の中で、8年前のまだ学生のあどけない印象でしかない。その言葉はまるで他人事のように聞こえてしまった。


「それは事実ですか?」

「はい」

「そう……ですか。では……杏実の婚約者がいったい私に何の用ですか? 杏実に何か言われてきたんですか?」

 宇多がそう言うと、朝倉は一瞬表情を硬くし慎重に言葉をつぐみ始めた。


「杏実に言われてきたわけではありません。むしろ……杏実を探しているんです」

「探している、とは?」

「杏実が毎年圭さんの代わりにお祖父さんのお墓参りをしていることご存知ですか?」

「……知りません」

「そうですか。今年も昨日の命日、こちらにお墓参りに来ていました。私も一緒でした」

「それで?」

「しかしホテルに帰って……夜中、突然いなくなりました」

「……え?」



 朝倉は事の詳細を話し始めた。

 杏実が消えた経緯と共に、2ヶ月前に葵と忍が杏実に会いに来たこと、杏実にお見合い話があり、それをきっぱり断ったに関わらず、杏実に内緒で結納まで済ましているらしいこと。朝倉曰く、おそらく昨夜葵か母に呼び出されていなくなってしまったのだという。そのすべては初めて聞く話で、宇多は驚きを隠せなかった。


「全く知らないみたいですね」

「そう……ですね」

「朝一番に忍くんに杏実がどこにいるのか聞いてみましたが、実家にはいないみたいなんです」

「じゃあ……どこに……?」

「私はおそらく今日開かれる、杏実の父親の後援会のホテルの一室ではないかと思っています。どのような状況で杏実がいなくなったのかはわからないので、今杏実の意思でそこにとどまっているのか、どうして帰ってこないのかはわかりませんが、少なくとも連絡が無いのは不自然なので、杏実にとって不利な状況なんだと思います」

”不利な状況”

 その言葉に、心臓が嫌な音を立てる。本当なんだろうか? 誰がいったいこんなことを。母親? 違う……あんなに杏実を嫌っていた母親が直接杏実に接触するとは考え難い。ならば、葵?


「まさか……そんなことまで……」

「私も同感です。でも現実にそうなったからにはこちらも黙ってみていられなくなりました」

 そう言うと朝倉は「それでこちらに伺いました」と言う。

 

「どういう意味でしょう?」

「杏実を返していただきたい。その上で、宇多さんに協力していただきたいことがあるんです」


 そう言うと朝倉は持ってきたカバンから大きめの封筒を取り出し、宇多に渡す。中を覗くとA4サイズぐらいの紙が束ねて入っていた。

 

 協力? それとこの封筒と何の関係が……?


 怪訝に思って、中の紙を取り出す。なにか調査書のようなもののようだ。数枚の写真がと書類がクリップで留められていた。

 しかしその写真の人物を見て、目を見開いた。――――――父だ。

 知らない若い女性と親密に寄り添う姿や、見るに堪えないキスシーンなどの様子が映っていた。また別の写真には世間には清廉潔白と言われている母と若い男性の……。

 嫌悪感が這い上がってきて思わず写真から目を逸らす。そして書類の方に目を向けた。内容を見ると、父のここ1ヶ月の行動と政治活動にかかわる人との交友状況、愛人との交際状況、名前、などが事細かく書かれていた。特に“清水”と呼ばれる人物との関わりが深いらしく、その会話のやり取りなどもかかれていた。

 なるほど。この内容から見て、どうやらこれが杏実のお見合い相手らしい。

 

 清水 博己 42歳――――大学卒業後 親の稼業を継いでいる。離婚歴2回……1人目の妻との間に子供が1人いるが、妻方に引き取られている。どうやらかなりの浪費家でもあるようだ。

 離婚の理由に……DV? 姑からのいじめ? セクハラ?

 見るに堪えない内容の数々……とんでもない親子のようだ。こんなところに杏実を嫁にいかそうとしていたのかと、怒りさえ湧いてくる。


 そして母親のことについても記載があったが、読む気になれなくて、そのまま封筒に戻した。

 そうして再び、朝倉に視線を戻す。

 

 これは事実なのだろうか? 

 杏実は父の支援のために、この清水という男とお見合いをさせられた。……まして私生活においてとんでもない親子のもとに。

 そして両親については、なんとなくそうではないかと思っていたが……実際写真などで事実を叩きつけられればショックも大きい。

 しかし、それよりも……――――――この男、いったい何者?

 どういうつもりなのだ。


「で? これがなにか? これで私を脅しに来たんですか?」

 これだけのネタがあれば、父親は確実に選挙に当選できないだろうし、汚名をかぶり、名門とうたわれてきた千歳家は地に落ちる。

 プライドの高い父や母は地元にはいられなくなるかもしれない。葵に関しても信用を失い事務所を畳むしかなくなるだろう。

 そう思って睨むように朝倉を見つめる。

 協力? まさか、これは脅し……いや、強請りだ。そもそも杏実と婚約も事実だろうか? まさかそれが目的で杏実に近づいたなんて……

 ますます不信感を募らす宇多の視線に、朝倉はひるむことなく、涼しげな表情を崩さない。

 そして、宇多の挑戦ともいえる言葉に、口元に笑みを浮かべて返事を返してきた。


「違います。私はあくまで、宇多さんに協力してほしいと言ってるんです」

「なんの協力ですか? もしこれが事実なら、さっさと葵か両親に直接交渉するか、公表でもして杏実を返してもらったらいいでしょ?」

「それも……考えました。しかし……それでは確実に杏実を取り返せない。ただ……身内との亀裂を大きくするだけで、結局杏実を傷つける」


 まったくもって、この男の言う意味が理解できない。

 宇多はその書類を封筒の中に戻すと、乱暴に朝倉のもとに投げつけた。


「私は協力しません。というか……私、別にこれが公表されて両親がどうなろうと構いませんから。私は選挙には全く関わりがありませんし、興味もないんです。あいにく、千歳の家がどうこうなったとしても、私には私が築いた地位がありますから、このネタで私をどうかしようとしても無駄です。お帰りください」


 宇多がそう言い放つと、朝倉は表情を変えずその封筒を拾い上げた。そして再び宇多を見る。

 断られたのに関わらす、朝倉には全く焦りは見られなかった。


「さっきも言いましたが、これはあくまでも交渉手段であって、公表が目的じゃありません。杏実はあなたが協力してくれさえすれば、確実に帰ってきますから。とんでもない経歴のご両親のようですが、あくまでも杏実の身内ですし、婚約者である私がその身内を貶めるわけにもいきませんしね」

「じゃあ、いったい私に何をさせようって言うわけ?」

「後援会の時に、杏実を僕のもとに連れてきてほしいんです」

「……は? それだけなの?」

「はい。そしてもう一つ」

「もう一つ?」

「明日は選挙開始日ですよね? きっとご両親は杏実が帰ってきていることを印象付けるために杏実を後援会に出席させていると思います……そこで、あくまでも予想ですが、その時に清水との婚約を無理やり発表するのではないかと思うんです……」

「おめでたい話題作りに、杏実を利用するってことですか?」

「確実ではありませんが、その可能性が高い気がするんです。……きっと私、単独では会場には入れません。だから宇多さんに連れて行ってもらいたい。……もしそんな発表が本当に行われたときは“それは事実じゃない”と言って杏実を助けてやってほしいんです」

 なるほど……確かに選挙前日に後援会で婚約発表とはありえないことではない。

 朝倉が単独で会場に入れないかもしれないと言うのも納得できる。

 しかし……なぜ私……?


「……わからないわ。なぜ私に?」

「わざわざ千歳家と距離を置いている宇多さんになぜこんなことを頼むのかというとそれは……杏実のためです。杏実は……あなたのことを優しい人だと言ってました。きっと今回の件にも関わってないだろうと。それに……少し会いたがってるような気がしたんです」

 別れ際あんなひどい事言ったのに。バカな妹……


「そして杏実にも、身内の味方がいるんだと印象づけるためです。宇多さんが杏実側につけば、ほかの人は何も言えなくなるだろうと思いましてね」

 なるほど。

 確かにその会場で杏実を援護すれば、自分は杏実の味方だと言っているようなものだ。身内の私が杏実の味方に付いたとわかれば、今後両親も下手なことができなくなるかもしれない。

 それを見越したうえで私に協力してほしいと頼んでいるということだ。さきほどの資料の使い方の慎重さといい、この男相当頭が切れる。

でも……だめだ。まだ……私には決心できない理由がある。


「……あなたの言いたいことはわかったわ。でも、私は協力しない。杏実のことは心配よ。妹として、もっとやってあげれることがあればよかったのにと何度も思ったわ。でも……やっぱり、残念ながら私は両親と関わりたくないの。杏実のことならなおさら。きっと杏実も、そのことはわかってると思うわ」


 そうよ、いつだって私はそうだった。杏実からも逃げて……


「あなたが杏実を心配していることは伝わってきたわ。ちょっとやり方が……陰湿な気もするけど、少なくとも杏実のことを大切にしてくれているゆえの行動なら、二人のことは応援します。……でも協力の話は別よ。無理なの。それに本当に協力させるつもりなら、私についてもっと調べて脅すネタを持ってくるべきだったと思うわ。葵の大学の裏入学みたいな……ね」

 朝倉はその言葉に低い心地よい声で笑い声をあげた。


「千歳家でお涙ちょうだいでお人よしするのは、杏実だけなの、残念だったわね」

 宇多はそう念を押すように言い、勝ち誇ったようにニコリと笑いかけた。これで良い。ここまでいえばあきらめてくれる。さらに宇多が「申し訳ないけれど、仕事があるので……」そう言って早々にこの男を追い返そうとした時、突然朝倉が「はは……」と小さく笑い声をあげた。

 そしてその声に驚く宇多に、意地悪そうな笑顔を向ける。


「わかりました。こうなったら仕方ありませんね」

「そう。わかったら……」

「これはあくまでも僕の勘ですが……確実に協力してもらうネタを提供します」

「え?」

 意外な言葉に驚いて、思わず朝倉を凝視してしまう。そんな宇多を見て、朝倉は醜悪な微笑みを浮かべた。冷静に確実に獲物を捕らえるような……氷のような瞳にゾッとする。

この人は本当に杏実の婚約者なの? あの誰にでも優しい杏実の?

 そんな戸惑いを見せる宇多に構わず朝倉はゆっくり話し始めた。

  

「あなたは……昔から勉学についてはかなり優秀ですが、両親にはいつも距離を置いていたそうですね。そして杏実を援護するときはいつもこっそりと……むしろ両親に反抗する杏実の行動を嫌がっていたと聞いています。杏実は波風を立てられるのが嫌だったようだと言ってました。しかしその話を聞いたとき、僕は違うと思っていました。そして先ほどのあなたの様子をみて確信したんです。あなたは……ご両親が怖かったんじゃないですか?」

「……なにを……」

「杏実はいつも目の敵にしてくる母親を恐れていました。でも……あなたは母親に好かれていた。ならば、父親だ。要するに……杏実と同じ境遇なんじゃないんですか?」

「……!!!」


”同じ境遇”

 その言葉にハッとする。この男……知っているのだ。宇多がずっと抱えてきた秘密を……姉妹すら知らない事実を……。

 怖い……!

 今、この男はその事実を言葉にしようとしている。止めなくてはと思うが……言葉が出てこなかった。


「杏実からはっきりそのことを聞いたことはないんです。圭さんも……言葉を濁していましたから。実のところ杏実自身もはっきりとその事実を聞いたことはないのかもしれない。しかしあなた方の両親の行動を見れば容易に想像できることです。杏実は……愛人の子供。だから母親が辛くあたるんです。……で、あなたはおそらく……」

「や……やめて……」

「父親なんてものは、母親が入念に隠しさえすればわかりませんからね。ましてあまりあなた方の父親は子供のことに興味はないようですし、だからあなたはあまり波風を立てたくない。自分に……注目してほしくない。違いますか?」


 違う!

 そう言ってしまいたいと願っても、宇多の口からは何も言葉は紡ぎだされなかった。ただ矛盾する心に首を振る。

 否定したいが―――――しかし自分自身でもそう疑ってきたことだった。杏実と深く関われなかったわけもずっと逃げ続けてきたわけも、それが事実だとわかっていたから。今朝倉が語った通りだから。そして大人になり、こうして自分の力で立っている今でさえ私は両親から……杏実から目を逸らそうとしている。弱い自分を必死で隠そうとしているのだ。

 でももう無理なのだ……そう思った。

 どう否定したところで……先ほどから笑みを絶やさず淡々と言ってのけるこの男には、通用しない気がした。

 何も言わない宇多の目を、”逃げることは許さない”とその黒い瞳は強い意志を持って射抜いていた。


「協力していただけますね?」

 有無を言わさぬ言葉。朝倉の言葉に宇多はただうなずくしかないのだった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ