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蜂蜜とミルクティー  作者: 暁 柚果
〈 7 〉
88/100

88.電話


 ドクッと再び嫌な心臓の音が胸に響く。

 確信めいた予感が頭をよぎり、ベットサイドに置いた携帯の着信を告げる点滅がまるで危険信号のように思えた。

 ゆっくり携帯を手に取り、通話ボタンを押す。


「はい」

「杏実? 私よ。葵」

 やっぱり……


「……さっきも電話くれた?」

「ええ。こっちに帰ってきてるそうね。駅前のグランデに泊まってるんでしょ?」

「どうしてそのこと……」

「住職に聞いたわ。今、ホテルの近くにいるの。会えない? 話があるのよ。迎えに行くわ」

「私、家に帰るつもりないから」

「別に実家に連れて帰るつもりなんかないわよ。外で話したいだけ」

「……」

「10分後にロビーで待ってるわ」

 葵は一方的にそう言い、電話が切れた。

 なんとなくあの封筒をもらった時から、そんな予感がしていたのだ。葵や両親も杏実が祖父のお墓参りに来ていることを予測していた。だからあの封筒を渡すことができたのだ。

 きっと葵の話はあまり自分にとって良いものではない気がする、先日の一方的な物言いを考えるとあまり会いたくもない。

 しかし……向こうから連絡を取ってきた限り、無視するわけにもいかない気がするのだ。杏実は……どんな事情があろうと千歳家の人間なのだから。

 仕方なくもう一度バックに携帯を入れると、洗面所にいる萌に声をかける。


「萌ちゃん」

 シャワーの音が聞こえており、返事がない。もう一度大きな声で呼びかけると、少し遅れて萌の声が聞こえてきた。


「杏実ちゃん? 呼んだぁ~?」

「うん。ちょっと姉から電話があって、下のロビーで会ってくるね! 一応朝倉さんに直接そのこと伝えてから行ってくる」

「え~? なんて?」

「姉が来てるから……」

「ええ~??」

 シャワーでほとんど聞こえないらしい。仕方なく「ちょっと朝倉さんのところに行ってから、ロビーに行ってくる!」と言うと、「オケー! 颯人お兄ちゃんのとこね~いってらっしゃ~い!!」と、何とか返事が返ってきた。

 若干誤解を受けたような気もするが、また帰ってきたときに訂正すればいいだろう。そう思ってそのまま部屋を出る。

 廊下をしばらく行くと、颯人の泊まっている部屋の前に着いた。

 なんだか少し緊張する。きっとさっき萌が、真一と沙穂子の話をした所為だ。まるで自分が、沙穂子のように夜這いをしに来たような錯覚に陥る。しかしながら杏実は姉に会いに行くと伝えに来ただけなのだ。そう気を取り直してチャイムを押してみる。しばらく待っても反応はなかった。

 不思議に思って、もう一度押してみる。やはり返答はない。

 お風呂に入ってるのかな? 

 そう思って、バックから携帯を出しながら、もう一度ボタンを押そうした。しかしその瞬間、ハッとする。そう言えば“疲れた”と言っていた。もしかしてもう眠ってしまっているのかもしれない。

 知らない土地への長時間の運転は、思ったより疲れるものだ。

 そう思うと、邪魔してはいけないなと思う。

“なにかあれば電話しろよ”と、言っていたが……ここはやめておこう。

 そう思って、携帯をバックの中に入れてから、颯人の部屋の前を後にする。

 葵も家に連れて帰るつもりはないと言っていたのだ。杏実がはっきり断れば諦めてくれるだろう。

 憂鬱な気分を抱えつつ、杏実はロビーに続くエレベーターに乗り込んだのだった。





「ん~何時ぃ?」

 カーテンから微かに漏れる明かりに、萌は今にも閉じてしまいそうな瞼を少し開けて、あたりを見渡す。

 ベットサイドに置かれたデジタル時計は、AM7時を指していた。ふと隣のベットを見る。シーツに乱れはなく、杏実ちゃんがそこにいないことを示唆していた。

 昨日杏実ちゃんが“朝倉さんのところに行ってくる”と言ってから、萌は鍵もないことだしと、夜中まで一応本を読みつつ待っていたのだ。

 帰ってきたら、文句の一つも言うつもりだった。

 やはり旅行は危険なスパイスなんだ……あんな奥手で可愛い杏実ちゃんも沙穂子のように変わってしまうんだ……と思いつつ、せっかく萌がいるのに何もほったらかしにしなくても! と思って。

 そのうちに眠ってしまっていたらしい。


 結局帰ってきてない!! 杏実ちゃんもだけど……颯人お兄ちゃんのばかぁ!!



 まったくこんな時は電話すべきなんだろうか? 邪魔だと思われても? いや……さすがにそれぐらいの権利はあるだろう。萌はそう思いながら、渋々起き上がり、携帯が置いてあるテーブルに向かう。

 しかし颯人お兄ちゃんの携帯番号を押そうとして、ふと我に返った。

 でも……いくら旅行が二人にとって“あれ”だったとしても、あの二人が萌のことを忘れるだろうか? 颯人お兄ちゃんは、まあ、男だし真一のように熱くなるなんてことあるかもしれないけど……杏実ちゃんに限って……?

 あれ? なんか……変じゃない?

 もしかして……もしかして……

 そう思って颯人お兄ちゃんから旅行前に言われていたことを思い出す。萌は、旅行鞄からパソコンを取り出すと、電源ボタンを押す。


 まさか……いるよね? このホテルにいるんだよね?


 起動を終えたパソコンでいくつか打ち込みとクリックを繰り返すと、ここ周辺の地図が画面に映し出された。



 颯人お兄ちゃんに萌に旅行についていきたいと言った時、颯人お兄ちゃんは初めは渋っていた。しかししばらくして“萌がいた方が……いいかもな”と言ったのだ。わけを聞けば“たぶん旅行中、千歳の実家から杏実にコンタクトがあると思う。無理やり連れ戻すつもりかもしれない”と言うのだ。そのため萌が杏実ちゃんにいつものようにぴったりくっついていれば、たとえ杏実ちゃんが颯人お兄ちゃんに遠慮してそのことを話さなくても、萌が異変に気が付いて対処できるだろう。そう言ったのだ。

 萌も重大な任務を担った気がして、俄然やる気が出た。よって、のんびりやっていた新作の製作を急いで完成させた。そしてなんとか杏実ちゃんに旅行前に渡せたのだ。萌とおそろいのふわふわクマノミのストラップ。杏実ちゃんはうれしそうに携帯につけてくれた。

 これは……萌の新作、いわゆるGPS機能を備えたストラップだった。そのことは旅行に行く前に颯人にも報告していた。颯人お兄ちゃんは“そこまでやるこたねーだろ……”と呆れていたが、念には念を……だ。そう思っていた。


「嘘……」

 パソコン画面を見て愕然とする。杏実ちゃんを示す赤丸は、このホテルを示していない。

 怖くなって颯人おにいちゃんに急いで電話を掛ける。何度か呼び出し音が鳴った後、通話がつながる音がした。


『んん……萌ぇ~? なんだこんな朝っぱらから』

「お……お兄ちゃん!! どうしよう!!」

『ああ?』

「杏実ちゃんがいなくなっちゃった!」

『……はぁ?!』



 しばらくして颯人お兄ちゃんが部屋にやってきた。萌は昨日からの杏実ちゃんとのやり取りと、パソコンの示す結果を伝える。


「そうか……」

 颯人お兄ちゃんは萌のパソコンの地図を見ながら、電話とは打って変わって冷静に萌の言葉にうなずいた。

 

「なんでホテルにいないの? 杏実ちゃん、颯人お兄ちゃんに会いに行ったんでしょ?」

「来てない。別に約束してたわけじゃないし、俺が呼び出したわけじゃないからな」

「じゃあ、なんで……」

「ただ……ちょっと部屋を空けてた時があるんだ。杏実が本当に俺の部屋に来たんなら、多分その時だろうな」

「ええ!! どこ行ってたのよぉ!」

「上のラウンジ。ちょっと飲みたくなってな……」

「ええ~!! もうぉ……なんでこんな時に飲みになんか」

「うるさい。……まあとにかくその時に来たんだろう。杏実のことだから寝てるとでも思って携帯に連絡しなかったか……」

「どこ行っちゃったんだろ。なんの用事で颯人お兄ちゃんのところに行ったんだろ……いなかったのに、なんで部屋に戻ってこなかったんだろ……杏実ちゃ~ん! どこぉ~!!」

「ああ~もう、うるさい!!」

「だって! だって!! お兄ちゃんは心配じゃないの!? さっきからなんでそんな冷静なのよぉ!!! 薄情もの!! お兄ちゃんなんかに杏実ちゃんは……」

「黙れ黙れ!! もうわかったから。俺だって心配に決まってるだろ!」

「嘘だ!!」

「嘘なわけあるか! でも……この萌のGPSの場所、これはたぶん杏実の実家だ」

「……え?」

「おそらく杏実は、実家の誰かから連絡があって部屋を出たんじゃねーかと思う。俺にそのことを伝えようとして、一度部屋に来たんだろう。杏実はたぶんそのことも萌に伝えてるとは思うが、お前シャワー浴びてたんだろ? 聞きそびれたんじゃねーか?」

「う……」

「まあでもこっちに来る時も、頑なに実家には帰らないって言ってたぐらいだからな……呼び出されたとしても、自分から帰ったとは考えにくい。しかも朝まで帰ってこねー上に、俺たちに連絡が無いとなると……無理やり連れて行かれたか……こっちに帰れねー事情があるか」

「まさか……死…」

「あほか。なんでそんな必要があるんだ。萌、いい加減くだらないサスペンスやら小説やら読むのやめろ」

 颯人お兄ちゃんは呆れてそう言う。その声に、またも妄想に走りそうになっていた思考をもとに戻す。


「連絡が無いってことは、杏実ちゃんは今は携帯の近くにいないのかなぁ?」

「まあそうだろうな。もしくは……」

「もしくは!?」

「まあ……眠らされている……とかな。仮にも身内だし、手荒なことはしてねーだろうよ。あいつらの本来の目的はそんなことじゃねーから……」

「目的って? なんでそこまでして杏実ちゃんを連れてかなきゃなんないの?」

「……」

 萌の質問に颯人お兄ちゃんは黙って下を向く。きっと颯人お兄ちゃんには杏実ちゃんがなぜ連れて行かれたのか、見当がついているんだろう。そもそもここに来る時も“杏実の実家からコンタクトがある”と言っていたのだ。その理由に関係があるに違いない。知っているならさっさと教えてほしいと思う。


 颯人お兄ちゃんは、しばらく考え込むように画面を見つめると「まあこうなったら仕方ねーか……」とつぶやいた。


「何が?」

 そう言った萌の言葉はまたも無視されてしまう。しかし颯人お兄ちゃんの顔は、何か決意したかのように真剣に前を見据えている。

 

 ……颯人お兄ちゃん?

 

 そして颯人お兄ちゃんは携帯を取り出すと、おもむろにボタンを押して誰かに掛け始めた。


「……もしもし? 忍か? 俺だ、颯人。……ああ。朝早くからすまんな。お前、今実家か? ……そっちに杏実行ってないか?」

 忍?……だれ?

 萌が不思議に思っていると、颯人お兄ちゃんはしばらくその人と会話をしたのち「はぁ~」と、短くため息をついた。

 何か分かったんだろうか?


「まあ……そうだろうと思ってたけどな。いい。こっちで探す。お前は杏実の携帯がそこにあるから、葵でも親でも部屋ん中探ってこっち持ってきてくれ。……ああその時でいい。どうせ杏実も連れてかれんだろ。そのときに連れて帰る」

 その時?x

 不思議な単語が飛び交っている。どうやら杏実ちゃんの実家の誰かと話しをしているようだとしかわからない。

 しばらくして颯人お兄ちゃんは「じゃあな。よろしくな」と言って電話を切った。


「誰! 誰と電話してたの? なんかわかった?」

 矢継ぎ早に質問すると颯人お兄ちゃんは「杏実の弟に電話した。特に収穫なし」とだけ答える。

 がっかりしていると颯人お兄ちゃんは「さてと……」と言って椅子から立ち上がる。


「萌」

「なにぃ?」

「すぐに着替えろ。杏実を迎えに行く前に行くとこが何個かあるんだよ」

「すぐに杏実ちゃんのとこに行かないの?」

「杏実は……今どこにいるかわからない。まあでも無事だろうからたぶん心配ないよ」

「ええ~……萌は杏実ちゃんに早く会いたいのに……」

「ただ会えても、俺たちのところに帰ってこれねーと意味ねーだろ?」

「どういう意味?」

「会えた時には絶対返さない。だから……守備固めとくんだよ」

「ふ~ん……よくわかんないけどわかったぁ。で? どこ行くの?」

 萌が今だ半信半疑ながらそう言うと、颯人お兄ちゃんは意地悪そうな笑みを浮かべて言い放つ。


「恵利のとこ」

「…………ええ!! それだけは嫌だぁ!!」



 杏実ちゃんが突然消えてしまったことで、萌には予想もつかない歯車が回り始めていた。颯人お兄ちゃんが何を考えているのかわかるはずもない。ただ、杏実ちゃんを取り戻すためには、颯人お兄ちゃんを信じてついていくしかないのだ。

 たとえそれが萌にとって一番会いたくない人のもとに行かなくてはならなくても……

 仕方なしに着替えようと立ち上がると、颯人お兄ちゃんの視線を感じた。不意に振り向くとニコッと笑顔を見せてくれた。優しい笑顔。萌の信頼できるいとこのお兄ちゃん。

 颯人お兄ちゃんなら、きっとできる。その意味を込めて萌も笑いかけると、ポンッと萌の頭を叩いて、颯人お兄ちゃんは部屋を出て行ったのだった。




 


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