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蜂蜜とミルクティー  作者: 暁 柚果
〈 7 〉
87/100

87.”あれ”のお話



 ポーン

 

 エレベーターが杏実たちの泊まる客室階に着いた。

 ふかふかのじゅうたんの道をしばらくたどれば杏実と萌の部屋。そのもう少し奥に颯人の泊まる部屋がある。


「じゃあな。なんかあれば電話しろよ」

「寄って行かないんですか? お茶ぐらい……」

「う~ん……萌から小言聞かされそうだしな」

「小言ですか?」

「はは……電話でもうるさかったからな。ちょっと疲れたし、今日はやめとく」

「そうですか……」

 少し残念だが、今日は長時間の運転もあり疲れているのだろう。そう思って名残惜しいが手を離す。

 颯人は杏実の頭をポンとたたくと「じゃあな」と言って歩き出した。


「あっ……あの!」

 とっさに颯人の腕を取って呼び止めた。

 さっきから……帰り道、ずっと考えていたのだ。今日は……今日こそは言おうと。

 些細なこととはいえ、これでもこっそりと練習していたのだから、言える。


「杏実?」

 呼び止めて腕を持ったままうつむいてしまった杏実に、颯人が不思議そうに呼びかけてきた。

 よし!

 杏実はその気合いと共に顔を上げた。


「颯人さん、おっ……おやすみなさい」

 そう言った瞬間、颯人の瞳が大きく開かれた。


 い、言えた!

 その満足感と共に、ニコッと颯人に笑いかける。颯人はその笑顔にいっそう瞳を丸くすると、やがて穏やかな表情を浮かべた。


「うん。また明日」

 颯人はそう言うと、杏実の頬にチュッとキスを落とした。その流れるような仕草に顔が赤くなる。

 そんな杏実の顔を見ると、颯人は優しく微笑んで「おやすみ」と言って再び部屋の方へ歩いて行った。




 少し曲がりくねった廊下に、颯人の後姿が見えなくなると杏実は深呼吸して部屋のチャイムを押す。

 小さく「はーい!」と言う萌の声が聞こえてドアが開いた。

 杏実の顔を見るなり、萌はうれしそうに笑う。


「おかえりぃ~!」

「ただいま。遅くなってごめんね?」

「ううん。萌も電話してたし……あれ? 颯人お兄ちゃんは?」

「疲れてたみたいで、もう部屋に帰ったよ」

「ふ~ん……そっか」

 萌はそう言って少し納得いかなさそうな表情を浮かべながら部屋の中に入っていく。杏実もそんな萌に続いて部屋の中に入った。

“小言言われそうだからな”

 颯人はそう言っていた。萌のあの表情、本当に言うつもりだったのだろうか? しかしいったい何に対してなんだろう……電話の内容が分からないので見当もつかず、杏実は首を傾げる。


「どこ行ってたの~?」

「ホテルの横の公園だよ」

「そんなのあるんだぁ」

「うん。結構大きな公園だったよ。また朝でも一緒に行ってみる?」

「うん! 朝ご飯の後に行く~」

「わかった」

 萌は楽しそうにニコッと笑う。萌の反応はいつも素直で、本当に可愛い。きっと朝の公園はまた違う風景が広がっているに違いない。そう思うと杏実も楽しみになってきた。


「そういえば、何度か電話もしたんだよぉ。杏実ちゃんのことだから、萌の電話終わるまで帰ってこなそうだと思ったしぃ~」

「本当?」

「うん」

 そう言われてカバンの中の携帯を見る。確かに何件か着信が入っていた。バイブにしていたので気が付かなかったらしい。

 しかし萌の2度の着信の合間に一件、見知らぬ番号からも着信が入っていた。その番号を見た時、なぜが心臓がドクッと嫌な音を立てた。

―――――まさか……


「入ってたでしょ?」

「あ……ほんとだ……ごめん。バイブにしてて全然気が付かなかったみたい」

「そっかぁ。ちょっと心配しちゃったんだからね!」

「ごめんね?」

「……まあ、いいけどさ。ど~せ、颯人お兄ちゃんといちゃいちゃしてて、気が付かなかったんでしょ?」

「いっ! ……いちゃいちゃって……」

 その言葉に顔が赤くなるのを感じる。

 いちゃいちゃ? ……そんなつもりではないけれど、ならほかにどう表現されるんだろう


「本当は萌じゃなくて、颯人お兄ちゃんと同じお部屋だったらよかったのにとか思ってない?」

「そんなこと思うはずないでしょ!!」

「えへへ~! そっかぁ。ならいいけどさぁ」

「全くそんなこと思ってないんだからね?」

「言ってみただけだよぉ~」

 そう言いながら、萌は悪びれもなくペロッと舌を出す。 


「もう……発想がフミさんみたいなんだから」

「お祖母ちゃん? ふ~ん……言われてみればそうか。まあ颯人お兄ちゃんはその通りだと思うんだけどね~」

「その通りって?」

「一緒の部屋が良いって思ってるってことだよぉ!」

「はぁ?」

「やっぱり旅行って気分が……ほら“あれ”じゃん?」

「あれ?」

「やだぁ~杏実ちゃん。萌の口からは言えないよぉ~”あれ”……あれなんだよぉ。沙穂子も真一とさぁ……」

「沙穂子と真一って誰の話?」

「あっ……これは、今萌が恋愛バイブルと思って崇めてる小説の登場人物だよぉ」

 そう言って萌は瞳を輝かせて杏実の顔を見た。聞いて聞いてと言わんばかりのお得意の表情だ。

 ”恋愛バイブル”

 この手の話題は……以前萌から何度か聞いたことがある。


「前言ってたダグ……なんとかって王子?」

「ああ~ダグラス王子? 違う違う。あれとは別の話。だってぇ~ダグラスてば甘い事ばっか言うくせにすぐに本心を隠すもんだからさぁ、リリアにはダグラスの気持ちがわからなくなってきたわけよぉ。そりゃリリアがシリンに傾く気持ちわかるもん……情けなくって呆れちゃって冷め冷めになっちゃったんだよねぇ~。馬鹿だよねぇ」

「し……しりん?」

 ”リリア”とはこの場合主人公の名前だろうか? 萌はこういった話を杏実によくしてくれるのだが、すぐに話を省略するので著しく話が分かりにくい。登場人物の名前もコロコロと変わるのでまったくもってついていけなくなる。

 しかしどうやら以前の小説とは別の小説に興味は移ったらしい。主人公の名前が日本人の名前のようだし、今回はなんとかついて行けそうだ。


「その点、真一はむちゃくちゃ自分に正直なんだよね~。この前、真一の家族と沙穂子の家族で家族旅行に行くことになったんだけどさぁ。真一、“この旅行で決める!”って決意してぇ~あれこれ二人きりで抜けれるようにがんばちゃうわけ」

「決めるって何?」

「やだぁ~沙穂子との初エッチに決まってんじゃん」

「エッ……なんでそんな……家族旅行でしょ?」

「もうだからぁ~そこが真一の熱いとこじゃんか! 旅行で沙穂子の魅力がアップしちゃってぇ~“もう抑えられない。今夜奪いに行く”なんて言っちゃうんだよぉ~」

 萌はそう言うと「一途がいいの! かっこいい!!」と言って目をキラキラさせている。

 やっぱり今回もついて行けない気がする。それに熱いと言う事よりも、家族旅行中になんて、もうちょっと状況判断しないといけないところじゃないかと思うが……今どきの女子高生と言うものはこんなものなんだろうか? それとも恋に恋する年齢ゆえの思考回路?

 否定したいのもやまやまだが、水を差すのも可哀想なので、もう少し様子を見てみることにする。


「でもさぁ~うまくいかないんだよね……良いところで邪魔が入っちゃうって感じでさ」

「まあ……そうでしょうね」

「それで、結局諦めちゃうわけ。もうしょんぼり……がっかりでしょ?」

「仕方ないわね」

「でもさぁ~ここからが良いとこなんだけどぉ……そんな真一にしびれを切らした沙穂子がさぁ~結局夜這いに行くんだよね」

「夜這い?!」

「そうよぉ~“待ってられない!”……って。それで二人は結ばれるんだよねぇ~朝とか二人だけで目配せしたり……ロマンチックでしょ?」

「ちょ……ちょっと待って。家族旅行中でしょ? そんな夜に部屋に二人がいないと心配するでしょ……」

「え? 真一の家族の寝てる横でするんだよ?」

「…………はぁ?」

「そこが熱いんじゃない~!!」

 無茶苦茶なストーリーだ。どこもロマンチックに思えない。


「この話、もちろん熱い真一もいいんだけどさぁ~それに負けない沙穂子も良いんだよね! やっぱ今は女性からもガーンといっちゃうのも有りかなって」

「萌ちゃん……」

 もう何からどういえばいいのかわからなくなってきた。頭が痛い。


「だからぁ~ってあれ? なんの話からこうなったんだっけ? ああ! 旅行!! そうそうだから杏実ちゃんからもこう積極的にねぇ~」

「ちょ……ちょっとなんでそんな発想に!?」

「だって……“あれ”だからぁ~」

 そう言って楽しそうに萌はニコッと笑う。

“あれ”

 まったく意味不明だ。さっきの会話から、いったい何がわかるというのだろう。杏実に言えることといえば、萌の恋愛バイブルにはその話は絶対にやめておいた方が良いと思うということだ。

 杏実は呆れて小さため息をついた。しかし萌はそんな杏実に気が付かず、更にぼそりとつぶやき始めた。


「でもさぁ……実際それって気づかれないもんなのかなぁ?」

「え?」

「……だからぁ~ほら……声とか出るって言うじゃん?」

 萌はそういうと、チラッと杏実の顔を見て探るようなまなざしを向けた。

 

……声?

 その視線に戸惑って杏実が見つめ返すと、萌は控えめに声を潜めてつぶやいた。


「杏実ちゃんは……どうなの? 出る?」

「は?」

「だからぁ……声だよ。お兄ちゃんとした時とかぁ……」


…………した?

 杏実はその言葉を飲み込んでからようやく萌の言った意味が分かり、その瞳を大きく見開いた。

 なにを言って!

 杏実は颯人と付き合っていないし、もちろんそういった関係ではない。というかいままで男の人と付き合ったことがないのだからその手のことは未経験なのだ。とんでもないことを聞かれていると自覚すると、たちまち顔が赤くなる。しかしその表情を見て萌は誤解して口を開いた。


「やっぱあるんだぁ……萌、したことないからわかんないんだぁ」

「なっ……!?」

「その相手って、颯人お兄ちゃん?」

「はっ……はやっ……颯人さん!?」

「あれ? 呼び方かわってる~!!あ~……そっかぁ! さっき……とか?」

「さっ…ち……違う!」

「違うの? いつ?」

「違う! そんなしてなっ……!」

「え? 颯人お兄ちゃんじゃないの? じゃあ……違う人?」

「あ……あの……」

「誰? てか、どんな状況そうなるの? やっぱ……痛かった? 声……でた? そんなもの?」

 杏実が戸惑っている間に、どんどん萌の妄想はエスカレートしていく。否定しなければと思うがうまくいかない。しかしとんでもない誤解だ。―――――なんとしてでも解かなければと思い、必死で言葉をつなげていく。


「……っち……違うの。わ……私は誰とも……」

「違う? あ~……そっか。杏実ちゃんって颯人お兄ちゃんが初恋だっけ?」

 やっと誤解が解けそうな糸口を見つかった。杏実が何度もうなずくと萌は「ごめんごめん。違う人なわけないよね」と言う。思わず安堵して涙ぐみながら、もう一度うなずいた。

 しかし杏実がもう安心と胸をなで下ろそうとしたところで、萌はさらに意外な質問を投げかけてきた。


「杏実ちゃんはお兄ちゃんとキスしてる?」

「は……?」

「キスは……してるよね。だってカフェん時もだし……前もリビングでしてたでしょ?」


 ギッ……ギクッ!!

 なんでそんなこと知ってるの!

 萌の鋭くストレートな質問に思わず息をのむ。萌は杏実にとって妹同然の存在なのだ。今は一緒に住む同居人でもあり颯人のいとこで……そんな身内のような存在に指摘され――――――はたしてまともに答えられる人なんているのだろうか?

 そして……いつのことだろう……か?


「あ……あ、それ、は……」

「ねえねえキスってどんななの?」

「え……?」

「軽いやつから深いのまであるんでしょぉ~? 舌入る、の?」

「……」

「とろけるって言うじゃん。沙穂子がいっつも言っててぇ。ねえ……キスでとろける?」

「も……」

「お兄ちゃんって上手? というか、キスでエッチのうまい下手ってわかるのかな?」

 萌の話は恋愛初心者の杏実にとっては刺激が強すぎる。畳み掛けるように繰り出されるとんでもない質問に、再び杏実はパニックになって、ただただ首を振った。

 しかし萌はそんな杏実の様子に独自の解釈をしたようで、がっかりした表情を向けてきた。


「え~……下手なの?」


………下手? 

 いったいもうなんの話になってきたのだろう?


「……お兄ちゃんって所詮、顔だけだったんだね……」

 萌は明らかに失望の色を隠せないといった風に長いため息をつくと、先ほどとは打って変わって何も言わずじっと杏実を見つめてきた。

 

 な……何?

 今までみたことのない表情をしている。寂しそうな……? ……憐れむような?

 これって――――――――――同情? 


 

 

「さぁ~て萌はお風呂にはいってこよっ~と!」

 しばらくすると萌はそう言い旅行鞄から荷物を取り出しはじめた。いいたいことは言い終わったらしい。

 杏実がその豹変ぶりに戸惑うものの、やはり萌はフミの身内だと強く感じる。人のことはお構いなしの暴走っぷり。フミは若いころ……きっと萌のようだったに違いない。

 とにかく今回の萌の”恋愛バイブル”。帰ったらこっそりどこかに隠しておかなくてはと思う。

 そう決意しながら萌の荷物を取り出す様子を見ていると、ふとその旅行鞄の中から見えているものを見て驚いて声を上げた。


「萌ちゃん、パソコン持ってきたの?」

「あ~まあねぇ。これはお兄ちゃんからの条件だったからぁ~」

「条件?」

「あっ……と。まあいいじゃん。じゃあお先にぃ!」

 萌はそう言うとサッと洗面所に入って行ってしまった。

 颯人からの条件? 車とはいえ、こんな荷物になるものを持ってくるなんて手間だったろうに。旅行中に仕事でもするつもりだったんだろうか? しかし……仕事ならば颯人のパソコンを持ってくるような気もするが……

 一人で考えていても答えは出ない。まして萌と颯人のことに杏実が介入することでもない。そう思って、杏実も萌が上がればお風呂に入ろうと持ってきた荷物の整理をするために鞄の方へ向かった。


 

 その時―――――背後から電話のバイブ音がした。






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