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蜂蜜とミルクティー  作者: 暁 柚果
〈 7 〉
85/100

85.手切れ金



 どっくどっくと心臓が鳴っている。


“千歳 杏実さん”


 あの男性は杏実の名前を呼んだ。住職は一度も杏実の名前を口にしていない。そもそも名前を知っているのかは定かではないが……


 では……どうして?


 あの“清水”と呼ばれる男性たちは両親の薦めでここを訪れているらしい。まさか初めから杏実のことを知っていいたんだろうか?

 写真などで見たことがあるからとか?

 しかし……写真と言っても実家にある古い写真だけだろうと思うのに、赤の他人が同一人物だとわかるもんだろうか……まして両親もいない場所で偶然に出会ってその人だとわかるもの? 

“また……のちほど”

 そう言った時のあの男性の笑顔や視線が、今も杏実に注がれているようで気持ち悪い。

 “のちほど”なんて冗談じゃないし、さっさとここを去ろうと思う。

 そうだ……良く考えれば、「千歳の娘の三番目」と言えば名前ぐらい知っているかもしれない。別に杏実のことをあらかじめ知っていた訳ではないのだろう。そう思うことにする。

 そうでないと薄気味悪い。


 ところで―――――この封筒なんだろう? 


 そう思って中身を見てみることにした。

 ずっしりと質量のある封筒の封を切って中を覗く。しかしその瞬間、ぐっと息を飲んだ。

 中に大量のお金が入っていた。100万いや……束が2つ、200万ぐらいあるかもしれない。杏実が本物だろうかと、お金を取り出していると中からメモ用紙も一緒に飛び出してきた。そこには“朝倉様への手切れ金”と書かれていた。


「何……これ」

 たちまち怒りと共に、嫌悪感が湧いてくる。こんなに大量のお金と、そっけないメモ用紙。

 それを無造作に住職から受け取るという事実。悔しくて涙が出てきた。

 バカにしている。自分のこともそうだが……何よりも颯人のこともバカにしたやり方だ。もし本当の婚約者ならこんなことをされて怒らない人はいないだろうと思う。

 もちろん颯人は本物の婚約者ではない。しかしこれを見せれば杏実と同様に嫌悪感を持つだろうと思う。

 しかし……この事実を颯人に話すべきだろうか? 


「杏実ちゃん!」

 どうすべきか迷っていると、道の向こうから颯人と萌が歩いてくるのが見えた。ハッとしてその封筒を後ろ手に隠してあふれた涙をぬぐう。

 杏実が手を振ると、萌がうれしそうに走ってきた。颯人は「寝起きに走ると転ぶぞ」と後ろから呆れながら声を掛けていた。

 

「杏実ちゃん! おまたせ~!!」

 そう言って萌が抱きついてきた。萌の体温が杏実に伝わってくる。その瞬間先ほどまであった緊張感が和らいで思わずホッとして息をつく。その温かさに安心して杏実も萌の背中に腕を回した。


「起きたの?」

「うん。起きたら颯人お兄ちゃんが待っててびっくりしちゃった。いつもなら小言で起こされるのにぃ~」

「そう?」

 萌の言葉にその風景が容易に想像できて思わず笑ってしまう。そうしていると颯人が杏実たちのところまで追いついてきた。

 萌と抱き合ったままで、顔を上げる。


「挨拶できたか?」

 穏やかな顔。そして聞きなれたその声が心地いい。


「はい」

 そう言って自然に浮かんできた笑顔を向けると、颯人は杏実の顔を見て不思議そうに首を傾げた。

 そうして杏実の顔に手を伸ばしてくる。颯人は親指で目尻に触れると、杏実が拭き残した涙をぬぐった。


「お前泣いてたのか?」

「え……あ……」

 その言葉に驚いたのか、萌も身体を離して急いで杏実の顔を覗き込んだ。


「杏実ちゃん本当!? どうしたの?」

「違っ……ちょっと……」

 とっさに言い訳が思いつかない。戸惑って言葉を詰まらせると、颯人が心配した声色で問いかけてきた。


「何かあったのか?」

「これは……」

「わかった!! 住職さんと話してお祖父ちゃんのこと思い出しちゃったんでしょ? わかるよぉ~萌もそんな時あるもん」

「萌は黙ってろ」

 緊張感なく口をはさむ萌に颯人は低い声色で言い放つ。


「なんでよぉ~! ね? そうでしょ? ほら颯人お兄ちゃんや萌がいると感傷に浸れないからこっそりと住職さんに会って思い出したとか……」

「……もしそうだとしても邪魔なのはお前だけだ」

「どういう意味よ~」

「そのままだろうが。そもそもなんだその恰好は。山奥の墓地にそんな足を露出したパンツを履いてくるやつがいるか! 靴もヒールだし、典型的なTPOわきまえられない女子高生だな。一緒にいて恥ずかしい。やぶ蚊に刺されたくなかったら車でおとなしくしとけ」

「ひっどーい! お兄ちゃんだって腕出てるじゃん!!」

「はぁ? この季節に半袖で何がおかしい。お前と一緒にすんな」

「萌だってちゃんと考えてんだからねぇ~ちゃんとカバンの中に虫対策グッツを……あれ?」

「カバン、車に置いてくって言ってただろ」

「……そうでした」


「くっくっく……」

 思わず二人のやり取りに笑いをこらえきれず笑い出してしまう。先ほどの緊張感や嫌悪感や……不快感なんてこの二人の前には吹き飛んでしまう。楽しい。二人がいてくれて本当に幸せだと思う。

 颯人は杏実が笑い出したのを見て、勢いが削がれたのか少し苦笑してポケットから車のキーを取り出して萌に渡す。


「ほれ。取って来い」

「はぁい!」

 萌は颯人と言いあっていたことに何も感じていないかのように、うれしそうにのキーを受け取ると杏実を振り向いて、「一緒にいこ!」と言って杏実の腕に抱き着いてきた。

 とっさの行動に、思わず後ろ手に隠していた封筒を落としてしまう。


 あっ……

 そう思った時には遅く、萌が素早くその封筒を拾い上げる。


「杏実ちゃん、なぁに~これ?」

「も……萌ちゃんそれは……」

「こら萌。杏実に渡せ」

「うん。……あれ? でもこれお祖母ちゃんと颯人お兄ちゃん宛てだよ」

 萌が表書きを見てそう言う。さっきは宛名は書いていなかったように思うのに……そう思って萌の封筒を確認する。

 確かに“下村様、朝倉様”と書かれている。まさかと思って下を見るともう一枚それよりも大きめの封筒が落ちていた。宛名のない封筒の中にもう一枚の封筒が入っていて気が付かなかったらしい。


「杏実。これどうしたんだ?」

 当然ながら颯人が尋ねてきた。萌は不思議そうに杏実にその封筒を返す。ずっしりと重い封筒を受け取りながら、気持ちも沈んでいく。どう説明すべきが迷う。

 

「これは……私の両親が住職さんに預けていたものみたいで……」

「杏実の両親が? なんて書いてある?」

「そ……れは……」

 杏実が歯切れ悪く言葉を詰まらせると、颯人は素早く杏実の手から封筒を奪って中身を確認する。


「なんだ……これは……」

 颯人は中身を見て、眉をひそめる。その声色は怒りを含んでいるように思える。萌もその様子になんだろうと颯人の手元を覗き込んで思わず声を上げる。


「ひゃー! 大金!! なんでぇ?」

 そう言って、杏実の方を振り返った。杏実も何と言ったらいいのかわからず、苦笑するしかない。

 颯人はそのお金と中に入ってるメモ用紙をじっと見つめて何か考え込んでいるように黙り込んでしまった。きっと嫌な思いをさせてしまったに違いない。自分のせいで申し訳ないなと思う。そしてそのことをうまく隠し通せなかった自分も情けない。


「すみません……」

「なんで謝る。お前は関係ねーだろ」

 颯人は杏実の方を見ずにきっぱりと言い放つ。萌も後ろで「そーだよぉ!杏実ちゃんは関係ないじゃん!」と叫んでいる。


「でも……私のせいで……」

「俺のことは気にしなくてもいい。……そっちがその気なら……遠慮はいらねーな」

「え?」


 どういう意味だろう? 

 杏実が疑問に思って言葉を返そうとした時、颯人が封筒から杏実に視線を向けてきた。

 そしてなにかいたずらを思いついたような顔でニッと笑う。


「杏実。これはちょっと俺が預かっとく」

「え?」

「えー!! 颯人お兄ちゃん貰っちゃうつもり!?」

「ばかいえ。そんな事するか」

「じゃあなんで?」

「ちゃんと返すけど、多少抗議もしとかねーとな」

「抗議ぃ~?」

 その言葉に首を傾げる萌を無視して、颯人は杏実に話しかけてきた。


「受け取らねーから、安心してろ」

「はい……」

 改めて言われた言葉にホッとする。まさか受け取るはずはないと思っていたが、全くそのつもりのない姿勢にうれしくなる。


「でも……それどうするんですか?」

「まだ、決めてない。でもお前の価値はこんなもんじゃねーって思い知らせてやらねーとな」

「どういう意味ですか?」

 杏実がそう言うと颯人はポンポンと杏実の頭を叩く。びっくりして顔を上げると颯人が穏やかに笑いかけてきた。


“心配はいらない”不思議なことにそう言われているように思えた。

 





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