79.ピンクのラッピングと”アメ”という娘 ~恵利side~
―――――2年前
「あれ? なにこれ……珍しい……」
2LDKのごくシンプルな内装の部屋。そのリビングの黒っぽいテーブルの上に、ピンクのリボンのついた可愛いラッピングの袋が一つ置いてあった。
この部屋に不釣り合いなほど可愛い。持ち上げてみると軽い。中からカサカサとセロファンのこすれ合う音がする。
アメ?
誰かからのプレゼントだろうか? しかし甘いものが嫌いな颯人だ。受け取るなんて珍しいし、まして人にあげずに家に持って帰ってくるなんて、相当大切な人からもらったものなのだろうか。
恵利がそんなことを考えながら、じっとそのラッピングを見つめていると、玄関からリビングに続くドアが開いた。
ご主人のお帰りだ
「おかえり」
「……なんで恵利がここにいる」
その顔は不機嫌そうだ。顔だけはいいんだから裕之みたいに愛想よくしてたらもっとモテるのに惜しいやつと思う。まあ……家庭の事情でふさぎがちな颯人をここぞとばかり、昔からしもべのごとく都合よく使ってたせいか、女性に対して考えが歪んでることも原因の一つかもしれない。裕之曰く、女性不振の気があるみたいだけど、女兄弟がいる家庭の男なんてそんなもんだと思う。
私は悪くない。
「いちゃ悪い?」
「……悪い。毎回勝手に入ってくんな」
「別になんも触っちゃいないわよ。……もし彼女と遭遇でもすれば、ちゃぁーんと言い訳したげる。まあ……あんたの場合、私が追っ払ってあげた方がむしろ助かるんじゃないの? あとあと面倒なことになるのが嫌で、ここに女連れ込んだこともないんでしょ? 心配ないと思うけど……」
恵利がそう言うと、颯人は恵利を軽く睨みつける。
――――お前には関係ない
その瞳がそう言っている。
はいはい、関係ありませんよ。興味もないしね。
その時、颯人が恵利の手に持っているものに気が付いた。
ハッと顔色が変わる。そしてすごい勢いで恵利の前まで来るとその手の中の物を、取り上げた。
そして勝手に開けられていないことを確認すると、ホッとため息をついている。
あら……そんなに大事なものだったのかしら?
「どうしたの、それ? なんか大切なもの?」
「お前には関係ない」
「ふ~ん……良いわよ……裕之に聞いちゃお。あんたが自分の部屋でピンクのラッピングを愛でてる様子とか、あることない事並べて……」
「ああ~もう! うるさい!! 人にあげるものなんだよ! もうすぐホワイトデーだろうが」
「ホワイトデー?」
そう言われて、そう言えば……と思う。この頃やっと掴みかけた女優への道が順調で彼氏とも別れたし、すっかりその存在を忘れていた。
しかしそう言われて、それこそまさか! と思う。
「ホワイトデー? あんた、今までバレンタインには彼女でもチョコ受け取ったことないじゃない!?」
「……中学の時、お前が俺のチョコをクラスの女子と賭けの対象にした上に、俺のあこがれてる先輩と裏で取引して俺をぬか喜びさせた後、その先輩と分け前を分配してたことが発覚して以来な」
「なによ~……ちょっと協力してもらっただけでしょ。あんたももらえて喜んでたじゃない」
「そのことがわかるまではな。お前はそれだけじゃない……俺の思春期の微妙な男心を、ことごとくずたずたにしやがったんだ」
「大げさね~……おかげでちょっとやそっとじゃ女性の手口に引っかからなくなったでしょ? 感謝してもらいたいぐらいよ」
「するか!」
「……ところでそんな昔の話はどーでもいいのよ。チョコ、誰からもらったわけ? しかも律儀にお返しなんて、天地ひっくり返るわね。あっ……さては、笠井専務の娘さん? あんた専務から娘さん薦められてんでしょ~娘さんもまんざらじゃないって話じゃない。どうせその性格じゃロクな恋愛なんてできないんだから、利点取ってさっさと結婚しちゃえば。専務と親戚になれば将来うちの会社継いだとき……」
「しょうもないこと言うな。俺が社長になるかならないかは、社長の意向だろ。社長は身内だからとかそんなことで決める人じゃない。第一……専務の娘なんか興味もないし、いちいちそんな面倒な相手選ぶか!」
「あ……そう。じゃあ……誰? 彼女?」
「……」
「……言いなさいよ! 今更言ったって、私が何かするわけじゃないんだからいいじゃない」
「……」
「じゃあ……裕之に……」
「言わんでいい。……カフェの店員だよ」
「カフェ?」
「会社の併設してるカフェで働いてる名前も知らない娘」
「え~!! 名前も知らないのに受け取る? やだぁ~なんか入ってたらどうすんのよ!」
「本名を知らないって意味だよ! そこでは“アメ”て呼ばれてる。長年働いてるバイトの娘なんだけど……そのカフェ、偽名が義務で誰も本名は知らないんだよ」
「なにそれ。キャバクラじゃあるまいし……。ふ~ん……その子にもらったわけね? 颯人に惚れてんだ。でもお返しなんかあげたら期待されるんじゃない?」
「違う。そんなんじゃない。たまたま彼女がバレンタインの日に食べてたチョコを俺が横取りしたんだ」
「は? ……あんた甘いもの嫌いでしょ?」
「なんか美味しそうに食べてるのをみて、無性に欲しくなったんだよ」
「なにそれ。あんたその子に、惚れてんの?」
「はぁ? 平田みたいな発想をするな。そんなんじゃない。ろくに話したこともねーのに……」
「え~? でもじゃあわざわざお返しなんかする? 変なの」
「うるさい! もういいだろ。……それよりお前、何しに来たんだよ」
颯人の面倒くさそうな様子をみて、ハッと本来の目的を思い出す。
そうだった。今日は……こんなことを聞きに来たんじゃない。――――――これからの、女優人生が掛かっているのだ。
「ああ……そうだったわ。颯人に聞きたいことがあって」
「聞きたいこと?」
「大したことじゃないんだけど、フミお祖母ちゃんの大事にしてる数字って言うか……“番号”ってなんか知らない?」
「番号? ……なんでそんなこと聞く。また良からぬこと……」
「違うわよ。ほら、もうすぐ家をリフォームすることになってるじゃない? それでセキュリティーを入れるって話が出てるのよ。その暗証番号はフミお祖母ちゃんのなんか大切にしてる番号にしようかって夏美と話してて……」
「フミ婆に直接聞きゃいいだろ」
「それじゃ、面白くないじゃない~こっそりするのがいいのよ」
そうさりげなく言うと、颯人は一瞬疑いの目を恵利に向ける。
こいつを騙すのはそう容易じゃない。さりげなく……慎重に……
「俺は知らない」
「そんなのわかってるけど、なんか案はないのって言ってんの」
「案?」
恵利のその言葉に、颯人は考えるように眉を顰める。そしてぼそっとつぶやいた。
「圭さんの……」
「え?」
「フミ婆が大切にするなら、圭さんとのなんか関連じゃねーの。圭さんの誕生日とか……それと自分の誕生日掛け合わせるとか……」
圭さん!
そうか。そんな思わぬところに盲点があったとは! そうだ、きっとそうだ。昔からこよなく大切にしていた親友の圭さんに関係あるに違いない。
これで……手に入ったも同然だ。さっそく家に帰って試してみよう。
「思いつかなかったわ。さすが颯人ね。助かったわ……それだけだから帰るわね」
「なんだそりゃ……」
唖然としている颯人は無視してさっさと廊下に続くドアの方に向かう。
ふと……”圭さん”で思い出したことがあって振り返る。
「そう言えば、圭さんのお孫さんに会った?」
「はぁ?」
「圭さんがこっちに来るときに、ついてきたお孫さんがいるでしょ? なんか今年の春からフミお祖母ちゃんのホームで働くことになったみたい。フミお祖母ちゃんが本格的にあんたとくっつけようって模索してたわよ」
「……なんだその迷惑な話は」
「だからさっさと専務の娘でも、その“アメ”って子でも捕まえて結婚すればいいのよ」
「……大きなお世話だ!」
「ふん! まあ……私には関係ない事だし。せいぜい頑張って!」
そう言うと恵利はリビングを後にする。
収穫はあったのだ。颯人には悪いが、ここは私の踏ん張りどころ。今後の女優生活において下済みが必要なのはわかってる。しかしこの私が、バイト三昧なんて御免だ。
今にでもスキップしそうな気分を抑えて、恵利は颯人のマンションを後にしたのだった。
――――――
冗談じゃない!?
あの子が……”アメ”だったなんて!
しかも圭さんの孫ですって?
『杏実ちゃんに何かしたら許さないんだから!』先日言われた、萌の言葉が今更ながら頭の中に反芻した。
あの様子なら萌まで手中に収めているらしい……何よりあの颯人が……
「あ! 恵利! 見つけた」
背後から颯人の声が聞こえた。バッと振り向くと片手で電話をしながらこちらに歩いてくる。
まずい……見つかってしまった。
思わず逃げようとしたが、すばやく服の首根っこを掴まれた。
「逃げんなよ?」
その顔は……怖い。やばい……気づかれた?
颯人はしばらく話をした後、器用に片手で電話を切り、不穏な笑みを浮かべる。
「平田に会いに来たんだな?」
「な……なによ! 悪い?」
「どうも……おかしい。この期に及んでまたなんかしてやがるな」
「そんなわけ……」
「もういい。はっきりさせてやる。来い」
「ど……どこに……」
「愛しの裕之君のところに連れてってやるよ」
そうして恵利は颯人に引きずられるように、エレベーターの方へ連れて行かれたのだった。




