78.謎めいた電話
「あれ? なんでアメちゃんがいるの?」
恵利がスクラリを去ってすぐ、入れ替わるように平田が杏実の前に現れた。
平田は不思議そうにそう言うと、了解もなく杏実の向かいに座る。この場所で平田を見るのは久しぶりだが、その見慣れた風景にふと懐かしさを覚えた。
「恵利さんに会いませんでしたか? 今、平田さん探しに行きましたよ」
「え? そっか……入れ違ちゃったかな」
「携帯に連絡してみたらどうですか?」
「いいよ。……どうせすぐ戻ってくるでしょ。ここで待ってよ」
「はぁ……?」
人が会いに来ているのに呑気なもんだ。
しかも平田は恵利が手を付けずに置いて行ったスムージーを見て「これ恵利ちゃんの?」と言い、杏実がうなずくと勝手に飲み始めた。呆れてものが言えない杏実に、いつものようににっこりと笑いかけて話しかけてくる。
「この頃どう?」
「え?」
「なんか進展あった? 婚約者のフリしてもらうことになったんでしょ」
「あ……」
颯人から聞いたのだろう。どこまで話を知っているのか気になったが、二人はかなり親しい間柄だ。ある程度は知っているのかもしれない。
「まあ……あんま君の事情は知らないけどさ、お見合いさせられそうだから”フリ”してもらうことになったんでしょ? でも……まどろっこしい事してないで、さっさと告白して本当に恋人になっちゃえばいいのに。そんなことしてて、むなしくない?」
“むなしい”
そうかもしれない。恵利と言う存在が現れてから、“嘘”ということに罪悪感さえ抱いている。
こんな風に形だけ繋がっていても、所詮はかなわないのだと言われているようで辛いのだ。
「そうですね……」
「ああもう。落ち込んでどうすんの。そう言う意味じゃないよ。たとえ嘘でもあの堅物の朝倉が“婚約者”になってもいい……って言ってるぐらいなのに、なんでそんな自信がないのかって言ってるんだよ」
「自信……ですか?」
「普段あんな、女性には冷たいやつだよ? 特別……とか思わないの?」
特別?
そうなんだろうか……
確かにうぬぼれてしまいそうな時もある。この頃の颯人は優しくて、本当に大切に守られているように感じる時があるのだ。
しかし……恵利とのことを考えると、そんなに単純なことではなかったのだと思ってる。
「でも……2年前は……本当に婚約してたんですよね?」
「は?」
「恵利さんから聞きました」
「恵利ちゃんが…………なんだって?」
「幼馴染で……2年前まで婚約してたって聞きました。恵利さんの事情で一方的に婚約を解消することになって……そのせいでフミさんが怒って今でもぎくしゃくしてるって。朝倉さんが海外に勤務になったのも、その婚約解消が原因だっそうですね」
「ははは……」
杏実の話に平田はそう言って笑った。しかし見たことない表情をしている、笑っているのに……顔が引きつっている?
少し気にはなったものの、言い始めると気持ちが止まらなくなってそのまま会話を続けた。
「私……正直そのことを聞くまでは、ちょっとうぬぼれてたんです。平田さんの言うように、いちばん近い位置にいるのかなって。でも……」
「あのさぁ……朝倉はその事についてなんて言ってるの?」
「恵利さんからわだかまりを作りたくないから黙っててって言われたので、朝倉さんには直接聞いてません。けど……でも……朝倉さん、恵利さんは今でも家族みたいなもので切っても切れないって言ってました」
「……はぁ~そう」
「恵利さんは今でも朝倉さんのことが好きみたいです……。しかも本当に……二人とも今でもすごく仲が良いんです。朝倉さんも自然っていうか……そんな光景を見るたび、すごく自信がなくなって……」
「……」
「こんなことに……私の事情に朝倉さんを巻き込んだらダメだって思うのに……この頃の朝倉さんはすっごく優しくて、どんどん好きになってしまって……どうすればいいのかわからないんです……」
杏実がそう言い、それ以上言葉が詰まって黙り込んでしまう。平田は「なるほどね……」と言って何度かうなずいた。
しばし沈黙が訪れた。よくよく考えれば、聞かれたからと言ってこんなことまで話をされても迷惑だったんじゃないかと思う。確かに平田は颯人の親友だが、杏実とは知り合いの程度なのだ。
しばらくすると平田は小さく「知らぬは……本人ばかりってやつかねぇ……。それで恵利ちゃんが来たわけかぁ~」とつぶやいた。
「どういう意味ですか?」
「……そのままの意味だよ」
「そのまま?」
「まったく……ほんと君って面白いよね。退屈しないって言うか……そこまで行くと、わかってやってんの? って思っちゃうよ」
そう言って、平田は呆れたように苦笑を浮かべた。
「まあでもこんな面白いことを僕に正直に話してくれたお礼に、一つアドバイスしとこうかな」
「……面白い?」
なんとも散々な言われようだ。
杏実が顔をひきつらせていると、平田は「ふふふ……」と楽しそうに笑う。
「あのさぁ? 杏実ちゃんは難しく考えすぎ。朝倉の態度なんて、火を見るより明らかじゃんか」
「え?」
「あいつは気持ちに嘘つけるタイプじゃないし、本当にどうでもいい相手にはとことん冷たい。まあ……だからこそ気を許してる恵利ちゃんのことそう思ったのかもしれないけど……朝倉は恵利ちゃんのこと好きじゃないよ。切っても切れないって言ったのは、昔からあんなんだから、今更恵利ちゃんの悪行には慣れっこってだけ」
悪行?
そのフレーズには少し引っ掛かりを感じたが、颯人が恵利のことを好きではないという平田の言葉に戸惑う。
本当にそうなんだろうか?
杏実が半信半疑な様子がわかったのか、平田はニコッと笑い「信じられない?」と問いかけてきた。
「……そうですね」
「ふ~ん。じゃあさ……ちょっと実験してみようか」
「実験?」
「要は、恵利ちゃんより君が大切だって証明できればいいわけでしょ? 簡単簡単! まあ見ててよ」
「平田さん?」
平田はそう言うと、おもむろにポケットから携帯を取り出す。
「うん。ちょうどいい時間~」
そう言って、どこかに電話を掛け始めた。
「もしもし、朝倉? 会議終わった? ……やだなぁ。ちょっと早めに食事出たんだよ。……ふふふ」
どうやら颯人に掛けているらしい。
「ところでさぁ……その辺に恵利ちゃんいない? ……うん。たぶんいるよ。僕を探しつつ朝倉から隠れてると思う。……ふふ、そうみたい。狙い通りだね。ちなみに僕、今杏実ちゃんといるんだよね~……面白い事聞いちゃったから、さっさと恵利ちゃん連れてきた方が良いよ。……え? それはいえないなぁ。……ふふふ、そりゃ僕だからでしょ。でも気にするのはそこなんだね」
そう言うとチラッと杏実の方を見る。
平田は終始、楽しそうだ。いったい何を話しているんだろう。
「…………さあね、そんなのわかんないよ~だから早く連れてきてっていってんだからさぁ。…………いた? じゃあ玄関とこで待ってるね~」
そう言って、平田は楽しそうに電話を切った。
「準備完了。じゃ、いこっか!」
そう言うと平田はさっさと席を立ってスクラリの出口の方へ向かう。杏実はその意図もつかめないまま、とりあえずその後を追うのだった。
 




