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蜂蜜とミルクティー  作者: 暁 柚果
〈 6 〉
77/100

77.スクラリの”アメ”


 完璧な物事など存在しない。“ほころび”―――――それは一本の電話から始まった。

 

 残暑厳しい8月の終わり。平日の休みとあって、朝から境さんの洗濯や掃除を手伝ってると、家の電話が鳴った。颯人が部屋に書類を忘れたらしく、至急使いたいので持ってきてほしいとのことだった。

 杏実は特の予定もなかったので、境さんの代わりにその書類を颯人の会社まで届けに行くことにする。書類の入った封筒を持ち、境さんに「行ってきます」と言っていると、恵利がダイニングに顔を出した。今日は休みらしい。休日のラフな格好とあっても、恵利の抜群のスタイルと美貌は衰えず、朝だというのにばっちりとメイクも決まっていた。

 

「杏実さん、どこか行くの?」

「はい。朝倉さんから書類を忘れたと電話があったんで、今から会社に届けに行くんです」

「え? 会社に?」

 恵利はそう言うと一瞬眉をひそめた。そしておもむろに口を開く。


「私も一緒に行ってもいい?」

「え?」

「颯人の会社でしょ? 私も……連れてってくれない? 迷惑はかけないから。……ちょっと裕之に会いに行きたいの」

「あ……あの……」

「待ってて。今、カバン取ってくるわ」

 杏実の返事などお構いなしに、恵利はそう言うとダイニングを出ていく。そして言った通りにすぐに戻ってくると、杏実の手を引いて玄関の方へ引っ張っていく。


「じゃあ、境さん、留守番よろしく」

「杏実さん、恵利お嬢様、行ってらっしゃいませ」

「あ……」

 有無を言わさぬうちに……そうして恵利と颯人の会社に行くことになったのだった。




 会社のビルに着くと、一度颯人に電話を掛ける。

 しばらくすると、颯人がエレベーターから降りてきた。今日も隙のない完璧なスーツ姿でかっこいい。颯人は杏実を見ると、少し表情を和らげた。


「悪かったな」

「いえ。暇だったので、いい散歩になりました」

「はは……散歩か」

 その言葉に杏実がにっこりと笑いかけると、颯人も穏やかな笑顔を見せる。


「間に合いそうなんですか?」

「まあな。今から会議で使う資料の原本だったから助かった。杏実はもう帰るのか?」

「……はい」


 実は恵利と来ているのだが、恵利は会社について早々、「私がいること、颯人には言わないで。そこのカフェにいるから終わったら来てね」と言って去ってしまったのだ。

 わざわざ颯人の会社に来たのにどうして会っていかないのだろうか……と思ったのだが、そもそも恵利は“裕之に会いに行きたい”と言っていた。(ちなみに裕之とは平田のことだったらしい。恵利は平田とも昔からの付き合いだと言っていた)

 事情はよくわからないが、平田に会いたいだけなのだろう。


「そうか。30分ぐらいしたら終わるから、食事に出れそうなんだが……お礼に昼飯ぐらいおごってやるけど、待ってるか?」

「え?」


 ランチ!

 颯人とランチできるなんて願ってもないことだ。

 しかし……今日は恵利と一緒なのだ。杏実が行くことになれば必然的に3人。恵利と颯人が一緒にいるところを見るのはちょっと辛い。

 残念だが断ることにする。


「いえ……今日は帰ります」

「……そうか。じゃあ気を付けて帰れよ」

「はい。……あっ……朝倉さん」

「ん?」

「平田さんって今日はこちらにいらっしゃるんですか?」

「平田?」

 その言葉に怪訝そうに颯人は眉をひそめる。恵利がわざわざ会いに来たのだ。恵利も自分で連絡を取っているだろうとは思ったが、一応聞いておこうかと思った。


「平田になんか用でもあんのか?」

「い……いえ……特には無いんですけど、いるのかなぁ~って……」

 杏実がそう言うと、颯人はますます怪訝そうな顔になる。

 やはり……その聞き方は不自然だっただろうか?

 しかし恵利のことゆえ、事情を説明する訳にはいかない。聞いてしまった以上、ここはなんとか誤魔化すしかない。


「……いる。朝から出てたけど、さっき社内に帰ってきて今は暇そうにしてた」

「そ……そうですか!! ……ちょっと聞いてみただけです」

 その時、颯人のビジネス用の携帯が鳴った。颯人は番号を見て、出ようか迷っているように携帯と杏実とを見比べた。やがて着信音が途切れる。


「あ……早く行ってください」

「杏実」

「私も帰りますから……」

 杏実がそう言ってにっこり笑うと、颯人は一瞬何か言いかけて口を開く。次の瞬間、再び携帯が鳴った。

 颯人はチッと舌打ちをすると「じゃあ気を付けて帰れよ」と言って、足早にエレベーターの方へ歩いて行った。

 不自然ながら、なんとか恵利のことは誤魔化せたらしい。

 杏実はホッと胸を撫で下ろし、恵利の待つ“スクラリ”へ、足を向けたのだった。






 

「アメちゃん! いやぁん、来てたの?」

 スクラリに行き、恵利の座っている席を探していると、後ろから聞きなれた店長の声が聞こえた。


「店長さん。ご無沙汰してます」

「やっだぁ~ほんとよ。顔出しなさいって言ってるのに……」

「すみません……」

「元気そうじゃなぁい。でもどうしたの、きょろきょろして……今日は待ち合わせ?」

「はい。ちょっと……」

 そう言ってもう一度店内を見回すと、窓際からこちらを見ている恵利の姿があった。


「いました」

「そう? じゃあ、いってらっしゃいな。そうだ! 新作でスムージー出してるのよ。それ入れたげる。後で席持って行ってあげるわね」

 店長はそう言うとカウンターの中に入っていった。

 

 スムージー? ……ちょっと楽しみ!

 

 杏実はそう思いながら恵利の待つ席の方へ歩いていく。席に着くと恵利が「颯人には届けられた?」と聞いてきた。杏実がうなずくと「よかったわね」と言って笑顔を見せた。


「恵利さんは、平田さんに会えましたか?」

「……メールはしたんだけど、まだ返事が無いの。もう少し待つつもり」

「あの……さっき……」


「おまたせ~」


 杏実が恵利に先ほど颯人から聞いた平田の情報を伝えようとしていると、横から店長が顔を出した。トレイにはオレンジ色の液体が入ったグラスが二つ乗っている。

 

「マンゴーのスムージーよ。よかったらお連れさんもどうぞ」

 そう言ってコースターの上に、その2つのスムージーを置いてくれる。オレンジの濃厚な塊が美味しそうだ。


「店長さん。ありがとうございます」

「いいのよ。じゃ……ごゆっくり……」

 店長はそう言うと、「御代はいらないからね」と言って手を振って去って行った。


「杏実さん、あの人知り合いなの?」

 そんな二人の様子に気になったのか、恵利が尋ねてくる。

 当然だろう。

 

「私、以前ここでバイトしてたんです」

「え? ここで?」

「はい」

「へぇ~それで知ってるわけね。バイトって……結構続けてたの?」

「6年ぐらいです。フミさんのホームに就職するまでやってました」

「6年も……。すごいわね~私バイトとかって続いた試しがないの」

「まあ……生活費が必要だったので。ここ、結構時間の融通が利いて給料も良かったんですよ?」

「ふ~ん。……そういえばホームに就職って、いつごろ辞めたの?」

「2年ぐらい前です」

「…………え? 2年前?」

 杏実の言葉に、恵利は困惑した表情を見せる。

 どうしたんだろう。なにかおかしなことを言っただろうか?

 恵利は不思議そうにしている杏実から視線を外すと、しばらくして視線を合わせないまま小さくつぶやいた。


「あなた……まさか“アメ”って言われてた?」

「え? ……どうして知ってるんですか? ここでは偽名が義務だったんで“千歳飴”をもじって、“アメ”って呼ばれてたんです」

 杏実が驚いてそう言うと、恵利はおもむろに立ち上がる。


「恵利さん?」

「ちょっと……失礼するわ。やっぱり待つのは性に合わないの。裕之、探してくる」

「あ……あの……」

 杏実の制止する言葉も聞かず、恵利はそう言ってスクラリの出入り口の方へ歩いて行ってしまった。

 

 いったいなんだったんだろう……


 杏実は呆然と恵利の去って行った方向を見つめる。

 恵利は杏実のことを“アメ”だと知っていた。以前ここに来たことがあるんだろうか?

 なにか動揺していたようにも思う。しかし理由は全く思いつかなかった。ただ単純に平田に早く会おうと思っただけだろうか?

 杏実は首を傾げながら、そう言えば颯人から聞いた話を伝えることを忘れたなぁ……と思うのだった。







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