74.心の中の想い
カップルシートと繋がれた手。
その距離の近さの緊張も、映画が始まると少し和らぎ、そのストーリーに引き込まれていく。
邦画らしく、美しい情景と描写、音楽は杏実がまるでその場にいるかのように感じられ、主人公たちのセリフや仕草を通じて気持ちが伝わってくる。
あらすじはパンフレットに書かれていた通り、幼いころの二人の思い出があり、やがて大きくなって二人の別れ、再会と進んでいく。若手だがなかなか迫真の演技力だ。
物語はやがてクライマックスへ……
きれいな音楽と共に、主人公たちが向かい合う。相手役の男の人が、自分が幼馴染の彼女に抱えていた気持ちを告白するシーンだった。
「なんでここにいるんだって思った」
「どういう意味?」
「君に会えなくなって……ずっと……君の面影を追っていた……会いたくて会いたくて苦しくて。忘れようとした……」
「弘樹……」
「でも……会いたかった。ずっと……会いたかったんだ」
スクリーンの中で二人が見つめっている。杏実もそのシーンに思わず緊張して身体を硬くしてしまう。
しかしその直後、脳裏になにか既視感のような言葉がかすめた。
『……ずっと君に……会いたいと思ってた』
その言葉は、フミ達と旅行に行った時、颯人が寝ぼけて言った言葉だった。
目が覚めて……颯人は昔飼っていた犬と間違えたと言ったのだ。
一度は納得していた。しかしあれからも時々、妙な違和感として杏実の中にくすぶっていた。
どうして……あんなに切なそうに辛そうに?
第一……あんな愛おしそうにキスする? 犬に?
『君がいなくなって……俺は……会いたかった』
あの時颯人はそうも言っていたのだ……
納得したんじゃない。考えたくなかったのだ。颯人に……その隠された心の中にそんな人がいるということを。
映画に溶け込んでいた心がスーッと次第に冷めていく。
ずっと会いたかった人……突然いなくなってしまった人……颯人が……大切に思っていた人。
こんな映画を見てしまったせいか……幼馴染の……再会の……
―――――その人物は“恵利”しかいないのではないかと思った。
『スクラリ』での噂や、萌が「いつも適当な付き合い……」と言っていた話。本気で付き合った人はいないのかもしれない。でも恵利は婚約までした人だ。まして別れた理由が、恵利の夢のためで、お互いが嫌いになって別れたわけじゃないのだろう。現に恵利はまだ颯人が好きで……颯人も恵利を家に招くぐらいだ。拒否していないように思う。
ドクンっと心臓が嫌な音を立て始めた。
嫌だ……嫌だ……
考えちゃダメ。違う。違う。
そう思えば思うほど、思考はそのことに埋め尽くされていく。映画の音も何も聞こえない……暗く深い感情に支配されて、自分の嫌な鼓動しか感じられなくなった。
結局私は……
しかしその時、意外な声にハッと意識がよみがえる。
「杏実? 気分悪いのか?」
その声にバッと隣を見ると、颯人が心配そうにこちらを見ていた。颯人は杏実と繋がれた反対の手で、杏実の頬のあたりをそっと手のひらで触れてくる。
「なんか、変な汗かいてるぞ? 気分悪いなら出るか?」
その触れた手のひらから颯人のぬくもりが伝わってきた。そのぬくもりにホッとして、とたんに涙があふれてくる。
「杏実?」
突然泣き始めた杏実を、颯人は不思議そうに見つめてその大きな手を頬にあてたまま、流れ出る涙を親指で拭ってくれる。
「どうした?」
「だい……丈夫です。ちょっと……じっと見てたら画面に酔ってしまったみたいで……」
「そっか。もう出よう」
「いえ……あと少しなので、目をつぶって聞いてます」
「我慢することない」
「ここで帰ったら続きが気になりますから……」
「……」
「本当に大丈夫ですから……」
杏実が心配かけないようにと少し笑顔を作ると、颯人はその表情を困ったように見る。
そして颯人はまた何か言おうとして口を開いたが、再び口をつぐんで、杏実の様子を観察するようにじっと見つめた。
杏実はとっさに視線を逸らす。
その瞳を見ると……杏実の不安が伝わってしまうような気がしたのだ。
颯人はそんな杏実の様子に小さくため息をつくと、杏実の肩に手をまわして自分の方に引き寄せる。杏実の身体は自然と颯人にもたれかかるような体制となり、頭がコツンっと颯人の肩に乗っかった。
驚いて頭を起こそうとすると、肩に回された手で頭を押さえられた。
「もたれてろ!」
「え……」
「つべこべ言わず、そのまま目つぶってろ」
有無を言わせない口調だった。杏実が戸惑って、颯人の方を見ると鋭い視線が飛んできた。今反論すると、怖そうなので急いで視線を逸らし、言われるままにぎゅうと目をつぶる。
「……ったく……すぐ我慢しやがる……」
颯人は小さな声でそう言いながら、ブツブツと文句を言っている。
視線と口調とは全くかみ合わないが、心配してくれているらしい。いつもさりげなく向けられる不器用な優しさに再び涙があふれてきた。
杏実は戸惑いながらも、おずおずと身体の力を抜き颯人の肩に頭をあずけると、颯人が杏実の髪を優しく撫でてくれた。
その優しさを……独り占めしたい。私の方を見てほしい。
どんどん我が儘になる。
このままだとだんだん逃げ場のなくなる思いを持て余して、嫌な自分に変わってしうような気がする。怖い。
そんな杏実の思いを和らげるかのように颯人の優しい手が杏実の髪をゆっくり撫でている。
次第に杏実は安心してそのまま寝てしまっていた。
「すっかり寝てしまってすみません」
結局あのまま寝てしまい、颯人の声で起こされたときは映画も終わり、ほとんどの観客も出た後だった。
映画のラストを見たいと言って残ったのに、何たる失態。
杏実が映画館を出ながら申し訳なさそうにそう言うと、颯人は特に気にしていないように「たいして寝てねーから。気にすんな」と言う。
「で……でもせっかく……」
「ラストが気になんのか?」
「え?」
「あれは……大したラストじゃなかった。見ても見なくても変わんねーよ」
「……そ…うですか……」
そう言う意味ではないのだが……
杏実は寝てしまったことを言っていただけなのだが、颯人は本当に気にしていないらしい。
先ほどの気が付いてしまった事実へのショックは未だ杏実の胸の中にくすぶっていたが、少し寝れたことで気持ちが少し切り替わった気がする。颯人とのいつも通りのやり取りの中で、不思議なことに少し気持ちが楽になっていた。
「なんか……小腹空いたな~」
「え?」
「よし……あそこ入るか」
颯人はそう言って、杏実の意見も聞かず、杏実の手を取って近くのカフェに向かって歩いていく。
カフェはピンクと白を基調とした可愛い内装の店だった。奥にショーケースがあり、ケーキが並べられている。
可愛い店だけあって、お客さんはほとんど女の人ばかり。男の人はカップルの人だけで、一人ではちょっと入りにくそうな雰囲気だ。
颯人は何も考えずに入ろうと決めたとは思うが、きっと杏実と一緒でなければ即出て行ったに違いない。
現に一番颯人がこの店に似合っていない。運ばれてきたイチゴがらのコップを持ち、毅然と飲む姿がアンバランスでなんだか笑えてくる。
さらに先ほどメニューを見てちょっと驚いたのだが、ここには「小腹がすいた」と言った颯人の意見で入ったに関わらず、この時間はケーキセットしか無かった。戸惑って「違う店にしましょう」と言ったのだが、颯人は「別に杏実から一口もらうからいい」と言って、ミルクティーしか頼まなかった。
何のために入ったのかと思う。しかし美味しそうなケーキの店だったので、少し得した気分だ。
「お待たせいたしました」
可愛いピンクのフリルの服を着た店員さんが、そう言って杏実たちのテーブルに頼んだイチゴのタルトと紅茶を運んできた。
テーブルにお皿やカップを置く際、チラチラと颯人の方を見ている。その瞳は熱を帯びていて、明らかに好意を感じる。
よく見るとほかの店員さんやお店の女性客も、颯人の方を見ていた。
颯人はこの店に不似合いだと思っていたが、どこにいても注目を浴びる人なんだと思う。
もし杏実がいなければ……間違いなく声を掛けれていたのではないだろうか。現に……時折杏実に向けられる視線が……痛い。
颯人は気にしていないのか、慣れているのか、全く動じた様子はなかった。
恋人同士というわけでもないし、お似合いだとも全く思っていないが、なんだかその差を感じて悲しくなってくる。
「杏実? 食べないのか?」
テーブルに置かれたままのケーキたちに全く手を付けない杏実を見て、颯人は不思議そうに尋ねてくる。
その声にハッとして、急いでフォークを手に取った。
こんなことで落ち込むなんて、変に思われる。どうであれ今は二人でいるのだ、楽しまなくてはと思う。
「い……いただきます!」
「うん」
杏実がケーキを食べ始めると、颯人も頼んだミルクティーを飲み始めた。
タルトは甘めだが、中に入っているカスタードがとてもなめらかでこくがあり、上に乗せられた酸味のあるイチゴがマッチしていてとても美味しい。
何より小さな犬型のマジパンが乗せられていて、見た目でも可愛いのだ。
その美味しさと可愛さに自然に笑みがこぼれる。
「美味しいか?」
「はい」
杏実が正直にそう言うと、颯人は杏実を見て優しい笑みを浮かべた。
しばらく会話が途切れる。ちょうど窓際に座ったことにより、二人とも自然に窓の外の人の波に目を向ける。
映画館の近くと言うこともあるのか、年齢層もさまざま。夏休みだが、時折制服を着た萌ぐらいの歳の女の子の集団も目に入る。
外は天気も良くみんな楽しそうに通り過ぎてく。萌も……今日はこんな風にメカ仲間(?)と過ごしてるんだろうか。
そう思って……ふと、このところ萌の様子がいつもと違うような気がしていたことを思い出す。
元気な時もある。しかし時折食事をほとんど食べずに部屋にこもってしまうときもあるし、なによりこの頃全く杏実の部屋に訪れてこなくなった。
もちろん部屋に来る来ないは萌の自由なのだが……元気がないように思えてならないのだ。
ふと颯人に聞いてみようかと思った。幼いころから兄弟のように育ったようだし、何か相談を受けているかもしれない。
「朝倉さん」
「ん?」
「この頃……萌ちゃん、元気がないように思うんです」
「萌?」
「はい。あんまりしゃべらないし……部屋にこもってるか、出掛けるかで……。夜も来てくれないし……」
「夜? ……なんだそれ」
「フミさんの家に住むようになってから時々、夜私の部屋に遊びに来てくれてたんです。なにをするわけじゃないんですけど……二人で話したり、雑誌読んだり……結構それが楽しくて。でも……この頃来てくれないですよね」
「……萌はそんなことしてたのか」
「私が何かして嫌われた……とかじゃないとは思うんですけど……でもなにかよそよそしいというか……なんとも言えないんですけど……元気が無いように思えるんです。朝倉さん、何か萌ちゃんから聞いてませんか?」
杏実がそう言うと颯人は何やら思い当たることがあるのか、少し眉をひそめてじっとテーブルの一点を見つめている。
少し……その雰囲気は怖い。どうしたのだろう……
「あ……の……朝倉さん?」
杏実が恐る恐るそう呼びかけると、颯人はその声にゆっくりと杏実の方を見た。
「どうかしたんですか?」
杏実がそう言うと、颯人は一瞬間をおいて、やがて杏実の質問に答え始めた。
「萌からは何も聞いてない。俺は元気が無いとは思わねーが……まあ……杏実がそう言うのならそうなんだろ」
「どういう意味ですか?」
「思い当たる理由はあるってことだよ」
「そうなんですか! なんなんですか?」
「恵利だよ」
「え?」
意外な言葉と言うよりも、颯人からその名前が出たことに一瞬動揺する。先ほどのショックが抜け切れないためか、心臓がまた嫌な鼓動を打ち始める。
必死で平常心を保ち言葉を紡ぐ。
「恵……利さんですか?」
「まあな。萌は恵利が苦手なんだよ。小さいころからいろいろこき使われてたからな。俺は、萌が昔あんなに引っ込みがちだったのも恵利の影響が大きいんじゃねーかと思ってる。……恵利は根っからの女王様だからな。なんでも都合のいいように周りを巻き込みやがるし、萌は特に年が離れてて抵抗できるわけねーからいろいろやられてたんだろ。俺も気が付いた時はかばってやってたけど、結構やり口が巧妙で気が付かないんだよな……」
「はぁ……」
「今回もフミ婆の件で、なんか脅されたのかもしれねーな……」
「脅された?」
「恵利は絶対にばれたくねーだろうし、まあ……そこまではしないにしてもなんか弱み握られてるんじゃねーか?」
なんだか……颯人から聞く恵利の話が意外で驚く。恵利の人となりは知らないのだがあまりに辛辣で……元恋人に対しての言葉とは思えない。
とっさに聞いてはいけない言葉を口に出してしまった。
「朝倉さんは本当に恵利さんのことが好きだったんですか?」




